176.竜の追憶
竜の回想になります
――その竜に名は無かった。
仮にその竜の事を『彼女』と呼ぼう。
彼女は竜の中で特に美しい鱗をもって生まれた。
空の色をそのまま映し出したかのような藍色の鱗。
誰よりも美しく、そして才に溢れていた。
才ある彼女は生まれてすぐに己の力について理解した。
空を駆ける翼、全てを切り裂く爪、そして万物を灰燼に帰す強大な息吹。
その全てを十全に使いこなせるまで時間はかからなかった。
――私ハ強イ
それは驕りでもなんでもないただの事実だった。
生まれてたった数年で彼女に勝てる者は居なくなった。
地を這う虫けら、小賢しい人族、水を嫌う豚ども、遺跡を守護する岩人形、影に引き籠る狼。その全てが彼女の力の前にひれ伏した。
気に入らぬ者が居れば、爪で切り裂いた。
気に食わぬ者が居れば、息の一つで灰燼に帰した。
圧倒的力。絶対的な王者。それが自分。
世界は自分を中心に回っている。
そう、信じて疑わなかった。
そんな彼女には欲してやまない物があった。
それは天より与えられる最強の竜の称号――『竜王』。
六王の一角であり、竜の頂点に君臨する者の証。
六王とは『狼王』、『幻王』、『海王』、『死王』、『鳥王』、そして『竜王』の事を指し、文字通り各種族の王たちがその称号を有している。
特に『狼王』と『竜王』はその時代の覇者の代名詞とも呼ばれる程であった。
――気ニ入ラナイ
彼女はそれが気に食わなかった。
『狼王』や『死王』など、別の種族の王たちはまだいい。だが最強たる自分を差し置いて他の竜が『竜王』を名乗るなど、容認できるものではなかった。
彼女は当代の『竜王』の所有者を探した。
必ず見つけ出し、八つ裂きにしてくれる。
そして自分こそが新たな『竜王』となるのだ。
そう決意し、大陸中を探して回り、そして一匹の竜に辿り着いた。
『ほぅ、我に挑むか、若き雌竜よ』
ようやく見つけ出した竜王。
『彼』もまた竜の中でも特別とされる朱色の鱗を持つ竜だった。
鱗の美しさ、翼や尾の形、そして有する魔力。
その竜を見た瞬間、彼女は心を奪われた。全身に高出力の息吹を喰らったかのような熱を感じ、心臓が早鐘を打ち、全身を締め付けるような痛みが支配した。
――カッコイイ……
端的に言い表すなら、彼女は彼に一目ぼれした。
恋を知らず、戦いに明け暮れてきた彼女にとってそれは未知の感覚だった。
『くっくっく、面白い、久方ぶりに楽しい殺し合いが出来そうだ。ではゆ――』
『結婚シテ下サイ』
『………………は?』
そして本能のおもむくままに、彼女は告白した。
当然、若き竜王は混乱した。
結論から言えば、二匹は晴れて番いとなった。
竜王の彼もまた彼女には一目ぼれをしていたようで、殺し合いの後に告白でもしようかと考えていたらしい。ちなみに尻尾の形が決め手だったようだ。
それからしばしの間、彼と彼女は甘々な時間を過ごした。
どれだけ甘々な時間なのかと言えば、近く控えていた当代の『狼王』との決闘をすっぽかしてしまう程で、それに怒った『狼王』が二人の下に駆け付けたが、その余りの甘々な空気に耐え切れず踵を返したほどである。まだ独身であった当代の『狼王』にその甘々な空気は耐えられなかったのだ。
愛を育み、まぐわい、彼女はこれ以上ない程に幸せな時間を過ごした。
転機が訪れたのは突然だった。
『最近、人族ノ動キがオカシイ』
彼はそう言っていた。
何やら人族が妙な動きをしているのだと言う。
大陸のあちらこちらに奇妙な力を感じるし、何か良くない事をたくらんでいるのかもしれないと、彼は言っていた。
――人族などどうでもいい。
弱い種族など、彼女にとってはどうでもよかった。
ただ彼と一緒に過ごせればそれで良かった。
だが、『竜王』である彼の考えは違った。
『人を侮ってはいけない』
一人一人は確かに弱い。
だが彼らは知恵が回り、集団になるとその力は更に増す。
そしてその心の強さは、竜である自分達にも届き得る可能性を秘めている。
だからこそ、彼は人族の動きを危惧していた。
