第2話 フンガッぐっぐっ!!
それは、つい ── 2話ほど前の出来事である。
茹だるような暑さに充たされた廃棄寸前の工場内での取り締まり捜査。
麻薬シンジケートの核を担う犯罪者達の一斉捜査だった。
派手に歌舞くような素振りの刑事がそこにいる。
ひときわ目を引く台座の上で。
「あ。 これにて一件落着~~~ゥ!」
シェパード犬がこれほどまでに見栄を切ることなど、そうはない。
いや、滅多にない。 先ず、無い。
大野下ユージがまるで「この桜吹雪、見事散らせるもんなら散らしてみろぃ!」などと啖呵を切って片肌を脱ぐも、桜の彫り物などは一切なかった。
遠山のユージさん。
これには歴代の金さんも驚愕。
寧ろ、もこもこふわふわの毛並みだけがこれ見よがしに露出されている。
これが犬好きであったなら、垂涎モノであったのだろうが ──
確かにその大半は偉大なる先輩達の手によるモノであったが、トオルは突っ込みたくなる衝動をぐっと堪え続けていた。
きつく握りしめられた拳が内心をよく物語っている。
「くっそ~……。 いったい、何処から情報が漏れたんだッ!?」
麻薬組織であり暴力団の統治者は、あたらみっともない格好で愚痴を告げるしかなかったのであろう。
まさか警察にいとも容易く捕縛されてしまうなどとはこれっぽっちも思ってやいなかったのだから。
タレコミとは、非常に有能だという証明なのかもしれない。
暫くして……
bossを筆頭に何十人もの重罪人達を署へと連行し牢獄へぶちこんだのち、トオルは更なる地獄へと脚を踏み込んでしまう。
それは何百枚にも及ぶような始末書だった。
目の当たりにして思わず気が遠くなってしまうほどの膨大な資料整理が待ち受けていたのである。
ただ、犯人を捕まえるだけが仕事ではない。
「……無いよねー……」
だが、やるしかない。
それが仕事というものだ。
トオルは、普段からデスク作業が得意だと自負していたが、その作業にも程がある。
モニターを拡大しつつも、理解し難いぐらいに文章が折り重なる。
目薬がいくらあっても足りないほどの重労働 ── そういっても過言ではない。
食事や途中休憩も一切採ることなく、PCと睨みあうこと数時間、ようやくすべての始末書を課長に提出した。
やがてお褒めの言葉を頂き、ほうほうの体で帰路へとつき、美少女の温もりを全身で感じていたいと心底待ちわびていたというのに……この状況はまったくといって予想がつかなかった。
斜め上どころか、遥か銀河系すら飛び越えていたほどである。
どうして、このような出来事が起こってしまったのであろうか ── ……。
(;´・ω・`) (´・ω・`; )
「するってぇと……なにかい? お前さんはまだヤツラが活動しているって言うのかい?」
「ああ……」
いつになく神妙な面持ちでユージが告げた。
いつものようなくだけたような口振りや態度とは裏腹に。
普段であれば決しておちゃらけた態度を絶やさない質の敏腕刑事が、である。
ただ……頻りに、興奮気味に振る尻尾がどこか憎めなくもない。
こと、ここにおいてまで愛嬌を振る舞うことを忘れないのは流石であった。
「なるほど……。 つまりあの通報は俺達を誘きだす罠だったってぇワケか。 まったく、手間をとらせやがるぜ…… 」
それは ── かなり豊満な熟女がお尻で踏みつけても大丈夫そうなサングラスが妙に似合うドーベルマン刑事。
鷹野山が呆れ返ったように首を傾げていたのであった。
つい前日、虫の鳴き声が新しい季節の到来を告げるように求愛の儀式を営んでいた深夜遅くのこと。
大半の係員 ── ほぼ全ての警察官が眠りに就き、ごく僅かな人数で切り盛りしていた時だった。
けたたましく鳴る受話器が緊急事態を告げる。
「明朝、私立・○△■学校を爆破する」
唐突に突き付けられた爆破予告。
眠気が一気に吹き飛んだ。
彼は受話器を手に取り心痛な眼差しを偶然居合わせた彼らへと向ける。
録音テープへとひっそりと肉球を押し続けながら……。
交替勤務を執拗に断り続ける事務員。
それは尊敬に値するだろう。
普段であれば思わず抱き締めたくなるふわふわの毛並みと、まるで訪れたばかりの春の温もりを彷彿させるような明るい笑顔は真冬の夜中を連想させていたのであったのだ。
痩せこけた事務犬。
ただ蒲公英の塊と言っても過言ではない。
疲れきったポメラニアンの警察官が受け付け口で真剣な眼差しを向けていた。
疲労が祟ったせいか、彼には最早、愛らしさなどは1㍉たりとも感じられなかったのだが……。
名をブリュッセンド=クラドニア=小泉・JUN一郎という。
フルネームをいちいち言うのはかなり面倒臭かったのか、皆には慣れ親しんだ愛称で“JUNちゃん“と呼ばれていたらしい。
