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今、会いにいきます

※主な登場人物

・湊鍵太郎…一年生。吹奏楽部でチューバを担当。

・黒羽祐太…一年生。野球部。

「はー、おわったおわった」


 三学期、最後の期末テストが終わって。

 湊鍵太郎(みなとけんたろう)の近くで、黒羽祐太(くろばねゆうた)がそう言って伸びをした。

 憂鬱なテスト期間が終わり、明日から通常の時間割に戻る。

 部活も明日からの再開だ。なので今日は、久しぶりに部活もテスト勉強もない放課後だった。

 いつも放課後は当たり前のように楽器を吹いているため、こんな時間をどう過ごしていいかよくわからなくなっている。

 帰ってマンガでも読もうか。持て余し気味の時間を鍵太郎はどうしようかと思ったが、今はテストが終わった解放感もある。少し外に出たい気分だった。

 そう考え久しぶりに、伸びをしている友人を遊びに誘ってみることにする。


「祐太、どっか行く?」

「お? そーだな。どっか行くか」


 野球部に所属する友人とは、部活が分かれたせいで一緒にどこかに行く機会がなくなっていた。

 久しぶりに男二人で行動するのもいいだろう、と現在男子部員一名の吹奏楽部に所属する鍵太郎は思う。女子に囲まれてさぞいいご身分だと思われるかもしれないが、その実あの部活はとんでもなく肩身が狭いのだ。

 基本、なにを言っても意見は通らない。

 なので普段から大人しくしているしかなかった。でも今日は、それを気にせず羽を伸ばせるのである。

 そう考えて鍵太郎は、昔よく行っていた場所の名前を口にする。


「バッティングセンター行きたい」


 本当に久しぶりだが、祐太と一緒に野球をやりたくなったのだ。

 自分はしばらく野球から離れていたが、遊び程度だったら今もできるだろう。

 中学校のときよく行っていた、バッティングセンターの光景がよみがえる。あそこはまだ変わりないだろうか。

 そんなことを考えていたら、祐太が不思議そうな顔でこちらを見ているのに気付いた。


「うん? 俺なんか変なこと言った?」


 どうしてそんな反応をするのか。そう思っていると友人はこちらから目を逸らし、うつむく。

 いや、そうではない。

 目を逸らしたのではなく、視線を別の場所に移したのだ。顔の下。もっと下。

 つまり鍵太郎の、足を。


「いや……前から言おうと思ってたんだけどさ。おまえ、もう足痛くないの?」

「へ?」


 予想外のことを言われて、思わず変な声が出た。

 右足を触る。そこは鍵太郎が中学のとき、練習試合で骨折した部分だ。


「え――あれ?」


 怪我が治っても痛みが取れず、高校では野球部に入ることをあきらめたほどのその傷が――


「――痛く、ない……ね」


 いつの間にか痛みなど訴えなくなっていることに、鍵太郎はようやく気付いたのだった。



###



「なんで?」

「なんで……って言われてもなあ」


 バッティングセンターに向かう途中で祐太に訊かれ、自分でもわからないので鍵太郎は本気で首を傾げた。

 本当に、いつの間にか痛みがなくなっていたのだ。自分でもどうしてそうなったかはわからない。


「正直、原因もよくわからないものだったしさ。だからなにがきっかけで消えたのかも、よくわからない」


 なんとなく、試合で心が折れたのが原因かな、くらいには考えていたのだが。

 外傷が治っても痛みが消えなかった。だからあとは精神的な問題で、それが癒えたからこそ痛みも消えた――ということなのだろうが。

 わからない。そんな風に思っているうちに、バッティングセンターに到着した。

 中学のときよく行っていたその場所は、特に変わりなくそこにある。


「ま、それならなんにせよ、もうなんも気にせず身体を動かせるってことだろ。じゃあ今日は快気祝いだ快気祝い」

「まあ、そうか」


 理由がよくわからないのはしっくりこないが、今はともかく痛みが消えたことを素直に喜ぶべきだろう。

 あと一応、全力で動いて再発しないかどうかも確認したい。

 祐太に続いてバッティングセンターに入る。小規模なゲームセンターの隣に、緑色のネットに囲まれた空間があるのはほぼ記憶と変わらない。

 懐かしい。土の匂いとその色に、少し気持ちが昂るのを感じる。ピッチングマシンと速度を選択して、バットを持ってポジションにつく。久しぶりということで、少し遅めの速度を選択した。

