254.VS先遣隊 炎帝グレン その3
シュヴァルツは軽やかに地面を蹴る。
その瞬間、大気が割れた。音速を超える速度。
一瞬のうちにシュヴァルツはグレンに接近する。
「なっ――!?」
グレンは反応できなかった。
全身を炎と化し、全力の状態になって尚、今のシュヴァルツの速度は彼の想像を超えていたのだ。
『ガルォォオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!』
シュヴァルツの足元から闇が溢れ出す。
いや、足元だけではない。全身からどろりと、泥が這うように悍ましい闇が大量に溢れ出した。
それらの闇は、形を変え、爪や牙、様々な武器へと変化しグレンへ襲い掛かる。
全方位からの攻撃。しかもその全てが必殺と呼べる威力。
「ぐぉ……ぉぉおおおおおおおおおおおおっ!」
その全てをグレンは炎で迎え撃つ。
とはいえ、全身を燃やし、炎そのものとなったグレンであっても、今のシュヴァルツの攻撃は凄まじかった。全てを相殺する事は出来ず、その体に闇の牙が喰い込む。
「ちっ」
出血はなく、直ぐに傷は塞がった。
だがその僅かな異変をシュヴァルツは見逃さなかった。
『成程ナ、肉体ヲ修復スレバスル程、炎ハ弱クナルヨウダナッ!』
「ッ――」
シュヴァルツの予想は当たっていた。
今のグレンは全身が炎の塊だ。頭を潰されても、心臓を貫かれても致命傷には至らない。
その代わりに、再生すればするほどに炎の力は弱くなってゆく。
破壊と再生の両方の性質を持つ炎。
それが『炎帝』グレンだ。
『我ト眷属ノ合ワサッタチカラト貴様ノ炎! ドチラガ上カ試シテミヨウゾ!』
「ちっ、面倒くせぇなぁ!」
闇が破壊し、炎が燃やし尽くす。
破壊と破壊のぶつかり合い。
頂点に立つ一人と一匹の攻防は国家同士の戦争にも匹敵する程の規模へと膨らんでゆく。
「ちょっ――狼王様……ま、待って――」
当然、その影響は周囲にも波及する。
シュヴァルツの闇によって全身をラバースーツのように守られている十香であっても、巻き込まれないように逃げまどうのがやっと。
とてもではないがサポートなど出来るわけがない。
「無理、無理、無理です! さやかさん! 早く私も闇の中に避難させて――きゃあああああああああああああ――……」
一際激しい爆発が起こり、十香は紙切れのように吹き飛んだ。
ちなみにシュヴァルツの眷属たちは全員さっさと闇の中に避難済みだ。
というよりも、シュヴァルツに力を受け渡した際、全員が疲労困憊状態になったので、さやかが素早く闇の中へ回収したのだ。
なまじ戦力として優秀だったが故に、十香は離脱の機会を逸してしまったのである。
遥か彼方へ吹き飛んだため、もうこれ以上巻き込まれる心配はなさそうなのが不幸中の幸いと言うべきか。
『グォォオオオオオオオオオオ!』
「おらぁあああああああああああああ!」
吹き飛んだ十香の事など構うことなく一人と一匹の戦いは激しさを増す。
しかし徐々に、だが確実にその優劣が浮き彫りになる。
シュヴァルツの闇が、少しずつグレンの炎を侵食していった。
――このままでは負ける。
グレンはそう確信した。
「ちっ……これは温存しておきたかったがしかたねぇか……」
グレンは両手を合わせる。
「――『炎帝領域』」
その瞬間、周囲の空間が巨大な炎の膜に覆われた。
遠目から見れば、それは光り輝く小型の太陽のようだ。
『ホウ……領域スキルカ』
最上級職や六王のような特別な力を持つ者しか取得することが出来ない最強のスキル。
その効果はカズトの『落日領域』やリベルの『神聖領域』のような、自分に有利な戦場を作りだすこと。
「俺の領域の効果はシンプルだぜ。火力が増す。攻撃力が上がる。全てを灰になるまで燃やし尽くす。闇だろうが魂だろうが、全てを燃やし尽くす」
『面白イ、ヤッテミロ!』
グレンが領域を展開した瞬間、シュヴァルツの体から闇が徐々に消え始めていた。
グレンの言う通り、彼の炎が闇すらも焼き尽くしているのである。
それでもお構いなしに、シュヴァルツは攻撃を続行する。
闇による攻撃も、グレンの炎によって発生した瞬間から燃やされる為、より強く、より威力を増して放つ。
「あああああああああっ!」
対するグレンの攻撃もひたすらにシンプルだ。
殴る、蹴る、斬りつける。
ただそれだけの単純な攻撃が、必殺の一撃となる。
炎の拳によって、シュヴァルツの脇腹が抉れる。
闇の牙によって、グレンの足が消し飛ぶ。
シュヴァルツの前脚が、牙が、尾が、左目が。
グレンの腕が、腹が、心臓が、頭が。
闇と炎の激突で消し飛んでは再生し、それを何度も繰り返す。
グレンの『炎帝領域』とシュヴァルツの眷属による超絶強化。
双方の力は全くの互角だった。
だが、
「――勝つのは俺だ」
『……』
シュヴァルツの闇も、グレンの炎も、破壊と再生を繰り返しているが、僅かにグレンの方が再生に関しては分があった。
攻撃が互角ならば、あとは再生力がモノを言う。
グレンは戦いの中で、己の再生力がシュヴァルツを上回っていると確信した。
『ソウダナ……残念ダ』
「は……?」
だからこそ、グレンにはシュヴァルツの言葉が理解出来なかった。
残念? 何が?
