92.幕間 彼の同僚たち
三章に向けてのプロローグ的なお話になります。
とあるオフィスビルの一階。
そのロビーで、スーツに身を包んだ数名の男女がモンスターと戦っていた。
「ギギィィッ!」
ゴブリンが吠えながら、彼らに突撃を仕掛ける。
そのグロテスクな姿、叫び声を聞き、後方に控えた女性の一人が「ひぃ」と短く悲鳴を上げた。
既に何度も戦っている相手だが、未だに慣れることはない。
「このっ!」
すかさず、さす又を持った眼鏡をかけた秘書風の女性が前に出る。
先端部分をゴブリンの首へと突きつけ、その動きを阻害する。
「池田君!今よ!」
「はいっ!」
池田と呼ばれた男性が、素早く手に持ったスコップを、ゴブリンの頭に叩き込んだ。
「ギギャッ!?」
ゴブリンの断末魔が響き、小さな魔石が地面へ落ちる。
頭の中に響くアナウンス。
止めを刺した男性が、小さくガッツポーズをする。
「うっし!楽勝!」
「油断しちゃ駄目よ。……二条さん、他にモンスターの気配は?」
「あ、はい……えっと、大丈夫……だと、思います」
「そう、ならいいわ。じゃあ、一旦休憩に入りましょう。池田君、上の階に行って、次の班の人達を呼んできてくれるかしら」
「分かりました」
「それと、板や釘が残っていたらそれも持ってきて頂戴。バリケードの破壊された部分も直さないといけないから」
秘書風の女性はてきぱきと指示を出す。
その光景を眺めながら、先程震えていた女性―――二条かもめ は思う。
―――こんな事、いつまで続くんだろう、と。
モンスターがあふれる世界となって、今日で三日目。
彼女たちは会社の中に籠り、徹底した防衛戦を行っていた。
出入り口を封鎖し、ローテーションで見張りを常駐させ、仮に何かあっても直ぐに対応できるようにした。
そのおかげで、今日まで彼女達は一人の死者も出さずに生き延びてこれた。
だが、それもそろそろ限界だった。
いつ救援が来るかも分からない状態での、モンスターとの戦闘の連続。
食事も満足にとれず、碌に眠れていない。
なにより、シャワーも浴びてないし、下着だって同じものだ。
衛生的にも精神的にも、彼女は限界が来ていた。
「あ、あの、清水さん……」
「何かしら?」
「その……私達、いつまでこうしていればいいんでしょうか……?」
「……」
かもめの質問に、眼鏡をかけた秘書風の女性―――清水は僅かに渋い顔をした。
「……安全が確保できるまで、かしらね」
「ッ……!それって、いつなんですか!今日でもう三日ですよ!?救援なんて全然来ないですし、外の様子は分からないし、私達これからどうなるんですか!?それに、あの人だって―――」
それまで溜まっていた鬱憤を吐き出すかのように、二条は叫ぶ。
脳裏に浮かぶのは、三日前に早々と―――と言っても定時から二時間以上は遅いのだが―――職場を後にした先輩の顔だ。
いつもつまらなさそうな顔をしながら仕事をしていた人だった。
成績だって並み以下だし、他人は他人、自分は自分と割り切り、他人と接点を持とうとしなかった。
でも……不思議と、人を惹きつける魅力を持った人だった。本人は自覚は無かったかもしれないが、彼を気にする同僚は多かったと思う。
彼は無事だろうか?生きているのだろうか?
そう思うだけで、胸が切なくなる。
「落ち着きなさい、二条さん。私だって、ずっとこのままじゃ良くないっていうのは分かってるつもりよ」
「なら……ッ!」
「でもね……そう考えない人たちだって居るの。いつかは救援が来てくれる。だからずっとこのままここでじっとしてようって」
主に、彼女の上司たちがそう考えていた。
下手にリスクを冒すべきではなく、今のまま現状を維持するべきと。
その考えだって間違ってはいない。
間違ってはいないが、時間がそれを許してくれない。
「……食料は、どうするんですか?水だって……いつまで水道が使えるか分からないじゃないですか」
それを言われると、清水としても渋い顔をするしかなかった。
備え付けの自販機や災害用の備蓄食料は、もう残り僅かだ。
「何度も、部長たちには相談してるんだけどね……」
昨日、食料の在庫が心もとなくなってきた段階で、清水も上司に何度も相談した。
レベルを上げた少数精鋭で外に出て、食料を確保するなり、他の人とコンタクトを取るなりした方がいいと。
しかし返ってくる答えはいつも同じ。
―――このまま現状を維持しよう。
これだけだ。
話し合いにもなりはしない。
「本当にあの人達、現状を分かってるんですか?レベルだって上げてないくせに……」
「まあ、ね……」
それを言われると、本当に頭の痛い思いだ。
現在、この会社に籠城しているのは三十二名。
その内、モンスターを倒し、レベルを上げたのは僅か九名。
その全員が二十代、三十代の若い職員だ。
役職についている年配の職員たちは、誰一人としてレベルを上げていない。
そして多数決の話し合いになれば、自分達よりも彼らの意見が優先されてしまう。
(なんで現場で命かけてる私達より、なにもしない部長たちの意見が優先されるのよ……)
かもめには、それがあまりに理不尽に感じられた。
確かに以前なら、彼ら上司の意見は絶対だった。会社なのだからそれは分かる。
だが今のこの現状では、力があり、命がけで戦っている自分達にこそ、発言力があるのではないかと、そう思うのだ。
震えながら、偉そうにするだけのハゲおやじたちに、果たしてどれだけの力があると言うのか。
それとも、間違っているのは自分の方なのか?
