189.ペオニー攻略戦 その7
ずっと疑問に思っていたことがあった。
トレントに喰われた人々はその存在を奪われる。
他人の記憶から、人々の思い出から、まるで最初から『居なかった』ように、その存在を根こそぎ奪われる。
――では、その奪われた記憶はどこに行くのだろうか?
養分としてトレントに吸収され消滅する?
それともトレントの中に留まり続ける?
いや、分かったところでどうにもならない。
奪われた者にすれば、『奪われたという自覚』すら起きないのだから。
消えた者にしてみれば、誰の記憶にも残っていないのだから。
誰ひとり悲しむことなく、誰ひとり疑問に思うことなく、誰ひとり気にすることなく世界の歯車は回り続ける。
それがトレントというモンスターの特性。
あらゆるモンスターの中でも『最弱』と呼ばれるモンスターが生き残るために進化し、身に付けた最悪の自己防衛機能。
だが、何事にも『例外』は存在する。
そう、例えば。
奪われたはずの記憶が、本来はあり得ない『肉体』を持って、奪われた本人の目の前に現れれば――。
「――苦しイ……助けテ、お父さん……」
「アナタ、お願イ……殺シテ……」
それはまさしく悪夢のような光景だった。
『豊穣喰ライ』の一部に浮き出た顔――それは五所川原の愛した妻と娘の顔だった。
「な……あ……?」
五所川原は呆然とその光景を見つめる。
なんだこれは? いったい何が起こっている?
その瞬間、愛する妻と娘の顔が、声が、色褪せていた記憶が蘇る。
濁流のように押し寄せてくる記憶の波に、五所川原はその場にうずくまり頭を抱えた。
「ギギッ!」
隙ありとばかりに、別の『豊穣喰ライ』が攻撃を仕掛ける。
鞭のように伸びる舌。
とっさに動いたのは、彼の近くに居た柴田だった。
「おっさんっ!」
ドンッ! と勢いよくぶつかり、そのまま五所川原と共に地面を転がり攻撃を回避する。
「バカ野郎! 死ぬ気か? なにボケっとしてんだっ!」
「あ……ああ、すまない……」
柴田に怒鳴られても、五所川原は心ここにあらずといった体で返事をする。
「一体どうしたんだよ、アンタらしくもねぇ……」
「……妻が」
「あ?」
「妻と娘が……あそこに居たんだ」
「……は?」
五所川原は目の前の『豊穣喰ライ』を指さして、
「妻のミドリが……娘のサツキが、あそこに居るんだよ……苦しそうに私に助けを求めてるんだ……!」
「何を……言って……?」
驚き、振り返る柴田。
「人の……顔?」
そこには確かに五所川原の言う通り、二人の女性の顔が苦しそうに呻いていた。
信じられないとでもいうように、彼は無意識に首を横に振る。
だが次の瞬間、ぎりっと奥歯を食いしばり、
「に、偽物だ!」
彼はそう叫んだ。
「騙されるんじゃねぇぞ、おっさん! あれは――あんなの偽物に決まってんだろうが!」
「柴田君……」
「残念だったなぁペオニー! そんなちゃちな作り物に騙されるほど、俺たちは馬鹿じゃねぇんだよおおおおおおお!」
そういって柴田は手に持った槍を、目の前の『豊穣喰ライ』へと投げつける。
迂闊に近づけばあの毒液を食らう。だからこその投擲だった。
彼の投げた槍は吸い込まれるように、五所川原の妻の『顔』へと命中した。
「「「イギヤィィアアアアアアアアアッ!」」」
「イヤァ……痛ィ……アァァアア……!」
「……ヤメテ、コンなノ……ヤダァ……」
無数に開いた口が悲鳴を上げる。
そして顔を貫かれた女性が血の涙を流し、隣の少女の顔が悲しみの声を上げた。
それはとても演技には、作り物には見えなかった。
「何をするんだ、柴田君! 妻が! ミドリが!」
「目ぇ覚ませ、おっさん! あれが! あれがあんたには生きてるように見えるのか?」
「――だ、だが……」
「生きてるわけがねぇ……あんなのアンタを混乱させる偽物に決まって――」
「――シヴァタァ……」
柴田の声を遮るように、『別の声』が、彼らの耳に響いた。
「助けテぅれよ……柴田ぁ……」
「苦しぃ……シヴァ田ぁ……」
「ぁ……?」
それは別の『豊穣喰ライ』から発せられた声。
その個体に目をやれば、そこには新たな『顔』が浮かび上がっているではないか。
まだ若い高校生程の少年たちの顔。
その顔に、柴田は見覚えがあった。
忘れるはずなどない。
「佐藤……? それに、風間に谷川まで……」
