134.市役所攻防戦 その2
なんだろう……妙な胸騒ぎがする。
『嫌な気配』がしたのは清水チーフたちの居る方向。
以前、コンビニで感じた様な『敵わない敵がいる』って感じじゃない。
もっと別の……ヘドロのようなドロドロとした『嫌な気配』だ。
新しいモンスターか? それとも――。
「おに――ナッつん! なにボーっとしてるのっ! 危ないよっ!」
「ッ……す、すま――すいませんっ!」
思考に耽る俺を現実に戻したのは、六花ちゃんの叫び声だった。
いかんいかん、また脱線してしまった。
索敵能力が上がりすぎるのも考えものだな。
入ってくる情報が多すぎて処理しきれない。
集中しろ、集中――
≪熟練度が一定に達しました≫
≪スキル『集中』がLV3から4に上がりました≫
あ、スキルのレベルが上がった。
内心ガッツポーズをしながら、俺は再び意識を切り替える。
狙撃しやすいポジションに付き、引き金を引く。
「――ギギャッ!」
放たれた銃弾は、こちらへ向かって来る蟻の一体に命中した。
一撃で絶命したらしく、そのまま蟻は魔石へと変わる。
≪経験値を獲得しました≫
流石に一匹倒した程度じゃレベルは上がらないか。
とはいえ、イチノセさんから貰った銃弾にも限りがあるし、無駄撃ちは出来ない。
(まあ、いざとなれば変化の術を解いて戦うけど……)
流石に命が掛かる場面まで隠し通すつもりはない。
それに今なら正体をばらしても西野君や六花ちゃん辺りが上手く説明してくれるだろうという確信がある。
何というか、信じても大丈夫だろうなって感じがする。
「殺虫剤! 放てっ!」
そうこうしている間にも、西野君たちは順調に蟻の数を減らしてゆく。
だが次の瞬間、
「ッ……『索敵』の反応が増えました!」
「何だと!?」
まだ距離はあるが、かなりの数の蟻達がここへ集まってきている。
感じ取れるだけでも三十匹以上は居るな。
「数と時間は?」
「三十匹以上、あと一分ほどでココへ来ますっ!」
「ちっ……だったら、先に正面の蟻を片付ける! いくぞ!」
「「「「「おおーっ!」」」」」
六花ちゃんと五所川原さんを先頭に、俺たちは蟻の群れへ突撃する。
あ、五所川原さんにぶっ飛ばされた蟻が宙を舞ってる。丸太すげぇ。
蟻達の動きもだいぶ読めてきたのか、他の学生たちの動きも更に良くなっている。
「しかし……予想以上に数が多いな」
「それだけ向こうも必死なのでしょう」
西野君の推測通り女王蟻が移動できないタイプのモンスターだとしたら、俺たちに見つかった時点で相当な危機感を募らせたはずだ。
(でも数で押し切るだけとは思えない……何か別の策も用意していると見るべきだ)
おそらく西野君もそれを警戒している。
だからこそ戦いに集中しながらも、常に周囲に気を配っている。
「おい、西野っ! 蟻達の中に上位種が混じってやがる!」
学生の一人が叫ぶ。
見れば、蟻が空けた穴の中から三体の上位種が姿を現した。
剣を持った二足歩行の蟻。
以前遭遇したソルジャー・アントだ。
「上位種の相手は六花がしろ! 一之瀬、五所川原さんは六花のサポートを! 他の者は邪魔が入らない様に周囲の蟻達を掃討するんだ!」
「「「了解っ!」」」
戦いはさらに激しさを増す。
そして、その間にも先程感じた『嫌な気配』は濃くなってゆく。
(なんだよ、くそ、集中できないだろうが……ッ)
おかしい。
いくらなんでもこんなに強く感じる事は今までなかった筈だ。
思わずスキルをオフにしてしまいたい衝動に駆られるが、それでは蟻達の気配まで察知できなくなってしまう。
(集中しろ、集中……)
引き金を引く。
ソルジャー・アントの一体が倒れる。
≪経験値を獲得しました≫
更に『嫌な気配』が強まる。
いくら『集中』しようともその気配は消えない。
まるでスキルが、俺に急かしている様にすら感じる。
馬鹿な。何を急かすって言うんだ。
スキルはあくまでスキルだ。
意思を持っている筈がない。
――じゃあ、どうして?
