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終わらない旅路

※主な登場人物

・湊鍵太郎…川連二高代表で選抜バンドに。チューバ担当。

・池上俊正…宮園高校代表。

・入舟剛…南高岡高校代表。

・荒町鷹尾…久下田高校代表。

・清住純壱…富士見が丘高校代表。

・宝木咲耶…川連二高代表。クラリネット担当。

 遠くで波の音がして、朝の目覚めを告げるようにトランペットのメロディーが流れた。

 それを聞きながら、これをこの楽器担当のあいつは聞いているだろうかと湊鍵太郎(みなとけんたろう)は思った。

 いや、おそらく彼女は客席にはいまい。

 トラウマを思い起こさせるからと、この選抜バンドを辞退したあの同い年だ。ここにも来てはいないだろう。

 それでも、聞きにくればよかったのに、と鍵太郎は思う。

 そんなものにおびえて、これを聞かないなんて損してるとしか思えない。

 許されていないなんてそんなことない。

 このどこまでも海のように広がっていく演奏が、おまえを拒絶してるなんてこと――ありえない。



###



 県の高校の吹奏楽部の部員を集めた、選抜バンド。

 今はその本番中だ。『海の男たちの歌』という曲名そのままに、大海原に船が出ていく。

 この大海に比べれば、小さな小さなその船だろうが。

 それは力強く荒波へとこぎ出していった。

 乗っているのは陽気に歌う船員たちだ。

 これはシーシャンティ――船乗りたちの歌。

 そう冠された部分そのままに、大きな船を操るためそれぞれが大きな声で歌っていた。

 どんなシケた海だろうが、日差しのきつい空の下だろうが、そんなものは関係ないとばかりに目を輝かせて進んでいく。


 どこまでも続く海平線。

 見上げれば空に、白く光る海鳥――吹き抜ける風を一身に受け、水面をかき分ければ波がしぶく。

 楽器すべてがその情景を表しているのが、鍵太郎には楽しくてしょうがなかった。この頃は、自分の学校で吹いていても曲のイメージが見えなかったのだ。

 それが今はこんこんと湧き出してくる。

 楽器をやっていて一番好きだったこの光景が、久しぶりに目の前に現れた。

 しかも今回は自分の想像をはるかに超えて、圧倒的に緻密ではっきりとした景色がどこまでも広がっている。

 迷いも怖さもいつしか消えて、全部の神経がそこへ注がれていく感覚。

 脳のしばらく使っていなかった部分が動き出して、きしみをあげながら熱を生み出していった。

 それは身体の隅々まで広がっていき、楽器を操作する指を動かして、肺を大きく膨らませていく。

 息を吹き込めば自分でもびっくりする音が楽器から出て、それがさらなる昂揚を呼んだ。

 風向きを読み、針路を定め、帆を張ったら舵を取り。

 重い錨が海中に落とされたら――

 そこで泳ぐ、鯨の姿が目に入る。



###



 海面で揺らぐ光を背に、大きな鯨がゆっくりと進んでいた。

 低い声で、水中を伝って歌が聞こえる。

 鯨の歌だ。

 海中をゆったりと泳ぎながら、なにかの歌を歌っている。

 それがなにを呼びかけているのかは分からないけれども――その優しい響きは穏やかな波のように、高ぶった精神を包んでくれた。

 オーボエのソロに耳を傾ける。自分の学校にはない楽器だけれども、またいつか、こんな大編成の中で一緒にできたらなと思う。


 長いようで短い、そんな二日間だった。

 なにかを選ばなくてはならない、そんな気持ちでここに来たけれども、広がっていたのはこの大海原に等しい無限の選択肢だった。

 いろんなやつらがいて、それぞれがみんな自分の信じるものを持っていた。それらが折り重なって今、こうして海になっている。

 その海の中に漂っていると、きれいだなあ、と思う。

 透き通った青も、揺らいでいる光も。

 心地よい浮遊感と、どこまでも続いていく海の景色。

 これをまた、見てみたいと思った。

 いつの日か、また――というところで、鯨が戻ってくる。

 歌が通り過ぎていく。

 大きな、大きなそれとすれ違ったときに、なにかを言われた気がした。

 言葉にならないその歌にはっとして振り返れば――そこには、悠然と進んでいく鯨の尾だけが見えた。

 遠ざかっていくそれを、呆然と見送る。

 ……見送る?

