202.メタルリザード
先程のソラの息吹で、ここら一帯に居たモンスターの気配は軒並み遠ざかってしまった。
さて困ったぞ。振り出しに戻ってしまった。
まあ、今の俺やソラの飛行速度なら、追いかけるのなんて大して手間にはならないけど――
「……なあ、ソラ。いい加減機嫌直せよ」
『……何ノ事ダ? 我ハ別ニ怒ッテナドオラン』
「じゃあ、早く俺たちを乗せて飛んでくれないかな?」
『断ル。我ハ疲レタ。シバラク休ム』
フンッと鼻息荒く、ソラは体を丸めて地面に寝そべっていた。時折、ぺちん、ぺちんと尻尾を近くの木に叩きつけている。
完全に不貞腐れてるよ、この竜。
いや、確かに俺も言葉足らずだったのは認めるけどさ、そこはほら、もうちょいお互いに反省して歩み寄るべきなんじゃないかなーって思うんですけど。
てか、お前ここ最近、キャラ変わりすぎだろ。
出会った当初のあの威厳はどこにいったんだよ。
「完全に拗ねっちゃってますねー。クドウさん、どうするんですか、これ?」
「どうしましょうかねー……」
クレーターの中心で拾ったゴブリンの魔石(大)を手の中で弄びながら、どうやってソラのご機嫌を直そうか考える。
うーん、あまりこの手段は使いたくなかったけど仕方ないか。
俺はフードを揺すって、中で眠るシロを起こした。
『んー……? どしたの、カズトー? ごはん?』
「いや、ここ出る前に干し草いっぱい食べただろ……」
『カズトの手から美味しそうな匂いがするー』
おい、話を聞けよ。
シロはすんすんとフードから首だけ出して、ゴブリンの魔石の匂いを嗅ごうとする。
「これが食べたいのか?」
『うんっ、それすっごく美味しそー』
「……じゃあ、これ上げるから、お前の母さん説得するの手伝ってくんない?」
『……? 良く分かんないけど、いーよ?』
シロは差し出された魔石を両手を使ってリスみたいに齧りながら、「おかーさーん」とソラの方へと飛んでゆく。
「……くぅーん」
「あ、ゴメンなモモ。次に手に入れた魔石はお前に上げるから」
「わふん」
魔石が食べれなくてちょっと残念そうな声を上げるモモだが、俺が声をかけるとだいじょうぶーと体を擦りつけてきた。
シロは後輩なんだし、モモは先輩! だから問題ないの! と言ってるらしい。
先輩ぶるモモ可愛い。うん、モフモフしよう。
『おかーしゃん、カズト困らせちゃ“めっ”だよー』
『ヌッ!? シ、シロちゃん。何デ、カズトの味方ヲ……』
『“めっ”だよ、めー! 仲良くしなきゃめーなのっ』
『ヌ……グヌヌ。カズト、貴様ァ……子供ヲ引き合イニ出スナド、ソレデモ我ガ認メタ人族ノ戦士カ! 恥を知レ!』
「いや、そっちこそ、いじけて子供に説得されて悔しがるなんて、親として恥を知れよ」
『グヌ、グヌヌヌ……!』
無茶苦茶悔しそうな表情を浮かべたソラは再び俺たちを乗せて、飛び立ってくれた。
グッジョブ、シロ。
さて、それじゃあ逃げたモンスターを追うか。
索敵に引っ掛かったモンスターの中で一体だけ、妙に強い気配があった。
それもソラのブレスに驚いて逃げたモンスターじゃない。
ソラがブレスを撃つ前に、この周辺から離れたモンスターだ。
ソイツを追いかけるとしよう。
「ハァ……ハァ……ッ」
――どうしてこうなったのだろう?
