やりたいように、やればいい?
※主な登場人物
・柳橋葵…薗部高校吹奏楽部、部長。
・西宮るり子…薗部高校吹奏楽部、OGにして顧問。
・戸張櫂奈…薗部高校吹奏楽部、トランペット担当。
一方、その頃――
「……っ!」
薗部高校の音楽室では、柳橋葵が歯を軋ませていた。
今は先ほど合同練習でやった曲を、もう一度合奏しているところだ。
顧問の先生たっての希望で、もっと曲やり込まねばということでこうなったのだが――
しかしいかんせん、今の薗部高校の編成は非常にバランスが悪い。
特に葵がいる低音部は人が少ないこともあり、トランペットなどの高音楽器群に押し潰されそうになっている。
できるだけ音を大きく出そうとするが、葵の弾くコントラバスは、いかんせん音量に限界がある楽器でもある。
そしてそんな状態に焦ってしまっているのか、やろうと思えば思うほど、かえって楽器は響かなくなってしまって――
「はあ……。はあ……」
ただ疲労感だけが募ったまま、その日の合奏は終了することになってしまった。
そしてそのまま、彼女は足取りも重く音楽準備室へ向かう。
葵は部長だ。
しかしこの部の誰もが嫌がったので、仕方なくその役割を引き受けた――そんな存在に過ぎない。
なので本来ならばこれから彼女は顧問の先生と話し合い、今の合奏の反省点などを洗い出して、それを部員たちに伝えなければならないのだが――
「いやあ、今日の合同演奏はよかったわね! 早くうちも川連二高さんに追いつけるように、バリバリ努力しなくちゃいけないわ!」
「あの、先生……さっきの音量バランスは、さすがに……」
「そうと決まれば練習あるのみよ! 葵! みんなにもっと楽譜をさらい込むように伝えて! もっと歌えるように、もっと素晴らしい演奏ができるように! 薗部高校吹奏楽部、再興に向けて! がんばるわよー!」
「き、聞いてないし……!?」
そもそも顧問の先生と会話が成り立たないので、どうあがいても絶望して、すごすごと部屋を出てくることになるのだった。
こうなるのが分かっていたから、みんな部長になりたがらなかったのだ。
だから他の部員は顧問の先生の言うことにほとんど聞く耳持たず、それぞれが好き勝手にやっている、というのが今の薗部高校の正直なところである。
音はそれなりに出ているが、それをまとめるまでには至っていない。
というかそのまとまりのなさをどうにかするのが、部長たる葵の役割でもあるのだが――先生も部員もそんな感じなので、まとめるどころか声さえあげられないというのが、現在彼女の置かれている立場でもあった。
「ああもう、助けて、湊さーん……」
そしてそんな八方塞がりの彼女の脳裏に、先ほど一緒に合奏した、他校の吹奏楽部の部長の姿がよぎる。
川連二高吹奏楽部のあの人は、演奏も上手くて、周りからも頼りにされていて。
部長というのはかくあるべきだと、葵は今日衝撃を受けたものだった。
今ここに彼がいてくれたら、どんなに頼もしいだろうか。
今ここに彼がいてくれたら、どんなに心強いだろうか――そんなことを考えていたら。
その当の本人から携帯にメッセージが送られてきて、葵は悲鳴をあげた。
「うわっひゃあぁぃッ!?」
奇声をあげながら、そのまま携帯を放り投げそうになる。
送られてきた文面は、ただ単に『今日はありがとうございました、そちらは大丈夫でしたか?』という本日初めてとなった合同練習の結果を気遣うものであったが――葵にとってはただ連絡が来たというだけで、こんな風に過剰反応をしてしまうものなのだ。
ドキドキしながら文章を読み、何と返そうかと考える。
今日の練習はどうだったか。
それを考えて――上機嫌だったはずの葵の指が、ぴたりと止まった。
どうだったと訊かれれば、合同演奏をしている最中は、とても楽しかったと言えるだろう。
しかし、その後自分たちの学校だけで合奏をしたときはひどかった。