眷属たちの力を合わせても自分が負けることが残念なのか?
それとも、何か別の――?
次の瞬間、巨大な爆発音が領域内に響き渡った。
「これは……?」
領域内の爆発ではない。
もっと離れた場所で起きた爆音がここまで鳴り響いて来たのだ。
そしてこれ程の爆発音を引き起こすスキルを、グレンは一つしか知らない。
「自爆心中の術……」
そう、彼の仲間――忍神シュリの超級忍術による爆発だ。
シュリの自爆は、瞬間的ながら、グレンの火力すら上回るほどの攻撃力を誇る。
それが使われた意味を、彼は即座に理解した。
「それにこの気配……そうか、そう言う事かよ」
グレンは大きくため息を吐いた。
シュヴァルツが残念だと言った理由がようやく理解出来た。
次の瞬間――ズドンッ! と、グレンの腹に風穴があいた。
「が……は……」
貫かれた腹は再生しなかった。
空いた穴にはどろりとした、赤黒い粘液のようなモノで覆われていた。
それがグレンの炎による再生を防いでいる。シュヴァルツの闇でも不可能な所業。
こんな事が出来るのは、彼の知る限り一人しかいない。
「あー、成程……。シュリの方にリベル様が向かってたから、もしかしたらと思ったけど、やっぱりかよ……」
後ろを向くと、そこにはバスケットボールほどの大きさのスライムが居た。
『炎帝領域』内で尚、透き通るような美しい赤色のスライムだった。
「……お久しぶりですね、海王シュラム様……」
『久しいな、グレン』
そう、シュヴァルツが残念がっていた理由はこれだ。
海王シュラムによる介入。
互いに互角の戦いであれば、そこにもう一体六王クラスの者が加われば、一気に形勢は傾く。
リベルがカズトの方へ援軍へ駆けつけたのとほぼ同時に、シュヴァルツの方にも海王シュラムが援軍として向かったのである。
「誤算でしたよ……。貴方があのレベルの結界を張っても動けたなんて」
『貴様らが知っているのはあの世界に居た時の我の力だ。あいにくと、この世界に来てから、我も成長した。後継の育成に力を割いて尚、これ程の力を扱えるとは思わなんだ』
「はは、クソ真面目な方ですね……。そんな性格で、なんであのリベル様と仲がいいのかさっぱり分かりません」
『ふむ、それは我も同意だな』
「いや、真面目に返さないで下さいよ……がはっ」
だんだんと炎の力が弱まっている。
どうやらシュラムからくらった攻撃は、再生を阻害するだけでなく、グレンの炎そのものも弱める力があるらしい。
シュヴァルツとの戦いに集中し過ぎた結果、彼はまんまと不意打ちを食らったのだ。
ちらりと、グレンはシュヴァルツの方を見る。
「悪いな、狼王。どうやらこれで決着らしい」
『……フン、何トモツマラヌ幕引キダナ』
「そう言うなよ。面倒だったが、俺はこれでも――あ?」
不意に、グレンは首を傾げた。
自分の体の異変に気付いたからだ。
――炎が強くなっている。
死にかけている筈なのに、己の中に在る炎がどんどんと熱を帯びているのを感じたのだ。
こんなのおかしい。あり得ない。
まるで卵の殻を破る様に、己の肉体がひび割れ、光が溢れてゆく。
「な、なんだよ、これ……?」
『ヌ……?』
『これは、まさか――』
その異変に、シュラムやシュヴァルツも気付いたらしい。
グレンの光はどんどん強くなる。
それが何を意味するのか、シュヴァルツとシュラムは即座に理解した。
『狼王の! 今すぐ奴を闇で覆い尽くせ!』
『ッ――!』
『あれは危険だ! 結界に力を割いている今の我ではアレを防ぎきる事は出来ん! お前の闇で奴の体を覆い尽くせ! そして少しでも距離を取るのだ!』
シュヴァルツは即座に闇でグレンを覆い、その場から離脱しようとした。
だが距離を取ろうとした二体をグレンの『炎帝領域』の膜が阻んだのである。
『なっ、出れないだと……?』
『ヌゥ……』
あり得ない事態だ。
グレンの『炎帝領域』は彼の言う通り、領域内での彼の力を底上げするだけのものでしかない。今のように、他者を外に出さない結界のような効果は無い筈なのだ。
「……そうか、そう言う事かよ。俺が領域スキルを使ったら、最初からこうするつもりだったのか。俺とシュリを最初に結界の外に出したのも、これを狙って……」
己の体に起こる異変を、グレンはようやく理解した。
誰がこの異常事態を引き起こしたのか。その目的も。
全身がひび割れ、溢れ出す光はシュヴァルツの闇を一瞬で消し去ってしまった。
「あ、ぁぁ……がぁぁぁああああああああああああああああああああああっ!」
絶叫と共に――巨大な爆発が周囲を覆い尽くした。




