197.世界の真実 前編
「まず世界の在り方について話すとしましょうか」
コーヒーカップを片手に、リベルさんはそう切り出した。
「まず『世界』ってのは一つだけじゃない。私たちの居た世界、アナタたちの居る世界、そしてほかにも様々な世界が存在する。それらは隣り合い、重なり合い、それこそ無限に存在しているの」
「並行世界……パラレルワールドみたいなものか?」
「それはあくまで一つの世界が枝分かれしたものにすぎないわ。その大本は同じ。異世界とは、並行世界とは全く違う別の世界のこと。そうね……例えるなら、一人の人間が成長する過程で生じる様々な可能性が並行世界。自分とは違う赤の他人が異世界、とでもいえばいいのかしら」
「あー、そう言われれば、なんとなく分かるかも……」
まあ、俺たちの世界や、リベルさんの居た世界もあるんだし、もっとあってもおかしくないか。
すると市長が口を開く。
「ふむ、多元宇宙理論のようなものか?」
「市長、なんですかそれ?」
「理論物理学における論説の一つだ。噛み砕いて説明すれば、儂らが考えるすべての可能性に対し、その答えとなる世界が存在するといったものだな。無限の可能性とは、すなわち無限の世界の証明であるという事だ」
「は、はぁ……?」
藤田さんはいまいちピンと来てない様子だが、リベルさんはほぅと息を漏らす。
「中々面白い論説ね。それ、後で詳しく聞きたいわ」
「これが終わってからでよければいくらでもいいぞ」
「良いわね。約束よ。まあ、難しく考える必要はないわよ。要するに世界はいくつもある。それだけ」
「そういう事だ」
わざわざ難しく例えたのは市長やリベルさんだろうに、というツッコミは入れないでおこう……。
「世界は複数存在している。それらの世界は、本来干渉し合う事はないし、その存在に気付く事も無い。……ただ一つの例外を除いてね」
「例外……?」
「そう。そして、それが今回の騒動の一端でもあるわ」
リベルさんはそこで一旦言葉を区切り、
「世界には『寿命』が存在するの。生物と同じようにね」
「寿命……?」
オウム返しに呟く俺に、リベルさんは頷く。
「そう。人の命に限りがあるように、世界にも寿命があるのよ。文字通り『世界の終わり』というやつね。世界の終りが近くなれば、他の世界の存在に気付く事が出来るみたいなの。何故かは分からないけどね」
その言葉に、周囲がざわめく。
おずおずと六花ちゃんが手を上げる。
「その……世界が寿命を迎えるとどうなるの?」
「当然、消滅するわ。その中に在る命、大陸、全てを道連れにしてね。ああ、安心して。少なくとも、今『この世界』が寿命を迎えるなんて事はあり得ないから。……絶対にね」
「世界の寿命ってどれくらいなの?」
「さあ? 少なくとも数千億年か数兆年は下らないでしょうね。少なくとも人の一生よりかは遥かに長いわよ」
六花ちゃんや周囲の不安を感じたのか、リベルさんは即座にそう付け足す。
「それが今回の件とどう繋がるんだ?」
「急かさないで。ちゃんと説明するわ。でもその前に、」
リベルさんはコーヒーを一気に飲み干す。
「お代わりいい?」
「あ、はい」
すぐに清水チーフが部屋の脇にあったポットからコーヒーを注ぎ、リベルさんの前に置く。
どうやら彼女はコッチの世界のコーヒーがいたく気に入ったようだ。
一口飲んで満足そうに吐息を吐く。
「……私達の世界は寿命を迎えていたの。本来ならば消滅し、無に帰すはずだった。でも、その消滅を回避する方法を見つけたの。……ある人物のおかげでね」
少しだけリベルさんはどこか懐かしそうな表情を浮かべた。
「その人は私達の世界の寿命が近い事、そして自分達の世界以外にも、別の世界がある事に気付いたわ。そして彼女はその方法を見つけた。自分達の世界を救う唯一の方法を」
「……まさか」
ごくりと息を吞む。
なんとなく彼女が言わんとすることが予想出来た。
「そう――それが、別の世界との融合。彼女はアナタ達の世界と自分達の世界を融合させ、世界の延命を図ろうとしたの」
「――」
言葉が出なかった。
誰もが信じられないと言った表情を浮かべている。
「とんでもない話に思えるでしょう? 実際、私も信じられなかったわ。異世界? 世界の終り? はは、荒唐無稽すぎて意味不明よね」
でも、とリベルさんは続ける。
「……それが嘘じゃない。本当の話だって知った時、私は恐怖で震えたわ。死にたくない。消えたくないって、心の底から思った」
カタカタとカップを持つ手が震えていた。
ふぅっと息を整え、彼女は再び口を開く。
「だから――先ずは謝罪を。私達の世界の事情に、アナタ達の世界を巻き込んでしまいました。……本当にごめんなさい」
そう言って、彼女は深々と頭を下げた。
静寂が会議室に満ちる。
誰もが困惑した表情を浮かべ、頭を下げる彼女を見つめていた。
ようやくと言った体で、西野君が口を開く。
「つまりなにか? 俺たちの世界は、あんたらの勝手な都合に巻き込まれただけってことか?」
「……その通りね。偶々私達の世界の近くにあった世界が選ばれた。アナタ達の住むこの世界がね」
ガタッ! と彼は立ち上がり、リベルさんに近づくと、その胸ぐらを掴み上げた。
「ふざけるな! その勝手な都合に巻き込まれて、俺たちが……六花や大野たちがどんな目に遭ったと思ってるんだッ!」
「……返す言葉もないわね」
普段の冷静さはなりをひそめ、怒りに震えながら西野君は叫ぶ。
対して、リベルさんは本当に申し訳なさそうに顔を伏せた。
