79.モンスターの軍勢
「―――離れろ六花ッ!」
そう叫んだのは西野君だった。
反射的に、六花ちゃんは後ろに飛ぶ。
次の瞬間、先程まで彼女がいた場所は『闇』に覆われた。
まさに間一髪だった。
ズブズブと食堂内を侵食する『闇』。
他の生徒たちも後ずさりながら、信じられないと言った表情で、広がる闇を見つめる。
「……あーあー、なんでこんな事になっちまうかなぁ……」
その元凶。
闇の中心で、先程まで倒れていた少女―――いや、魔物使いは起き上がる。
その額に、撃たれたはずの『傷』は無かった。
数センチほどの小さな『闇』が広がり、やがてシュルシュルと渦巻いて消える。
そして、弾だけが吐き出され、彼女の手に落ちる。
それを興味深そうに見つめ、
「……だーれが撃ったのかなぁ?俺の知る限り、このガッコに『狙撃』のスキルを持った奴なんて居なかったはずなんだけどよぉ……」
ギロリと、周囲を睨み付ける。
そこには、先程までの、どこか気弱で頼りげのないスポーツ少女の面影は無かった。
放たれる威圧感は、まるでモンスターと相対しているかのような錯覚すら覚える程だ。
「まあ、いいか、どうでも。どの道、全員殺す気だったんだし……ひひ、あひゃひゃひゃひゃ……」
口元は三日月のように裂け、額を押さえ堪えきれないとばかりに狂気に笑う。
とても同じ人物とは思えなかった。
まるで人格が丸ごと入れ替わったんじゃないかと思えるほどの変わり様だ。
「な、何を言ってるんだ、葛木くん……?いったいどうしてしまったんだ!」
少し離れたところから叫ぶのは、インテリ眼鏡の宮本君だ。
彼はまだこの状況が呑み込めていないらしい。
というよりも、殆どの生徒が、これがどういう事なのか理解していない。
ただただ茫然と成り行きを眺めているだけだ。
分かってるのは、俺たちと……西野君ぐらいか。
彼も油断なく、魔物使いを見つめている。
尤も、隣に居る六花ちゃんはまだ状況が呑み込めてないようだけど。
「あ、何がだよ、宮本副会長?」
ギロリと、魔物使いは宮本君を睨み付ける。
それだけで、宮本君は尻もちをついた。
「ヒッ……」
「うわ、だっせ。何、ちょっと睨まれたくらいで、ビビってんだよ。いつもの偉そーな感じはどーしたんですかー?」
小馬鹿にするかのような口調。
闇の上を気軽に歩きながら、彼女はしたしたとインテリ眼鏡君へと近づいてゆく。
なんの構えも無く、無防備だ。
それが逆に不気味で仕方ない。
彼女が歩くたびに、足元の『闇』もそれに合わせるかのように広がる。
「く、来るな!」
「しょーじき、アンタにはもう少し期待してたんだけどなー。あの五十嵐会長の腹心なんだし、もう少し頭も働くと思ってたんだけど……ただの腰巾着かよ」
失望したように彼女は、宮本君から視線を外す。
次に彼女は西野君の方を見た。
「やっぱ、テメェの方が面倒臭そうだな。えぇ、西野君よー」
「……それが君の本性か、葛木さん?」
「本性っーか、俺は元々これが素なんだよ。ただ……ああしてた方が、何かと都合良いじゃんか。ほら、男子って、ああいう気弱くて守ってあげたい系の女子に弱いじゃん。健気にレベル上げしちゃって、皆の為にがんばるんですーみたいな。あっひゃっひゃっひゃ」
何がおかしいのか、彼女は口元を押さえて笑う。
だが、不意にその顔から笑みが消えた。
「……ずっと隠し通して生きていくつもりだったんだ。我慢して、我慢して、ずーっと自分を押し殺して、そうやって生きていくもんだって、そう思ってたんだ……」
でも、と彼女は言う。
両手を広げ、割れんばかりの笑顔を浮かべて、
「世界は変わったんだよ!見ろよ西野!この世界を!モンスターがあふれ、死が溢れ、レベルやスキルなんてゲームみたいな概念まであって!これでどうして、今まで通りの自分でいられる?我慢する必要がある?好きなように!生きたいように生きれる!自分を偽る必要なんてまるでない!何にも縛られない!それまでのしがらみも権力も関係ない!他人がどーなろうと知ったこっちゃない!自分勝手に好きに生きた者勝ちじゃねーか!そうだろ、あっひゃっひゃっひゃっひゃ」
心底楽しそうに、彼女は主張する。
それに答えたのは、西野君ではなく離れたところに居る宮本君だった。
