158話 チャレンジしないの?
ようやく環希が登場します。でも、今話はステファニー・キングストン視点です。
ニュージーランド WTA250オークランド大会 決勝
「ゲーム、ニワノ」
はぁはぁはぁ…… 走らされすぎて息が苦しい……
なんなんだ? この得体の知れない日本人の小娘は?
いや、この子がダブルスの女王であった、マドカ・ニワノの娘だというパーソナルデータは知っている。
それ以外、今日のこの理不尽な試合展開のことだ。
深くクロスに打ち返され、振り回され走らされてオープンコートを作らされて、ダウンザラインでズドンなのだから、たまったものではない。
アレーコートの外まで弾き出されている私は、当然ながら反対側には追いつけないのだから、サイドライン際をストレートで打ち抜かれたボールを見送ることしかできなかった。
あと、何回かドロップショットでちょこんもやられましたね。
コートの外にいる私は、当然ながらボールには届きません。
第1セットの4ゲーム目、私のサービスゲームの時──
『フォルト!』
フォルト? 入っていたような気もしないでもないけど、まだゲームも序盤だしホークアイを使う必要はないか。
『ステファニー、チャレンジしないの?』
『え? 惜しかったけどコールのとおり、今のはフォルトでしょ?』
『ギリギリだけど、今のサーブはインに入ってたよ』
断言できるとかマジかよ。この子の動体視力って良すぎじゃないの?
でも、私よりもタマキの方が近くで見ていたのだから、本当にちゃんと入っている可能性の方が高いのかも知れない。
『そこまではっきりと言うのだったら、チャレンジしてみようかしら』
『大丈夫だよ! もし判定どおりにフォルトでチャレンジ失敗だったら、私のチャレンジ権を一つ譲るから試してみなよ』
これが、私のペースを乱すために心理的な揺さぶりを、タマキが敢えて仕掛けてきたと考えるのは、私の穿ち過ぎなんだろうか?
自分のサービスゲームでサーブを打つ場合、普通は自分の決まったルーティンで手順を守ってサーブをする選手が大半なのだ。
自分の決まったルーティンを守ってサーブを打てないと、フォルトを連発しちゃうんだよね……
まあ、試合中にサーブのタイミングを早めたり遅めたりするのも、駆け引きの一つではあるのだけれども。
でも、レシーバーの準備が整ってないのに、サーブを打つのはダメだけどね。
だから、私がセカンドサーブに移行する寸前で、タマキが声を掛けてきたのに疑問を覚えたのだ。
でも多分、タマキは善意で自分が不利になるような可能性があることを、わざわざ申し出てくれたのだから、ここは一つ彼女の提案に乗ってみることにしておきますか。
だけど、チャレンジ権の譲渡は認められないと思うけどね。
『チャレンジお願いします』
私は空中に人差し指で四角を書く仕草をしながら、主審にホークアイの使用を頼むことにした。
それにしても、タマキ・ニワノは日本人で日本育ちのはずなのに、この子は英語を流暢に話すわね。
まあ、ちょっとだけブリティッシュのオックスブリッジ訛りに似ているのが、やや鼻につくけど。
タマキには英国趣味でもあるのかしら? そうだとしたら、悪趣味だわ。
それとも、タマキに英語を教えた教師がイギリス人だったのかも知れませんね。
うん、そっちの方が、蓋然性が高そうですね。
そして、待つこと5秒あまり……
『『『おおーっ!!』』』
観客の歓声と共にセンターコートの大型スクリーンに映し出されたのは、0.2インチ程度もしくはそれ未満、ほんの僅かサイドラインにボールの影が掛かっているのとともに、INと表示される映像だった。
よくもまあ、こんな僅かな差を見切れたわね。もっとも、それだけタマキの動体視力が優れている証拠なのだろうけど。
「15ラブ」
『ありがとう、1ポイント儲けた気分だわ』
『どういたしまして!』
なんてことがあって、プロツアーにデビューしたてのピュアなフェアプレー精神に溢れる、良い子だとばかり思っていたのだけど……
いや、べつにタマキ・ニワノが、この試合中にフェアプレーにもとる行為をしたとかではないのだけれども。
まあ、ジュニア時代のタマキは、偶にアンダーサーブやトリックプレーをしたりもしていたみたいだけど、今日はアンダーサーブも封印して正攻法のプレーを続けていたしね。
プレーの内容はベテランのトップ選手顔負けの組み立てで、対戦相手である私を翻弄させるエグいプレーをしてくるのだから、完全に年齢詐欺もいいところだわ。
完全に年齢とプレーの中身が一致していないのが、タマキ・ニワノという少女であろう。
私が全く自分のテニスをさせてもらえないとは……
「ゲーム、ニワノ」
タマキ・ニワノを攻略する糸口がまるで見つからない……
相手のペースに乗せられて、常にタマキに先手先手を取られてしまっているのだから、私の打つ手が完全に封じられているのだ。
もがいてももがいても光明を見いだせない、このアリ地獄にズルズルと引きずり込まれるような感覚は、一体なんだというのだ!?