 それだけで、いいのか――? と思ったとき。

 再びの始まりを告げる歌が、鍵太郎の耳に聞こえてきた。


 風を受けた帆が、膨らんでいく。


 出航の合図のように、勇壮な旋律が呼びかけてくる。


 ぼうっとしている暇はない――今すぐ、追いかけろ!


 錨が上げられ、船がまた海へ出た。

 今度はさっきよりもっと速く。光り輝く空の下、鳥と共に風を掴んで海を駆ける。

 腹の底から出てくる歌が、甲板のそこかしこで響いている。

 その歌に突き動かされるままに、鍵太郎は声をあげた。ここからがこの本番最後の航海だ。

 鯨の尾は既に見えない。

 だがこの海のどこかで、あの大きなものは生きている。

 それを追いかけて、船は往く。


 トロンボーンが主旋律を吹きだして、力強いグリッサンドにあの同い年のアホの子を思い出した。あいつと一緒に見に行ったイルカは、今もここに見えているだろうか。

 あのとき、こんな演奏をしたいと思った。それに自分は一足先に参加してしまった。

 帰ったらあいつと一緒にこれをやろう。

 イルカめがけて一直線に駆けていくあいつを、しょうがねえなあと後ろから追いかけよう。

 クラリネットが舞い散る波を描き出して、ここに同じく参加した彼女も自分と同じ気持ちだろうかと思った。

 上へ下へと自在に動いていくたえ間ないスケールは、流れるままに色を変えながら低音(じぶん)と一緒にどこまでも続いていく。

 ホルンが咆えて鎖が鳴ったら、船が加速していく。

 合図を出せば他の楽器がそれを後押しして、難所を飛び越えるように乗り越えた。

 衝撃で波が起こって、大きく揺れる船から目線を上げれば――

 そこにはやはり、果てのわからない青い海があった。

 息を呑むほどに遠大なそれは、それまでの疲れを忘れさせて、さらなる旅路へと誘っていく。

 終わらない航海。

 海平の向こうへ、船は進む。

 だが、今回はここまでなのだ。

 遠のいていくその光景を惜しみつつ、鍵太郎はあと少しの楽譜を力を振り絞って吹いた。

 歌は終わらない。

 甲板にいる船員たちは、これから待ち受けるどんな波にも負けないほどの、大きな声で――


「――?」


 と、そこで左隣から聞こえていた音が一瞬小さくなって、鍵太郎はわずかに戸惑った。

 しかし気にしている余裕はない。隣の音もすぐに元に戻った。このまま最後まで突っ走るしかない。

 湧き出してくる水のように、木管楽器が勢いよく駆け上がってきた。

 その流れに各楽器が加わって水幅が広がっていく。清流と濁流が織り合わさって、海へ一気になだれこんで。

 広大な景色と、それを渡る小さな船。

 最後にその光景を焼き付けて――その演奏は終わった。



###



「おつかれさまでしたー」


 全ての日程が終了し、そんなあいさつの飛び交う中で鍵太郎は楽器をしまっていた。

 あれから大きな拍手の中退場し、選抜メンバー全員で写真を撮った。

 コンクールのときのように後で、注文用紙が来るらしい。本番の様子も撮られていただろうが、やっぱり顔は写ってないだろう。

 なので全体写真だけほしい。うっすらと続く興奮の中でそう思っていると、楽器をしまい終えた池上俊正(いけがみとしまさ)が話しかけてきた。


「おつかれ。じゃあな。……あいつのこと、よろしく頼むぜ」

「あ、おい」


 それだけ言った池上は、重い楽器ケースを引きずって人ごみの中に消えていった。

 最後まで、かみ合わないやつだった。少しだけ腕を上げているようにも見えたが――もう確かめる術はない。

 まったく、去り際まで早くてエグいやつだ。

 鍵太郎が苦笑していると、入舟剛(いりふねつよし)が「じゃあね、湊くん」と言ってきた。


「本当はもうちょっとゆっくりしてたかったんだけど……ウチの学校のみんな、待ってるみたいだから」

「ああ、おつかれ。また――ああ、そっか。コンクールの会場で会うかもな」

「そうだね。そのときはライバルだ。じゃあ、また――!」


 鍵太郎と同じB部門の入舟は、笑ってその場を去っていった。

 楽器置き場の外で、同じ制服の集団と話しているのが見える。その中でも彼は、栗色の髪で赤いリボンの女の子とよくしゃべっていた。

 ああなるほど、楽器をやってる女子がいいとあんなにスラスラ答えてたのは、つまりそういうことね――と、鍵太郎は笑う。そりゃあ怒られたらへこむし、本番ではかっこいい姿を見せたいだろう。

 その様子を荒町鷹尾(あらまちたかお)がうらやましそうに見ているが――まあ、おまえはがんばれ。きっと出会いはあるよ。


「あーあ。じゃあ、俺も帰るか」


 鍵太郎も楽器をしまい終え、伸びをしながらそう言った。

 行きと同じく先生が迎えに来てくれるはずだ。クラリネットの宝木咲耶(たからぎさくや)はどこだろうか。木管楽器は片付けるのに時間がかかる。まだ終わってはいないだろう。

 そういえば、あとひとりのチューバ吹きにまだ挨拶していなかったなと、鍵太郎はあたりを見回した。最後のひとりは今回パートリーダーを務めた、清住純壱(きよすみじゅんいち)だ。