「部長たちの言ってる事も理解は出来るのよ……。外にどんなモンスターが居るか分からない以上、むやみに出るのは危険だって事もね。係長だって、部長に言われて再開発用のビルの下見に行ったきり戻ってこないし……」
「……はっきり言えばいいじゃないですか。私達が外に出れば、自分達のお守をしてくれる人が減るからだって」
「それが会社というモノよ、二条さん。立場が違えば、考え方も違う。現場と事務方、上司と部下の意見が食い違うのだってよくある事でしょ。どっちが正しいかなんて一概には言えないの。……とはいえ、食料不足は深刻だし、彼らもいずれは首を振らざるを得なくなるでしょうね。何とか説得して見せるから、それまでは我慢して頂戴」
清水にそう説得され、かもめはそれまで煮えくり返っていた上司への感情をぐっとこらえる。
(……この人は本当に苦労人だな……)
上と下からの板挟み。
おそらく今一番つらいのは彼女だろう。
眼の下のクマや、くたびれた表情がそれを物語っている。
せっかくの美人が台無しだ。
そう言えば、この人、今年で28になるが、彼氏はいるのだろうか?
いや、今はそんな事どうでもいいか。
「清水さん、その……あんまり無理はしないで下さい。私も出来る限り力になります。清水さんにもしものことがあったら、一大事ですから」
この会社で暴動が起きなかったのは、間違いなく彼女が必死に皆を説得して動いたからだろう。
そうでなければ、この集団はとっくに崩壊していた可能性が高い。
「ふふ、そう思ってくれるなら、少しは報われるかしらね。ほら、池田君たちも戻ってきたし、休憩室に行きましょ。まだガスは使えるし、温かいコーヒーでも淹れてあげるから」
そうだ。彼女の苦労に報いる為にも、ここは我慢しなくてはいけないのだ。
だからかもめは無理やり笑顔を作る。
「はい、清水さんの淹れてくれるコーヒー凄くおいしいですもんね」
そう言って、歩き出そうとした。
その次の瞬間だった。
ズンッッッ!!と。
巨大な音と共に、彼女達の居たビルが大きく揺れた。
「な、何!?」
「地震か!?でけぇぞ!」
「みんな、その場を動かないで!」
その場にいた全員に、緊張が走る。
ズゥン、ズゥンという音が響く。
それに合わせて、次第に揺れが大きくなってゆく。
「なに、これ……足音?」
「じょ、冗談いうなよ、こんなでけー足音、ある……はず、が……」
もしこれが足音だとすれば、『それ』は一体どれだけ巨大な存在だと言うのか。
居る訳ない。
そんな巨大な何かなど、居るわけがない。
居ないでくれ、居ないでほしい、お願いだから居ないと言ってくれ。
だが、次第に音と揺れが大きくなるにつれて、希望は否定され、不安は確信へと変わってゆく。
「……」
音が、止んだ。
そして彼らの視界に、『ソレ』は映り込んだ。
「ッ―――!?」
突如、ごつごつとした五本の柱が、壁やバリケードを突き破って現れた。
破城鎚?いや、違う。
岩がくっ付いて出来たと思われる柱は、次の瞬間には折れ曲がり、破壊された壁やバリケードの素材を掻きだすように外へと運んでゆく。
空いた大穴から、外の景色が入り込んでくる。
「なっ……!?」
「嘘だろ……?」
「あり得ない……」
そして、彼らは柱の正体を知る。
巨大な柱だと思っていたそれは、もっと巨大な『ソレ』の一部だった。
それは、山のように巨大な岩で出来た巨人だった。
ビルと見間違うほどの巨大な卵型の胴体に、短い脚と長い腕が付いている。
彼らが柱だと思ったのは、それの『指』だったのだ。
岩の巨人は、手に持った壁やバリケードの素材を頭部へと持ってゆく。
すると、がぱぁと頭部に巨大な穴が空いた。
岩の巨人は、空いた穴へと、それらをザラザラと流し込む。
そしてピーナッツでも食べるかのようにボリボリと咀嚼した。
「く、食ってるのか……?」
食事。その光景に、彼らは茫然とするしかなかった。
ごくんと、飲み込んだ後、岩の巨人は再び彼らの方へ手を向けた。
「ッ―――逃げなさい!みんな、早く外へ出るの!」
清水の叫び声が響く。
そこで、彼らはようやく金縛りが解け、動き出した。
「二条さん!早く!」
「は、はい」
清水は二条の手を握り、外へと駆け出す。
幸い、岩の巨人の意識は彼女達に向けられなかった。
走る。走る。走る。
ちらりと後ろを見れば、岩の巨人が彼女たちのいたビルに直接齧りついて、貪っているところだった。
コンクリートで出来ている筈のビルが、まるで豆腐のように脆く形を失ってゆく。
「……何なの……何なのよ、アレ……」
信じられない。
まさか、あれもモンスターだと言うのか。
「う、うあああああああああああ!」
後ろから悲鳴が聞こえた。男性の悲鳴だ。
多分、上の階に引き籠っていた部長たちだろう。
岩の巨人は、部長たちも巻き込んで、ビルを食べ続けている。
(あり得ない、あり得ない、あり得ないあり得ないあり得ないあり得ない)
三日ぶりに外へ出たという感慨も無く、彼女達はただ必死に走った。
「……先輩」
思い浮かぶのは、とある先輩の顔。
ガラガラと音を立てて、彼女達が居たビルが崩壊してゆく。
人の悲鳴と、岩の巨人の咀嚼音だけが耳に響く。
「……和人先輩」
助けて、と。
彼女は心の中で必死に祈る。
この世界は―――地獄はまだ始まったばかりなのだ。




