誰かの役に立ちたくて
※主な登場人物
・植野沙彩…二年生。薗部高校吹奏楽部、ファゴット担当。
・柳橋葵…二年生。同吹奏楽部、部長。
・城山匠…川連二高吹奏楽部、外部講師。
・湊鍵太郎…二年生。川連二高吹奏楽部、部長。
何もできない自分が嫌で、誰かの役に立ちたくて。
必死に何かを探していたら、そこで大切なものと出会った。
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「さあ! もうすぐ川連二高さんとの第二回目の合同練習よ! 気合い入れて合奏しましょうね!」
そう顧問の先生が今日も元気に声を張り上げるのを、植野沙彩は楽器を膝に置いたまま黙って聞いていた。
彼女の担当楽器は、ファゴット。
焦げ茶色の長い円筒状をした、木管楽器の一種である。
一部の人間からは『でっかいちくわ』とも言われるその独特の形状と、そこから出るどこかおどけた音は、弦を主体としたオーケストラではなくてはならないものだ。
なのに沙彩の表情が冴えないのは、彼女が最近あることについて、悩みを深くしたことが原因だった。
「はいそこ、もう一回合わせるわよ! テナーサックスとユーフォ! 今のところもう一度!」
「……先生そこ、ファゴットも吹いてます」
聞こえない。
オーケストラではなくてはならないものでも、吹奏楽になるとファゴットの音は、他の楽器の音にかき消されて聞こえなくなる。
以前から分かっていたことではあるが、改めてそれを思い知らされ、沙彩はため息をついた。
「るり子先生にすら忘れられるって、わたしの存在感って一体……」
このやたらやる気のある先生にまでこのような扱いを受けると、ひょっとしたら自分は吹かなくてもいいのではないか、とすら思えてくる。
いてもいなくても同じ。
沙彩としては好きで吹いているこの楽器であるが、こういった扱いが続くと、流石にそんな風に考えてしまうときもあった。
しかし周囲の人間は気にしないもので、先生も「あらそうね。じゃあファゴットも一緒に!」などと特に申し訳なさそうな様子もないまま、練習は再開される。
そのまま沙彩も吹き始めたものの――心の中では、ある疑問が渦巻いたままだ。
ひょっとしたら、自分は。
「……ねえ、葵ちゃん」
練習終了後、沙彩は友人でもあり部長でもある柳橋葵に声をかけてみた。
同じ低音楽器の仲間であり、真面目で大人しい彼女なら、このことを話しても大丈夫なのではないか――
そう思ったのだが。
「なに?」
「……ううん。なんでもないよ」
「えー? なにそれ?」
やはりどうしても口にすることができなくて、沙彩は友人の追及を笑って誤魔化した。
言えるわけがないのだ。
ひょっとしたら、自分は要らない存在なのではないか、などと。
そして、それ以上に――
そう言って、本当に「要らない」と答えられてしまったらという恐怖が、頭から離れなかった。
そんなことはないと思いつつも、その疑念は心のどこかで、黒いシミのようにこびりついている。
「本当に、なんでもないんだよ」
このままじゃいけない――そう思いつつも。
どうやってどこに踏み出せばいいのか、沙彩自身も分からなくなりつつあった。
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そして第二回目の合同練習日は、あっという間にやってくる。
「あー、はい。僕が今回の合同バンドの指揮を務めさせていただきます、城山匠です。どうぞよろしくお願いしま――」
その指揮者の先生が最後まで言い終わる前に、薗部高校の生徒たちから割れんばかりの歓声が起こった。
今日初めての対面となった先生が、想像をはるかに超えたイケメンだったのだ。
女子高である薗部高校の生徒たちにしてみれば、願ってもない誤算である。
そのあまりのはしゃぎっぷりに、葵が「み……みんな! 騒ぎすぎ! 騒ぎすぎ!?」と部員たちを諌めている。
しかし沙彩はそれよりも、「この人も、自分の音は聞いてくれないのかな」という不安の方が先に立っていた。
自分には兄もいるし、他の部員たちのようにそこまで男の人に免疫がないわけでもない。
むしろこの城山という先生の方が女の人に耐性がないのか、引きつった顔で賑やかな生徒たちを見渡している。
しかしなんとか気を取り直したのか、彼はひとつ深呼吸をして、全員に向かって言う。
「えーっと。はい、熱烈な歓迎をありがとうございます。僕もみなさんの期待に応えられるよう、誠心誠意がんばっていこうと思います。
じゃあ――まずは軽く基礎練からやってみましょうか。二校合同ということで、いつもとは色々と勝手が違うと思いますし」
確かに両校一緒に演奏をすると、それぞれの校風が出るのか、全体のカラーが少し違うものになる。
それを馴染ませていくのも、合同演奏をするにあたっては重要なことだろう。
そう考えつつも沙彩は、自分には合わせる同じ楽器の人がいないしなあ、と思っていた。
向こうの学校にもファゴット吹きの人がいれば、お互いに楽器の話や悩みについても話せたろうに。
まあ、その辺りは仕方がない。お互いそこまで規模の大きくない部活だ。
むしろ自分のように、小編成バンドでファゴットを吹いている方が珍しい。
だからせめて、同じ木管低音であるバスクラリネット、バリトンサックスと合わせていこう――と、沙彩は隣にいる川連二高の部員たちをちらりと見た。音量の面はしょうがないとしても、バンド全体がよく聞こえるようになれば、それでいいはずだ。
城山の合図と共に、二校同時に音が出される。
それはなんでもない、ただのロングトーンで――しかし指揮を振っていた城山は、その基礎練習が一段落した後、「……ふむ」と小さく首を傾げた。
「……トランペット、もうちょっと音を寄せようか」
パートで揃えると、もっとよく聞こえるようになるよ――と柔和に言う先生は、決して間違ってはいない。
だが今の沙彩にとってはその言葉も、「やっぱりこの人も、目立つ楽器の音しか聞いてくれないのか」という疑いを抱かせるものにしか聞こえなかった。
心の隅にある真っ黒く滲んだものが、じわりと少しずつ広がっていくのを感じる。
いてもいなくても同じ。
あの時と同じ、誰の役にも立たない――。
それが嫌でこの楽器を手に取ったはずなのに、結局何も変わっていなかった。
泣きそうになりながらもなんとか練習をこなし、ようやく休憩時間に入る。
「はあ……」
楽器を膝に置いて、盛大にため息をついた。
本当にこれで、いいのだろうか。
自分はここにいて、いいのだろうか。
いてもいなくても何も変わらない、役立たずなのではないか――そんなことを考えていた、そのとき。
後ろから、どこかで聞いた声がかけられた。
「植野さん、ちょっといいですか?」
「はい?」
振り返れば、そこには相手の学校でチューバを吹いている、男子生徒が立っている。
この人は確か、湊鍵太郎――川連二高吹奏楽部の、部長だったはずだ。
そんな人が、自分に何の用だろうか。
何か迷惑をかけてしまっていただろうか。
沙彩がそう心配をしていると、彼は目を輝かせて言ってくる。
「こないだ言ってた話ですけど――そのファゴット! 吹かせてもらっていいですか!?」
「……え?」
そのあまりに無邪気な申し出に、沙彩は毒気を抜かれたように目を瞬かせた。
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何もできない自分が嫌で、誰かの役に立ちたくて。
必死に何かを探していたら――彼女はそこで、大切なものと出会った。




