107.市長
「安全……地帯?」
その言葉に、西野は思わず自分の耳を疑った。
隣に座る柴田と五所川原も同じだったのだろう。
ぽかんと口を開けて、間抜け面を晒している。
「ああ、ここにはモンスターは入って来れない。そういう風に設定されてる」
「……」
信じられない、と西野は思った。
ゲームのようなセーブポイント?
いや、いまこの男は『設定』と言った。
(安全地帯を作り出す……いや、設定するスキル、もしくは職業……?)
統治、管理、いやそれとも結界?
様々な推測が思い浮かぶが確証はない。
「……信じられないって顔してるわね。ま、無理もないわね。私も最初はそうだったし」
くすりと笑うのは、藤田の隣に座る秘書風の女性、清水だ。
落ち着いた様子で足を組む彼女はまさしく大人の女性なのだが、それを見て藤田は笑う。
「だよなー清水ちゃん、彼ら以上に驚いてたもんな。嘘だっ!!って思いっきり泣き叫んでたし」
「ちょっ、それは別に今言わなくても良いでしょっ! それに私よりも二条さんの方がよっぽど泣き叫んでたじゃない!」
「いや、かもめちゃんは可愛いからいーんだよ」
「どういう意味よ! それじゃあまるで私がかわ……あ」
そこで清水は西野たちの視線に気付いて、バツが悪そうに顔を逸らした。
ついでにくいっと眼鏡を上げて姿勢を正す。
心なしか頬が少し赤い。
「と、とにかく彼の言っている事は本当よ。ここにはモンスターは入ってこない。だから安心して休んで頂戴」
「あの……それって一体どういう―――」
西野の言葉は最後まで続かなかった。
その前に、バァン! と勢いよく扉を開けて、一人の老人が応接室に入って来たからだ。
「ッ!?」
西野は思わず身構えた。
そして、入ってきた人物を見据える。
体格のいい老人だ。
高齢であるとわかるが、身に纏う雰囲気がそれを全く感じさせていない。
(というよりもどこかで見たことがあるような気が……?)
どこだっただろうか?
思い出そうとするが、疲れた西野の脳は「もう働きたくないでござる!」と思い出すのを拒否していた。
「おう! 戻ったか総一郎! 無事だったようだな! 心配したぞ!」
「……お疲れ様です、上杉市長」
藤田の言葉で、西野はようやく思い出した。
ああ、そうだ。この人、この町の市長さんだった、と。
確か今年で四期目の当選を果たし、その豪快な見た目や発言、そして確かな政治手腕で市民からの信頼も厚く、その知名度、支持率は知事や下手な政治家よりもよほど高いと言われている。
というか、実際この人が知事やった方が良いんじゃね?と思うくらいには優秀な人物だった……と思う。
「あー、西野くんたちも顔くらいは知ってるだろ? この人はこの町の市長で名前は―――」
「上杉澗正だ。よろしくな、若人たちよ。そして歓迎しよう! ようこそ、市役所へ!」
豪快に笑う市長は、どことなく藤田に似た気配がした。
ちなみに若人たちと言ったが、一人オッサンが混じっているのは普通にスルーされたらしい。ちょっぴり切ない五所川原八郎五十五歳。
「というか市長……どうしてここに居るんですか?」
「暇だったからに決まっているだろう! ずーっと執務室にこもりっぱなしでは、体がなまってしょうがないわ!」
「いや、暇って……」
はぁーとため息をついて、藤田は煙草を灰皿に押し付ける。
「その辺はご理解いただきたいですね。貴方に万が一のことがあれば我々は終わりなのですが?」
「うむ、それは分かっている。外には出んし、歩き回るのは役所の中だけだ。働いてくれている皆を儂なりに少しでも労おうと思ってな!」
「……そすか」
じゃあもうちょい聞く耳持ってほしいなーと思いつつ、藤田は隣に居た清水を見る。
彼女はコクンと頷くと、脇に置いてあったコンビニ袋を市長に差し出した。
「市長。今回の探索で得た魔石です。お納めください」
