82.分身
「ワォォォオオオオオオオオオオオンッ!」
叫びながら、ダーク・ウルフが突っ込んでくる。
全身が肥大化したその姿は、狼というよりも、もはや巨大な猪のようだった。
弾丸の様な速度。だがその動きは直線的で、軌道も読みやすい。
―――躱せる。
ダーク・ウルフを躱し、そのまま横へ飛ぶ。
以前の時のように、体のバネを利用した軌道修正も視野に入れて追撃に備えるが杞憂に終わった
ダーク・ウルフはそのまま、俺の横を通り過ぎていった。
「―――あぎゃっ」
断末魔の叫び。
視線を向ければ、軌道上に居た生徒の一人が潰されていた。
一体どれほどの衝撃だったのか、犠牲になった生徒は、ただの肉塊となっていた。
「う、うあああああ!?」
「こ、こっちに来るなああああ!」
ダーク・ウルフはそのまま近くに居た生徒たちへ襲い掛かろうとする。
だが、そこで魔物使いが叫んだ。
「何をやってる!お前の相手は、そこのフードの男だ!他は無視しろ!」
「ゥゥゥ……」
その声を聴き、ダーク・ウルフは俺の方を見る。
濁った瞳が俺を見据える。
ただ……何となく、その瞳は何かを訴えている様にも見えた。
「逃がさねぇよ。アンタは危険すぎるからな」
すると彼女の足元から再びゴブリンやオークたちが現れる。
「他の雑魚共の足止めはコイツらで十分。だが、アンタだけはコイツでないと、仕留めきれる自信がないからな」
モンスターたちが、再び生徒たちに襲い掛かる。
西野君や双子たちの下にもモンスターが向かう。
「ぬお、ねーちゃん、くるぞ!」
「むぅー、じゃまなのだー!」
まあ、向こうは向こうで勝手にやって貰おう。
むしろその方が、邪魔されずにいい。
さて、どうするか……。
目の前に迫るダーク・ウルフを見つめながら、俺は思案する。
最初は勝てるかとも思ったが、今の強化されたダーク・ウルフ相手じゃ、正直厳しいかもしれない……。
傷も治ってるし、あの肥大化した身体じゃ、唯一弱点だった防御の低さもカバーされてるだろう。
……逃げるか?
考えてみれば、奇襲が失敗し、俺たちの存在が露見した時点で、ここに留まるメリットは何もない。
戦うにしても、一旦引いて、体勢を建て直した方がいい。
逃げ切れればそれでよし。
戦うならば、ヒットアンドアウェイの一撃離脱戦法で徐々に疲弊させる。
それがベスト。
だが、問題は、この状況からどうやって逃げ切るかだ。
特にダーク・ウルフの嗅覚は厄介だ。
なら……あの手で行くか。
「モモ!」
「うぉん!」
「あ?……犬?」
近くに隠れていたモモを素早く影に回収し、俺は即座に新たな『忍術』を発動させる。
―――煙遁の術!
次の瞬間、俺を中心に黒い煙が噴き出した。
視界を塗り潰す程の煙が瞬く間に食堂を覆い尽くす。
「なんだこれ!?」
「なにも見えねぇぞ!?」
これが二つ目の忍術。煙遁の術だ。
要は目くらましだな。
これで視覚は封じた。
次だ。
(―――イチノセさんっ)
煙幕の中、イチノセさんを回収する。
視界が無くとも、俺には『索敵』がある。
素早くイチノセさんに近づくと、俺は『分身の術』を発動させる。数は四体。
その分身たちを、イチノセさんの体に擦り付ける。
(ふぇっ!?ちょ、クドウさん、この状況で何を!?)
(良いから、黙って下さい!)
十分にイチノセさんに分身体を密着させた後、コイツらを別方向の場所から脱出させる。
匂いが誤魔化せないなら、『数』で誤魔化せばいい。
イチノセさんの匂いをしっかりと纏わせた状態にすれば、条件は俺たち本体と一緒だ。
最悪五分の一の確率だが、無いよりマシだ。
(ク、クドウさん、これは……!?)
(説明は後で。今は、ここから脱出するのが先決です)
小声でつぶやき、近くの窓を割り、外へ出る。
他の分身たちも同時に別方向から脱出を図る。
その瞬間だった。
食堂の天井から『闇』が噴き出したのだ。
噴水のように噴き出した闇は、蜘蛛の巣のように広がり、瞬く間に学校一帯をドーム状に覆い尽くしてゆく。
「なっ……!?」
マズイ!
