地上にある星
※主な登場人物(今回は全員二年生)
・湊鍵太郎…低音楽器のチューバ担当。
・宝木咲耶…クラリネット担当。実家はお寺。
・片柳隣花…ホルン担当。中学からの経験者だが……?
「そうだよね。なんですごく思ってることに限って、こんなに伝わらないんだろうね」
いつもの練習が終わった、音楽室で。
湊鍵太郎の言葉に、宝木咲耶はそう言った。
二人は今、県の選抜バンドの曲を練習している。この部からは鍵太郎と咲耶の二人が、メンバーに選ばれていた。
他の部員たちが片づけをしている間に、少しだけ一緒に練習しようということになったのだ。
気になる部分を二人で合わせ、ちょうど一息ついたところだ。そこで鍵太郎は、最近あったことを咲耶に話してみたのである。
いつも穏やかな彼女ならば、中立な立場で話を聞いてくれると思ったからだ。
「なんでなんだろうな……」
思い出すのは、「そんな甘いことでは金賞を取れない」と部長に言われたあのときだ。
説得しようにも部長はこちらの言葉に耳を貸さず、逆に考えを改めるように言われた。しかしやはり納得がいかず、こうしてまたもう一度掛け合ってみるための材料を探しているのである。
伝えたい肝心なものに限って、まったくもって伝わらない。
それは今までもそうで――咲耶の言葉には大いに、鍵太郎もうなずいた。
「なんなんだろうな。どうでもいいことはすぐ通じるのに、本当にわかってほしいものは、いっつも受け取ってもらえないんだ」
「……それそのまま、湊くんにも言えるんだけどね」
「?」
「うん。なんでもないよ」
今は。そう言ってふっと笑う彼女は、いつも通り少し遠くから自分を見ているように感じた。
なんとなく、若干呆れのニュアンスもあるような気もしたが。理由はよくわからないし話してもくれなさそうなので、とりあえず鍵太郎は話の続きをすることにする。
「……えーっと。で、そう。それで選抜バンドに行ったら、なにか俺が今まで知らなかったこととかを聞けるんじゃないかって。それで少し、前向きになったんだ」
選抜バンドには、県下の吹奏楽部の部員たちが大勢集まる。
そこに行けば部長に届くヒントくらいは、なにか掴めるのではないか。そう思ったのだ。
今ここにない、なにかが。
相変わらず他力本願で淡い希望といえばそうだが、ここでずっと悩んでいるよりはマシだ。鍵太郎がそう言うと、咲耶もこくりとうなずいた。
「そうだね。クラリネットのパートの一年生にも、ちょっと先輩におびえてる子、いるし。もし平和的にいける方法があるとしたら、私も探してみたいな」
「よし、じゃあ二人でがんばろう、宝木さん」
「うん、二人で……って、ああそっか」
この部で選抜行くの、私と湊くんだけだもんね、と咲耶がつぶやいたそのとき。
「ねえ、もう片づけ終わるんだけど。あなたたちそろそろ練習やめてくれない?」
棘のある言葉がこちらに飛んできた。
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「あ、片柳……」
鍵太郎が振り返れば、そこでは同い年の女子部員がこちらを見下ろしていた。
片柳隣花。
すらりと伸びた手足をした、かわいいというより美人という言葉が似合う、そんな雰囲気のホルン吹きだ。
彼女は切れ長の目をさらに鋭くし、二人を――というか主に鍵太郎に、冷たく言ってくる。
「選抜の練習だったらよそでやってよ。こっちはコンクールの練習してるんだから」
「いや、そりゃそうだけど、選抜だって――」
「あ、ごめんね隣花ちゃん。もう終わるよ」
「宝木さん?」
こちらのセリフをさえぎって言う咲耶を、鍵太郎は少し驚いて見た。
彼女にうながされて周りを見れば、確かに音楽室の掃除は、ほぼ終わっているようだ。
自分たちが片づけなければここが閉められない。それは、そうなのだが――
「……湊くん。早く」
「あ、ああ……」
咲耶に促され、鍵太郎は戸惑いながらも片づけを始めた。
隣花は自分と入れ替わりでホルンパートに入ってきた部員だ。楽器が別ということもあって、これまであまり話したことはない。
それなのに、どうしてこんなに敵意を向けられなければならないのか。
首をかしげても、やはり鍵太郎には分からなかった。
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「言いにくいけど、たぶん嫉妬だと思う」
学校の外に出て咲耶に訊いてみたら、彼女は哀しげな顔でそんなことを言った。
帰り道、自転車を押しつつ――咲耶は怪訝な顔をする鍵太郎へ続ける。
「隣花ちゃんは中学からの経験者でしょ? でも、選抜には選ばれなかった」
選ばれたのは、彼女がホルンを志望したために違う楽器に回された、初心者の鍵太郎の方だったのだ。
それは隣花にしてみれば、あまり気分のいい話ではなかったのだろう。
そう解説されて、大筋は理解できたのだが。
「えー……」
うんざりと、鍵太郎はうめいた。選抜は書類選考だったのだ。それを逆恨みされても困る。
「別に選抜に入れなかったからって、あいつの実力が否定されたわけじゃないのにな……」
ため息が出る話だった。むしろ鍵太郎としては、自分が上手くできなかったホルンを吹く彼女を、すごいなと思っていたくらいなのに。
