太陽のような花丸
※主な登場人物
・湊鍵太郎…二年生。低音楽器、チューバ担当。
・春日美里…OG。元部長。現在大学一年生で、社会人バンドに所属。
・貝島優…吹奏楽部部長。三年生。
・宝木咲耶、浅沼涼子、千渡光莉…鍵太郎と同い年の部員たち。
コンクールが終わって、次の日。
今日も楽器の片づけやらなんやら、その他諸々の用事があるので湊鍵太郎が学校に行こうとしたら、その前に携帯に電話がかかってきた。
「……か、春日先輩!?」
表示された名前を見て、思わず叫ぶ。
電話を掛けてきたのは卒業した去年の部長、春日美里だ。
鍵太郎にとっては同じ楽器で、直接の先輩になる。
そして、それ以上の思いがある相手でもある。動揺して携帯を取り落としそうになるが、なんとか空中でキャッチして通話ボタンを叩いた。
きのうの本番は、自身の本番のリハーサルと重なって来られなかった彼女だ。
きっとそれ関連の話に違いない。しかし、それにしても電話というのは少し大仰ではないだろうか。
もしかして、きのうの結果に対して何か思うところがあるのだろうか。
というか先輩、あんたこれから本番でしょうが、なにやってんすか――などと。
様々な感情を胸のうちに鍵太郎が「もしもし!?」と声を裏返らせると。
携帯の向こうから、いつもの先輩の声が聞こえてくる。
『金賞おめでとうございます、湊くん!』
「……」
――なんか。
心配して、損したなあ――と思うくらい相変わらずの美里の声に、鍵太郎は苦笑してその場にへたり込んだ。
『聡司くんたちから聞きました! 演奏、すごかったんですってね!』
「――ありがとうございます。あ……でも、ほら。ダメ金ですし」
興奮気味の先輩へ、思わずそう口にしてしまう。
創部初の金賞だったとはいえ、取れたのは県代表の権利のない、いわゆる『ダメ金』である。
今年の部長が美里と違って厳しい人だっただけに、どうしてもこの結果には、あと一歩足りなかったという思いが鍵太郎にもあった。
後輩や他の人の手前、落ち込む彼女らを励ます方に回らざるを得なかったが、さすがに胸を張って『金賞です!』とは自分でも言いにくいと思っている。
だがそんな後輩の考えなど、どこ吹く風といった調子で――美里は、電話の向こうから叫んできた。
『ダメ金だろうがなんだろうが、金賞は金賞です!』
「……」
――あれ、なんか先輩、前より押しが強くなってないか?
今年はこんな感じの先輩はいないので、鍵太郎は「……え、あ、はい。……え?」と首を傾げた。社会人の一般バンドに入ったからか、それともこれから本番でテンションが高いからなのか、美里は記憶にあるより力強くなっているように感じられる。
なんなのだろうか。勢いに押されてなにも言えないでいると、今も楽器を吹き続ける去年の部長は、さらに続けてきた。
『結果がどうあれ金賞をいただけたということは、湊くんたちがすごくすごくすごく、がんばってきたということなんですよ! すごいんです、すごいんです! 湊くんはあのときの約束を、守ってくれたんですよ!』
「……あ」
美里の言う『約束』とはなにかすぐに思い当たって、鍵太郎は声をあげた。
それは彼女が卒業するとき、自分が口にした言葉だ。
次のコンクールでは金賞を取る――と。
結果的にその約束は、果たされたことになる。
だが、そこに至るまでに自分自身が考えてきたことは、なんだったろうか。
それを振り返ると――
「いや――やっぱり俺、その約束は守れたわけじゃないと思うんです」
やはりそう判断せざるを得なくて、鍵太郎は首を振った。
その約束を口にしたときと今では、美里に対する姿勢がだいぶ変わってしまっているのだ。
それはなにより――例の『作戦会議』をしたときの、自分の言葉に表れている。
「取れないかも、って何度も思いました。どうしたらいいかわからなくて、ものすごい迷ってました。なにがなんだかわからなくなって、いろんなことをしてたら、取れて――でも、それは俺自身が取ろうと思って、取ったわけじゃないんです。だから」
あのとき自分は、『このやり方で金賞を取れるかどうかはわからない』と、トランペットの同い年に言ってしまったのだ。
それはすなわち、『約束を守れなくてもいい』と、自分自身で言い切ったということでもあった。
春日美里ではなく。
目の前にいる彼女たちのことを守ると、あの瞬間決めてしまった。
それなのに、臆面もなく約束を守ったなどと、言えるはずもない。
けれど――
『そんなことないですよー』
先輩は相変わらず、優しいままだった。
様々な感情が入り乱れて溢れる中で、彼女の声はこちらの耳に、はっきりと聞こえる。
『湊くんががんばったから、その結果として金賞を取れたんじゃないですか。それを自分で否定しちゃうのは、とても悲しいことですよ』
「それは、そうなのかも、しれません。けど……」
