210.親子
ハイ・オークとの戦闘を終えた後、俺はキャンプ場を走っていた。
場内を徘徊しているモンスターは殆どがゴブリン、オーク、シャドウ・ウルフだ。
今の俺ならこの程度、障害にすらならない。
アイテムボックスの質量攻撃で圧殺して進む。
少し先に相葉さんとリベルさんの姿が見えた。
どうやら二人とも無事のようだ。
その周囲では巨大な火柱が上がり、次々にモンスターを焼き払っている。
「二人とも無事だったんですね」
駆け寄ると、二人もこちらに気付いたようだ。
「ええ、こっちも今しがた向こうの馬鹿どもに宣戦布告してやったところよ」
「向こう……?」
「詳しいことは後で話すわ。とりあえず、今は残りのモンスターを殲滅するわよ」
「あ、ちょっと待――」
俺の言葉も待たず、リベルさんはドでかい光の剣を片手に、モンスターの居る方へ突っ込んでいった。
あれは彼女の持つ固有スキル『神威』だろうか?
スキルを封じるだけじゃなく、普通に攻撃にも使えるんだな。
残された相葉さんの方を見る。
「相葉さん、大丈夫ですか? 立てますか?」
「ええ、大丈夫……です」
相葉さんは大分疲れた顔をしていた。
「スキルの暴走はもう大丈夫なのですか?」
「……ええ。彼女が『神威』で私の『再現』の力を抑えてくれましたから」
相葉さんはそう言って己の胸をさする。
それはつまり少なくともこれ以上モンスターが再現されることはないってことか。
「本来、彼女の『神威』はスキルの使用を完全に封じる技です。私のスキルが暴走した時点で使用していれば、これだけのモンスターがあふれることもなかったでしょうに……」
確かにそれは俺も思っていた。
でももし仮に相葉さんのスキルを完全に封じてしまえば、これまで『再現』された人々も消し去ってしまう。
そう、五所川原さんの娘さんや奥さんもだ。
だからこそリベルさんはスキルの使用を躊躇ったのだろう。
「そうならないように、スキルの出力を調節するのに時間がかかったのでしょうね……。借りを返すつもりがまた借りを作ってしまったようです……」
相葉さんは立ち上がる。
「皐月さんや他の皆さんは?」
「……おそらく緊急用の避難所へ向かっているはずです。私たちもそちらへ向かいましょう。……手を貸してもらえますか?」
「勿論です。あ、先に場所を教えてもらえますか?」
俺は相葉さんから教えてもらった場所をすぐに『メール』に打ち込んで送信した。
……この距離だと、避難所までは俺たちより『彼ら』の方が近そうだな。
俺たちは避難所へと急いだ。
一方その頃、五所川原皐月は仲間と共に林の中を走っていた。
モンスターとの戦闘を出来るだけ避けて、逃走に徹する。
そのおかげで今のところ、被害は最小限に抑えられていた。
「ハァ……ハァ……」
だがもう限界に近い。
息も上がり、走る体力も残り僅かだ。
「さ、皐月ちゃん……ごめんなさい、お母さんもう……限界……」
「あっ……」
皐月の後ろを走っていた女性が地面に倒れこむ。
五所川原緑――彼女の母親だ。
モンスターに傷つけられてダメージを負ったわけじゃない。
単にスタミナが切れて息切れを起こしただけだ。
「お母さん! 頑張って! もう少しだから!」
「ハァ……ハァ……ご、ごめんなさい……でも、もう……」
本当に体力の限界なのだろう。
声を上げるのすら辛そうだ。
彼女の母――緑が選んだ職業は『料理人』だ。
戦闘面では役に立たないが、食材の鮮度保持や味や栄養価の向上など、生活面では欠かすことのできない存在だった。
だが反面、ステータスは皐月たち戦闘職に比べてはるかに劣る、
こういった場面では、誰よりも早く体力が尽きるのは明白だった。
「ッ……俺が背負う! 皆は先へ行け!」
チャラ男が緑を背負って走る。
だが人ひとり抱えて逃げ切れるほど、モンスターたちは甘くない。
シュルリ、と何かが彼の足を絡み取った。
「ッ……!? な、なんだこりゃ……?」
見れば、それは植物の蔦だった。