逆にあのままホルンに残っていたら、嫉妬するのは自分の方だったろう。そうも思うのだが――やはり本人としては、すっきりしないものがあるらしい。
「彼女自身にもそれはわかってて、でも気持ちの整理がついてないんじゃないかな。なら時間が解決する。そう思うんだけど」
「だといいなあ……」
咲耶の言葉に鍵太郎は、それだけ言って空を見上げた。自分ではどうしようもない理由で他人の恨みを買うというのは、やはり気分のいいものではないのだ。
日が落ちて暗くなった空には、ぽつりぽつりと星が見える。
それが今の自分たちに見えて、「なんでなんだろうな」と鍵太郎はつぶやいた。
「なんでこう、バラバラなんだろうな。音だけじゃなくてさ……」
心まで。
音楽室で話していたことが思い出されて、そんな言葉が口をついて出た。
「プライドとか、目標とか、そういうのみんなあるのかもしれないけどさ。それで他の人といがみあってたら、できるもんもできないだろうに……」
「……湊くん」
「なんでなんだろうな。俺が初心者で入ったからなのかな。わかんないや」
伝えたいことに限って、伝わらなかった。
思ってもみなかったことで、人に恨まれたりした。
いつもそうだ。
つながれない。
なんの星座も見つけられないうちに首が痛くなってきて、鍵太郎は視線を地面に戻した。
「……なんてな。ごめん宝木さん。なんか愚痴になっちゃって」
「ううん。いいよ別に」
薄暗くなってきた中を、二人で無言で歩く。
しばらくそうしたところで、咲耶が口を開いた。
「湊くんはさ。好きならつながれる、って、前に言ってたじゃない」
「……うん」
以前彼女の家に行ったとき、そんなことを言った覚えがある。
しかしそれは、あまりに無責任な言葉だったと、後に思い知らされることになった。
あの人とつながりたいがために口にした、それは自分の願望だったのだ。
現実はこうして否定されることや、拒絶されることばかりで――
「あれはさ、やっぱりその通りだと思うんだよ」
しかし咲耶は、迷いなくそう言い切った。
「はじめは溝とか障害があってもさ。好きなら、そういうのは全部乗り越えられちゃうんだよ。一回ダメでもさ――何度も伝え続けて」
「宝木さん……?」
あのとき咲耶とは、それほど親しいというわけでもなかった。
彼女は家が寺だということを隠していたし、本音なんてほとんど言ってくれなかった。
けど今は、こうして隣を歩いている。
「あきらめないで、何度も。そうしていればいつか届くんじゃないかって。私も最近、思うんだ」
だから大丈夫だよ。前を向いていた彼女は、そこでこちらを向いて、にっこり微笑んだ。
いつものアルカイックスマイルではない。
本当に嬉しそうな、心からの笑顔に見えた。
この表情は、いったい自分になにを伝えたいのだろう――
鍵太郎がふっと、そう思ったときには。
彼女はもう、いつも通りの顔に戻っていた。
「隣花ちゃんとも貝島先輩とも、きっと仲直りできるよ。初心者も経験者も関係ない。私はそう思う」
「あ、ああ……」
そうか。そういうことか。
咲耶の言いたいことがわかって、鍵太郎は一息ついた。
少し、のしかかっていたものが軽くなったように感じる。うーん、意外とショック受けてたんだな俺、と胸に手を当てて鍵太郎は思った。
選抜の練習ならよそでやれ、と冷たく言った隣花のことを思い出す。
そして部長や、あの人のことも。
彼女たちとは、最初は分かり合えなくても。
「――伝え続ければ、か」
そう言って、もう一度空を見上げた。そこは先ほどよりもさらに暗いが。
その分、星がよく見えるようになった。鍵太郎はそれに笑って、咲耶に礼を言う。
「ありがとう宝木さん。少し楽になった」
「どういたしまして」
そう言われたところで、ちょうど分かれ道に来た。
鍵太郎は駅に向かうので、彼女とはここでさよならだ。いつものように挨拶して駅に向かおうとすると、そこで咲耶に呼び止められた。
「湊くん。今度うちで、選抜の練習しようよ」
咲耶の家には、防音設備つきの練習場がある。何度か部員たちと使わせてもらっていて、鍵太郎もよく知っているところだ。
あそこなら気兼ねなく使えるし、なにより隣花を刺激しないで済む。
なので咲耶の提案に、鍵太郎はすぐに賛成した。
「そうだね。しばらくは、選抜の練習はそっちでやるか」
「うん。二人でがんばろうね。なにせ選抜は、私と湊くんの二人しか出ないからね」
「うん。……うん?」
咲耶の言葉には不自然な強調があったが、確かに選抜には二人しか出ないのだ。鍵太郎は首をかしげつつ、とりあえずうなずいた。
暗くてよく見えなくなってきたが、咲耶は――
「じゃあ、また明日」
そう、声が聞こえて。
咲耶の自転車のライトがぱっと点く。いきなり眩しくなって、彼女が結局どんな顔をしていたのか見ることはできなかった。
また明日、と言う咲耶の顔は、いつも笑っていたと思うのだが。
今日は、少し違ったのかもしれない。自転車をこいでいく彼女は、いつもより少しだけスピードを出しているように見える。
「……」
もう一度空を見上げて、思う。
空のどの星よりも、咲耶の自転車のライトは眩しかった。




