幼馴染
突然現れた二人の兵に番頭の男は顔色をなくした。店の主人を出せという前に、若い男が店の奥からのそりと顔を覗かせた。赤銅色の髪と琥珀色の瞳を持つ、いかにも悪餓鬼だったであろう風体の男だった。
「あんだよ……武装した兵士なんかに用はねえぞ」
寝起きなのか、だらしなく着崩した赤い着物の胸元を掻き、彼は大きく欠伸をする。
番頭が男を見上げて狼狽する。
「若旦那……何かしでかしたんですか」
「あ?」
「あなたがジンキ・シェスマンですか」
「……そうだけど」
彼は番頭に怒りの声を上げ、クロスには怪訝な表情で返事をした。クロスは感情のこもらない声で告げた。
「あなたは殺人犯の共犯者である疑いがあります。州城へご同行いただく」
彼は眉を上げ、すぐに怒りを露わにした。
「はあ? ざけんなよ、てめえ! 俺を誰だと思ってるんだ! 赤萄嵐の主人だぞ、おい!」
赤萄嵐はジ州でも一、二を争う有名な酒屋だった。元々老舗の酒屋だったこの店は、その経営が息子に移ってから目覚ましい繁栄を続けている。毎年新しい酒を造っては、売り上げを伸ばし続け、現状赤萄嵐の名を知らぬ者はない。
彼の横で番頭が顔を覆った。
「ああ坊ちゃま……とうとう……」
「てめえ、坊ちゃまって呼ぶんじゃねえ!」
彼は疑われることよりも、呼称が気になるようだ。
「旦那様になんとお詫びすればよいのか……」
「俺が旦那様だって何回言やぁ分かるんだ、てめえ!」
親父はとうの昔に引退してるんだよ、と怒鳴りつける様を眺め、クロスは腰縄を掲げた。
「よいだろうか。連行するぞ」
彼はかっと目を見開き、クロスを睨みつけた。
「てめえ、腰縄なんぞかけようってのか! この間の殺人事件で店の売り上げが下がる一方だってのに、これ以上 下げさせる魂胆か! なんだお前! 悪魔か!」
彼にとって店が最も大事なもののようだ。気持ちは分からないでもないが、こちらも仕事だ。
「……だが縄はかけないといけない。我慢してくれ」
「何もしてねえ俺なんか捕まえる前に、さっさと犯人捕まえやがれ!」
「……すまないな」
殺人犯を捕まえられない点については言い訳もできない。
番頭はしくしくと泣き始めていた。
「ああ、坊ちゃまが……悪に手を染めていたなんて……」
「染めてねえって言ってるだろうが! 俺はまっとうな経営しかしてねえっつうの! てめえ、うぜえ噂流したらただじゃおかねえぞ!」
「坊ちゃま……」
クロスはさめざめと泣く番頭の勘違いを訂正した。妙な噂を流したいわけではない。
「番頭殿。我々は彼を捕らえに来たわけではない。あくまで聴取の為に州城へ呼びたいだけで……」
横合いから怒声が上がる。
「じゃあ縄なんか用意するんじゃねえよ!」
クロスは煩い子供だと思いながら、真顔でジンキを見返した。
「目的は聴取だが、あなたが殺害に関与していないという疑いが零でない以上、連行という形でご同行いただかねばならない」
彼はクロスに目を据えて、短く息を吐いた。
「おい、上着出せ。縄なんか見せて外歩けるかっつの、糞が」
番頭は涙に濡れた顔をはっとさせて、慌てて店の裏から上着を持ってきた。随分と手慣れた判断力だとクロスは内心呆れた。子供の頃は相当遊んだに違いない。
クロスは溜息を堪え、店の前に付けた馬車に彼を乗せた。
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州の官吏と武官が連れ立ってきたのは、突然だった。彼らに呼ばれたのは桜花蒼姫の支配人とその下女、ティナだ。
連続殺人事件の関係者の疑いがある。州城への出頭を求める、と武官は言った。
目の前のやり取りが理解できず、ティナは目を皿のように大きくする。