運悪く茂みに足を突っ込んでしまったのだろう。
そう思い、無理やり引きちぎろうとするが、蔦は全く千切れなかった。
それどこかより強く彼の足を絡めとったのだ。
「な、なんだこれ……? 足が締め付けられて――まさかッ」
ここにきて、ようやく彼はこの蔦がただの植物ではない事に気付いた。
すぐそばを走っていた皐月も異変に気付く。
「どうしたの?」
「皐月! こっちに来るな! 植物系のモンスターだ! 足を絡めとられた!」
「なんですって!?」
皐月は驚愕する。
モンスターの気配が一切しなかった。
今もチャラ男に絡みつくあの蔦からはモンスターの気配を感じない。
でもどう見てもあの動きは普通の植物ではありえない。
「リュックにナイフがあるわ! 今取り出して――きゃっ!?」
リュックからナイフを取り出そうとした瞬間、彼女は盛大に尻餅をついた。
派手にリュックの中身が散乱する。
見れば彼女の足にも蔦が絡みついていた。
「なによ、これ……ほどけない? ぐっ……」
蔦は思っていたよりも遥かに強い力で、彼女を締め付けてきた。
瞬く間に全身に絡みつかれ身動きが取れなくなる。
『~~~ッッ』
「え……?」
今の怪音は何だ?
不意に、少し離れた場所にある木が震えたように見えた。
真っ赤な花を咲かせた大きな樹木。
普段は全く気にならないはずなのに、何故か今はその木がひどく不気味に思えた。
「おい、どうした?」
「五所川原達の様子がおかしいぞ?」
「大丈夫か?」
他の者たちも異変に気付き始める。
マズい、と皐月は思った。
「みんな! こっちに来ちゃ駄目! この蔦は一度拘束されると抜け出せないの! 捕まると地中に引きずり込まれて――……あれ?」
そこでふと、皐月の脳裏に疑問が浮かぶ。
拘束されると抜け出せない?
地中に引きずり込まれる?
このモンスターを見たのは初めてなのに、どうして自分はそんなことを知っているのだ?
「え……? あれ……?」
分からない。
でも考えようとすると、頭が痛くなる。
『――』
『――げて……』
何かが。
何かが脳裏にフラッシュバックする。
『――ないで! 今、助け――』
『早く――逃げ――』
それは誰かが誰かを助けようとしている光景だった。
これは……記憶?
でも、誰の?
その光景は徐々に鮮明に、彼女の脳裏に蘇ってゆく。
『――お母さん諦めないで! 今、助けるから!』
『駄目! 私のことはいいから、皐月ちゃんは早く逃げて!』
『嫌よ! お母さんだけ見捨てて逃げるなんて出来るわけない!絶対に!絶対に助けて見せるから!』
そして彼女ははっきりと見た。
巨大な蔦に全身を絡み取られた女性と、それを助けようとする一人の少女の姿が。
それは紛れもない自分と母親の姿だった。
「――ぁ」
その瞬間、皐月の脳裏に失われていた記憶が蘇った。
濁流のように押し寄せてくる記憶の波に、彼女の意識は呑み込まれそうになる。
「……そうだ、私……喰われて……」
皐月は必死に意識を繋いだ。
だが、それが却って彼女を苦しめることになる。
絡みつく蔦が、締め付ける痛みが、目の前でチャラ男と共に囚われる母の姿が。
目の前の光景が、あの時と重なる。
「あ……あぁ、あ……」
記憶は次々と彼女の脳に刻み込まれ、傷跡を甦らせる。
あの時、突如現れた巨大な植物のモンスターに襲われ、自分と母は喰われた。
全身に根が絡みつき、雑巾のように体をねじ切られ、凄まじい激痛が襲い掛かって――
「ぁ……あぁ……ァァぁ、いや……いやアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
死を自覚した瞬間、彼女の体に変化が訪れた。
全身から血が噴き出し、腕や足があり得ない方向へ曲がってゆく。
肉体が、記憶が、当時の状況を『再現』しようとしているのだ。
――痛い、痛い、痛い。
激痛が、彼女の全身を襲う。
同時にどんどん記憶が溢れてくる。
(そう、だ……私、どうして忘れてたんだろう……?)