『人族の集落へ向かおう』
彼には彼女と違い、多少なりとも人族との交流があった。
かつて自分と引き分けた大陸最強と謳われた『死王』の名を冠する人族の魔術師。
彼女に事情を聞き、協力を仰ごうと彼は言った。
人族の問題を解決するなら、人族に相談するのが一番。
最強の存在でありながら、他者と手を組むことをいとわない彼の在り方は竜の考えで言えば間違いなく異端だった。だが、それこそが彼の魅力であり、『竜王』に選ばれた理由なのだと、彼女は考えていた。うちの旦那、マジカッコいい。
――貴方トナラバドコマデモ……
そうして目的地へ飛び立とうとした直後だった。
突如として空が黒く染まったのだ。
『――ッ!?』
何だ、この黒い霧は? なんだこの禍々しい魔力の波動は?
初めて見る光景だった。
黒い霧のようなモノは一瞬で広がり、彼女たちの居た世界を覆い尽くした。
彼女と彼も必死に抵抗したが、成す術なくその黒い霧に飲み込まれた。
どれだけ時間が経っただろう。
霧が晴れ、気が付くと彼女は別の大陸――いや、別の世界に居た。
別の世界――そう判断したのは、前に居た大陸とあまりに景色が違いすぎるからだ。
――ナンダ、ココハ?
意味が分からなかった。
あの美しい空はどこへ消えたのだ?
あの緑豊かな広大な大陸はどこへ消えたのだ?
そして何より、自分の愛する彼はどこへ消えたのだ?
訳も分からぬままに、彼女は新しい世界の空を駆けた。
――随分ト人族ガ多イ……
彼女の世界にも人族は大勢いたが、この世界はその数が異常だ。
どこを見渡しても人が居て、どこを探っても人の気配がする。
おまけに空気は汚く、大地は灰色に塗りつぶされている。
彼女にとってこの世界は不快極まりなかった。
――帰リタイ……。
あの世界に、あの場所に、彼の隣に帰りたい。
彼女がそう願うのはごく自然な成り行きだった。
――探サナケレバ。
自分と同じように、彼もまたこの世界に来ている可能性が高い。
三日三晩、彼女は血眼になって空を飛び続けた。
そしてようやく彼の気配を感じた。
――居タ
良かった。
やはり彼もこちらの世界に来ていたのだ。
だが彼の気配が荒々しい。
もしかしたら何かと戦っているのかもしれない。
急いで彼の下に駆け付ける。
彼が負けるとは思えないが、それでも何か嫌な予感がした。
そして『ソレ』に出会った。
『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!!!!』
それは天を切り裂くほどの巨大な樹木だった。
巨大な樹木は無数の蔦を操り、無数の木の葉を飛ばし、彼と死闘を繰り広げていた。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
戦いは竜王である彼が優位に進めていた。
巨大な樹木も、『竜王』の彼が放つ強大な息吹には成す術がなく、少しずつその体を炭へと変えていた。
再生が追いつかない程の圧倒的な攻撃力。
圧倒的強者は世界が変わっても圧倒的であった。
――凄イ
やはり彼は絶対的な存在だ。
当代の『竜王』であり、彼女にとって自慢の番い。うちの旦那マジカッコいい。
自分が手を出すまでもなく、彼はこの戦いに勝利するだろう。
そう、信じて疑わなかった。
だが、
「た、隊長ッ! 早く、こっちです!」
「待ってくれ、今行く!」
戦場から遠く離れた場所。
そこには逃げまどう人族の姿があった。
その情けない姿に彼女は失笑する。
やはり弱い脆弱な種族ではないか、と。
『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!』
その脆弱な人族に向けて蔦が放たれる。
いや、放たれたというよりも、それは無数の蔦の攻撃の軌道上に偶然、彼らが居たと表現した方が良いか。
ペオニーも竜王との攻防で手一杯で、よそに向けられる余裕などないのだから、正しく不運としか言いようが無かった。
『ッ!?』
ペオニーにとっても彼女にとってもどうでもいい存在。故に放置。そのまま死ねばいい。
