【第12話】鳥人
「キャゥン! キャゥン!」
「ん?」
ルト族の御飯が入ったコンテナバスケットを傾けていた手を止めて、声が聞こえた方へ振り返る。
悲鳴ではないが、どこか助けを求める声色に目を向ければ、サークルの一つから二体の赤ちゃんワンコが駆け出していた。
まだ産まれて二日目なのに、十五センチメートルにも満たない赤ちゃんワンコがたまにコケたり、まん丸お腹を床に擦りながら御飯スペースのある方向へ四つ足でピョコピョコと跳ねて来る。
一口サイズにキューブカットされた御飯を、両手に抱えた一体のルト族が慌てたように飛び出した。
ワンコピラミッドを作る程に、御飯に夢中な大人達に蹴り飛ばされたら大変だと、シベリアンハスキー顔のベリアンが足でガードする。
しかし、赤ちゃんワンコは足によじ登ったりしながら好奇心旺盛に、通せんぼされた先を目指そうとしていた。
助けを求めるベリアンと目が遭ったので、コンテナバスケットに入ってた御飯を全て落とし、両手が塞がって身動きが取れないお父さんルト族のもとへ向かう。
まだ薄ピンク色の肌が目立つけど、お父さん似の隈取りみたいな薄茶色の毛が顔に生えた赤ちゃんを、両手で優しく包み上げる。
「助かるワン」と言いたげな顔で、強面の犬頭で見上げるベリアンが嬉しそうに尻尾を左右へ振った。
入口が開いたサークルに、お父さんのベリアンが入る。
高さが五十センチメートル程の仕切り板で、四角に区切られたサークルの中を覗けば、三体の赤ちゃんへ母乳をあげてるチワワ顔と目が遭った。
身動きが取れずにいる母親の傍に赤ちゃんを置いてあげる。
『こらぁ。また脱走して悪い子でちゅねー』
もう一体はどこへ向かったのかと思えば、他の赤ちゃんに御飯をあげてるメアリーのところにいた。
合成ミルクの匂いに釣られたのか、スープ器の中を覗き込もうとした赤ちゃんが、おぼつかない足を滑らせて白い液体の中に頭ごと突っ込んだ。
ビックリした様子の赤ちゃんワンコが頭を出すと、犬顔を合成ミルクで真っ白にしていた。
「ムキュンッ」
クシャミらしきものをして、クリクリとした目がパチパチと瞬く。
悪戯っ子な赤ちゃんを持ち上げると、母親の元へ戻してあげた。
両手を伸ばしたチワコが脱走した赤ちゃんを捕まえて、ミルクまみれの犬頭を嬉しそうにペロペロと舐め回す。
「キュゥ、キュゥ」
パピヨに続けとばかりに出産ラッシュが同日に発生したせいで、三つあるサークルのどれからも母親を呼ぶ赤ちゃんの鳴き声が聞こえる。
『はいはい、ミルクでちゅかー?』
母親がいないサークルの一つを覗き込み、メアリーが手を伸ばす。
お前じゃないと言わんばかりに、すごく嫌そうに犬顔を皺くちゃにして身体を仰け反らせた赤ちゃんワンコが、ニコニコ顔のメアリーに両手で捕まえられてサークルから持ち上げられる。
白い液体の入ったスプーンをメアリーが口元に持っていくと、食欲には勝てなかったのか小っちゃい口を広げてガブガブと飲み始めた。
合成ミルク入りのスープ器へ、御飯を持って来たチャビーがポイポイと放り込む。
メアリーの隣りに座るパピヨン頭の犬手が伸び、白い液体に浸かるドッグフードの一つを摘まみ取った。
犬口へ含んだパピヨがモゴモゴと口内で咀嚼した後、犬口の中からすり潰した御飯を肉球の指で摘まみ出す。
母乳を呑んでる最中の赤ちゃんを強引に引き剥がすと、早く乳離れをしろと言わんばかりに口内へ捻じ込んだ。
まだ産まれて二日目なのに、可愛い顔してパピヨお母さんは中々にスパルタだなぁ……。
初めての出産らしいチワコは、新米お父さんのベリアンと共同作業でアタフタしながら五つ子へ母乳をあげてるのに、経験豊富なパピヨとチャビーは手慣れた様子で淡々と子育てをしていた。
もう一つのサークルに目を向ければ、柴犬頭のハナコがほっこりとした優し気な眼差しでサークル内を覗き込んで、白い尻尾を左右にパタパタと振っている。
まだ御飯をやってる最中なのを思い出した俺は、覗き窓から様子を伺う人影と目が遭った。
『これで最期だよ~ん』
「どうも」
マイク越しに喋るニッグ技師が、通路側からコンテナバスケットを渡してくれる。
