182.決戦準備
ペオニーとの決戦までに残された時間は三日間。
それはくしくもティタンの時と同じ期間だった。あの時も、市長の『安全圏拡張』の条件達成のタイムリミットは三日だった。
(……あの時も大変だったな)
俺は藤田さんと一緒に自衛隊に助力を求めるために隣町に向かい、一之瀬さんはモモと一緒に武器強化の素材集めに奔走した。西野君たちもレベルを上げ、全員一丸となってティタンとアルパを倒すために頑張った。あの時も、やれることはまだあったのに、三日という制限時間があるせいで思うように動けなかった。
(でも今回はあの時よりもさらに過酷だ……)
なにせ今回は出来る事が非常に限られている。
『安全地帯』の壁にはペオニーの蔦がそこら中に絡みつき、下手に外に出ようものなら、即座に奴に捕食されてしまう。
(ペオニーの捕食範囲は半端じゃない……。おそらくこの町全域にヤツの根や蔦が届くと考えていいだろう)
モンスターを狩ってレベルを上げる事も、物資を補給する事も満足にできない。
自由に出入りすることが出来ない『安全地帯』という名の檻に、俺たちは閉じ込められてしまっている。
(とはいえ、やれることはある)
勝算はある。抜け道もある。
今はそれに集中する。
先ずは西野君に確認してほしいと言われた事からだ。
「それじゃあ、ソラ、頼んだぞ」
『ウム』
俺とソラは早速準備に取りかかった。
一方その頃、
「――で、私達ずっとこんなことしてていーわけ?」
六花は手に持った鉈を振り回しながら、西野に訊ねる。
「ああ。今頃、クドウさんも藤田さんたちも準備を進めてるだろう。俺たちは俺たちでやる事をやる」
「こうしてずーっと『壁』に張り付いた蔦を斬っていく作業を?」
「ああ」
西野たちは朝からずっと『壁』に張り付いたペオニーの蔦を切る作業を続けていた。
とはいえ、一本一本が人の腕程に太い蔦だ。
ただ斬るだけでも相当な体力を使う上、うっかり『外』に出ようものならあっという間にペオニーに捕食されてしまう。地味だが相当に体力と集中力を使う作業だった。
平然と続けられているのは、彼らの中で最もステータスの高い六花だけだ。
「こんなの切ってもすぐ再生しちゃうじゃん」
「それでいいんだ。というか、事前に全部説明しただろ」
「そーだったっけ? 忘れた」
「お前な……」
呆れつつ西野は手に持ったストップウォッチを見る。
「三秒か……」
次に彼はステータスからメール画面を開き、連絡を入れる。
すぐに返事が来た。
「――よし、みんな、耳を塞げ」
「へ?」
六花は一瞬ポカンとしたが、すぐに背筋に怖気が走り、反射的に耳を塞いだ。
そして次の瞬間――ズドォォォンッ! と。
大地を揺るがす程の轟音が鳴り響いた。
「い、今のって?」
「竜のブレスだ」
見れば、ペオニーの本体付近で、巨大な火柱が上がっていた。
その光景は、昨日見たそれよりも遥かに威力が増していた。
味方の攻撃だと分かっていても、そのあまりの破壊力に六花は身震いしてしまう。
「す、すんごいねー……」
ソラは100ポイント以上のSPを保持していた。
それだけ大量のポイントがあれば、あれだけの強化も納得がいく。恐らくいくつかのスキル――特に攻撃関連のスキルはきっとカンストしている筈だ。
だが、
「――やっぱり駄目か」
隣に立つ西野は冷静にそう呟いた。
彼の手にはいつの間にか双眼鏡が握られている。
砂埃が収まると、そこに依然として屹立するペオニーの姿があった。
「嘘……」
「やはりあれだけの威力のブレスでも、この距離じゃ本体に届く前に防がれるみたいだな……」
予想通りとはいえ、流石にこの結果には辟易する。
大きさだけではない。ペオニーはその防御力も、反応速度も反則的だ。
「でも無傷じゃない」
「え? ……あ、ほんとだ」
よく見れば、ペオニーの前方に突き出た根や蔦が何十本も焼け焦げていた。
ソラのブレスを防ぐために相当な数を使ったのだろう。