そのあまりの落差に、今まさに思い悩んでいたところで――この人に相談してみようかな、という思いがちらりと頭を掠める。
先生と部員との齟齬。
自分の立場と演奏の弱さ。
そしてあの相手方の部長の彼には、果たして彼女がいるのだろうか――
「――ち、違う違う! なにこれすごい長文!? ダメダメ! これじゃすごい重い女だって思われちゃうじゃない!?」
と、そこまで書いたところで、送られてきた量の数倍以上の文字を入力していたことに気づき、葵は慌てて書いていた文を消した。
これでは、ダメだ。恥ずかしさと申し訳なさと変な嬉しさがごちゃまぜになって、頭を抱える。
これはもう、アレだ。個人的な感情はいったん置いておいて、あくまで部長同士として理性的に返信をすべきなのだ。
彼女云々は、今度会ったときに探りを入れればいいとして。
だからとりあえず、アレだ。まずはとにかく、演奏のことについて話していこう――と、葵がさ迷っていた指を、再び動かそうとしたとき。
「あー、楽しかった。やっぱり人が多いと思いっきり吹けていいわ」
後ろから同い年の部員の声がして、葵はそちらを振り返った。
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振り返った視線の先には、部活を終えて帰ろうとする部員たちが何人かいた。
そして、その中の一人。
先ほど声をあげた部員に対して、葵の視線が吸い寄せられる。
「櫂奈、ちゃん……」
戸張櫂奈。
葵と同じ二年生、トランペットのパートリーダーだ。
どこか鋭い眼差しに、少し茶色がかった長い髪。
そんな彼女を中心に、きゃいきゃいと騒ぐ部員たちの声が聞こえてくる。
「ほんっと、合同バンド様様って感じだよねー。上手いとこに混じってやれば、私らだって上手く聞こえるし」
「先生は金賞金賞うるさいけどさあ、今回は楽しくやれば合格できるんでしょ。だったら今度のは別にあたしらがやりたいように、思いっきりやればいいじゃん」
「そうだよ。まったく先生もさー、付き合わされるこっちの身にもなってほしいよねー」
「……」
そう言いつつ――携帯を片手に悩んでいる部長のことなど一顧だにせず、通り過ぎていく部員たちのことを、葵は無言で見送った。
そんな風に好き勝手に言い合う様は、まさに姦しいと言うべきもので――自分があちらの部長に初めに謝った、この学校の『うるささ』そのもののように見える。
そう考える葵の横を通り抜けつつ、部員たちは今日の合同練習の感想を口々に述べていく。
そして、櫂奈もまた――
「そうよね。人を楽しませるんだったら、まず自分が楽しまなきゃ。好きに吹いて楽しんでいいなんて、こんなおいしい話ないわよ。次も思いっきりハイトーンぶちかましてやるんだから」
「……」
同じくその中の一人であり、また中心人物であることを、葵はよく知っていた。
なにしろ彼女は部長候補の筆頭でありながら、それを断った人物なのだから。
実力も確か、担当楽器のせいかリーダーシップもある櫂奈は、それ故に今の部活の主戦力でもある。
けれど――
「……なんだろう」
彼女のその音は、周りをかき消さんばかりに大きなものであり、今日はそのために苦労したのだ。
櫂奈たちの考える楽しさと、自分の考える楽しさはどこかが違う。
やりたいように、やればいい――
そう言って音楽室を出て行った部員たちへと、葵はぽつりとこぼす。
「楽しいって、なんだろう……」
楽しい――その言葉に、今日の合同練習のことを思い出す。
あのときの演奏は、さっき連絡をもらったときのように心が躍るようで、とても楽しかった。
聞いている人にとって楽しい演奏をするには、まず自分が楽しまなくてはならない。
それはきっと、そうなのだろう。
なのに――
「……あんな風に『楽しく』って、どうすればいいんだろう――?」
今自分が居るところは、あの輝く水面からひどく遠いところのように思えて。
葵は携帯を握り締めたまま、応えはないと知りつつそう呟いていた。