フラストレーションが溜まり発狂寸前になって、何度もコートにラケットを叩きつけたい衝動に駆られたことか。
いや? 私の価値観に反するから、本当にラケットを壊すような愚かな真似はしないけどさ。
でも、感情のままにラケットを破壊する選手の気持ちが少しだけ理解できたわ。
試合開始前には、ジュニアを卒業したばかりのタマキに、プロの厳しさを教えてあげようとか、上から目線で思っていたのだけど……
逆に私の方が、タマキに翻弄されているのだから世話ないわね。
サラ・ベルナルディに勝ったのは、たまたまサラの調子が悪くて勝てただけのフロックだと思っていたけど、それがけしてフロックではなかったということか……
てっきり、記者会見ではサラがテニス界を盛り上げるためにリップサービスで、期待の若手選手であるタマキを持ち上げているものだとばかり思っていたわ。
でも、フロックではベルナルディもそうだけど、ドバイの100kでズレタノビッチを破っての優勝なんてできるわけなかったか。
つまり、私の目が曇っていたということか、クソったれめ!
※※※※※※
「WTAオークランド250大会も大詰めを迎えています」
「ちょっとここまでの一方的な試合になるとは、さすがにこの展開は私も予想していませんでした」
「第1セットを6-2で日本の庭野が取り、第2セットもここまで5-1と庭野がリードしています」
「第1セットは様子見のところもありましたが、庭野選手が試合の主導権を握ったまま手放さず、完全に自分のペースで試合をコントロールし続けられたのが、この結果に繋がったのでしょう」
「キングストンはコートを右へ左へと走らされていましたからねぇ」
「庭野選手のプレーを見ているだけの私たちは楽しいですけど、現実に走らされているキングストン選手にとっては、かなりキツイでしょうね」
「実況している私でも辛そうに見えましたし、キツイでしょうね~」
「私なら庭野選手に振り回されるのはごめんですから、もっと走らないで済むような戦術を組み立てます」
「なるほど、庭野選手にオープンコートを作らせないのですね?」
「まあ、現実問題として環希ちゃん相手に、組み立てた戦術がちゃんと通用するのか? それは、また別の問題になりますけど」
「通用しなければ、どうなります?」
「打つ手なしです。今のキングストン選手と同じ結果になります」
「そ、そうですか……」
「あと、クロスに深く打ち返すだけではなく、その合間合間に打ち返していたリターンも一見甘く見えますけど、あれはライジングショットですから、キングストン選手はたまったものではなかったでしょうね」
「庭野が放ったライジングで、キングストンはアンフォーストエラーの山を築かされていましたね」
「キングストン選手を相手にしても、まったく問題なかったですね。庭野選手は頼もしい限りです」
「庭野はドロップショットも何回か決めていましたけど、キングストンは脚が前に出ませんでしたよね?」
「キングストン選手は何度か脚を気にする素振りを見せていましたので、もしかしたら痙攣寸前だったのかも知れません」
「そういえば、キングストン選手は何回か太ももを叩いている仕草をしていましたね」
「再来週には全豪オープンも始まりますので、大事に至らなければ良いのですが……」
「少し心配になりますね。さて、日本の庭野環希、WTAツアー初出場で初優勝という歴史的な快挙はもう目前であります! 日本女子テニス界の未来は明るいぞ!
さあ、庭野環希のサービングフォーザチャンピオンシップになります!」
そういえば、大会によっては自動判定が取り入れられているんだっけ?