西野は即座にメール画面をチェックする。
「――約十秒か……」
手帳に結果をメモする。
六花はその様子をじーっと見つめていた。
「よし、みんな、作業に戻るぞ」
「……」
「どうした、六花? 見てないで早く作業に戻れ」
「んー? いや、いつものニッシーに戻ったなーって思っただけ」
それを聞いて、西野はくすっと笑う。
「いつものってなんだよ。茶化してないでさっさとやれ」
「はいよー」
そして彼らは『壁』に張り付いた蔦を切る作業へと戻るのだった。
その間、何度もソラのブレスを撃つ音が鳴り響いた。
一之瀬は市役所の屋上に居た。
「かき集められるだけかき集めたけど、やっぱ素材は少ないなぁ……」
彼女の前には、『武器職人』として使用できる素材が並べられていた。
鉄くずや魔石、ジャイアント・アントの甲殻、スケルトンの骨、トレントの枝、その他諸々。
床を埋め尽くすほどのそれらを見つめ、彼女は溜息をつく。
(でもこれだけじゃ『破城鎚』や『対城ライフル』以上の武器は作れない……)
彼女の『武器創造』にはあらゆる素材が必要になる。
ティタンの時は、モモやカズトが『外』で集めてくれたおかげでより強い武器を作る事が出来たが、今はそれが出来ない。
レベルが上がった今、素材さえあれば、『破城鎚』以上の武器も作れるのに、それがなんとももどかしい。
(まあ、今回作るのはそれとは全く別のモノだし、なんとかなるかな……)
彼女が作るように言われたのは破城鎚以上の武器ではない。全く別のものだ。彼女の『武器創造』は『破城鎚』や『化け物ライフル』だけでなく既存の武器やそれに付随するモノも作ることが出来る。
パラパラと渡された『資料』を見る。
(うっわ、複雑だなぁ……。聞いた事ない部品とか専門用語がいっぱい……)
西野と藤田に頼まれたもの、それとカズトに頼まれたもの。そのどちらも、三日後の決戦で重要な役割を果たすものだ。ある意味、彼女の働きが三日後の決戦を左右すると言っても良い。
(うう、胃が痛い……吐きそう)
ここに来る前も色んな人に励ましの声をかけられた。
だが『頑張れ』、『君なら出来る』、『期待している』は引き籠りの人見知りに言ってはいけない三大ワードだ。
以前の彼女だったら、その重圧に耐えきれず吐いて、その場から逃げ出していたかもしれない。
でも、今は違う。今の彼女は以前のような人見知りの気弱な少女じゃない。
(そうだよ。カズトさんが頑張ってるんだ。リッちゃんも、モモちゃんも皆、自分に出来る事をやっている)
誰もが本気で自分に出来る事をやっている。生き延びる為に、今を必死に足掻いている。
その姿を見せられて、どうして自分だけが何もしないで居られるというのか。
「ふぅー……よしっ、頑張ろう。ね、アカちゃん」
「……(ふるふるー)!」
気合を入れ直し、一之瀬は隣に居るアカと共に作業に取りかかるのだった。
胃の痛みはいつの間にか消えていた。
五十嵐十香は市役所の玄関前に居た。
彼女の前には大勢の人だかりができている。
「ではA班とB班の人たちは炊き出しの準備を、C班、D班はそれぞれのポイントで荷物の整理を、E班はもう少ししたら西野君、藤田さんのグループが戻るので彼らの手伝いをお願いします」
「「「分かりました」」」
住民たちは彼女の言葉に耳を傾け、それぞれの仕事に向かう。
その顔には昨日までの不安や恐れは殆ど無い。
(寝る間も惜しんで『魅了』し続けた甲斐がありましたね……)
混乱の鎮静化と住民たちの誘導。
十香はカズトに命じられた事を、短時間でほぼ完璧にやってのけていた。
不眠不休でスキルを使い続けたことで彼女の『魅了』はレベルが上がり、より多くの人々を『魅了』出来るようになった。
元々竜とペオニーの襲撃によって精神がギリギリまで削られていた住民たちだ。
彼らの弱った心には、彼女の言葉はスポンジのように染み込み、今では彼女の言葉に熱心に耳を傾け、彼女の意に沿うように行動してくれている。その姿はある意味『信者』に似ていた。実際、似たようなものだが、彼女にとっては都合がいいので問題ない。