すぐに俺も駆けだす。
だが―――間に合わなかった。
僅かな差で、俺たちは再び闇の結界に閉じ込められた。
「くそっ!」
「―――どうやら、間一髪間に合ったみたいだな」
後ろから、声がした。
振り向くと、そこには魔物使いと、ダーク・ウルフが立っていた。
「目くらましとは、小癪な真似してくれるじゃねぇか。それにどうやったか知らねーが、匂いも分散してやがる……いいスキル持ってんじゃねーか」
コイツ……あっさりと、俺たちの逃走手段を封じやがった。
それも完全な力技で。
心の中で舌打ちし、俺は離れたところに居る分身たちを解除する。
逃亡が失敗した以上、MPの無駄使いになるからな。
「へぇ……やっぱ一之瀬も一緒だったか……」
魔物使いはしげしげと俺とイチノセさんを交互に見る。
「久しぶりじゃねーか。こうしてまた会うなんてな」
「っ……」
イチノセさんは答えない。
だが僅かにその肩が震えていた。
「意外だったぜ。お前がまさか相坂と繋がってたなんてな。おかげで、こっちの計画は台無しだ」
あのメールか……。
まあ、あれが引き金になったのは間違いないな。
「でも、あのままだったら、お前はあの二人を殺してただろう?」
口ごもってるイチノセさんに代わり、俺が答える。
「そうだな。俺は、あの場で相坂と西野を殺すつもりだった。コイツを使ってな」
「ゥゥ……グルルル……」
苦しそうに呻り声をあげるダーク・ウルフ。
気にせず、魔物使いは続ける。
「でもよぉ……だからこそ、分からねーんだよなぁ。アイツらが死んじまった方が、お前にとっても都合よかったんじゃねーの、なあ一之瀬?」
「何だと……?」
「おや、フードの人は知らねぇのか?ソイツ昔、相坂に虐められてたんだぜ?」
「ッ……!」
魔物使いの言葉に、イチノセさんが大きく反応した。
苛められてた……?どういう事だ?友達じゃないのか?
「相坂や俺は別のクラスだったけどな。相坂とつるんでた連中が、一之瀬と同じクラスだったんだよ。相坂の指示で、センコーやあの会長にバレないように、影でコソコソずっとそいつを虐めてたらしいぜ。他の連中は、みんな見て見ぬふり。そいつの味方なんて、多分、クラスに誰も居なかったんじゃねーか?」
「……」
「ある日、トイレに行ったんだ。そしたら、ソイツ、汚水ぶっかけられてずぶ濡れになって泣いてたんだよ。殴られたような跡もあったな。ありゃー酷かったね」
何がおかしいのか、魔物使いはケタケタと笑う。
「んで、ソイツは不登校になって、学校も辞めちまった。その後だったかな。ようやく学校側もそれに気付いて、虐めた奴ら全員停学処分になった。勿論、相坂もな」
めでたし、めでたしと言って、魔物使いはパンパンと手を叩く。
なんだよ、そりゃ。
それが本当なら、イチノセさんは何のために……。
今までの行動。
その全てを否定するかのような事実に、俺は愕然となる。
「つーわけでだ、ソイツに、相坂を助ける理由なんてないんだよ。むしろ、憎んでも憎み足りないはずだ。ああ、それとももしかして、本当は俺じゃなくてアイツ狙撃するつもりだったのか?だったら―――」
「―――れ」
「……なに?」
「……黙れ。何も……知らないくせに」
泣きながら、イチノセさんは魔物使いを睨み付けていた。
「何も知らないくせに……お前がリっちゃんを語るなあああああああああああ!!」
叫び声と共に、銃弾が放たれる。
だが、それは途中で止まる。
『闇』が、彼女の銃弾を防ぐ。
「……ふーん、ま、どうでもいいか。どうせ、殺すんだし」
話は終わりだと言わんばかりに、彼女は一歩下がり、代わりにダーク・ウルフが前に出る。
くそ、戦闘は避けられないか……。
ふーふーと荒い息遣いのイチノセさんの背中をさすり、彼女を宥める。
「イチノセさん、落ち着いて下さい」
「……す、すいません」
「俺が前に出ます。イチノセさんはサポートを」
「……はい」
色々と聞きたいことはあるが、それは後回しだ。
今は、この状況を何とかしないと。
足元の影が揺れる。
……駄目だ、モモ。
お前はまだ出て来るな。
魔物使いのモンスターを操る条件が分からない以上、表だってモモやアカの姿を晒させるのは拙い。
だからこそ、食堂でもギリギリまでモモには裏方に徹して貰った。
