158.免罪符
カズトが『彼』との邂逅を終えて、市役所へ向かおうとしていた頃、西野は生徒会長五十嵐十香と相対していた。
「西野君、私ね――『鑑定』スキルを持ってるの」
そう言われて、西野は眩暈がした。
『鑑定』。そのスキルの存在は西野もカズトから教えられて知っていた。
曰く、アイテムの効果や他人のステータスを覗き見ることが出来る便利なスキルだと。
大野によれば『鑑定』と『アイテムボックス』はネット小説では無双の定番スキルらしい。その手の娯楽に明るくない西野にはよく分らないネタだったが、カズトが実際にアイテムボックスを強力な攻撃手段として用いてることからもあながちその手の知識は馬鹿にできないのだろう。
だからこそ自分や仲間が取得できれば心強いことこの上ないスキルだと思った。
なのに、だ。
それがよりにもよって西野が一番取得してほしくないと思う人間が取得しているとはなんという皮肉か。
(本当になんなんだよ、この女は……)
他人を操る『魅了』、他人のステータスを覗き見る『鑑定』。
まるでこの女の本性を体現しているかのようなスキル構成のようだ。
「……どうしたのかしら、西野君。そんな怖い顔をして?」
可愛らしく首を傾げながら、十香は西野を見つめる。
ああ、この目だ。他人がどんな反応をするのかワクワクしているこの目。
この目が西野はたまらなく嫌いだった。
「……ず、ずいぶん便利なスキルをもってるんですね。羨ましいですよ」
「運がよかったのよ。取得できたのはここ最近。もしこのスキルを最初に手に入れていたならあんなことにはならなかったでしょうにね……」
顔を伏せる十香の声音にはどこか後悔の色があった。
あんなこととは学校で起きたモンスターパニックの事だろう。
西野の同級生――『魔物使い』葛木さやかが引き起こした最悪の事件。彼女は大量の経験値を手に入れようと、自分が隷属させたモンスターに学校を襲撃させた。
事前に事態を防げなかったのは、彼女が巧みに自分の本性を隠していたのもそうだが、それ以上にステータスの特性によるものだろう。
――ステータスは他人に見えない。
スキルと職業の公開はあくまで自己申告だ。誤魔化そうと思えば、いくらでも誤魔化すことが出来る。
それをうまく利用し、彼女は自分の職業とスキルを偽り、周囲を騙し続けていたのだ。
十香の言う通り、もしあの時『鑑定』があれば、彼女のウソを見抜くことが出来ただろう。……もっとも見抜いたところで、それを防げたかどうかはまた別問題ではあるが。
(でもどうしてそのスキルの事を自分に教える?)
ただ西野を自分の駒として操りたいなら、『鑑定』スキルのことをばらさずともこの女ならいくらでも方法があっただろう。
なのに、そのスキルの事をわざわざ自分に教えた理由は――
「言ったでしょう、西野君。私はアナタが欲しいって」
「ッ……!」
まるで自分の思考に答えるかのように、十香は言葉を被せてくる。
西野の反応がおかしいのか、十香はクスクスと笑った。
「……まさか『洗脳』が出来なかったから、今度は弱みを握って脅すつもりですか?」
確かに『同族殺し』は西野にとって隠しておきたい罪の証だ。
だが……もし十香がそこに付け込んでくるのならば、容赦はしない。
もしこのスキルの存在がバレれば、自分たちが『人殺し』だとバレてしまう。
そしてなにより『人間も経験値になる』という最悪の情報が周囲に知られてしまうだろう。
(それだけは駄目だ。少なくとも今はまだ……)
ようやく市役所が拠点として安定してきているとはいえ、常に綱渡りの現状だ。
何がきっかけで組織が破綻してしまうかわかりはしない。
そんな中で『人間も経験値になる』という情報が拡散してしまえば、確実に一線を越えてしまう人間が出てしまうだろう。