手はいくらあっても足りない。戦力として数えることは出来なくとも、今回の戦いはそれ以外にやるべき事が山のようにあるのだ。
(住民が一丸となって目的に向かう。ああ、なんて素晴らしい光景でしょうか……)
そんな光景を彼女は嬉しそうに眺めていた。
やはり人を意のままに動かすのは気分がいい。何十、何百という人々が自分の思った通りの行動をするのだ。その高み、優越感はやはりたまらなく心地いい。図らずともカズトに調教された事によって、彼女は望む光景を手に入れていた。
(クソ親父やけん爺を説得するのは骨が折れましたけど。まあ、なんとかなって良かったわ)
自分が『洗脳』のスキルを持っていると知られたときはかなり驚かれたが、状況が状況だ。猫の手も借りたいこの状況では彼女のスキルは必要不可欠であり、藤田たちも渋々了承した。
(ま、戦いが終わったらいろいろ大変でしょうけど、その時は彼に守って貰えばいいですし。ふふふ……)
なにせ彼と彼のグループは今やこの市役所の最大戦力。大人と言えど誰も意見することなど出来ないだろう。そして自分がきちんと役目を果たす限り、カズトにとって自分が必要な人材であり続ける限り、自分は最強の盾に守られているのだ。
「そうよ、責任よ。この私にあれだけ酷い事をしたのだから、カズトさんはきちんと私に対して責任を果たすべきなのよ。ふふ、うふふふふ……」
「おー、なんかねーちゃんがいつもの黒い笑みを浮かべてるのだー」
「そうだな弟よ。あれはいつものおおねーちゃんだなー」
その隣で彼女の双子の弟妹――士織と士道が無邪気に笑う。
「べ、別に気持ちの悪い笑みなど浮かべていません。全く二人とも失礼ですね」
「そっかー」
「そっかなー?」
双子の弟妹は首をかしげる。
まあ、いいと十香は軽くため息をつく。
「士織、士道、アナタたちにもやってもらうことがあります。良いですね?」
「はーい、わかった、おおねーちゃん」
「りょーかいなのだ、おおねーちゃん」
そして十香は彼らに新たな指示を出すのだった。
カズトに頼まれていた指示を。
藤田は十和田ら自衛隊員と共に、ある場所に来ていた。
「さて、作業を始めるか。時間は……一回五分くらいか。やれるか?」
「勿論だ。さあ、始めるぞ」
彼らは早速作業に入る。
「事前に例のスキルが手に入った二人が仲間に成ったのは嬉しい誤算だったな」
「ああ、おかげでより効率的に作業を進められる」
作業を進めながら、十和田は藤田の方を見る。
「しかし、君の娘は凄いな。こんな作戦を思いつくなんて」
「十香ちゃんじゃねーよ。思いついたのは西野君だ」
「ああ、彼か。何度か話をしたが本当に高校生かと疑いたくなるほどだな」
今回のペオニー討伐の為の作戦。
その全容を聞いた時、彼らは驚愕したが、それ以上にその作戦をただの一介の高校生が考えたと聞いた時は、随分驚いたものだ。
「一皮むけたんだろうよ。迷いがなくなってた」
「?」
「精神的に成長したって事だ。ここに来た当初は、どこか影があったが、それが無くなってた。ありゃ化けるぜ。全く、誰がどう説得したのかはしれねーが、大手柄だ」
男子三日会わざれば刮目してみよとはよく言ったモノだ。
子供の成長はいつみても楽しい。
そんな彼の娘があんな風に捻くれてしまったのはある意味皮肉と言えるだろうが、それでも嬉しいもんは嬉しいのだ。
「しかし驚いたよ。まさかお前らがこの作戦に協力するなんてな」
「そうか?」
「ああ、だってずっと怯えてたじゃねーか。どういう心境の変化だ?」
「……逃げていても何も変わらないしな。それに――」
「それに?」
十和田は作業を進めながら、ふとある方角を見る。
「……あの竜を見た瞬間、うっすらと何かを思い出したんだ。俺たちは、誰かに何かを託された。それが何かは思い出せないが……ずっとあの大樹に怯えているままじゃ、『ソイツ』に笑われるんじゃないかって気がしてな……」