 投げ込まれるボールに対して、身体にしみ込んだスイングをする。空振り。少し速度を遅くしすぎたかもしれない。待ちきれない。タイミングを計ってもう一度。

 ジャストミート――打楽器の先輩に言われた通り、速度とタイミング、ミートポイントを見極めることで小柄な選手でも飛距離は出る。

 吹奏楽部で鍛えられたリズム感で、鍵太郎は再度バットを振るった。今度はちゃんと当たった。久しぶりの手ごたえとともに、ボールは斜め上へと飛んでいく。

 ネットが揺れて、波のようにうねりが広がった。


「……はは」


 楽しくなってきて、鍵太郎はバットを片手でユラユラと動かした。なんだ。できるじゃないか。だいぶ勘が鈍っているんじゃないかと心配だったが、これなら――

 ギィン! とそこで音がして、鍵太郎は思わず音のした方を向いた。

 するとそこには祐太が自分より、圧倒的に速いストレートを難なく打ち返している光景がある。


「……へえぇぇぇ」


 高揚した気持ちと共に、持ち前の負けん気に火がついた。

 さすが現役野球部、あのくらいの速さには慣れっこのようだが――ここはバッティングセンターだ。

 ここでの勝利は、飛距離や球の速さで決めるわけではない。

 鍵太郎は『ホームラン賞・当たったら係員へ』と書かれた丸い的を見た。あれの景品のチョコレート、まだ続いてるんだろうか。それ目当てにここに通った日々が懐かしい。



###



「……で、結局痛みは再発しなかったんだな?」


 いつの間にか二人して全力でホームラン賞を狙う形になっていたわけだが――祐太はそう言って、鍵太郎を見た。

 気がついたらチョコレート目当てにムキになっていたので、足のことなどすっかり忘れていた。もう一度足を動かしてみる。

 曲げたり伸ばしたりひねったり――そんなことをしても、右足はまるで痛まない。


「……うん。大丈夫みたいだ」


 身体を動かした気分の良さそのままに、鍵太郎は笑顔でうなずいた。結局あれはなんだったのだろうか。でもこうして今は動いてるんだから、それでいいやとも思ったりもする。

 一個だけチョコももらえたし。まぐれ当たりだろうがなんだろうが、この勝負勝てたからそれでよいのだ。

 バッティングセンターの休憩所で包み紙を開けて、鍵太郎はチョコを口に入れた。景品でもらえるほどの小さいものだが、昔も今も、もらえて嬉しいものに変わりはない。

 そんな鍵太郎に、祐太は言う。


「一応聞いとく。おまえ、もう一回野球やる気はないか?」


 ブランクがあるとはいえ、練習していけばそれなりに動けるようにはなる。

 先ほどのバッティングでそれがわかったのだろう。祐太は普段の軽い口調ではなく、真剣な目でこちらを見てきていた。

 中学の時はこの怪我で最後までやりきれなかった。それは確かに悔しいことで、これさえなければと何度思ったか知れない。

 ただそれは、一年前の自分だった。

 鍵太郎は友人を見て、「わかってると思うけど、やらない」と首を振った。


「俺はもう、吹奏楽部の人間だもの。今さらそれを放って、野球部に入ることなんてできないよ」


 あのときの自分と、今の自分は違うのだ。

 楽器を吹くのが楽しかった。野球が楽しくないわけではないけれども、今の自分にとってそれよりも大切なのはこちらだった。

 友人はそれをわかっていつつも、禍根を残さないようにあえて訊いてくれたのだろう。相変わらず軽いようで抜け目ない。「だよな。わかった」と言ってあっさり引き下がる。


「まあ、俺のぶんもレギュラー取ってよ祐太」

「あー。まあ、そうだな……よし」


 鍵太郎の言葉に、祐太は立ち上がった。なにを始めるんだろうと見ていると、彼はバッティングセンターの扉を指差す。


「じゃあ、さっそくトレーニングだ。ここからうちまで競争な。先に着いたほうがジュースをおごってもらえるってことで」

「え……おい」

「よーい、スタート!」

「ちょ……おまええええっ!?」


 言うだけ言って走り出した友人を、鍵太郎は慌てて追いかけた。