「おお、こりゃ助かる」
ひょいっとその袋を受け取ると、上杉市長は途端に上機嫌になる。
「さて、それじゃあ儂は他の者たちを労いに行ってくるとしよう。ああ、それと藤田、ベッドは今空いておる。若人との話しも良いが、まずは休ませてやれ。それじゃあの!」
そう言って嵐の様に市長は去って行った。
数秒、応接室を沈黙が支配する。
「……凄い人でしたね」
「まあな」
「それで、話の続きなんですが―――」
「いや、ちょっと待った」
藤田は手で西野の言葉を制する。
「とりあえず話は一旦ここまでにしようぜ。まずは、ゆっくり休んでくれ」
「え?いや、でも……」
こんな中途半端な。
まだまだ聞きたいことがある。
というか、まだほとんど何も聞いてないではないか。
そう思った西野だが、急に疲労感が押し寄せてきたのか、眩暈に襲われた。
「ッ……」
「ちょ、大丈夫っすか、西野さん?」
隣に居た柴田に支えられる。
「ほら、無茶すんじゃねぇよ。体の方はとっくに限界じゃねぇか。……いや、まあ、すぐに休ませてやらなかった俺らにも責任はあるか。すまん」
「いえ、……別に藤田さんの所為という訳じゃ……」
「ともかくだ。まずは休んでくれ。話しはその後でも出来るしな」
「……」
頷く以外の選択肢はなく、西野たちは素直に藤田の言葉に従った。
その後、西野たちは仮眠室に案内された。
業務用の安物とはいえ、久々のベッドの寝心地は、彼らを安眠させるのに十分であった。
それから数時間後―――。
日が沈みかけた夕方。
西野は目を覚ました。
(三時間くらい眠ってたのか……)
隣のベッドを見れば、柴田と五所川原はまだ眠っているようだ。
正直に言えば、自分もまだまだ寝足りないが、時間を無為に浪費するのも惜しい。
周囲に他の人もいないし、出来る作業は済ませてしまおう。
「……ステータス・オープン」
西野は自分のステータス・プレートを開き、『メール』の項目を見る。
(フジタ ソウイチロウ、シミズ ユウナ、ウエスギ カンセイ……全員本名か)
アドレス帳に表示された名前は、彼らが名乗ったモノと一緒。
どうやら偽名ではないようだ。
(警戒されていないのか、それとも警戒する必要がないのか……まあ、保留だな)
次に未読をチェックする。
案の定、彼の仲間から何件もメールが来ていた。
メールの内容と送信時間からして、まだみんな無事の様だ。
どうやら市役所の近くに潜伏しているらしい。
(……こっちに合流して貰うか)
西野は仲間に、『偶然を装い、こちらへ来てくれ』とメールを送る。
藤田は仲間を探すことに協力すると約束している。
ならば、彼らが自分からここを訪れたとしても無下には扱わないはずだ。
(後は、六花だな)
こっちにもメールを送る。
待ち合わせ時刻はとっくに過ぎている。
六花からもどうしたのかとメールが来ていた。
返信が遅れた理由、今居る場所や自分の知った情報も含めて彼女へ送る。
(……安全地帯、か)
先程はああ言ったが、藤田や市長との会話から推測するに、おそらくはあの市長が何ら安全地帯を作り出すスキルを持っている可能性は高い。
(市長か……もしかしたら、統治や為政のスキルか?)
西野は自分の初期獲得可能職業を思い出す。
生き延びる為にと、彼は『指揮官』を選んだが、他にも『冒険者』や『学生』、『委員長』や『政治家』なんて職業もあった。
こんな世界になって何を今更とも思ったが、もし自分の推測が正しいなら、モンスターと戦うためには関係ないと思っていたそれらの職業にも何らかの生き延びるための重要なスキルが備わっていたのかもしれない。
まあ検証しようにも、自分で試すわけにはいかないし、他の人に頼み込むしかない。
その辺は今後の課題だろう。
(とりあえずはこんなところか。さて、誰か人を呼んで―――ん?)