 クセの強いメンバーだった。それをまとめるのは、かなり大変だったろう。

 せめて声をかけてから帰ろう。彼の最後の、わずかな音の変化も気になるし――と本番で左隣にいた彼のことを探していると、ちょうど清住はこちらにやってくるところだった。

 彼は初めて会ったときと同じように、笑顔で言ってくる。


「おつかれさま、湊くん。楽しかったね」

「はい。おつかれさまでした、清住さん」


 本番と、その練習のことを思い出して鍵太郎はそう言った。

 本当だ。久しぶりにこんなに楽しい思いができた。

 この次の本番はコンクールだ。自分の学校でも、こんな風な演奏ができたらいいと思う。

 A部門の出場校である清住の富士見が丘高校は、これから厳しい練習に向かうのだろうが――それでも、今日のことは忘れずにいてほしい。

 部門の違いがあるとはいえ、自分たちがやっていることは一緒なのだから。

 そう思って鍵太郎は「コンクール、がんばりましょうね」と言った。


「きのうはああ言ってましたけど、やっぱり楽器は楽しんでやったほうがいいですよ。だから清住さんも――」

「湊くん」


 そう言う鍵太郎を、清住は手で制した。


「今日はとても楽しかった。けどこれからは――楽しいだけじゃ、だめなんだ」

「……」

「きのう言ったよね? 『今はそれでいい』って。これからは違うんだ」

「……清住さん」

「これから富士見が丘は本格的に、コンクールに向けて曲を作り直す。きみはB部門で、僕たちはA部門だ。目指すものが根本的に違う」


 全国大会のない部門と、ある部門。

 たったそれだけの違いが、大きな溝に感じられた。

 富士見が丘は演奏会とコンクールを分けて考えると、きのう清住は鍵太郎に言った。

 そのときは彼が譲歩してくれて話は収まったが――しかしこれからのこととなれば、また別だと。

 彼はそう言っていた。


「やってる場所が元から違うんだ。だからこれからは、一緒にはがんばれないんだよ」

「……清住さん、それは」

「あーあ。今日みたいな、楽しいステージばっかりだったらよかったんだけどなあ。でも、そういうわけにもいかないんだよなあ」


 そう言って彼は、困ったように笑った。

 さっきの本番の最後で一瞬彼の音が小さくなったのは、コンクールのことが頭をよぎったからなのだろうか。

 それとも――


「けれどね。きみの行く道は、僕らにはできないことができる。そんな気がするんだ」

「……」


 あの瞬間、彼は既に針路の選択を終えていた。

 だからこそ自分が選ばなかった道を、彼は鍵太郎に示そうとしているのだ。

 それは自分に言い聞かせるためなのか――清住は、鍵太郎に向かって言ってくる。


「『勝つための音楽』じゃなくて、他に取れる道があったのなら――きみが実現して、見せてほしいな。そう思う」

「そんなこと言うんだったら、自分ですればいいじゃないですか……」

「言ったろ。僕らはもう進む道しか残されてないんだって」

「そうですけど……!」


 それは、彼にとっていい選択だったのだろうか。