「……モモ、お前も影から俺の動きをサポートしてくれ」
頷く気配が、影から伝わってくる。
気合を入れ直し、俺は地面を蹴った。
「グォアアッ!」
以前と同じように、ダーク・ウルフの周囲に展開した『闇』が、濁流の様に押し寄せてくる。
二度と同じ手は食うか。
俺はジャンプし、自分の足元に自販機や廃車を取り出す。
即席の足場だ。
それを蹴り、空中を飛ぶかのように立体的に移動する。
「―――出し惜しみは無しだ」
更に『分身の術』を発動。
四体の分身を作り、奴の視界を翻弄する。
「な、分身……!?」
魔物使いが驚いた様な声を上げる。
「グァ……」
ダーク・ウルフも必死に目で追うが、流石にすべての動きを把握できてはいないようだ。
分身の一体が投げた首切り包丁が、奴の体に刺さる。
だが、浅い。軽く体表を傷つけただけだった。
「やっぱり防御力も上ってるのか……」
遠距離での攻撃は効果が薄いか。
いや……ならば、アレだな。
俺は一旦すべての分身を解除し、アイテムボックスから『ソレ』を取り出す。
そして、もう一度分身を作り出し、それぞれにそれを持たせる。
分身体は俺と違ってアイテムボックスは使えないからな。
再び、ダーク・ウルフの周囲を飛び、翻弄する。
―――今だ。
分身体の一体が、隙を見てダーク・ウルフにそれを投げつける。
それはダーク・ウルフの顔に当たり、中の液体が、ダーク・ウルフの顔に飛び散る。
「ッ!?ガァァァアアアアアアア!?」
ダーク・ウルフが悲鳴を上げる。
もがきながら、じたばたとその場を転がる。
「な、何だ!?お前、何をしやがった!?」
その光景に魔物使いも驚いていた。
どうやら、上手くいったようだな、『タバスコ玉』。
オークの時といい、やっぱ嗅覚が優れてる敵には最適だな。
「今だ!分身全員でかかれ!」
一気に分身たちが接近し、ダーク・ウルフを斬りつける。
遠距攻撃が効果が薄いのなら、接近し『急所突き』と『剣術』を使って、直接ダメージを与えるしかない。
その予想は正しかった。
首切り包丁はしっかりとダーク・ウルフに突き刺さり、傷を負わせる。
「グォアアアアアアアアアアアアッ!」
叫びと共に、ダーク・ウルフの周囲の『闇』が分身たちを絡め取る。
その瞬間、俺は分身を解除した。
「グォ……ゥ」
ダーク・ウルフが苦しげに呻き、ゆっくりと立ち上がる。
「なるほどな……」
戦ってみて、はっきり分かった。
今のダーク・ウルフには、以前戦った時の様なキレがない。
魔物使いに操られてる影響か、それとも無理やり肉体を肥大化させた所為かは知らないが、肉体も能力も強くなっている割に、その能力を全然生かしきれていない。
これなら、むしろ俺たちと最初に戦った時の方が強かったくらいだ。
「な、馬鹿な……。どういう事だ、これは」
魔物使いが叫ぶ。
彼女にとっても、この状況は予想外だったのだろう。
俺たちが、予想以上に善戦できている事が。
そして彼女は気付いていないのだろう。
強化した筈のダーク・ウルフ。
その力が、本来の実力を十分に発揮できていない事に。
「……哀れだな」
俺はダーク・ウルフに止めを与えるべく再び分身を作り出す。
MPの残量を考えると、これで最後か。
絶対に仕留める。
「グォ……ォォオオオオオオオオオオ!」
最後の抵抗とばかりに、ダーク・ウルフは足元から『闇』を噴射させる。
だが、それだけだ。
一瞬、最初に戦った時のあの質量攻撃が来るのかと思ったが、杞憂に終わった。
『闇』の噴射は、ヤツの周辺を一瞬だけ覆いつくし、すぐに波は収まった。
そこには横たわるダーク・ウルフの姿が在った。
今の一撃で全ての力を使い尽くしたのだろう。
肥大化した身体はしぼみ、元のサイズへと戻っていた。
「グォォン……」
頭や体を必死に闇で包み込んでいるが、隙間だらけだ。
分身体の刃がダーク・ウルフの体を貫く。
その瞬間、どろりと闇が地面に溶け込むように消え、学校を覆っていた結界も消える。
そして最後に紫色の魔石が転がった。
≪経験値を獲得しました≫
≪経験値が一定に達しました≫
≪クドウ カズトのLVが17から18に上がりました≫
頭の中に天の声が響く。
さて、あとは魔物使いだけか……。
ある意味、ここからが問題だな。




