110.文明の光
しばらく六花ちゃんを抱きしめていた西野君だったが、やがてハッとなって慌てて身体を離した。
「ッ……す、すまん、六花」
「へ?なにが?」
動揺する西野君。心なしか顔が少し赤い。
対して、六花ちゃんは特に意識してない様子。
この温度差である。
パンツの件といい、六花ちゃんってそういう男性に対してのガードが緩いよな。
細かい気配りも出来るのに、妙なところで大雑把というか……。
勘違いする男子とか多そうだ。おっぱい大きいし。
「いやぁ、青春だねぇ……」
そう呟くのはベッドに座ってこちらを眺めてるおっさんだ。
なんか見覚えがあるな……誰だったっけ?
あ、そうだ。
確かホームセンターで西野君たちにひたすら頼み込んでたおっさんだ。
生きてたんだな、この人。
その隣のベッドには不良君―――柴田君だっけ?―――もいる。
彼も無事に生き延びていたらしい。
(三人だけか……)
メールにあった通り、他の仲間はまだ逸れたままのようだ。
死んではいないみたいだし、連絡も取れてるなら遠からず合流できるだろう。
それよりも問題は……。
「と、ところで六花、お前と一緒に行動してた奴はどこに居るんだ……?」
「ああ、そっか、紹介するね。おーい、ナッつん―――って、あれ?」
六花ちゃんは後ろを向き、首を傾げる。
そしてキョロキョロと周囲を見回す。
室内に居るのは、藤田さん、六花ちゃん、西野君、不良君とおっさんだけだ。
さて、じゃあ俺はどこに居るのかと言えば―――。
「……そんな所でなにしてんの、ナッつん?」
ドアの方をジト眼で見ながら、六花ちゃんはそう言った。
はい、そうです。
俺は仮眠室に入った後、そのまますぅーっと気配を消して廊下に出ました。
んで、ずっとドアの隙間から、中の様子を窺っていた訳です。
なぜかって?
(だって、この方がイチノセさんっぽいだろ?)
彼女なら素直に入らず、「い、いや……私はここで待ってるから、いいよ」みたいな感じで中に入らないんじゃなかろうか?
多分、そんな気がする。
そして今の俺はイチノセさんなのだ。
ちゃんと彼女っぽい感じの行動をしなければいけない。
≪一定条件を満たしました≫
≪スキル『演技』を獲得しました≫
ほら、スキルだってそう言ってるじゃん。
ていうか、ラッキー。
なんか良い感じのスキルも手に入った。
「わ、私の事は気にしなくていいから話を進めて……」
「いやいや、気にするってっ。ほら、恥ずかしがってないで、こっちにきなよー」
ぐいーっと六花ちゃんに引っ張られる感じで中に入る俺。
そうそう、この感じ、この感じ。実にイチノセさんっぽい。
六花ちゃんに連行され、俺は室内に入った。
「……あ、えっと……」
西野君と目が合う。
「……久しぶりだな、一之瀬。その……俺の事、覚えてるか?」
「え……あの、その……」
え?西野君、イチノセさんの事知ってんの?
ヤバい、その辺の事、全然イチノセさんに聞いてない。
困惑する俺。
その反応をどうとらえたのか、西野君は大きく息を吐いた。
「……やっぱ覚えてないか。まあ、あんま話した事なかったしな。あ、でも大野の事は覚えてるだろ?一年だった頃、お前によく話しかけてたしな」
大野……大野って誰だ?
記憶をほじくりかえす事、数秒。
ああ、あの眼鏡君のことか。
不良君たちと一緒に居て明らかに浮いていたオタクっぽい感じの彼。
そうだ、確か大野君って名前だった。
(でも、その辺の事も全然知らんのよね……)
なので採る選択肢は一つ。
ささっと六花ちゃんの後ろに隠れる。
「ちょっ、ナッつんッ……!?」
悪い、六花ちゃん。
でも、ヘタに喋ってぼろを出すわけにはいかんのだよ。
六花ちゃんに隠れて、西野君の様子を窺う。
(……おや?)