聞き慣れぬ人物の声に反応したのか、赤ちゃんワンコ達が騒がしく鳴き始めた。
『トウマく~ん。ルオー族が、ここも見学したいって言ってるんだけどさー。入れちゃっても良い?』
「えっと……」
『マジックミラーにしたら良いでしょ? ……あとついでに、あっちからの声も聞こえないようにしてちょうだい』
「あー、了解」
先輩ドッグトレーナーに目で尋ねると、そう助言が返ってきた。
さっきまで終始ご機嫌だったメアリーに怖い顔で睨まれて、今の状況を思い出す。
俺とメアリーが彼らと仲良くなり過ぎて感覚が時々麻痺してしまうが、本来はルト族の住処である洞窟を再現したこの室内で、赤ちゃんワンコがいる一番デリケートな時期に、異種族の俺達が一緒に混ざってるのが異常なんだよな……。
作業服に纏わりついた犬毛を手で払い落としながら通路に出た。
装置の設定を弄り終えたタイミングで、スライドする扉の音が耳に入る。
外で待たせていたらしい客人と一緒にテザー技師が現れた。
『お忙しいところ、無理言って申し訳ないですね。トウマ教官』
「いえ、そこまで忙しくは無いので、大丈夫ですよ……」
客人の手前だからか、改まった物言いでテザー技師に言われると、なんとも形容しがたいムズ痒い感情が湧き上がる。
確かに今の俺は、メアリーみたいなトレーナーと言うよりは軍人を育成してる方が近いので、他人には教官と紹介しやすいかもしれないけどさ……。
『さきほど出産時のルト族は、とても神経質だと聞きましたが。私が顔を見せても大丈夫ですかね?』
「大丈夫ですよ、スノウ技師。マジックミラーにしましたので、向こうからは顔も見えませんし。こちらの声も聞こえませんから……」
『そうですか。では、失礼して』
ニッグ技師の背後から声がして、白い羽毛に覆われた人影がルト族の居住区へ遠慮がちに入って来た。
俺の足底よりやや大きい鳥足が通路を歩き、俺の頭と同じ高さにある嘴が覗き窓の方へ向く。
『ほう……。彼らが優秀な、ルト族と呼ばれる戦士達なのですね……』
対面するのは二度目なのに、間近で見るとちょっと見慣れない姿にやっぱり身構えてしまうな……。
俺がいた地球ではシロフクロウに近い容姿をした鳥人が、興味深げな表情で鳥目を細めた。
最古の猿人と呼ばれる種族から、数百万年という歴史を辿って今の人類である俺がいるわけだから。
地球人よりも長い一千万年の歴史を超える、知能を持った鳥が存在する可能性はゼロとは言えないけどさ。
俺達とは異なる進化をした知的生命体が同じ太陽系にいたという事実を、今は誰にも伝えれない状況がもどかしいな……。
始祖鳥の羽が、骨の一部が手の形に伸びてたのを更に進化したみたく、人の手に近いかぎ爪のある手首を白い羽毛の中から覗かせて、顎を撫でるようにスノウ技師が鳥口の下側を触れる。
『できれば生き残った方に直接お会いして、我が船を助けて頂いたことの礼を述べたかったのですが……。中へ入るのは無理なのですね?』
「ちょっと……難しいですね」
『分かりました……。では、助けて頂いた乗組員が感謝をしていた旨と。亡くなった勇敢な戦士達に心からお悔やみ申し上げますと、伝えてもらえますでしょうか?』
「分かりました。伝えておきます」
『ありがとうございます』
白い羽毛の目立つ胸元に手を当て、スノウ技師が丁寧に頭を下げる。
ルオー族の言語を地球語に直接翻訳できないので、エリファ語に翻訳したものを地球語に再翻訳してるらしいが、機械の翻訳ミスでもなければ堅苦しい言葉が目立つのは、彼の言い回しが普段からそうなのだろう。
彼は技術者らしいが、親が軍人とも聞いてたしな……。
『定期アナウンスをします。間もなく超光速ジャンプが実行されます……。激しい揺れが発生する可能性があります。乗組員の皆さまは怪我をしないよう部屋に戻り、安全な場所で待機をお願いします……。定期アナウンスを、繰り返させて頂きます』
ポーンと通路に音が鳴り響き、続けてAIノアの音声アナウンスが耳に入る。
『スノウ技師、お目当ての超光速ジャンプが始まります。外の景色がよく見える場所へ、ご案内しますよ?』
『おお、そうでしたね。テザー技師、よろしくお願いします』