そんなの決まってる。
「ッ……」
俺は引き金を引く。
もう一体上位種の頭が吹き飛んだ。
≪経験値を獲得しました≫
≪クドウ カズトのLVが22から23に上がりました≫
よし、レベルが上がった。
これでようやく第四職業が解放できる。
はは、やったぜ。
「ぬおりゃあっ!」
そして六花ちゃんが最後のソルジャー・アントの首を刎ねる。
「うっし! レベル上がったー!」
「油断しないで下さい! まだまだ来ますっ!」
そうだ、集中しろ。
あんな奴ら、別にどうでもいいじゃないか。
どうなろうが、俺の知ったこっちゃない。
目の前の道が開ける。
「よし、走るぞっ! 地下街はもうすぐそこだ!」
「「「「了解っ!」」」」
雑念を振り払うように、俺は西野君たちと共に走り出した。
時間は少し遡る――。
カズトの元同僚チーム――清水たちは地下街を目指して移動していた。
「ここまでは何の問題も無く来ましたね……」
「そうね……」
位置的には市役所と地下街の中間くらいだろう。
ここまではモンスターに遭遇する事も無く順調に来る事が出来た。
感知スキルを持つ二条は油断なく周囲を見回す。
「こりゃあ、俺たちが一番乗りですかね」
「はは、かもな」
「ゆ、油断しちゃ駄目ですよ、皆さん」
彼女らのチームは全部で八人。
全員が彼女と同じ会社に勤めていた元同僚たちだ。
市役所を出てから二回ほど蟻達との戦闘になったが、数が少なく、殺虫剤も十分に準備していたため苦も無く倒す事が出来た。
やがて彼らの前に寂れた商店街が見えてくる。
自然と緊張感も高まる。
ピリピリとしたプレッシャーの中、声を上げたのは一人の男性職員だ。
「あの……チーフ、乗り込む前に一服良いですか?」
「井上君、君ねぇ……」
その提案に呆れる清水だったが、ちらりと腕時計を見る。
予定では、それぞれ地下街に侵入する位置取りに付いたら、発煙筒でお互いの安否を確認する手筈になっている。
市役所班、学生班のどちらの方角からも煙は上がっていない。
多少の時間はあるだろう。
「分かったわ。少しだけ休憩しましょう。ただし、一本だけよ?」
「ありがとうございます。あ、もしよければどうぞ?」
井上と呼ばれた男性は自分が背負っていたリュックからペットボトルを取り出し、清水に手渡した。
「あら、悪いわね」
「構いませんよ。荷物持ちはこういうのも仕事の内なんで」
他のメンバーにも水を配り終えると、彼は煙草に火をつけ、一服する。
彼と仲のいい同僚も同じように煙草を咥えた。
清水、二条もペットボトルのふたを開け、中の水を一口あおる。
「さて、ここからが本番ね」
「そうですね。うん……頑張らないと」
絶対に負けられない戦いだ。
二条は気合を入れ直す。
その時、ふと水をくれた井上と目が合った。
煙草をふかしながらも、手に持ったペットボトルには一切手を付けていない。
その暗い視線はじっと自分達に向けられている。
なんだろうか? まるで何かを待っている様な――。
「……え、あれ?」
不意に、身体の力が抜けた。
肉体が思うように動かず、二条はその場に崩れ落ちる。
「なに……これ?」
痺れて動けない。
見れば清水チーフも、他の仲間も地面に倒れ込んでいる。
立っているのは水を手渡した井上と彼の仲間だけだ。
「いひっ……」
そして井上の口が三日月の様に引き裂かれ、
「ひはっ……ははは、あはははははは、あーっはっはっはっはははははっ!」
狂ったように笑い声を上げた。
「いやぁーまさかこんな簡単にいくとは思わなかったわ」
「え? ど、どういう事? 井上さん……?」
「なんだよ、まだ分かんねーの? いひっ、二条ちゃん馬鹿だなぁ」
チャポン、と。井上は二条の脇に落ちたペットボトルを拾う。
「コレな、『麻痺毒』が入ってんだよ。コイツの『薬品生成』のスキルで作った特製品な。麻痺耐性スキル持ってねーやつだと五分くらいは動けなくなる代物なわけ」
井上は後ろでニタニタと笑う一人を見る。
彼は柴田と同じ『医者』の職業を持つ男だった。
だが『薬品生成』で麻痺毒が出来るなんて聞いた事が無い。
いや、スキルの効果に関しては自己申告による部分が大きい。感知系や後方支援関係に関しては特にだ。
隠していたのだ。今の今まで。
でも、何の為に?