シャグナの腰に紐を回そうとした兵に、彼は拒絶の言葉を吐いた。
「逃げは致しませんので、それはご勘弁いただけますか……。私はこれでも桜花蒼姫の顔でしてね……妙な噂が立っては売り上げに影響が出るのでねえ……」
甲冑で身を包みこんだ二人の兵は、眉根を寄せた。
「容疑がかかっている以上、拘束は免れない」
彼は小首を傾げ、ふうと息を吐く。
「やれやれ……これまで堅実に法を守ってきたというのに……」
彼の腰に紐が回された。
ティナを迎えに来た官吏が、見かねて言った。
「拘束具を見せつける必要はないでしょう。上着を羽織っていただいて結構ですよ」
「ああ、そうだな」
武官が頷くと、番頭が慌ててシャグナの上着を取りに走った。
事態が理解できないティナは、玄関の床に膝を折ったまま彼を見上げた。
「どうして、旦那様が……」
彼は苦笑する。
「まあ、すぐ戻るさ……。調べられる理由はよく分かっているしねえ……」
ああ、困ったものだと本当に困った様子で呟く姿が信じられない。いつでも人を食ったような態度で振る舞ってきた彼が、武官に連れ去られようとしている。
確かに彼の瞳は黒かった。だが殺人犯とされるのに、黒い目だというだけで拘束されるのは差別だと思う。
「でも、旦那様……旦那様は空を飛びません……」
彼は眉を上げ、噴出した。
「お前は……言うことが可愛いねえ。そうだねえ……無事に戻って来られたら……私に千の口付けでもしておくれ……」
「え」
どんな反応したらいいのか分からず、ティナは顔を上げる。
彼はくつくつと笑っている。
「冗談を言えるくらいには平気だから……安心おし……」
番頭が駆けてきて最も上等な上着を彼の上に掛けた。暑いなあと文句を言いながら、彼は店の外に止められていた馬車へ乗り込んだ。灰色の髪が揺れて、扉が世界から彼を切り離した。
「旦那様……」
「ティナさん?」
ティナの横で気遣わしげに首を傾げた官吏は、先日店に来た男だった。彼はうっすらと笑む。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですが……」
「いえ……いえ……」
何が大丈夫で何が大丈夫でないのかの判断もできなかった。呆然と膝立ちのまま見下ろすと、彼は一度背後の番頭を見上げ、苦笑した。
「あー……彼女は何も悪くないので、そう睨まないであげてください」
「本当ですか!? 何もしていないのですか?」
番頭はティナも殺人事件の関係者だと思っていたようだ。官吏は頷く。
「彼女のご弟妹が、昨夜お怪我をなさいましてね……。お近くにいるご親族はティナさんだけだそうなので、お忙しいところ申し訳ないのですが一度州城へお越しいただけますか」
全身の血の気が下がった。あの身軽な双子が怪我をして州城へ運ばれるなんて、大怪我をしていると言うことではないだろうか。
「酷いのですか……? どっちですか。まさか二人とも?」
彼は視線を彷徨わせ、苦笑いを繰り返した。
「酷かったのですが……今は酷くはありません……。お怪我は弟君のほうだけなのですが……妹君もお心に怪我をされておりまして……お姉さまを呼んでずっと泣いておられます」
ティナは番頭を振り返った。
「大変申し訳ございませんが、本日はお休みをいただきたく思います!」
番頭は腰の引けた反応を返した。
「あ、ああ……そうかい。気を付けて行きなさい……長くなるようなら、伝言を頼むんだぞ……」
「ありがとうございます!」
ティナは頭を深く下げた。初めて番頭に心から感謝したと、気付いた。
「では、行きましょう」
取るものも取らず、ティナは店の前についていたもう一方の馬車に乗り込んだ。漆黒の馬車の紋章が王家のものであることなど、欠片も気付かなかった。