すると、なぜか西野君は申し訳なさそうな顔をしているではないか。
どういうことだ?
(多分、ナッつんがイジメられてた時、見て見ぬふりしてたからじゃないかな?)
こそっと六花ちゃんが耳打ちしてくれる。
(え、そうなの?)
(うん。ニッシーは私が主導して、ナッつんをイジメてたって思ってたみたいだから)
ああー成程、そういう感じね。
よく分からんわ。
え、それ、どういう状況だったの?
(こんな事なら、イチノセさんにイジメの事、もう少し詳しく聞いとくべきだったかな……)
いや、でも向こうが話したがらないのを無理やり聞くのは、なんか嫌だし……。
先延ばしにしてたツケがここで回ってきたようである。
でも、まあ、向こうがむやみに話しかけてこないなら、それでいいか。
妙な罪悪感を抱えて遠慮してくれるのなら、こっちにとってはその方が都合がいい。
さて、どうするかと考えていると、勢いよくドアが開かれた。
皆の視線がドアの方へ集中する。
入って来たのは、眼鏡をかけた秘書風の女性だ。
というか、思いっきり知ってる顔だった。
(清水チーフ……)
アンタも生きてたのか。
二条さんや他の奴らが生きてたんだし、アンタが生きててもおかしくはないか。
相変わらず冷たそうな眼をしてるな。
「ッ……」
目が合う。
思わず身構えてしまうが、清水チーフは「誰だ、コイツ?」みたいな表情を浮かべてすぐに視線を逸らした。
(……バレてないよな?)
当たり前だ、変装してるんだし。
でもこの人、昔から妙に勘の鋭い所があるから油断出来ねーんだよな……。
ぶっちゃけ苦手だ。
「清水ちゃん?どーしたんだよ、そんなに慌てて」
「ハァ……ハァ……どーしたのじゃないわよ。探したわよ、まったく……」
彼女は眼鏡を上げ、姿勢を正す。
そして真剣な表情を浮かべ、
「藤田さん、それに他の皆も急いで一階のフロアに来て頂戴。上杉市長から大事な話があるそうよ」
……大事な話?
一体何だろうか?
俺たちは彼女の指示に従い、一階のフロアへ向かうのだった。
一方その頃―――。
一之瀬奈津は、市役所から少し離れたビルの屋上に居た。
この辺りでは一番高いビルだ。
市役所も含め、周囲の景色が一望できるベストポジション。
彼女のスキルがあれば、侵入は容易だし、モモのスキルがあれば鍵のかかった扉を開ける事も容易い。
こうして彼女は誰にも気づかれる事無くビルに潜入し、監視を続けていた。
「異常は無し、と……」
ライフルのスコープ越しに、市役所の様子を見つめる。
特に変わった様子は無い。
「んじゃ、次にこっち……お、ゴブリン三匹発見……」
市役所とは反対方面に目を向ければ、そこにはゴブリンが住宅地を闊歩していた。
距離はおよそ400メートル。余裕で当てれる距離。
タン、タン、タンと短い音が鳴ったと同時に、ゴブリン達は頭を打ち抜かれ絶命する。
「ん、命中」
監視と狩り。
彼女はこの二つを並行して行っていた。
監視も大事だが、経験値稼ぎも大事だ。
稼げるときに稼いでおかねばならない。
魔石も出来れば回収したいが、この状況では無理なのでそれは諦める事にした。
他のモンスターや野生動物に喰われる可能性もあるが、その時はその時だ。
(食べに来たモンスターが狩れるようなら、狩る。無理なら放置してカズトさんに報告する……)
これはカズト達と話して事前に決めた事だ。
モンスターや野生動物たちの強化と自分達のレベル上げ。
どちらを取るか悩んだ末、カズト達は後者を選んだ。
「すっかり暗くなってきたなぁ……」
日も落ちたし、お腹も減ってきた。
傍に置いたリュックからお茶のペットボトルを取り出し口に含む。