ライオンハートには程遠い。
チキンハートには程近い。
「で……JUNちゃん。 それガチネタかよ?」
爪切りのヤスリ側で丁寧に、男前に磨きをかけようとしていたユージが眉唾ばかりに片眉を持ち上げる。
よほど暇をもて余していたのであろうか。
普段から、ここ湾岸署 ── というか警察署には偽の情報が出回ることは日常茶飯事のことである。
ただそれは、疑うのが基本姿勢なせいなのかもしれない。
立ち上る芳ばしい湯気と、あまり美味しくない漆黒の液体を啜るユージ。
「ガセじゃあねぇの?」
犬がホットコーヒーを嗜む様は、なかなかどうして堂にいったモノだった。
シェパード犬ではあるが高給ブランドをその身に包んだユージは、まるで中世の貴族をも彷彿させている。
彼はやがて勢いよく席をたつ。
「さて……俺サマちゃんの出番かなっ♪」
「まて、ユージ。 俺にも付き合わせろ。 ついでにコイツも……」
「んん~……。 はい? なァんですか~……せんぱァい……」
度重なるハードな業務に、心地好く埋まろうとしているトオルの意識が問答無用に叩き起こされた瞬間である。
「事件だ! オラ、行くぞ!!」
まさか、その結末が今現在に及ぶとは露知らず ──
(U´・ェ・) (・ェ・`U)
「モガガガガッ! モガモガッ!?」
※訳。
「早くほどいてくださいよ!!」
トオルは全身余すことなく、キツくロープに縛られていた。
鬱血した腕首やその表情を見るに、痛々しいぐらいの傷跡が壮絶な現状を生々しく物語っている。
「馬ッ鹿、トオル。それぐらいなんとかしやがれ」
「そうだぞ? 大体お前がしっかりしていなかったからこんな事になったんだ。反省しなさいっ!」
まさか、犬に“お預け“を食らうとはこれっぽっちも思ってやいなかった。
トオルはこの時ほど転生 ── もとい、転移したことを後悔したことはない。
言わばそれは飼い主がペットから“お手“をされるようなモノなのだろう。
そこから察するに……。
二人の先輩刑事には、後輩を思う気持ちなどこれっぽっちもなかったかのように感じられる。
「なんか…… スマンな……?」
「モガッ? モガガガッ!? モフゥ……」
犯人役から同情されるのは刑事としては最早失態でしかならない。
意見しようとするにも、口許にはびっしりとガムテープが貼りつけられており、否応の無い憤りが募るばかり。
物悲しい呻き声が、まさにトオルの心情を現しているようであった。
その丸く縮こまった姿はまるで百獣の王、獅子に立ち向かう犰狳のようであった。
「フンガッぐっぐっ!!」
次回予告にはまだ少し早い気がする。
何処か納得のいかないトオルの悲鳴にも似た切ない慟哭が吸い込まれてゆく。
それは夕焼けこやけの赤トンボさながら、夕陽を浴びる空中タクシー、飛び蜥蜴であったり、大人数を乗せ遥かなる旅路へと誘う船の存在が大半を占めていたのだが。
少し話は逸れるが……
それは、この異世界に於いて飛行機と呼ばれる存在 ── その名をロック鳥という。
ルフとも呼ばれている伝説の怪鳥だった。
思わず耳を塞ぎたくなるほどの爆音が上空に轟く。
いくら騒いでみたところで、トオルのわめき声など問題にならない。
翼を広げた全長は約100㍍にも及び、どことなく鷲のような顔立ちと嘴。
猛禽類を代表するに相応しい、蒼空の支配者といっても過言ではなかった。
巨像を鷲掴みにして、軽々と持ち上げるぐらいに鋭く伸びた爪先。
見渡すほど広大な大地で、遥か数千㍍先の窪んだ巣穴からひょっこりと頭部を出したミーアキャットですら的確に捉えるぐらいの視力を有している。
たったひと掻きしただけで砂嵐を巻き起こし、一気に成層圏を突破するかの如く豪快な翼力。
その三拍子が整えば自然と成り立つ。
穏やかな性質なのであったのか操縦士に対して従順であり、なにより、完全な機械でないのが幸いだ。
かつての現実世界では事故が絶えなかったのだが、此処に於いては墜落事故など先ず有り得ないらしい。
少なくとも此方の世界に来てからトオルが見てきた報道のなかには、そのような凄惨な事故などは見受けられなかったのだ。
── などと。
遥か上空を過ぎ去ってゆく飛行機をやり過ごして、眉間に皺を寄せた男は真剣な眼差しをふたりの刑事に向けた。
「奴等は……今もなお実行しているんだ」
噛み締めた矢先、口許に血が滲む。
いったい、彼の身に何があったのかしれないが……ふと居合わせた皆が違和感を覚えた。
代表してユージが言う。
「あれ……? トオル、何処に行った??」
ぐるぐる巻きにされていたトオルは完全にその場から忽然と姿を消していたのであった。
それは決して紅葉狩りではなく、寧ろトオル狩りの季節が到来したといっても過言ではない ── ……。