一度人を殺せば、その人間は確実に何かが変わってしまう。
最悪、『壊れてしまう』ことだってあり得るのだ。……あの時の六花のように。
(あの時のようなことはもう二度とごめんだ)
念願の親友に再会してようやくアイツは笑えるようになったんだ。
その顔を再び曇らせてたまるものか。
手に持ったナイフに力がこもる。
自分のためにも、仲間のためにも、この女は今ここで――、
「怖い顔……西野君、アナタ今とっても怖くて酷い顔してるわ」
「……」
ふぅ、と十香は息を吐く。
「……ねえ、西野君。自分が人殺しだって皆に知られるのがそんなに不安?」
「アンタには関係ない」
「関係あるわよ。西野君がどうしてそんなスキルを手に入れたのか、私はとても気になるわ。そもそも今の世界ならば、そんなスキル持っていてもおかしくないでしょう? それにアナタの事だもの。きっと何か事情があったのでしょう? そう、例えば相坂さんを助けるため、とか――」
「――『黙れ』」
気付けば、西野はスキルを使用していた。
『命令』。
他人やモンスターを強制的に従わせる、ある意味では十香の『魅了』と似た効果を持つスキル。
「それ以上戯言を口にするんなら、俺はアンタを殺す」
「……」
自分でも信じられない程、底冷えする声音だった。
彼の中の暗い部分が目の前の女を始末しろと訴えてくる。
誰にでも触れられたくない部分は存在する。この女はそれを無遠慮に扱いすぎた。
だが――
「……抱え込んでるわね」
ぽつりと、だがはっきりと十香は『言葉』を口にした。
西野が黙れと『命令』したにも関わらずだ。
「今の反応で確信したわ。西野君、アナタは人を殺した事をちゃんと『後悔』してるのね」
それは彼女に西野の『スキル』が効かなかったことの証明だった。
「安心したわ。アナタが葛木さんのように他人を『経験値』程度にしか思っていない人でなしじゃなくて」
十香は立ち上がり、ゆっくりと西野の方へ近づいてゆく。
自分に向けられたナイフなど、まるで目に入らないかのように。
「安心して。そのことを盾に、アナタを脅すつもりは全くないから」
「……信じられると思ってるんですか?」
「そうね。でも――『スキル』を使った上でなら信じてくれるんじゃない?」
「……?」
十香は懐から一枚の紙を取り出した。
その用紙にボールペンを使い、サラサラとすさまじい速さで文字を走らせてゆく。
「スキル『速筆』って言ってね、私の最初の職業『生徒会長』を取得したときに手に入れたスキルなの」
わずか数秒で、A四サイズの紙がびっしりと文字で埋め尽くされた。
「そしてこれが『書類作成』と『速筆』のレベルを上げたときに手に入れたスキル――『契約書』」
「……『契約書』?」
「ええ。西野君の『命令』の書類バージョンだと思ってくれればいいわ。紙に書かれたことに対して両者が同意した場合、その内容が『命令』として対象者に発動するようになってるわ。面白いスキルでしょ?」
テーブルの上に置かれた紙を西野は見つめる。
そこには大きな文字で『契約書』と書かれていた。
内容は先ほど十香が言った同族殺しやその口外についてだ。
(こんなスキルがあるのか……)
というかこの女、一体いくつのスキルを持っているのか?
アルパとの戦いでは炎の壁や泥の足場を作るスキルも披露していた。
明らかにスキルの数が異常だ。
(まさかこの女もカズトさんのような『例外』なのか……?)
学校に居た時点ではこれほどのスキルはなかったはずだ。
だとすれば再会するまでの数日間に何かがあったということだ。
(宮本たちが居ないことも関係しているのか……?)
再会したとき、彼女の腰巾着だった副会長の宮本や他の生徒会メンバーも居なかった。それが関係しているのだろうか? それともただ合流できていないだけか?