 これは、あれか。さっきのホームラン賞で負けたやつのリベンジか。

 しかしそれにしては、やり方が汚すぎないだろうか。ちくしょう負けるか――と幸い足はもう心配いらないので、鍵太郎は久しぶりに全力で走りだした。



###



 その次の日。テストが終わって部活動は再開される。

 軽い足取りで音楽室に向かいながら、鍵太郎はそろそろ修理された楽器が戻ってきていないだろうかと考えていた。

 テスト前に壊れたあの楽器は、引退した先輩の使っていたものなのだ。そっちの方が吹きやすいし、なにより精神的に心強い。

 果たして音楽準備室の扉を開けると――そこには、修理されて戻ってきた楽器が置いてあった。


「わああああい!」

「ああ湊、戻ってきたぞ……って、もうわかってるみたいだな」


 その喜びように、顧問の先生には苦笑される。だって、それはそうだ。

 これのおかげで自分はここにいるし、ここにいてよかったと思えるのだ。

 怪我をしたから吹奏楽部に入ったけれど、今はそれで楽器を吹いているのではなくて――

 ――なくて?

 ふとその先の思考が浮かんで、鍵太郎はそこで動きを止めた。

 なんなのだろうか。今、妙に引っかかるものがあった。

 それが消えないように慎重に手繰り寄せていく。

 ここにいてよかった。そう思えた。

 けれど怪我をしていなかったら、ここにはいなかったわけで――でなければ、あの人に会えなかった。

 今の自分はなかった。

 それはつまり――


 『怪我をしてよかった』と。


 自分はいつからか、そう無意識にでも思っていたのだろうか?

 過去の傷を受け入れて、気がつけば全部を飲み込んでいて――それで痛みが消えた、とでも?


「……嘘だろ?」


 まさか、と思うが。しかし今はそれ以外に理由が思いつかなかった。

 そりゃまあ確かに、あれは過去の過ちを受け入れらずに、負った痛みではあるのだろうけど。

 それにしたって、これで治るものなのか。でも実際痛みは消えてるのだし、それに関しては反論のしようもない。


「そんなもん、なのか……?」


 かつての挫折と、そこからしばらく続いた暗闇の日々。

 それはこんなにあっさりと、気がついたら消えてしまっていた。

 おまえの苦しみなどそんなものだ――と言わんばかりに。

 あんなに悩んでいた自分が、馬鹿みたいだった。

 自分で自分の精神構造にびっくりする。すると、鍵太郎の視界に楽器ケースに着けたお守りが入ってくる。

 初詣で買った芸事上達のお守りだ。そして同時に、そのとき一緒に買った学業成就のお守りのことも思い出す。

 まだ渡せていない、先輩への贈り物。


「……そうだ」


 立ち止まっている時間はもう終わりだ。

 あの人がいたから自分はここにいて、これでよかったと思えたのだ。

 今ならこれを渡しに行ける。あなたに会えてよかったと、言いに行ける。

 なにを言っていいかわからなくて、これまでは会いに行くことはできなかったけれど。

 今は違う。

 そう決意して、鍵太郎は走り出した。振り向きざま、顧問の先生に言う。


「先生、ちょっと三年生の教室行ってきます! すぐ戻りますから!」

「え、おい! 廊下は走るな!?」


 もう痛みなど気にせずに済む、全力で動かせる足でもって、鍵太郎は音楽室を飛び出した。

 こうすることができるようになったのは、あなたのおかげなのだと――そう伝えるために。

 風の速さで止める間もなく出ていった生徒を見送り、先生は困惑して首を傾げた。



「三年生の教室に、なんの用だあいつ……。三年は今日から自由登校で、ほとんど人いないぞ?」



 受験間近の三年生は、二月から学校に来なくてもよくなる。

 そんな進学校の制度を、一年生の鍵太郎は知る由もなかった。


 彼がとぼとぼと音楽室に戻ってきたのは、宣言通り、わりとすぐのことだったという。

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