『うーん。そうですか……じゃあ、こうしましょう』
理屈はわかるだけに鍵太郎も言い淀んでいると、先輩はひとつ、提案をしてきた。
『湊くんは今回の結果に、納得いってないわけですよね。だったら次のコンクールは、自分の納得いく結果を目標にするというのは、どうでしょうか』
「納得いく目標?」
『はい。それをまた、次の約束にするということで』
「次の……」
約束。
その単語を鍵太郎は、おうむ返しにつぶやいていた。
それは、誰に対しての約束なのか。
春日美里か。
今、周りにいる人たちか。
それとも、自分自身への――
『はい。今度は湊くんが一番望む結果を、出してみてください』
約束です、と先輩は、どこか遠い場所。
けれど、どこかでつながってるはずの空の下から、告げてきた。
『大丈夫。今回ものすごくがんばったはずの、湊くんです。次も絶対、できるはずですよ』
「先輩……」
『きたかぜとたいよう作戦』――などと。
同じ太陽の名を冠されても、その輝きはまだ彼女には遠く及ばない。
だがそれは、まだそこへ近づく道が、残されているということでもあった。
個人的な思いはどうあれ、この人が楽器を吹く上で目標であることには、変わりはない。
だったら。
「――はい。また、がんばります」
そこに向かってまた次も、がんばろう。
そう言うと、先輩は『そうですよー! その調子ですよ!』と嬉しそうに言ってきた。
きっと彼女は自分の記憶にあるのと同じように、笑っているのだろう。
その笑顔を眩しさと、そして少しの悲しさをもって見つめていると――ふいに先輩が、それまでとは違う調子で言ってくる。
『……と、まあ、偉そうに言ってきたんですが』
「?」
ここに来て急に美里の声のトーンが落ちたので、鍵太郎は再び首を傾げた。
そういえば、彼女はどうして今、電話をかけてきたのだろうか。
わざわざ自分の本番前にかけてくるならば、それ相応の用事があるはずだった。
それも、今すぐに解決したい気がかりで、重要ななにかが――と思っていると、先輩は非常に申し訳なさそうな声で『じ、実は……』と告げてきた。
『……えーと、す、すみません。わたしも実は約束が守れなかったので、こうして電話したのです……』
「え?」
この先輩と、他になにか約束したことがあったろうか。
美里の本番はこれからのため、コンクール関連のことではなさそうだった。では、また別のなにかだ。
思い出せないので鍵太郎が続きを待っていると、先輩はそれを言ってくる。
『前に、湊くんの今年の学校祭の演奏を見に行くって、約束しましたよね? で……あの……大変申し訳ないのですが、その日どうしても断れない用事が入ってしまいまして……』
「ああ」
そういえば、去年そんな話をした。
言われてようやく思い出した程度の、そんな他愛のないものだったが。先輩にとっては、それは大事なものだったらしい。
元部長はまさに、断腸の思いといった様子で言う。
『……同じ楽団の、とてもお世話になっている方の結婚式でして……そこで余興として、楽器を吹いてくれないかと頼まれてしまいまして……。さ、さすがに、結婚式で、しかもそんな大事な頼みごとをされてしまっては、断るわけにもいかず……。
え、ええと、うちの代のみんなの話を聞いたら、やっぱりみんな日曜日……お式の日に行くというので、な、ならわたしは、ひとりだけでも、なんとか土曜日にと――』
「ああ、それはもう……しょうがないですよー」
『ご、ごめんなさいっ!? この埋め合わせは、また後日させていただきますから!?』
「いや、大丈夫ですって……」
さすがに結婚式で演奏してくれと頼まれたのを、断れとは言えない。
大事な本番のはずだ。土曜日も土曜日で、前日ならリハーサルとかもあるのかもしれない。
きのうの本番に引き続き、美里と会えないのは寂しかったが――今の彼女には、今の彼女を必要とする場所がある。
それを邪魔するわけにも、いくまい。
悲しいけれど、それはしょうがないことなのだ。
しょうがないことなのだ――そう自分に言い聞かせて、鍵太郎は先輩へと言った。
「先輩は先輩で、本番があるわけじゃないですか。だったらそれを大切にしてくださいよ」
『ううう……本当に、本当に申し訳ございません……』
「いいんですって。ほら、先輩これから本番なんでしょう? シャキッとしてください、シャキッと!」
『は、はいっ!』
しゃきっ――と、しおれていた美里の背筋がピンと伸びる光景が目に浮かぶようで、そこで鍵太郎は、笑うことができた。
そしてその流れが終わらないまま、先輩に告げる。
「じゃあ先輩、これから本番、がんばってくださいね!」
『はい! では湊くんも、お互いがんばりましょう!』
そうですね、では、そろそろ時間なので、これで、また――と。
その言葉を最後に、先輩からの通話は途切れた。
鍵太郎も、携帯を耳から下ろして――