まあ、聞いたところで答えるわけはないだろうが。
「勿論契約だからね。破れば当然罰則があるわ」
「罰則っていうのは?」
「契約を破った場合に被る罰よ。それも契約書に書かなきゃいけないの。じゃないとただの口約束になっちゃうじゃない」
「……」
確かにその通りだ。
うーんと十香はわざとらしく悩むふりをして、
「そうね、それじゃあもし私が西野君の『同族殺し』を誰かに喋ったら、私が死ぬってのはどう?」
「ッ……!」
何を言ってるんだこの女は?
「驚いた? このスキルはそういうことも強制できるの。あくまで両者が合意すればね」
「……そうまでして、アナタは何が望みなんだ?」
紙に書かれたことは、一見すれば西野にはなんのデメリットもない。
もしこの女の言う通りこのスキルが本当ならば、この女の口から西野の情報が他人に知られることはないだろう。
あくまでこの女の事を信じるならば、だが。
「言ったでしょう? 私はアナタが欲しいって」
「……」
十香はゆっくりと手を伸ばし、西野のナイフを優しく掴む。
いつの間にか再び接近されていたことに、西野は気づけなかった。
「望むなら――私がアナタの『免罪符』になってあげる」
「免罪符……?」
「万が一、アナタのスキルが知られたら私の名前を出せばいい。私がうまく言いくるめてあげる。私が命令したといえば、誰も強くは言えないでしょう? これでも私はあのクズ――じゃないわね、藤田総一郎の娘だもの。発言力も信憑性も十分あるわ」
さらに一歩距離が近づく。
肉体的な距離ではない。
ゆっくりと十香は西野の内面に踏み込んでゆく。
「ねえ、西野君……アナタがどうして人を殺して、何をそんなに後悔しているのか私には分からない。でもこれだけは私が保証してあげるわ」
「……」
「アナタは――悪くない」
それは西野がずっと誰かに言って欲しかった言葉だった。
人を殺めた自分を、罪を犯してしまった自分を赦す免罪符。
甘く優しい毒のような言葉。それを十香は差し出そうというのだ。
「……どうして、そこまで……?」
分らない。
どうしてこの女はそこまで自分を欲するのかが。
町の人口や違和感に疑問を持ったから?
柴田や六花といった戦力を取り込みたいから?
それとも本当に――ただ純粋に自分の能力を欲してるから?
「理由を言ったら、アナタは私を信じてくれる?」
「……」
「それとも無償の善意は信じられない?」
信じられない。
信じられるわけがない。
学校でこの女が自分にしたことを考えれば信じられるはずなどない。
なのに……どうして自分の心はこんなにも揺らいでいるのか。
「俺は……俺は……」
「悩んでくれるって事はまだ見込みがあるって考えていいのかしら? じゃあ今日のところはそれで十分よ」
悩む西野に背を向け、彼女は悠然と玄関へと向かう。
隙だらけだ。
何らかのスキルを発動しているようにも見えない。
今なら確実に殺せるだろう。
そう、思ったのに――西野は動けなかった。
頭の中では、『今この女を殺しておかないと絶対後悔する』と訴えているのに、西野の体はピクリとも動かなかった。
「ねえ、西野君」
玄関の戸を開け、去り際に彼女は西野の方を向く。
「アナタの良いところ……いえ、弱点を教えましょうか?」
「……え?」
「――人に優しくされることよ。アナタは悪意や敵意には敏感だけど、誰かに優しくされるのには慣れていない。アナタが市役所へ来た時、私の父の優しさに触れ、彼を切り捨てられなくなったように、アナタはもう私を殺すことはできない」
だって、と彼女は言う。
「私がアナタを助けたいと思ったのは本心だもの。アナタはそれを理屈じゃなく本能で感じてしまった。だから、アナタは私をもう『敵』とは思えない。私を殺せない」
「ッ……」
楔は打ち込まれた。
強制的な魅了や悪意とは違う『無償の善意』。
それが自分にとって最も有効打だと彼女は知っていたのだ。
「じゃあね、西野君。契約したくなったら、いつでも歓迎するから」
そう言って、十香は去っていった。
静寂。
終わってみれば、最初から最後まであの女の手のひらの上だった。
自分の胸を支配するのは悔しさなのか、それとも別の感情か。
西野はしばらくの間その場から動くことが出来なかった。
一方その頃、彼女の父、藤田総一郎は市役所の応接室に居た。
口から煙を吐き出し、タバコを灰皿に押し付けると、目の前に座る一人の人物に目を向ける。
「いい加減話してくれてもいいんじゃねぇか、十和田?」
「……」
「市役所も安定してきた。住民の数も増えて、上杉市長の『町づくり』のスキルで出来ることも増えた。瓦礫の撤去、新しい居住区の建築、電気、ガス、水道も使えるし、食料の保存も出来るようになった。順調なんだ。ようやく人が住める拠点として機能してきたんだ」
だから、と藤田は続ける。
「そろそろ次に進むべきなんだよ。そろそろ『外』に目を向けるべきだ」
『外』――すなわち周辺地域、隣町や他の県。
他はどういう状況なのか?
