105.声
「うおおー海だー!」
開口一番、六花ちゃんの元気な声が砂浜に響く。
公園から徒歩で数分。
俺たちは市役所近くにある海岸に来ていた。
静かな波の音、そして心地よい潮風が頬をくすぐる。
(海来たのなんて何年振りだろうな……)
少なくとも働き始めてからは一回も来ていない。
ああ、そうだ。海ってこんな感じだったわ。
いやぁ、懐かしいなぁ。
俺や後輩を休日出勤させておいて、主任や他の奴らが海でBBQやってる画像が送られてきた時には、この会社燃やしてやろうかと思ったよなぁ……。
はは、アイツら死ねばいいのに。
いや、もう死んでるかもな、普通に。まあどうでもいいか。
「分かっちゃいたけど、誰も居ませんね」
「そうですね」
隣に立つイチノセさんが同意する。
彼女は周囲を見ながら、
「モンスターも……居ませんね。少なくとも見える範囲には」
とても鋭い目つきでそう言った。
さっきから妙にピリピリしてるな……。
やっぱ六花ちゃんと何かあったのだろうか?
「ええ。ですが今は好都合です。早速スライムを探すとしましょう」
「はい」
「わんっ」
俺たちは早速スライムを探し始めた。
すると浜辺を歩いていた六花ちゃんが声を上げた。
「あ、みっけた!おにーさん、こっちこっち!」
彼女の足元には、打ち上げられた丸太やブイ、そしてスライムの姿があった。
「ナイスです、相坂さん」
近づき、確認すると、間違いなくスライムだった。
心なしかサイズが公園で発見したヤツよりも小さいけど、まあよしとしよう。
さっそく『影』で捕獲。
アカに吸収して貰う。
「……(ふるふるー)♪」
やっぱり海に来て正解だったな。
こんなあっさりスライムが見つかるなんて。
「あ、クドウさん、こっちにも居ましたよ」
「あ、私もまたみーっけ。つーか、すげ一杯いるよ」
「本当だ……」
こりゃ凄い。
浜辺には大量のスライムが居た。
ぷかぷか浮かびながら、波の間を行ったり来たり。
打ち上げられたクラゲみたいだ。
近づいても逃げようともしないし、コイツら本当に野性を生き延びる気あるのかと思ってしまう。
(……やっぱアカって、相当珍しい個体なのか?)
これまで遭遇したスライムは、アカを除けば全てこんな感じのばかりだ。
アカのように自発的に動く個体など殆どいない。
いや、そもそもよく考えれば、アカは色も違うし、モンスターなのに人間である俺に懐いたりと、考えれば考える程にアカは他のスライムとは一線を画しているように思える。
―――異常個体。
そんな単語が頭に浮かぶ。
「……(ふるふる)?」
アカは気泡をポコポコさせながら、どうしたのー?と俺を見つめてくる。
ゆっくりと近づいてきて、俺の脚に身体を絡みつかせる。
そのあまりの警戒の無さに、俺は思わず笑ってしまう。
「……いや、なんでもないよ」
プニプニと表面を指で突きながら俺は言った。ぷにぷに。
そうだな。アカはアカだ。
たとえどんなにイレギュラーな個体でも、俺たちの大事な仲間である事に変わりないじゃないか。
「わんわんっ」
「……(ふるふる~)♪」
アカを背に乗せながらとてとて歩くモモの姿はとても可愛かった。
「さて、と……」
スライムを探しつつ、俺はもう一つのお目当ての物を探す。
しばらく歩くと、探し物はあっさりと見つかった。
防波堤に並べられた無数の『それ』を見て、俺は笑みを深くする。
―――消波ブロック。
メジャーな言い方だとテト◯ポッド。
波のエネルギーを減衰・消散させる目的で海岸線に設置される岩の塊だ。
なんでも人くらいの大きさのサイズでも、軽く2トンはあるらしい。
凄いよな。
(廃車や自販機よりも、こっちを使った方が効率が良さそうだ)
数も十分ある。
今までよりも強力な質量攻撃が可能だろう。
俺は六花ちゃんの目を盗んで、アイテムボックスへ収納する。
(次のレベルアップ時には、アイテムボックスの拡張機能も上げておくか)
アイテムボックスがLV10になった際に追加された拡張機能。
『同時取り出し可能数拡張』と『効果範囲拡張』。