そして盛大に、ため息をつく。
「あーあ……」
声を出しながら、美里と交わした会話を思い出す。
先輩は今の用件を、メールで伝えるにはあまりに申し訳ないと思って、電話してきたのだ。
だがそれ故に――こちらははっきりと自分の口で、美里の背中を押す言葉を言う羽目になってしまった。
わかっていた。
昨日の時点でもう、これは既にわかっていたことなのだ。
けど――
「案外心にくるもんだな、これ……」
それでも、まだ心のどこかでつらいと感じていることには、変わりなかった。
女々しい男と言いたければ言え。
まだまだ割り切れない心を抱えて、もう一度ため息をつき、携帯をしまう。
お互いがんばりましょうと言われたが、それには一体、どうすればいいのだろうか。
そう思いながら、鍵太郎は今日も学校に向かった。
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「ではこれより、これからの学校祭に向けての会議を始めます!」
学校に行って、きのうの演奏を聞いたり、反省会をしたりして。
その後で今年の部長の貝島優は、明日からの話をしてきた。
「学校祭でなにをやるか、どんな曲をやるか――それをこれから決めていきます。ですが、その前に」
「?」
他になにかあっただろうか、と部長の言葉に首を傾げた。だがその疑問は、その後のセリフですぐに氷解する。
「次期部長・副部長選をやります。今後、来年。どんな人が部長がいいと思うか。よく考えて投票してください」
「ああ……」
そういえば、そんなものもあった。
今まで目の前のことでいっぱいいっぱいだったが、これからはその次のことを考えなければいけない。
投票のための紙を受け取って、そこに誰の名前を書こうか、鍵太郎は首をひねった。
投票は部員ひとり一票で、全員による多数決で行われる。
それは、去年と同じだ。元部長、そして現部長のことを思い出して、鍵太郎は部長をやっていけそうな何人かの同い年を思い浮かべた。
宝木咲耶は、部長という感じではない。
やるとしたら副部長で、一歩下がって全体を見渡しながら、うまく部活をまとめていくといった感じだ。
なら浅沼涼子なら、その才能でリーダーとしてみんなを引っ張っていけるだろうか。いや、いかんせん彼女は判断が直感的なので、人を選んでしまうだろう。
むしろ本当に彼女のためを思うなら、役職に就くというより、自由に泳がせておいた方がいい気がする。
だとしたら――千渡光莉か。
うん、そうだな、部長なら千渡がいいな、と鍵太郎は部長の枠のところに光莉の名前を書いた。強豪中学出身で、現部長と近い考え方を持っている彼女だ。
光莉だったらさらなる高みを目指して、これからの部活を率いていってくれるだろう。
言い方がきついところが心配ではあったが、最近はその態度にも、少しずつ変化がみられるようになってきている。
ならば、今年のようなことにはなるまい。フォローとして副部長に咲耶の名前を書いて、うむ、と鍵太郎はうなずいた。これで今年の路線を継承しつつ、さらに違った部分を目指せるはずだ。
他の部員もそれぞれ名前を書いたようで、みなが箱に紙を入れていく。
そして、全員が投票し終わったのを確認して、優は開票を始めた。
「部長、千渡光莉。副部長、宝木咲耶――」
そうそう。俺もそれがいいと思ってたんだ、と鍵太郎はその内容を聞き流していた。
正直、来年のことを考えて投票しろと言われても、よくわからないのだ。
ぼんやりとしたビジョンならあるが、それに誰が当てはまっているかと訊かれたら、誰だろうと首を傾げざるを得ない。
だったら印象で選ぶしかない。
だがそれはきっと、みな同じはずなのだ。
なので鍵太郎は、次の優の声を聞いたときに耳を疑った。
「部長、湊鍵太郎。副部長、千渡光莉――」
「……はあ!?」
あまりにびっくりして、思わずそんな声をあげてしまう。
だがそうしている間にも、投票の読み上げは続く。
「部長、湊鍵太郎。副部長――」
ちょ、待っ――と鍵太郎は、自分の名前の下にどんどん増えていく『正』の字を見送っていた。
なんだろうか。
これは、幻聴幻覚なのではないだろうか。
心臓がバクバクいって、喉が干上がっていく。汗が止まらず震えも止まらない。
耳鳴りがしてくる。視界が歪んでくる。このまま倒れて保健室に運ばれて、目が覚めたらなにもなかった、ということにならないだろうか。
そんな現実逃避をしている間にも、開票作業は続いていく。
やがて――
「――はい、ではこれで開票終了ですね」
最後の一枚を読み上げて、優は大きくうなずいた。
まあ途中からもう誰になるかは、わかってましたけどね、と部長は後ろの黒板を振り返る。
そこには――
部長、湊鍵太郎。
確かにそうはっきりと書かれていて――その名前の上にはでかでかと、太陽のような花丸が記されていた。