「ば、馬鹿な!何を言ってるんだ、葛木君!僕らが今、どれだけ危機的な状況に居ると思っているんだ!君がそんなバカげた考えを持っていただなんて……!」
失望したとばかりに、彼は嘆く。
その姿を、彼女は実につまらなさそうに見つめる。
「あっそ。勝手に失望してろ、腰巾着」
パチン、と。
彼女は指を鳴らす。
ズズズズと、闇が波打った。
闇の中から這い出てくるようにモンスターが現れる。
「ギギィ……」
それは虚ろな目をしたゴブリンだった。
「モンスターを操る魔物使いが居る―――ってとこまでは正解だ。でもよぉ」
にやりと、彼女は嗤う。
闇がさらに広がり、何かが蠢く。
二体目のゴブリンが、闇から這い出てくる。
更に、その隣からはオークが、ゾンビが次々と姿を現した。
「その数までは、予想してなかったようだな」
驚愕に染まる生徒たち。
かくいう、俺もその光景に目を奪われていた。
魔物使いが複数のモンスターを使役しているかもしれないとは、俺も予想していた。
でも……これはその想像を遥かに超えていた。
ざっと見ただけでも五十体以上のモンスターが居る。
その種類も多種多様。
ホブ・ゴブリンやシャドウ・ウルフまで混じっているではないか。
どう猛に笑いながら、彼女は手を振り上げる。
「―――殺れ、モンスター共。どいつもこいつも皆殺しにしろ。全員、ぜーんぶ経験値に変えちまえ!」
号令と共に、モンスターたちの行進が始まった。
武器を構え、牙をむき出しに、生徒たちに襲い掛かった。
「う、うわああああああああ!」「に、逃げろ!」
「敵いっこねーよ、こんな数!」「助けて、誰か助けてくれええええええ!」
「な、何をしているんだ!君たちは!戦え!戦うんだ!」
必死に宮本君がみんなが逃げるのを止めようとするが、大して効果が無い。
生徒たちは、軽い恐慌状態に陥っていた。
圧倒的なモンスターの軍勢。
その光景に、彼らの心は既に飲み込まれてしまっていたのだ。
そんな彼らに、モンスターたちは容赦なく襲い掛かる。
「ッ!六花、窓を割れ!」
「りょーかい!」
六花ちゃんは持っていた鉈で、近くの窓ガラスをたたき割る。
流石にこの軍勢状況は、西野君もどうにもできないと悟ったのか、即座に逃げを選択したようだ。
「おいおい、逃げんのかよ。もっとゆっくりしていこーぜ!」
バッ!と彼女は手を上げる。
次の瞬間、凄まじい速さで足元の『闇』が移動し、網目状に窓ガラスを覆ってゆく。
「なッ!?」
既の所で、二人は体を捻り、『闇』から逃れる。
だが、同じように窓から逃げようとしていた男子生徒の一人が『闇』に捕まった。
「な、なんだこれ、全然動けな……ッ!?」
逃げようと必死に抵抗するが、動けば動くほど、まるで蜘蛛の糸のように細い闇が体へと絡みついてゆく。
そこへ一体のオークが近づいてゆく。
「や、やめ―――ぎゃあああああああ!」
闇に絡め取られ自由を奪われた男子生徒に成す術はない。
鈍い音が鳴り、血塗れになって倒れた。
その様子を、魔物使いは楽しげに見つめている。
「言ったろ、逃がさねーって」
「葛木……!」
西野君と六花ちゃんは武器を構え、彼女を睨み付ける。
それでも、彼女の表情は変わらない。
「いいねェ、その顔、ゾクゾクするぜ……!だが、お前らの相手は俺じゃねーよ」
ズズズと再び、足元に闇が広がり、三体のオークが現れる。
まだ居たのか……。
「六花……」
「わーってるよ!」
オークたちが襲い掛かるのと同時に、西野君たちも動く。
戦いが始まった。
「さて、と―――」
そろそろ俺たちも動くべきだな。
あっちこっちで戦闘が繰り広げられてる乱戦状態。
これなら、俺たちが多少動いたところで、ばれる事はないだろう。
どのみち、あの蜘蛛の巣のように展開する『闇』をどうにかしない限り、俺たちもここから脱出できないのだし。
「アカ、頼む」
「……(ふるふる)」
俺が頼むと、服に擬態したアカの一部が分裂し、オークの包丁へと変わる。
「イチノセさんはここで援護射撃をお願いします」
こくりとイチノセさんは頷き、銃を構える。
「よし、モモ……出るぞ」
「わんっ」
これだけの数のモンスターだ。
そっちがその気なら、こっちも大量の経験値を稼がせてもらうとしよう。
フードを目深に被り、俺とモモはモンスターの群れへと駆け出した。