被害はどの程度なのか?
この市役所のように『安全地帯』は存在するのか?
それを調べる上で、隣町からやってきた彼ら自衛隊の見聞きした情報は非常に重要だ。
特に彼らを壊滅させるほどの『脅威』がいるとしたら、早急に対処しなければいけない。
彼らがここに逃げ延びてきたということは、その牙がこちらへ向けられる可能性は非常に高いのだから。
なのに、だ。
「……」
十和田は口を開かない。
ただ俯き、顔を青くして震えるだけだ。
(蟻との戦いのときは全然普通だったのに、隣町の話をした途端にこれか……)
いったい何が彼をそこまで怯えさせるのか?
いや、彼だけじゃない。
他の生き残った隊員たちも同じだ。
みな、何があったのかを聞けば顔を青ざめ震えて口を閉ざす。
「頼む、十和田教えてくれ。隣町で何があったんだ?」
無理やり口を割らせても意味がない。
だから藤田にできるのは本心から頼み込むことだけだ。
「お前とは長い付き合いだ。お前が生き延びてくれてて本当に嬉しかった。だからこそ、お前がそんなに怯えてんなら、俺は何とかしてやりてぇ。頼むよ十和田、俺たちを頼ってくんねぇか?」
「……」
俯いたままの十和田を見て、藤田は溜息を吐く。
これは駄目かと思った、その時だった。
「……化け物がいる」
ぽつりと、十和田が口を開いたのだ。
「化け物?」
「ああ、化け物だ」
その言葉を口にしただけで、十和田の顔は蒼白になり、全身が震えていた。
刻みつけられた恐怖が彼の中で暴れているのだろう。
「そう、だな。怯えていても先には進めない。お前の言うとおりだよ」
意を決したように、十和田は顔を上げる。
びっしりと脂汗が浮かんでいた。
だが青ざめ、怯えながらも、確かにその瞳はまっすぐ藤田を見つめていた。
「全て話すよ。隣町で何があったのか。アイツの……あの化け物のことを――」
ぽつり、ぽつりと十和田は事情を話し始めた。
「……はは、手ひどくやられたな、これは……」
「ゴァァ……」
「気にしなくていいよ、タイラン。君は私の命令に従っただけだ。悪いのは指揮をした私であって、君に責任はない」
「……ゴァ?」
「どうして魔剣を使わなかったのかって? 使えば彼らが死んでしまうだろう? 私は本当に挨拶をしにいっただけだからね」
「……」
「大丈夫。顔は覚えてもらえたようだし、マーカーもしておいた。『嫉妬』の彼も居るし、どうせまた会う事になるんだ。それよりも問題は『暴食』の方だ」
「ゴァァ?」
「ああ、おそらく近いうちに動き出すだろう。腹を空かせる前に押さえておきたかったが、どうやら時間切れみたいだ。手当たり次第に喰ってるんだろう。予想以上に成長ペースが速い。アレの矛先がこの町か、それとも別の町に向かうかは分からないが、もしこの町に来た場合――」
「……」
「全て喰われるだろう。彼らも、この町も、何もかもね」