その答えはすぐに分かった。
「さぁーて、毒が消えない内にちゃっちゃと始めますかね~」
未だに混乱し事態が読み込めぬ二条をよそに井上は懐からサバイバルナイフを取り出す。
そしてゆっくりと、彼は地面に倒れる同僚の下へと向かった。
「お、おい、冗談、だろ……?」
「なぁにが?」
痺れて動けない同僚の体に、井上は躊躇なく刃を突き立てた。
「ぐああああああああああああああ!」
絶叫が周囲に木霊する。
「い、井上君! 何を! 何をしているの、アナタは!」
「見てのぉ、通りですよぉ、しぃみずチーフぅ……」
ざくり、と。
再び井上は同僚の男性に刃を突き立てる。
二回、三回、びくん、びくんと刺された男性は体を震わせ、そして動かなくなった。
――死んだ。あまりにもあっけなく。
その瞬間、井上は「おや……?」となにやら首をかしげる。
そして「ああ、成程そう言う事なのか」と何やら一人で納得していた。
「えーっとですね、今、不慮の事故で仲間が一人死にました、はい」
「は……? あ、アナタ、何を言って……?」
「おーい、お前ら、そうだよな?」
「ああ、そうだな」「うん、事故だ事故」「しかたねぇよ」と彼の仲間たちはうんうんと頷く。
その光景に、清水と二条は茫然とする。
彼らは何を言っているのだ?
「いいですか、清水チーフ、俺たちの班は運悪く蟻の大軍に襲われたんです」
優しく、諭すような口調。
井上はナイフを手で弄び、ぐるんと首だけを倒れているもう一人の同僚へ向ける。
「ヒッ……ヒィィ!」
倒れた男性は自分が何をされるか理解したのだろう。
必死に逃げようともがくが、麻痺した状態ではあまりに無意味な行為だった。
スタスタと、井上が近づいていく。
「そして奮戦虚しく、同僚二人が死亡してしまいました」
ざく、ざく、ざく、と。
何のためらいもなくナイフを振り下ろした。
血だまりの中、男性は動かなかくなる。
「やっぱり」と井上は笑みを深くした。
「そして残ったメンバーは辛くも窮地を脱し、市役所へ戻ってきましたとさ。めでたし、めでたし」
手を広げ恍惚とした表情を浮かべながら元同僚だったモノを見下ろす井上。
「そう言うシナリオなんです。理解しましたか~?」
「狂ってるの、アナタ……?」
「酷いなぁ、差別用語ですよ、それ」
ハンカチでナイフを拭き、井上はさわやかな笑みを浮かべる。
「さて、清水チーフ。そして二条ちゃん。君たちには二つの選択肢があります」
にっこりと、彼は笑って、
「これから俺たちの玩具になって死ぬか、玩具になってその後奴隷になって生き延びるか。どっちがいいですかー?」
そんなふざけた内容を口にした。
「ふ、ふざけないで!」
「そ、そうですよ! どうしちゃったんですか、井上さん! それに他の皆も!」
必死に叫ぶも、井上らは気味の悪い笑みを浮かべるだけだ。
「あのねぇ、おたくら自分達の立場分かってんの?」
「それはこっちのセリフよ! こんな事をしてタダで済むと思ってるの?」
「思ってますよ?」
あっけらかんと、井上は断言する。
「今の世界で人を殺したくらいでなんだって言うんですか? しょっ引く警察も、それを裁く裁判所も無いんですよ? だったら我慢するだけ損じゃないですか。自分の好きなようにやりたいことをやって生きた方が得でしょう?」
ねぇ、そうだろ? と井上は後ろの仲間に同意を求めると彼らもうんうんと頷いた。
「……そんな生き方は人じゃないわ。ただの獣よ」
「じゃあ弱肉強食って事で。ああ、そうだ。さっきはああ言ったけど、実際あんたらに選択肢なんてないんだよ」
井上が手をかざすと、怪しい光を放つ首輪が現れた。
「なによそれ……?」