だが、彼だけは違う反応を示した。
彼はあろうことか戦いの最中にペオニーから目を逸らし、その人間達を助けるために動いたのだ。
『ガアッ!』
精一杯に手加減したブレス。
それは人間達に迫っていた蔦を一瞬で焼き尽くした。
『~~~?』
降ってわいたような好機。
その隙をペオニーは見逃さなかった。
一瞬でペオニーの蔦が彼を絡め取り、締め付ける。
『~~~♪』
がぱっと、ペオニーは蔦の先端をハエ取り草の様な形に変化させる。
ダラダラと涎を垂らし、蔦の先端が彼に喰らい付いた。
『ガハッ……!』
その激痛に彼は顔を歪める。
その喰う速さは異常で、一瞬で彼の翼と足が奪われた。
目の前で、愛しの彼が食われていく。
――ドウシテ?
その行動の意味を、彼女は理解出来なかった。
彼は強い。彼は無敵だ。あんな脆弱な人族など庇わなければ、彼はあの木の化け物に勝利していた筈だ。
なのにどうして?
理解は出来ないが、それよりも先に体が動いた。
彼を救うべく、彼女はペオニーへブレスを放とうとして――
『止めろッ!』
彼に、止められた。
『近づくな。お前ではこいつに勝てない』
なんで?
どうして止めるの?
私は、アナタを助ける為に――
『……すまない』
なんで?
どうして謝るの?
彼は自分の方を向き、そして寂しそうに目を細めた。
『……あの人間達には世話になったのだ。この世界の事をいろいろ教えて貰った。だから、死なせたくはなかった』
そんなことどうでもいい。
やめて、そんな顔をしないで。
『~~~~~~~』
むしゃ、むしゃ、むしゃ。
喰われてゆく。
愛しい彼が、目の前で食い尽くされてゆく。
『ガハッ……ハア、ハア……どうやらここまでのようだ……。だがむざむざ喰われるわけにはいかない。俺の知識と力を、お前に託す』
なんで?
どうしてそんな事を言うの?
アナタは竜王。無敵の存在。なのに――
『すまない。ああ、もっとお前と……緒に生きたかったのになぁ……』
そう言って、彼は残った腕で己の魔石をえぐり出した。
それを彼女目掛けて投げつける。
ペオニーは彼を食べることに夢中で、彼の行動など気にも留めなかった。
彼女にぶつかった瞬間、魔石は溶け込むように彼女の体へと取り込まれた。
『――生きてくれ』
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、と。
魔石を失い、彼だったモノがペオニーに食い尽くされるのに数秒もかからなかった。
≪―ザザ―――申請を確認≫
≪――接続――接続――失敗≫
≪対象の個体が一定条件を満たしていません≫
≪スキルの作成を失敗しました≫
≪対象個体が条件を満たすまでスキルを保留とします≫
頭の中に響いたその声の意味は分からない。
だが、一つだけ確かな事がある。
自分は彼に託されたのだ。力と知識と、そして命を。
だが――それでも許せなかった。
殺す、絶対に殺してやる。
彼の思いとは裏腹に、怒りのままに彼女はペオニーに戦いを挑んだ。
挑むなと言われても、挑まずにはいられなかった。
そして――彼女は七日七晩ペオニーと戦い続けた。
だが、やはり彼の言う通り、彼女はペオニーには勝てなかった。
相性があまりに悪すぎた。
竜王である彼と違い、彼女にはペオニーを貫くほどの攻撃力が無かったのだ。
それでも初めの内は、ペオニーの負傷もあって優位に進める事が出来たが、日が経つにつれて彼との戦いで傷付いた体も徐々に回復していった。
そして闘い始めて七日目、肉体の限界を迎えた彼女は――逃げ出した。
屈辱であった。
憎い敵を討つ事も出来ず、ただ逃げる自分が情けなくて仕方なかった。
――アノ人間達ノ所為ダ……
あの時、アイツらが彼の戦いの邪魔をしなければ彼は助かったのに。
許せない、許すわけにはいかない。
あの木も、人族も、弱い自分も、何もかもが許せなかった。
「ギュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」
必ず……!