ルト族の居住区を退室しようとする二人の背を見送ってると、両手を後頭部に回したニッグ技師が俺の傍に寄って来る。
『トウマも、見に行くー?』
「うん、行きたい。メアリーに声掛けて来るから、ちょっと待ってて」
『はいよー』
わざわざお昼御飯の時間を前倒しにしてまで、それが見たくて作業してたんだからな。
見に行かなくちゃ意味が無い。
二人の後を追うと、広間で椅子に座ったテザー技師と雑談をしていた鳥顔がこちらに視線を向ける。
『おや……。トウマ教官も超光速ジャンプをご見学に?』
「はい。一緒に良いですか?」
『ええ、是非とも』
万が一に備えた、シートベルト付きのゆったりした椅子に腰を下ろす。
『ノア、部屋を展望モードに切り替えて下さい』
テザー技師の指示により、室内の白い壁が外のカメラとリンクした映像に切り替わる。
宇宙船の屋根や壁が消えて、まるでテラスからガラス越しに宇宙を眺めてるような光景が広がった。
『スノウ技師。いま展開したシールドが、超空間シールドですね』
テザー技師が指を差した先に、宇宙船を覆うような複数の色が入り混じったシールドが出現した。
レーザービームを弾く、青いシールドとは違うようだ。
『超光速ジャンプを実行します。カウント六十、五十九、五十八……』
AIノアによるカウントが一分前から始まる。
アナウンスのカウントがゼロになった瞬間、星々のあった宇宙空間がどこかの穴へ吸い込まれるように景色が歪んだ。
SF映画でよく見るような、複数の色がグラデーションみたく混じり合った不思議なトンネルを、俺達が乗る宇宙船一隻のみが飛んでいる。
『おー、素晴らしいですね……。我々の技術では超空間シールドが不完全らしく、軽い吐き気を覚えるほどの揺れが生じてしまいます……。見学を理由にして、こちらへ移ったことを同僚に後で怒られそうです』
腕の鳥羽を広げたスノウ技師が、少しばかり興奮した様子でテザー技師と会話を弾ませている。
光を越えた超空間に入るためのうんたらかんたら、ハイパーレーン航法がどうたらこうたらと専門的な知識が飛び交っているが、俺の頭には当然ながらさっぱりと入ってこない……。
『要は僕達の宇宙船だけを空間ごとリアルから切り離して、時間の概念も歪んだ異次元のトンネルに放り込んだって話をしてるんだよ』
「へ、ヘェー……」
『入口と出口さえ見つかれば、エネルギーの節約ができる航法だけど。そもそも次元の裂け目を見つける技術がウチは低いんだよぉ、みたいなことを鳥さんが嘆いている感じかなー?』
「そ、ソウデスカー……」
俺の耳元に顔を寄せたニッグ技師が要約してくれたが、やっぱりよく分からなかった……。
複数の色が混じった景色が唐突に変わり、見慣れた宇宙空間が広がる。
『ふぅー。技術格差をここまで感じると、何とも言えない気分になりますね……。さて、ようやく我らの宇宙ステーションに到着したようです』
これまたSF映画でよく見るような、宇宙空間に漂う巨大な建造物が遠目に映る。
地球人ですら宇宙空間に人が住める環境を構築できてないのに、鳥が進化した異星人に技術格差を教えられたワタクシも、何とも言えない気分になりますね……。
『ギメラに破壊されず残ってるモノの中では、ここが星系外縁に最も近い宇宙ステーションです……。船の整備ができる造船所もありますので。星系の外へ旅立つ前に、羽を伸ばしてゆっくりしていって下さい』
超光速ジャンプが終わったらしく、皆が席を立つ。
『今日の見学は、大変に有意義な時間でした。感謝致します』
満足気な様子で、スノウ技師が俺達に改めて礼を言う。
『そういえばさ、スノウ技師。用事があって星系の外に出てたとか言ってたけどさ。何の作業をやってたの?』
ニッグ技師の質問に、しばしの間ができる。
『ギャミン少尉には伝えてましたが……。皆さんは聞いてないのですね?』
スノウ技師が嘴を、宇宙ステーションの方へ再び向けた。
『万が一に備えて……。星を捨てる、準備をしてました……』
……え?
先ほどまでの和やかだった空気が、彼の発言で一変する。
目を細めたスノウ技師が、どこか寂しげな瞳で遠くを見つめていた。