消波ブロックにこの二つの機能が合わされば、たとえ相手が群れで襲ってきたとしても対応可能だろう。
(でも……それはあくまで普通のサイズまでの話だ)
あのゴーレム。
あの巨体相手には、ブロックの雨を降らせたところで効果は薄いだろう。
アイツを相手にするにはもっと別の……何か強力な攻撃手段が必要だ。
(強力な攻撃か……ぱっと思いつくのは爆弾とかミサイルだよなー)
あと戦車。
戦車って男のロマンの塊だよな。
マイホームか戦車かどっち買うって言われたら、俺は戦車選ぶわ。多分。
とはいえ、そんなの手に入るわけない。
いや、自衛隊の駐屯地ならあるかもしれない。
でも一番近い自衛隊の駐屯地でも、ここから相当距離があるんだよなぁ。
車やバイクを使えば話は別だろうけど……三人乗りは流石にキツい。
(そもそも手に入れたとしても、使い方も分からないしなぁ……)
ヘタすりゃ暴発して自滅。
ラノベ主人公のように都合よく使いこなす事など出来るはずもない。
ああいうのは、きちんと訓練を受けた人間だからこそ、使いこなせる武器だ。
となれば、残る手段は一つ。
(ジョブとスキルを上げて、何らかの強力な攻撃スキルを獲得する)
結局のところ、そこに集約してしまうのだ。
生き延びるためには、死なないためにはモンスターを倒してレベルを上げるしかない。
それ以外に方法などないのだ。
「―――本当に?」
当たり前だろ。
それ以外に方法なんて―――。
「って、あれ……?」
「どうしたんですか、クドウさん?」
「いや、イチノセさん、俺、今声出てましたか?」
「声……?」
イチノセさんは首を傾げながら、俺を見る。
イチノセさんじゃない……?
「いや、だって今……」
いや、ちょっと待て。
そもそも今の『声』は、イチノセさんじゃなかった。
六花ちゃんとも違う、聞いた事も無い女性の声。
「ッ……!」
ハッとなって周囲を見渡す。
―――誰も居ない。
俺たち以外、この海岸には居ない……筈だ。
気のせい?幻聴か?
「クドウさん、本当にどうしたんですか?」
イチノセさんが心配そうに見つめてくる。
「……いえ、何でもないです。すいません」
「そう、ですか……?」
「ええ、そうです。さて、もっとスライムを見つけましょう。アカもまだまだ吸収出来るみたいですし……ほら、イチノセさん、行きましょう」
「え、あ、ちょ、手……っ」
不安を打ち消すように、俺は明るく振舞いながら六花ちゃんとアカの方へ向かった。
その後、スライム探しは順調に進み、アカは以前よりもさらに多くのスライムを吸収することが出来た。
だが、俺の脳裏には、先ほどの『声』が焼き付いて離れなかった。
アレは一体……誰の声だったんだろうか?
一方その頃―――。
「ハァ……ハァ……」
西野たちは商店街を必死に走っていた。
理由は単純。
彼らの背後には二十体を超えるジャイアント・アントの姿があった。
キシキシと不気味な音を立てながら、アリの群れは執拗に彼らを追いかける。
「くそっ……途中までは上手くいってたのに……ッ!」
商店街を移動していた西野たちは、再びアリ達に襲われた。
数も多かったが、彼の『命令』で動きを阻害し、柴田と五所川原が数を減らし群れを牽制しつつ距離を稼ぐ。
一撃離脱の戦法をとりながら、彼らは必死に逃げた。
途中までは順調だった。
だが、アリ達は減るどころか、次第に数を増し、彼らを追い立てたのだ。
(……それに必要以上に仕掛けてこない。こっちが弱るのを待っているのか)
仲間がやられて警戒しているのもあるのだろうが、それ以上にアリ達は自分達の体力が尽きるのを待っている様に見えた。
狩りの基本。獲物は弱らせてから狩る。
まさかそれをモンスターにやられるとは思わなかった。
(くそっ……頭はいいだろうと思ったが、まさかここまでなんて……)
西野は必死に頭をめぐらすが、考えれば考える程に状況を打破する方法が思いつかない。
どうする?どうすればいい。
焦り、疲労、恐怖、それらがジリジリと彼らの精神をすり減らしてゆく。
死ぬのか? こんな中途半端な場所で?