ふと、そこで彼はベッドの脇にある小さなテーブルに目をやる。
「……おにぎり?」
テーブルの上には、おにぎりとペットボトルのお茶が置かれていた。
皿の下には書置きが挟まっている。
―――毒なんて入ってねぇから、安心して食べな 藤田
そう書かれていた。
なんなんだ、あの男は。
少しは自分を疑えよ、警戒しろよ、心を許すなよ。
(これじゃあ、いろいろ考えてる俺の方が馬鹿みたいじゃないか)
……いや、自分は間違っていないはずだ。
いつ寝首を掻かれるか分からないこの状況で、他人を易々と信用する方が間違っている。
その筈なのに―――。
ぐぎゅるるる……。
腹が鳴った。
「……」
西野はおにぎりを口に運ぶ。
具は梅干しだった。
別に美味しくなんてない。
コンビニで売ってるおにぎりの方が上等だろう。
なのに―――
(本当に……調子が狂う……)
気付けば夢中で頬張っていた。
その味が、妙に彼の心に沁み渡った。
藤田は駐車場に居た。
煙草の煙をふかしながら、先程連れてきた少年たち+おっさんを思い出す。
(……ありゃぁ、相当色々抱え込んでるなぁ……)
信用されていない。
警戒されている。
それは一目見て、すぐに分かった。
(まだ高校生だろうに……)
アレは子供がしていい『眼』じゃなかった。
何があったかは知らないが、この五日間で相当な地獄を潜り抜けてきたのだろう。
助け出せてよかったとも思うが、同時にやるせない思いも湧いてくる。
(どうにかしてやりてぇがな……)
向こうが心を開いてくれなければどうにもならない。
少しずつ向き合って、信用を得るしかないだろう。
仲間も一緒に探すと約束したし、まずはその辺りから攻めてみるとしよう。
「藤田さーん、ちょっといいですか?」
「ん?どした?」
バリケードの方から、巡回に当たってた男性がこちらに駆け寄ってくる。
「いえ、ここに入れてほしいって女の子が二人来てるんですけど」
「なら入れてやればいいじゃねーか。んなこと、いちいち俺に許可取らなくてもいいだろ?」
「いえ、武器も持ってますし、それにその子達が『ここに西野君って学生はいませんか?』って聞いてくるんですよ。確か、午前中に藤田さんが連れてきた奴の一人がそんな名前じゃなかったかなって……」
「それを早く言えや!」
聞くやいなや、藤田は走った。
ちょうどバリケードの方から、二人の少女が降りてくるところだった。
二人ともかなりの美少女だ。
一人は、金髪の髪をサイドテールでまとめた、いかにもギャルといった見た目の少女だ。
制服を着ているから、多分高校生なのだろう。
リュックを背負い、腰には鉈をぶら下げている。
もう一人は桃色の髪をした、おとなしそうな見た目の少女だ。
こちらは制服ではなく、地味なジーンズにパーカーと、まるで男性が着る様な服装だが、何よりも目を引くのは背中に担いだ馬鹿でかいライフルだろう。
一体、どこで手に入れたのか?
(武器を持ってる……てことは、この子達もスキルを持ってるのか?)
とはいえ、無理やり奪い取るなんてわけにもいかない。
藤田はなるべく相手を刺激しないように話しかけた。
「……君たちかい? 西野くんの知り合いってのは?」
「そーだよ! てことは、やっぱニッシーはここに居るんだ。あー、良かったぁー」
「彼なら今、仮眠室で休んでいるよ。よければ案内しよう。えーっと……」
「六花だよ。相坂六花、よろしくね。ほら、おに―――ナッつんも」
「……い、一之瀬奈津です。よろしくお願いします」
「相坂ちゃんに、一之瀬ちゃんか。俺は藤田総一郎ってんだ。よろしくな」
藤田が挨拶をすると、二人の少女は頭を下げる。
「それじゃあ、さっそく西野くんのところに案内しよう」
思ったよりも早く、彼との約束を果たせそうだ。
そう思いながら、藤田は二人の少女と共に仮眠室へと向かった。