「スキル『隷属』。この首輪を装着した相手を自分の奴隷にするスキルなんです。発言も行動も何もかも俺の思い通りになるんですよ。ひひっ、昨日手に入れたばっかでレベルは低いけど、それでも二人くらいは何とかなるんですよねえ」
「嘘……ふざけないで! そんなスキル有るわけが……!」
「あるんですよぉ。本来なら『奴隷商人』って上位職に就いてなきゃ手に入らないスキルらしいんだけど……いやぁ、本当に『あの人』には感謝してもしきれねぇよ。こんな美味しい思いが出来るんだからなぁ。二人とも、俺らの奴隷としてたぁーっぷり可愛がってやるよ」
その言葉に二条と清水は青ざめる。
「いや……や、やめなさい……!」
「ひはっ、なんだよ、清水チーフ! あんたそんな顔も出来たんじゃねーか。やっべ、すっげーそそるわ」
「お、おい井上、さっさとやっちまおうぜ、正直俺もう我慢できねーよ」
「お、俺も」
「早くヤろーぜ。ずっとコイツらとヤれる日を夢見てたんだよ」
そして彼らの手が二人に迫る。
麻痺して動けない彼女達に抗う術などなかった。
(なんで……どうしてこんな事に……)
二条は目の前の現実が信じられなかった。
井上の仲間が後ろに回り、無理やり立たされる。
「さぁて、まずは二条ちゃんから始めようか」
井上の持った首輪が迫る。
スキルと本能が即座に理解する。彼の言ったことは事実だ。
あの首輪を嵌められた瞬間、自分は自分でなくなる。
彼の言う通りの奴隷――否、人形に成り果てるだろう。
そう思った瞬間、全身が恐怖に震えた。
「あ、あぁ……あ」
こんな……こんなところで自分の人生は終わるのか?
訳も分からず、想い人にも会う事が出来ず、彼らの奴隷に成り下がる?
そんなのは―――絶対に嫌だ!
「ぁ―――ああああああああああああっ!」
首輪が、井上の手が自分の顔に近づいた瞬間――二条は最後の力を振り絞り、井上の指に噛みついた。
「ぐあああああああっ! は、離せ! このクソアマああああああああ!」
「うぅうううううううううう!」
離さない。井上の仲間が必死に引き剥がそうとする。
必死に喰らいついて、そして彼女は井上の指を噛み切った!
ぺっと吐き出す。口の中に血の味が広がった。ざまぁみろだ。
「テメェ……ふざけんな、クソがああああああああ!」
「あがっ、あ、ごっ」
殴られる。何度も何度も何度も。
「麻痺が解けかかってんのか? あーもうっ萎えさせやがって……いてぇよ、くそが」
「お、おい……井上、大丈夫かよ? 一応治療して――」
「うるせえっ! 黙ってろ!」
井上は再び首輪を出現させる。
先程と違って油断はしていない。自分の体も、もう動かない。
今度こそ、彼女に打つ手はなかった。
でも諦めない……いや、諦めたくない。
絶対に生きて、あの人に会うんだ。
「たす……けて……」
「あ?」
「助けて! カズト先輩ッ!!」
「――ああ、分かった」
聞こえるはずの無い声が聞こえた。
次の瞬間、井上は大きく弧を描いて吹っ飛んだ。
「……え?」
思わず間抜けな声を上げてしまう。
何が起きた?
視線を動かし、そしてようやく井上が殴り飛ばされたのだと理解した。
そして、現れた人物を見て、二条は目を丸くした。
井上の仲間も、そして清水チーフすら呆然として現れた人物を見つめていた。
「あ……」
会いたくて、会いたくて、会いたくて。
何度もその姿を思い出して、泣きそうになった。
もしかしたらもう死んでるんじゃないか。
ずっと会えないんじゃないか。
そう思っても、それでも諦めたくなかった。
「――先輩……」
ようやく会えた。
この地獄の中でもう一度。
あの陽だまりの様な温かさをくれた彼に。
目から落ちる雫と共に、彼女はその名を口にする。
「―――カズト先輩ッ!」
そこにはずっと待ち続けていた男性の姿があった。