 わからない。

 きっと清住自身にもわかっていないだろうし、それでも彼は選んだ道の先で望む結果が出るように、最大限努力することだろう。

 でも、その方法では決して実現しない可能性を託して――

 清住純壱は鍵太郎に、最後の言葉をかけた。



「ありがとう。じゃあね湊くん。最後にきみと一緒にできて、楽しかったよ」



###



「……そう。そんなことがあったんだ」


 頭を押さえた鍵太郎が話し終えると、隣に座っていた咲耶はそう言ってうなずいた。

 顧問の先生が迎えに来るのを待ちながら、鍵太郎は先ほどのことを彼女に話していたのだ。

 あまり話したいことではなかったが、自分の様子がおかしいのがわかったのだろう。咲耶は強い調子で、なにがあったのか訊いてきた。

 同じく選抜に来ていた彼女だ。なにか思うところでもあったのか、気遣わしげにこちらを見ている。


「……わかりあえたと思ったんだ」


 ぼそりと、口の隙間からそんな声がもれた。


「今日の本番で、こんなにいい演奏ができたんだ。みんな、考えを変えてくれると思った。……けど、そうじゃなかった」


 わかりあえたと思ったのは、自分の錯覚だったのだ。

 いろんなやつがいて、いろんな意見があって――だからここが好きだったけれども。

 同時にそれは、自分と同じように考えてくれる人が、いるとは限らないということでもあった。

 言われてみれば、それはそうなのだ。

 自分は自分、他人は他人で――全部同じように考えることなんて、ありはしないのだ。

 こんなんで、自分の学校に帰って部活を変えることなどできるのだろうか。

 そう苦悩する鍵太郎に、咲耶は遠くを眺めて、言う。


「……わかりあえなかったわけじゃ、ないと思うよ」

「……」

「……いろんな考えがあったね。いろんな人がいたね。変わったものと、変わらないものがあったね。

 でも大丈夫だよ。私は湊くんと一緒にいるよ」

「……宝木さん」


 隣に座る彼女は、そこでこちらを向いて微笑んだ。

 それはたまに見せる、咲耶の心からの笑顔だった。


「だから帰ろう。私たちの学校へ」

「……うん」


 今はわかりあえなくとも。

 何度も伝え続ければいいと、ここに来る前に言っていたのは彼女だった。

 今回もそれに救われた。遠くに見慣れた赤い車が走っているのがわかって、鍵太郎は心底ほっとした。

 今日の演奏を聞きに来ていた、自分の学校の部員たちの顔を思い浮かべて、言う。


「ああ……やっぱり、もう一回今日みたいな演奏したいなあ……!」


 大海原に出た船たちは、それぞれの道を選び、自分の居場所に帰っていった。


 その先に、それぞれの望むものを夢見て――新たな旅路へ向かっていく。

《参考音源》

海の男たちの歌

https://www.youtube.com/watch?v=ge4K1TyKeoU


第10幕 思惑だらけの選抜バンド~了

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