息を切らしながら彼女は必死に走っていた。
若い女性だ。茶色い髪に、整った容姿。化粧などせずとも十分に美人といえるその顔には恐怖と怯えの色だけが張り付いていた。
(痛い……息が苦しい……)
足場の悪い山道だ。何度も転んだのだろう。
着ている服は泥で汚れ、所々血が滲んでいる。
それでも彼女は走るのを止めない。
何故なら、少しでも動きを止めれば、即座に『アレ』に食い殺されるからだ。
「ハァ……ハァ……嫌、死にたくない……死にたくない」
「シャアアアアアアアアアアッッ」
彼女を追いかけるモンスター。
その姿を一言で言い表すなら巨大な金属の蜥蜴だった。
体長だけでも三メートル近くあり、尻尾の先まで合わせれば優に五メートルは越えるだろう。
人など軽く丸呑みできるほどの巨大な口に、鋭い牙。
そしてその全身は光沢のある金属の鱗で覆われていた。
――メタルリザード。
爬虫類独特の軽いしなやかな動きと、堅牢な金属の鱗を併せ持つこのモンスターはオークやゴブリンとは比べ物にならない強さを誇っていた。
背後から感じる濃密な死の気配。
それを肌で感じながら、彼女は必死に走り続けた。
(さっきの爆発といい何なのよぉ……)
今日はツいてると思った。
探索中、誰も居ない民家を見つけ、中を探索すると手つかずの食料や日用品が大量に残されていたのだ。
拠点に残された食料は残りわずかだった。これだけあれば数日は食い繋げるだろう。
彼女はその恵みに感謝した。
とはいえ、やってる事は完全に火事場泥棒だし、当然ながら良心は痛んだが、それでも拠点で待つ母や仲間の事を思えば割り切る事が出来た。
万が一、家主が帰ってきた時の為に『ごめんなさい』と書置きを残し、リュックに食料や薬などを詰めるだけ詰めて家を出た。残りは仲間と共にもう一度ここへ来ればいい。もしその時、家主が戻って来ていれば仲間と共に謝罪しよう。
そう思いながら、帰路についている途中で、謎の爆発が起こった。
(い、一体何が――ッ!?)
爆音ははるか遠くから聞こえたが、その余りの轟音とキノコ雲に彼女は思わず心臓が止まるかと思った。
爆発のした方を向き、そして彼女は驚愕する。
彼女の職業は『盗賊』だ。
職業スキルとして『視覚強化』を持つ彼女には、その爆発を引き起こした元凶が誰なのかすぐに分かった。
(ド、ドラゴン……!? 嘘、冗談でしょ?)
流石に距離が離れているので細部はぼやけているが、それでもアレは間違いなく竜だ。
離れた場所からでも感じる圧倒的な存在感。
肌が焼けつくような強者の気配。
ありえない。
あんな存在が現れるなんて。
(い、急いで皆に知らせないと……!)
恐怖で竦む体を必死に奮い立たせ、彼女は走った。
だが、
「ッ……!?」
「シュルルルル……」
その道中、彼女はメタルリザードと遭遇した。
そこからは命を懸けた追いかけっこの始まりだった。
(もう少し……。あともうちょっと……)
もう少しで森を抜ける。
そうすればすぐに拠点がある。
あそこなら安全だし、仲間が待機している筈だ。
そう思うと、一瞬気が緩んだ。
それがいけなかった。
「あっ……」
木の根に躓き、彼女は体勢を崩した。
何度も地面を転がり、仰向けに倒れる。
暗い影が体を覆う。『死』が自分を覗き込んでいた。
「シュルルル……」
「嫌……止めて……」
ようやく追いついた獲物に、歓喜するメタルリザード。
大きな口を開け、彼女に喰らい付こうとした――次の瞬間だった。
「――わんっ」
犬の鳴き声が聞こえた気がした。
次の瞬間、周囲から黒い何かが這いずり、メタル・リザードの全身に巻き付いたのである。
「ッ!? ジュラ……シャァアアア……?」
黒い何かは粘液のように全身に絡みつき、あっという間にメタルリザードの自由を奪う。
訳も分からず混乱するメタルリザードだったが、すぐに抵抗を試みた。
だが黒い何かは抵抗すればするほどトリモチのように強く絡みつき、その全身を締め上げた。
「な、なんなのよ、これぇ……」
当然、彼女にはそれが何なのかわからない。
もしや新手のモンスターが漁夫の利を得ようと現れたのだろうか?