カズトが彼女の為にと準備してくれたものだ。
水や食料数日分に加え、寝袋や懐中電灯や替えの下着や生理用品もある。
とても気が利いている。
だが、なにより素晴らしいのが、
「モモちゃん、出ておいで」
「わんっ」
彼女の『影』から、モモが姿を現す。
以前はカズトの影にしか入る事が出来なかったモモであるが、パーティーを組んだ今は彼女の影にも入り込むことが出来るようになったのだ。
モモが現れた瞬間、一之瀬は満面の笑みを浮かべモモを抱きしめた。
そして思いっきりモフモフした。
「ん~~っ、モモちゃんは可愛いなぁー」
「くぅーん、くぅーん」
彼女のモフモフテクニックはカズトのそれにも勝るとも劣らぬ一級品。
その心地よさに思わずモモも感嘆の吐息を漏らす。
「ほら、モモちゃんもご飯にしよう。カズトさんがちゃんとモモちゃんの分も用意してくれてるから」
そう言って彼女はリュックから『超高級プレムアムドッグフード~もう貴方のペットはこの味から逃げられない~』定価17,890円を取り出す。
それを見て、モモ大興奮。
やった!と喜びの尻尾がぶんぶんである。
「んっふっふー、ほしいー?これがほしいのかなー?」
「わんっ、わんっ、わふー!」
モモの視線は『超高級プレムアムドッグフード~もう貴方のペットはこの味から逃げられない~』定価17,890円に釘づけだ。
その味は犬にとってまさに魔性。
このドッグフードの匂いをかいだだけで、しつけ中のワンちゃんが塀を飛び越えてまで食べにやって来たという逸話があるほどなのだ(当社談)。
そんな高級ドッグフードを皿に盛りつける。
「私は……緑のでいいか」
その横で、自分用のカップ麺特売68円もスタンバイ。
それと野菜ジュース。
お湯を沸かして、三分待つ。
後乗せサクサクこそ至高。
「んじゃ、いただきまーす」
「わんー」
ずるずる、はふはふ、ガッツガッツ。
景色のいい屋上で食べるご飯は美味しい。
それも大好きなモモちゃんと一緒に食べるのであればなおさら。
(でも……やっぱカズトさんとリッちゃんも居た方が美味しく感じるなぁ……)
誰かと一緒に食べるご飯は美味しい。
ほんの数日で、彼女の舌はすっかり温もりに肥えてしまった。
(寂しいからメール送っておこう)
ポチ、ポチ、ポチっと連続送信。
一応、一分おきに『異常なし』のメールは送っているが、ちょっと寂しさを紛らわすくらいいいだろう。
『異常なし』のメールの件数がすでに異常なのだが、彼女はそれに気付かない。
無論、カズトもちゃんとマナーモードにしている。
きっとメールの受信件数を見て心の中で悲鳴を上げる事だろう。
(二人も頑張ってるんだし、私も頑張らないと)
そんな感じにどこか間違った方向に気合を入れる一之瀬奈津。
「ふぅーご馳走様」
「わんっ」
食べた後のゴミはアカの分体に食べて貰う。
とってもエコだ。
「さて、監視を続けますか」
再び屋上から市役所の方を見る。
すると、信じられない光景が飛び込んできた。
「…………は?」
一瞬、見間違いかと思った。
「え?嘘?ほんとに?」と何度も見て確認する。
だが、何度確認しても同じだ。
「モモちゃん、アレ……本当だよね?私の見間違いじゃないよね?」
「……わん」
思わず隣に座るモモに訊ねる。
モモも驚いている。
自分の見間違いじゃない。
「……嘘でしょ?」
その光景に、彼女は絶句した。
ありえない。
信じられない。
そこにはあまりにもありふれた光景が広がっていた。
そして―――だからこそ、今の世界においては余りに異様な光景だった。
「……明かりが……ついてる……?」
文明の輝き。
『電気』の光が、夜の市役所を明るく照らしていたのだ。