「でもね……仕方なかったのよ。私達にとってはそうするしか方法が無かった。生き延びるためにはね。それとも黙って死を受け入れろと? 世界が滅ぶんだから、お前たちは勝手に死ねとそう言いたいの? 助かるかもしれない方法があるのに?」
「でもっ! そのために――」
「……そう、そのために私達の世界は『選んだ』の。アナタ達の世界を巻き込んで、自分達が生き延びるための選択をしたの」
「ッ……!」
西野君は何とも言えない表情を浮かべながら手を放す。
「……貴方たちには本当に申し訳なく思うわ」
「……いいえ、こちらこそ熱くなって申し訳ない」
西野君は席に戻る。
いつもの西野君らしくない行動だ。
それだけ彼にとってもショックが大きかったのだろう。
(……正直、俺も状況を飲み込むだけで精一杯だ)
……隣に座る一之瀬さんも「あわわわ……」って言いながら、ずっとスプーンで砂糖もミルクも入っていないコーヒーをかき混ぜているし、足元の『影』からも動揺の気配が伝わってくる。
「……一つ、聞かせてほしい」
市長が手を上げる。
「その……世界の異変に気付いた人物とは誰なんだ? 彼女――と言っていたが、もしや……?」
全員の視線がリベルさんに集中する。
だが彼女は首を横に振った。
「……いいえ、私じゃないわ」
「では誰が?」
「私のおか――師匠様よ」
「師匠?」
「ええ。師匠は私のいた世界では知らない人はいない程の素晴らしい人物だったわ。世界の寿命も、異世界との融合方法も、全て師匠が見つけ出し、考案し、作り上げた。当時、弟子だった私も多少は手伝わされたけどね。正直、何をどうすればこんなシステムを思いつくのか、さっぱり分からなかったわ。本当に、紛れもない天才よ、あの人は……」
「そうか……」
「師匠のシステムは完璧だったわ。二世界間の境界が歪むことなく、最初からそうであったかのように融合させることを可能にした。環境や様々な法則にも矛盾が生じぬように私達の世界も、この世界の人達もどちらも共存できるように全て整えた……筈だった」
そこでリベルさんは唇を噛んだ。
淡々と語っていたその表情が初めて歪んだ。
「世界の融合は、あくまで穏やかに行われる予定だった。世界が混ざり合う前に、互いにコンタクトが取れるようにして、こちらの世界の救済をあなた達に求める手はずになっていた。少しでも混乱を抑える為にね。少なくとも、師匠はそうプログラムしていたの」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
俺は思わず声を上げた。
「それはちょっとおかしくないか? 矛盾してるだろ。モンスターは突然現れたんだぞ? それにコンタクトどころか、リベルさん以外の異世界人なんてどこにも――」
そこまで言いかけて、俺は声を止めた。
止めざるを得なかった。
リベルさんの顔が今までにない程に憎悪に歪んでいたからだ。
その余りの迫力に、誰もが息を吞む。
「そう、その通りよ。今、この世界に私以外の『異世界人』は居ない。どうしてだと思う?」
「……」
「おかしいとは思わなかった? なぜモンスターだけが現れたのか? 本当に二つの世界が融合した世界ならば、人や環境、大陸、物、建造物だってこの世界に出現しているはずよね?」
「それは……」
言われてみれば確かにその通りだ。
この世界が二つの世界が混ざり合った世界ならば、何故モンスターだけがこの世界に現れたのか?
リベルさんのような異世界人も一緒に現れれば、もっと早くモンスターの対策も取れたし、被害も減らせただろう。
これじゃあまるで――
「…………」
まるで――何だ?
嫌な予感が脳裏をよぎる。
――環境や法則に矛盾が生じぬように?
そう言えば、モンスターが現れたあの日、電気やネット、インフラ関係は全て使えなくなっていた。
情報は完全に遮断され、碌に連絡も取り合えないまま、人々はモンスターの脅威にさらされた。
もしそれらが全て使えていたら、今よりもっと被害が抑えられていただろう。
自衛隊や政府、各国の連携だってもっと取れていた筈だ。
でも、それらが全て『意図的』に行われたものだとしたら?
「いや……でも、そんな……」
情報が頭の中で組み合わさり、一つの答えを導いてゆく。
背中に悪寒が走り、心臓がばくばくと音を立てる。
市長や西野君を見れば、口元を手で覆い、青ざめている。
二人とも多分俺と同じ考えに至ったのだろう。
「正解よ」
俺の思考を読んだかのように、リベルさんは口を開く。
「だいたいあなた達の考えてる通りよ」
「……」
「モンスターの出現は、意図的に操作されたの。ほかならぬ私達、『異世界人』の手によってね」
「ッ……!」
「師匠は完璧なシステムを作ったつもりだったわ。でも、それを扱う人たちは完璧じゃなかった。それどころか酷く利己的で愚かだった……」
リベルさんは天井を見上げ、そしてふぅっと息を吐く。
「彼らはこの世界を、自分達にとっての新天地だと考えたわ。そして、ここに住む人々を下等な原住民だと判断した。だから、師匠の作ったシステムを改竄し、モンスターだけを先にこの世界に転移させるよう調節した。殺し合わせ、数を減らし、より自分達が住みやすく、管理しやすいよう調節するためにね」
なんだよそれ……。
それじゃあ、まるで――
「じゃあ、まさか……アンタが言ってた『敵』ってのは……」
「そう。それこそが私の世界の住民――異世界人。紛れもないこの世界への『侵略者』であり、アナタ達の倒すべき敵」
彼女の言葉に、会議室に居る誰もが口を開く事が出来なかった。