何故なら、彼らはかつて自分が『見捨てた』仲間なのだから。
まだ彼らがホームセンターを拠点に活動していた頃、柴田は仲間と共にショッピングモールへ食料を求めてやってきた。
そこで彼らはハイ・オークと遭遇し、柴田だけが生き延びたのである。
「なんで……? 俺は……俺は忘れてねぇぞ? お前らのことはずっと覚えて……」
混乱する彼には分からなかっただろう。
トレントは別に生きた生物だけを食らうわけではない。
死体も同様に養分にしているのだ。
西野はかつて生存者に対して、死体の数が少なすぎると疑問に思っていたが、その答えもまたトレントであった。トレントは死体も養分にする。ただし生きてる者と違い、死者は記憶を奪われることはない。ただそれだけの違いだ。
「柴田……苦しぃ……助けテェ……」
「やめろ……やめてくれ……」
そんな目で、俺を見ないでくれ。
無意識に柴田は後ずさる。ひくひくと瞼がけいれんし、浅い呼吸を繰り返す。
「違う……俺は、別にお前らを見捨てたわけじゃ……」
敵わない化け物と遭遇した時点で、彼は『情報』を仲間の下へ持ち帰ることを選択した。
それは客観的に見ればとても正しい判断だっただろう。
実際に、西野や六花も、誰も彼を責める者は居なかった。
だが彼にとって『仲間を見捨てて一人逃げ延びた』という事実は変わらなかったのだ。どれだけの大義名分があろうとも、決して償うことが出来ない罪だと、彼の心に残り続けていた。
五所川原と同じように、彼もまた過去に――死者に足を絡めとられてしまったのだ。
「ッ……! ふざけんな……ふざけんじゃねぇ! こんな……! こんなことがあるわけねぇんだよぉ!」
柴田は喉が裂けんばかりに叫ぶ。
拳を握りしめ、目の前の『豊穣喰ライ』に殴りかかろうとした。
そうしなければ彼の心は耐えられなかったのだろう。
たとえ猛毒を食らうと分かっていても、それでも目の前の悪夢を振り払おうと彼は必死だったのだ。
「ゲゲゲゲゲゲッ」
そんな彼の姿を、『豊穣喰ライ』は、待っていたとばかりにあざ笑う。
ベロンと、舌を伸ばし口を大きく開く。
だが、その瞬間――
「――『動くな』!」
『豊穣喰ライ』の体が硬直する。
「ぬんおおおおりゃあああああああああああああああ!」
「――ギゲッ!?」
そして遅れること数瞬、衝撃と共に『豊穣喰ライ』が吹き飛んだ。
「柴田! 前に出過ぎだ! 早く戻れ!」
「大丈夫? 顔真っ青だよ、柴っち」
「あ……」
彼の窮地を救ったのは、西野と六花だった。
「六花、武器はどうだ?」
「あー、こりゃ駄目だね。今の一撃でもう溶けちゃってる」
六花は手に持ったバットを投げ捨てる。
おそらくアレで『豊穣喰ライ』をフルスイングしたのだろう。
相変わらず馬鹿げた身体能力だ。
「さっさと立て、柴田」
「に、西野さん……俺」
「……言いたいことは分かる。けど前にも言ったよな? もしお前が彼らに悔いる気持ちがあるなら、少しでも生き延びる事を考えろって」
「……」
「人の死を引きずるなとは言わない。俺だって何度も後悔してきたさ。もしやり直せるなら、なんて思ったこともある。でもな、そんなことは不可能なんだ。これはゲームじゃない、現実だ。死んだら……そこまでなんだよ。生き返ることなんて、絶対にない」
「……」
「人の死を割り切れとは言わない。でも、乗り越えなきゃいけないんだ。分かるな、柴田?」
「……うっす」
「五所川原さんもです。奥さんと娘さんのことは残念に思います。ですが……」
「分かっているさ……」
俯きながら、五所川原は土を握りしめる。
「分かっては……いるんだ」
それでも立ち上がり、袖で涙をぬぐい、大きく息を吸う。
「すまない。みっともないところを見せたね」
「いいえ、そんなことはありません」
「もう、大丈夫だよ」
「……」
強がっているのはすぐに分かった。
でも、それを指摘する気はなかった。
だから、代わりに西野は横に並び、前を向く。
「生き延びましょう、必ず」
死なせない。
絶対に死なせるものか。
六花も、柴田も、五所川原も、誰一人欠けることなく生き延びてみせる。
あの夜に――自分の弱さを吐き出したあの時に、そう決意したのだから。
≪―――ザザ――受理―し――たザザザ≫
≪――スキル共鳴がザザ――発動ザザ――ンバー全員に――ザザザザザ≫
「……?」
何だろうか?