「と、ともかく今がチャンスよ、皐月。早く逃げないと……」
「ッ――ジュラアアアアアアアアアア――アグガッ!?」
逃げようとする彼女に気づいたのか、メタルリザードは咆哮を上げる。
だがすぐに黒い何かに口を塞がれ喋れなくなる。
「ひ、ひぃぃ……」
混乱と焦燥の中、彼女は再び走り出した。
すると、今度は目の前の茂みから一匹の柴犬が現れた。
可愛い。凄く可愛い柴犬だ。
その頭には何故か赤い透明なお団子が乗っかっている。
「……わんちゃん?」
「わぉぉおおおおおおおおおおおおんっ!」
柴犬は彼女の横を通り過ぎると、一直線にメタルリザードへと向かってゆくではないか。
これには彼女も驚いた。
「ちょっ、何して――」
思わず反射的に彼女は振り向いてしまう。
すると驚きの光景が広がっていた。
なんと先ほどの黒い何かと同じものが、柴犬の足元から溢れてるではないか。
「わんっ!」
柴犬の掛け声に応じて、ソレは再びメタルリザードへと襲い掛かる。
「う、うそぉ……」
その光景を見て彼女は理解した。
あの黒い何かはあの柴犬が生み出したものだったのだ。
「よし、でかしたモモ」
すると、今度は柴犬の足元から誰かが現れた。
後姿だけで顔は分からないが、多分若い男性だ。
ただ肩には狐が乗っかり、頭には青いトカゲ――というか、先ほど見かけたドラゴンを小さくしたような生き物が張り付いている。
驚くほどに怪しい男だった。
「モモ、そのまま抑えといてくれ」
そう言って、男は手を横に振った。
するとその動作に合わせるように、メタル・リザードの首がすとんと地面に落ちた。
「……へ?」
今、彼は何をしたのだろう?
彼女の目には突然、メタル・リザードの首が落ちたようにしか見えなかった。
メタル・リザードの首から鮮血が噴き出すが、男が手をかざすと血は止まった。
溢れ出していたはずの血も忽然と消えてしまった。
「メタル・リザードの魔石(中)か……。モモ、食べていいぞ」
「わんっ」
え? それって食べれるものなの?
彼女も幾度となくモンスターと戦ったが、あの石が食べれるものだとは知らなかった。
柴犬が美味しそうに食べてるのを見ると、害はないのだろう。
「あ、あの……」
「あ、えっと大丈夫ですか?」
男性がこちらの方を向く。
ようやく見えたその顔は驚くほどに普通な、どこにでもいる平凡な青年の顔だった。
「は、はい。助けていただきありがとうございます」
「いえ、別にいいですよ、お礼なんて。無事でよかったです」
あれだけのモンスターを一蹴できるだけの力を持っているのに、なんて謙虚なのだろうか。
彼女は感動した。
だが一瞬、男性が妙に申し訳なさそうな顔を浮かべたのは何故だろうか?
「あの……もしよろしければお名前を教えていただけませんか?」
「……クドウカズトです」
「クドウさん、ですね。本当にありがとうございます。」
「いえいえ、ですからお礼なんて――、えっと……」
「あ、そうでした。すいません、クドウさんだけに名乗らせてしまって」
相手に名前を聞いておきながら、なんて失礼なのか。
彼女は服に付いた汚れを軽く払い、姿勢を正した。
「私の名前は皐月。五所川原皐月と言います。よろしくお願いします」
「…………え?」
自分がそう名乗った瞬間、彼はまるで幽霊でも見たかのような、ひどく驚いた表情を浮かべた。