(冗談じゃない……!くそっ、くそっ、考えろ!考えるんだ!)
絶対に諦めてたまるか。
後ろを走る柴田と五所川原の目もまだ死んでいない。
折れかけていた心をなんとか奮い立たせ、必死に走る。
その時だった。
「おーい!こっちだー!」
声がした。
男性の声だ。
「ッ!?」
声のした方向を見る。
そこには空きビルがあった。
二階の窓から、一人の男性が自分達に向け手を振っている。
「こっちだ! なんとかこっちまで走ってこーい!」
(誰だ?……いや、誰でもいい……今は……)
精神と体力がもはや限界だった西野たちには選択肢など他になかった。
藁にも縋る思いで、西野たちは空きビルを目指すのだった。
「ぜぇ……はぁーはぁー……ッ」
西野、柴田、五所川原の三人が空きビルに入ると、ジャイアント・アントたちも空きビルへなだれ込んだ。
中には先程自分達に手を振った男性を始め、五人の男たちが居た。
(……アレは?)
彼らの手には一様に『ある物』が握られていた。
それはペットボトルほどの大きさで、黄色い筒に銃のような取っ手が付いている。
「よしっ!今だ!撃てえええええ!」
男性の合図と共に、彼らは侵入してきたアリ達に向けそれを放った。
ブッシュウウウウウウ、という噴射音と共に、白い煙がアリ達を襲う。
「ギィィィィィッ……!」
それはアリの悲鳴なのだろうか?
煙を喰らったアリ達は、次々に苦しみだしたではないか。
その光景に西野は目を見開く。
「……そ、それは?」
西野は自分達を招き入れた男性を見る。
眼鏡をかけた中年男性だ。
無精髭に咥えタバコ、着崩したワイシャツがよく似合っている。
「マグナムブラスター。バズーカタイプの殺虫剤だよ。本来はハエやアブなんかに使うんだが、これがあのアリ達にも有効だって分かってな。外に出るときは必ず携帯してるんだ」
「外……?」
「よし!アリ共の動きが鈍った!テメェら、やっちまえ!」
「「「「うおおおおおおおおお!」」」」
アリの動きが鈍ると、男達は鉈や斧を構え次々に襲い掛かった。
殺虫剤によって動きが鈍ったアリ達は、次第にその数を減らしてゆく。
「キシッ」「キシシシシッ」
「キシシッ」「キシシシシシシシ!」
残ったアリ達の反応は素早かった。
即座に身を翻し、撤退を選んだのだ。
「……た、助かった?」
西野がそう呟くと、傍に立つ中年男がタバコの煙を吐き出しながら満足げに笑った。
「みてーだな。あぶねーところだったな、少年」
「え……あ、はい、ありがとうございます。助けてくれて……」
命を救ってくれた中年男性に、西野は素直に頭を下げる。
「へぇー、見た目の割にゃ随分しっかりして……あ、いや、そりゃあ偏見だな。悪りぃ悪りぃ」
「あ、いえ、見た目の事で突っ込まれるのは慣れていますので……」
「そうかい。ああ、自己紹介がまだだったな。俺の名は藤田総一郎ってんだ。そこの役場の職員だよ」
「役場……?」
「ああ。まあなんだ、ここじゃ落ち着いて話もできねーし、一旦引き返すか。おーい、お前ら!撤収するぞ!あ、石はちゃんと回収しとけよ!ちゃんと持ってかねーと、かもめちゃんがうるせーからな」
無精ひげの男はてきぱきと指示を出してゆく。
その姿を見ながら、西野はその場に座り込んだ。
窮地を脱したことで、疲労感が一気に押し寄せてきたのだ。
(……ここは素直に従った方がいいな……)
こうして、窮地を脱した西野たちは、彼らと共に市役所へと向かうのだった。