死に際の記憶、それは後悔だった。
世界がこうなる前の日、彼女は父と口喧嘩をした。
理由は大したことじゃない。
新しく買って貰ったスマホの色が気に入らなかっただけ。
彼女のスマホの色は父とお揃いのカラーで、それをクラスメイトに話したらからかわれたのだ。
それに腹が立ち、その矛先を父に向けた。
どうして他の色のスマホを買ってくれなかったのか。
高校生にもなって父とお揃いなんてダサくて、キモくて最悪だ。
そう――父を罵った。
『そうか……ごめんね。じゃあ、明日また新しいのを買いに行こうか』
父はとても悲しそうな顔をして帰って行った。
久々に有休をとって隣町に居る自分たちに会いに来てくれたのに、あんまりじゃないかと母に怒られた。
そんなことは分かっている。
言った後で、彼女も後悔した。
悪いのは自分なのに、父は何も悪くないのに。
……明日、ちゃんと謝ろう。
スマホは買い替えなくていいと、父に言おう。
そう、心に決めたはずだった。
でも、その望みが叶う事はなかった。
次の日、世界は変わった。
町にはモンスターがあふれ、彼女は母親と一緒に必死に逃げた。
逃げて、逃げて、逃げて――最後の最後にペオニーに捕まって、喰われた。
「ごめん……なさい、お母さん」
守れなくてごめんなさい。
「ごめんなさい……お父さん……」
ちゃんと謝れなくて、ごめんなさい。
意識が沈んでゆく。
暗く、冷たい海の底に居るような感覚。
『――……』
何も見えない。
何も聞こえない。
これが『死』なのだろうか?
『――……めだ。戻って――』
……なんだろう?
今、誰かの声が聞こえた気がした。
それはひどく安心する声だった。
(なんだろう……凄く、温かいな……)
冷たく冷え切った体の一部がとても暖かい。
手の部分が温かい。
誰かが、自分の手を握りしめている。
「――てこいっ! 戻ってくるんだ! 皐月!」
そうだ。
その声は、いつだって優しく、自分の心を温めてくれた。
その手は、いつだって大きく、自分の頭をなでてくれた。
暗闇が晴れる。
目を開けると、そこには会いたくて堪らなかった人がいた。
「……お父……さん?」
「ああ、そうだ。会いたかったよ、皐月」
大好きな、大好きな父の姿。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃのひどい顔だった。
「どう、して……?」
どうしてここに居るのだろう?
どうして自分はまだ生きているのだろう?
お母さんは、他の皆はどうなったのだろう?
様々な疑問が浮かんでくる。
「大丈夫だよ。クドウくんが残してくれた座標がこの近くにあったんだ。一之瀬ちゃんとモモちゃんのおかげで、すぐここに駆け付けることが出来たんだよ」
「……?」
言ってる意味は分からなかったが、少なくとももう危険はないのだという事だけは分かった。
だってあれほど多かったモンスターの気配がもう一つもしないのだ。
代わりに人の気配がすごく多くなってる。
視線を少しだけ移すと、そこには銃を持った自衛隊や、鉈を振り回す少女、それを指揮する凄くイケメンの高校生の姿があった。
母もチャラ男も、みんな無事だ。
「あ……ぅ……」
口が痛い。
喋ろうとすると、全身に激痛が走る。
「大丈夫だ、無理して喋らなくていいよ」
「ぁ……め」
無理をしなくていいと言われて嬉しかった。
でも、どうしても言わなきゃいけなかった。
「お父、さん……ごめんなさい。あの日、嫌な事……言っちゃってごめんなさい。本当は凄く嬉しかったの……。お父さんとお揃いのスマホ……でも、友達にからかわれちゃって……それで、つい心にもない事言っちゃった……。ごめんなさい、本当にごめんなさい」
「……いいんだ。そんな事、お父さんは気にしてないよ」
ぎゅっと抱きしめられると、父の温もりが伝わってくる。
ああ、とても温かい。
「おどうざん……会いたかった」
「私も会いたかったよ……皐月」
この日、ようやく五所川原は家族と再会することが出来たのだった。