今、一瞬、頭にノイズのようなものが聞こえた気がした。
だがそんなものを気にしている場合ではない。
西野はすぅっと息を吸い、声を荒げる。
「全員、気合を入れろ! 再設定まであと少しだ! 絶対に生き延びるぞ!」
「「「「了解っ!」」」」
彼らは再び立ち上がる。
『安全地帯』再設定まで――残り三十五分。
一方その頃、
「うぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!」
無数に迫りくる舌と触手の群れ。
とっさに全方位にアイテムボックスによる壁を作り出す。
稼げる時間は一瞬。
だがその一瞬の間に足元の『影』が広がり、俺たちを包み込んだ。
「わんっ!」
「すまんモモ、助かった!」
再び視界が晴れると、そこはショッピングモールのすぐ近くだった。
モモが『影渡り』で俺たちを守ってくれたのである。
とはいえ、まだここはペオニーのテリトリー内だ。
すぐに気付かれるだろう。
早く次の手を考えなければいけない。
「……」
俺は後ろで横たわるソラに目を向ける。
息も荒く、苦しそうな表情だ。
まずいな。これじゃあ、ブレスが撃てない。
ペオニーに止めを刺す事なんて――。
「わんっ! わんわんっ!」
「モモ……?」
不意に、足元のモモが吠えた。
どこか怒っているように見えた。
モモは俺とソラを交互に見て、もう一度「わんっ」と吠える。
「もっとしっかりして!」と俺の顔をじっと見つめてくる。
その眼を見て、俺はようやく自分の甘さに気づいた。
「そうか……そうだよな、モモ」
ソラのブレスが無ければ?
何を言っているんだ、馬鹿か俺は?
身重の竜一匹に頼らなければ、何もできない甘えん坊なのか?
考えを改めろ、クドウカズト。
ソラがここまでお膳立てをしてくれたんだ。
だったら、最後は俺たちがその頑張りにこたえなきゃいけないだろうが。
「――『影檻』」
『ッ――!? 人間ッ! 何ノツモリダ!?』
「しばらく『影』の中で休んでてくれ。あとは、俺たちでなんとかするよ」
『何ヲ――待――……』
ソラが『影』に沈む。
そうだ。コイツは身重の体でここまで踏ん張ってくれたんだ。
そこに俺たちとは別の思惑があったのかもしれないが、それでもこの三日間俺たちと過ごした時間は本物だ。
ティタンの時と同じだ。
たった三日、ペオニーを倒すまでの薄氷の様な関係。
でも、それでも、だ。
「やっぱ、生まれてくる子供には、元気な母親の姿を見せてあげたいよな……」
参ったな。
俺は思った以上に、ソラに感情移入しちゃっているようだ。
モモや、一之瀬さんのように、共に生きたいと思う程度には。
「わんっ」
モモが隣に並ぶ。
「きゅー」
キキが肩に乗る。
「……(ふるふる)」
服に擬態したアカが震える。
「悪いな皆、付き合ってくれ」
「わんっ」「きゅー」「……(ふるふる)!」
当然! とばかりに、みんな返事をする。
どうやらみんな気持ちは同じようだ。
「ギギッ!」
「居タ! アソコダ!」
「食ワセロ」「喰ワセロ」
「ギギギギギギギ!」
巨大マリモたちの声が聞こえる。
向こうも俺たちを見つけたようだ。
「ふぅー……」
意識を集中させる。
大丈夫だ。
ソラが居なくとも、俺にはモモたちが居る。
それに、まだ使っていないスキルもある。
リスクが高すぎるがゆえに、今の今まで残しておいたあのスキルが。
ソラの高速飛行なしでペオニーに接近するには、最早これしか手段はない。
俺はそのスキルを発動させる。
「――『影真似』」
それは『影檻』と同じく、『漆黒奏者』になった時に取得したスキル。
足元の『影』がざわめき、少しずつ俺の体を侵食してゆく。
スキル『影真似』――その効果は『自分の倒したモンスターの姿を真似る』というもの
そして真似ることが出来るモンスターは自身の元の姿に近いモンスターに限られる。
この条件下で、この状況を突破できるモンスターは一体しかいない。
「頼むぞ……」
『影』が俺の体を覆い尽くし、一体の獣の姿を形作る。
それは俺にとってのトラウマ。
最初の敵にして、『叫び』と尋常ならざる膂力を持つ最凶のモンスター。
「影真似――タイプ・ルーフェン」
変化が完了する。
そこに居たのは漆黒の『影』に覆われたハイ・オークの姿だった。
「ウォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!」
かつてのハイ・オークを思わせる咆哮。
大気が震え、大地がひび割れる。
全身に力が漲るのを感じる。
「さあ、いくぞ」
膝を曲げ、足に力を込める。
ダンッ! と地面を砕き、俺は跳躍した。