「誰かって、誰だよ?」
「さあな、思い出せない。でも――」
十和田は必死に記憶を探る。
だが思い出せない。
自分が誰に、何を託されたのか。
でも、それでも、
「――『ソイツ』はきっと、家族思いの良い父親だったと思う」
市役所に来る前の空白の記憶。奪われた記憶。
それを必死に手繰り寄せる様に、十和田は作業に没頭した。
誰もが奔走する。
カズトも、一之瀬も、西野も、六花も、柴田も、五所川原も、五十嵐も。
モモも、アカも、キキ、ソラも。
藤田も、市長も、清水も、二条も、十和田も、市役所のメンバーも、自衛隊の隊員たちも、レベルを持たない住民たちも。
誰もが一丸となって決戦の準備を進めた。
相手はどうしようもないほどに巨大な存在だ。
それでも、彼らは進み続ける。
それだけが自分たちの生き残る道だと信じて――。
――そして、三日という期間はあっという間に過ぎてゆく。
三日目の夜。
全ての準備を終え、夕食を終えた俺はのんびりと屋根の上で空を眺めていた。
「どうしたんですか、こんなところで?」
「西野君……」
やって来たのは西野君だった。
手には缶コーヒーを二本持っている。
差し出されたうちの一本を飲む。
「眠れないんですか?」
「いえ、少し明日の事を考えてました」
やれるだけのことはやった。
後はそれを実行するだけ。
でも、それでもやはり緊張してしまうものだ。
「やれるだけのことはやった。だから失敗しても胸を張れ――なんて理屈は通じませんからね」
「ええ、失敗は許されない」
それはすなわち俺たち全員の死を意味する。
ペオニーに食われて、誰の記憶にも残らず、なんの足跡も残さず俺たちは消えていく。
そんな未来は御免だ。
(この三日間で色々なことが分かった)
モンスターも碌に狩れず、レベルは上がらなかったが、代わりに情報は集まった。
ペオニーの能力、その生態、思考、この三日で調べられることは調べ尽くした。
キキのおかげで予想外の収穫があったし、一之瀬さんに頼んでいたモノも全部完成した。
(ソラの眼も完治した。準備は万端――)
後は勝つだけだ。
「勝ちましょう、必ず」
「ええ、必ず」
手に持った缶コーヒーをぶつけ合い、俺たちは部屋に戻る。
それからしばらく一之瀬さんとチャットをして、モモを思いっきり撫でて、俺は眠りに就いた。
そして翌日。
俺たちは『安全地帯』の境界ギリギリに来ていた。
ペオニーは変わらず町の郊外に陣取っている。
その巨体を眺め、俺は後ろに立つ一之瀬さんたちを見る。
「全員、配置についたみたいですね」
「ええ」
『メール』でお互いの位置を確認し、作戦の最終確認を行う。
作戦開始まで、あと一分。
ふぅーっと俺は息を吐く。
「一之瀬さん」
「はい」
「モモ」
「わんっ」
「アカ」
「……(ふるふる)」
「キキ」
「きゅー」
「ソラ」
『……フンッ』
全員の顔をぐるりと見回し、俺は頷く。
すると後方でパンッと発砲音がした。
作戦開始の合図だ。
「よし、先ずは俺たちだ。開幕の一発、頼むぞ、ソラ」
『ウム』
ソラは翼をはばたかせ、空高く舞い上がる。
そして『安全地帯』の見えない壁天辺ギリギリで静止し、大きく息を吸った。
「全員! 耳を塞げ!」
すぐさま全員が耳を塞いだ。
俺はすぐさまソラに手を振る。
ソラはコクリと頷き、口を開いた。
「ギュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
ソラの咆哮が響き渡り、極大の閃光が瞬いた。
『~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!』
轟音。
爆風。
巨大な火柱と共に木霊するペオニーの奇声。
「――よし、征くぞッ!」
もう後戻りはできない。
ペオニーとの決戦の幕が切って落とされた。