必ずや報いを受けさせる。
竜の怒りを――思い知らせてやる!
怒りのままに彼女は空を駆けた。
そして逃げた先で彼女は、運命を変える出会いを果たす。
傷付いた彼女が辿り着いた先には、人族が居た。
それも大勢居た。
――本当ニ数ダケハ多イ連中ダ
彼女は内心舌打ちしたが、僥倖だと思った。
彼らを殺し、少しでも力を回復させる。
そんな風に軽く考え、彼女は人族を殺しにかかった。
――返り討ちにあった。
意味が分からなかった。
不可侵の結界。
殺しても殺しても復活する人間。
散々煽られ、挙句の果てに彼女は目を負傷し、撤退する羽目になった。
二度目の屈辱だ。
――ドウシヨウ……
樹木どころか、あんな小さな人族にも良いようにあしらわれてしまうなんて。
彼女は初めて自分の弱さを嘆いた。
自分がもっと強ければ、彼を助けられたのに、あんな人間どもに負けなかったのに。
『人を侮ってはいけない』
彼の言葉は正しかった。
自分は人間を舐めすぎていた。
次に会った時には全力で殺そう。
彼女はそう心に決めた。
そして次の日、事態は急転する。
あの巨大樹の気配が強くなっていた。
おそらくは自分を追って来たのだろう。
完全に獲物として認識されたようだ。
――今ハ逃ゲル……
傷は完全に癒えていない。
仕方ないが、ここは逃げに徹するべきだ。
そう考え、彼女は巨大樹の気配がする方向と逆の方へ飛び立とうとした。
だが、その直前に彼女は自分の体に違和感を覚えた。
ドクン、ドクン、と自分の中で何かが脈打っていたのだ。
それは彼女ではない別の命の胎動。
――妊娠。
彼女は竜王の子を身籠っていた。
生まれてくる子の為にも、彼女はなおの事生きなければいけなかった。
だが、それは同時に彼女に厳しい選択を迫る事になる。
――子を産んだ竜は弱くなる。
それは竜という種族の特性。そして竜族の数が少ない理由。
絶対的な力を有する竜は、妊娠を機にその力を腹の中の子へと徐々に吸い取られる。
そうして竜の力は劣化せずに次世代に受け継がれていくのである。
――なんで……どうしてこのタイミングで……。
本来ならば喜ばしい事態。
彼の子供だ。絶対に産みたい。
だが、今この状況下では子は彼女の重荷にしかならなかった。
子を産めば、彼女は弱体化し、おそらくあの巨大樹の追跡を振り切れない。
かといって、堕ろすことなど出来ない。
ならばどうするか?
決まっている。
子を産む前に決着をつけるのだ。
あの憎い敵を殺し、力を取り戻し、万全の状態でこの子を産めばいいのだ。
勝てる、勝てないの問題ではない。
絶対に勝つ以外に、選択肢はないのだ。
この子の為に、彼が残した最後の希望と共に生きる為に、彼女は己の力の全てを懸けて決戦に挑んだ。
「ギュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
そして――彼女はボロボロに打ち負かされた。
これ以上ない程に、彼女は窮地に追いやられた。
空を駆ける自分が、地を這う虫けらと同じように空を見上げている。
アア――死ニタクナイ……
絶対に死ねない理由が出来たのだ。
そう願った彼女の前に彼らは現れた。
≪モモが仲間になりたそうにアナタを見ています。仲間にしてあげますか?≫
頭に響いたその声に、彼女は完全に混乱した。




