表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ガイナの神子─ 五章
95/112

狂気


 やめてくれ。めてくれ、めてくれ――!

 アランは内心絶叫した。遠い。距離が遠すぎる。

 紗江は無防備にも黒装束の男に目もくれず子供の前に跪き、力を開放した。光の柱が上がる。

「やめろ!」

 叫んだが、彼女には届かない。四方から駆けだした兵の足が竦む。光が強すぎる。眩しすぎる。何より、兵に彼女を守れる自信はないのだ。

 あの強すぎる力を前に、誰もが委縮する。そうならないように、あれは人間だといい聞かせてきたと言うのに、全てが無駄だったのか。

 力の全てを注ぎ込む。民にだけは甘い、神子。

 脳裏を絶望の映像が過ぎる。

 ――失う。

 失いたくない。あの甘い笑顔に一生触れられなくなる。耐えられない。

 黒い影が光の中で屈みこんだ。そして紗江の体に触れた。

 心臓が凍った。

 彼女の体にまでもあいつの手が――。

 彼女の命を失う瞬間を想像したアランは、咄嗟にその動きが理解できなかった。

 彼女の腰に手が触れた。その手は彼女の内臓を抉ることなく、表面をなぞって行った。

 ゆっくりと、じっとりと。

 指先に力を込めて、彼女の感触を味わうように。

 体を這いまわる。彼女の体が強張る。

 彼女の胸に到達した手のひらは、殺意とは違う意思を持って動いた。

 ねっとりと、いやらしく這いまわる黒い手。

 ――女として見ている。

 認識した瞬間、ばちりと何かが切れた。

 ――殺す。

 アランは抜刀した。彼女の光が薄れた。

 アランは彼女の傍で唯一動いた部下に、怒声でもって命令を加えた。



--------------------------------------



 ――ミツケタ。

 思わず口の覆いを下げた。光の渦の中で、恍惚の笑みが浮かんだ。

 ああ、やっと見つけた。こんなに傍にいたんだね。気付かなかったよ。

 やっと出会えた。私の――私だけの女。

 彼女の髪が光の渦の中で広がっている。なんて美しい髪だろう。

 餓鬼の胸の上に乗った指先。血に染まって、震えている指。

 ああ、なんて可愛いんだ。餓鬼が死ぬと思って、怖いんだね。

 なんて優しい子だろうね。

 ――興奮する。

 目の前にしゃがみ込んでも、彼女の瞳は餓鬼にくぎ付けだった。

 もうこの餓鬼はどうでも良いじゃないか。こっちを見てよ。

 もう一度その黒い目に私を映し込め。

 そして私に見とれ、恐怖に狂えよ――。



-------------------------------------



 腰に何かが触れて、紗江の体が本能的に跳ねた。

「……っ」

 腰に手が添えられていた。血に染まった掌と、美しい形の掌。両手が腰に添えられていた。

「は……っ」

 月の力を開放するための集中を奪う行為に、息が漏れた。苦しい。顔を上げると、目の前に顔があった。黒い布で頭を撒いた男だった。美しい顔の男は漆黒の目を見開いて紗江を見つめている。手のひらがずるりと上に上がってくる。体の形を楽しむかのようにゆったりと撫で上げる手が、胸の形をなぞる。

「や……」

「ああ……柔らかいね……」

 黒い目が情欲に染まった。恍惚としたその瞳が潤み、口の端がにいと上がった。

「私のものにおなり……」

 手のひらが脇を撫で上げ、鎖骨をなぞり、首に巻きついた。

 黒い目が唇に注がれる。男は自分の唇を舌で舐める。肌の全てを味わうように、手のひらが耳の裏を撫でて両頬を包み込んだ。

「は……っ」

 苦しい――。紗江は眉根を寄せた。

 男の目がぎょろりと開き、口から笑い声が漏れ聞こえた。

「いい顔……もっと苦しんでよ……」

 片手が後頭部に回った。血に染まった掌が首筋から喉元をねっとりと撫で降ろし、左胸の上に乗った。

「おまえは抱いてから殺してあげる……」

 吐息が絡んだ。濡れた唇が自分の唇を塞ごうと動く。

「いや……」

 黒い目に自分しか映っていなかった。全身に悪寒が走った。

「ビゼー、殺せ!」

 アランの声が聞こえた瞬間、紗江の体から黒い触手が剥がれた。白刃が目の前を裂いた。兵の剣が影の顎に向かって振り切られる。影は柔らかにのけ反り、そのままの反動で一回転すると空に舞い上がった。

 紗江の脇を力強く駆け抜けたアランが宙に舞い上がる。紗江は目を見開いた。命を削る――光の燐光が見えた。

「――…め」

 ――やめて。

 剣が横一文字に闇を切り裂く。白刃は影を引き裂いた。だが、影は宙を回転した。

 切っ先に衣を割かれた影は楽しそうに笑う。切り裂かれた自分の胸を見おろし、くくく、と声を漏らす。

「すごい。血が出てる……」

 布の間から滴る己の血を指先で拭い取り、恍惚と赤い舌で舐める。黒い目が全てを見下した色でアランを見た。彼の光が瞬いている。苦しい。紗江の瞳に涙が滲んだ。

 ――やめて、無理をしないで。

「ああ……お前、王子……? 飛べるんだ……」

 彼は興奮していた。興奮を抑えられないのか、両腕を絡めて自分を抱きしめる。彼の喉から笑い声が漏れ続けている。

「悔しそうだね……王子様……」

 アランの顎から汗がしたたり落ちた。

「──ちっ」

 アランは、だん、と地上に降りた。息切れをしている。消耗している。

 影は哄笑を上げる。

「長時間は無理だよね……普通の人間だもの――お前は」

 影は残酷な音色でアランを侮蔑した。怒りに、体が震える。

 にたりとアランを見おろし、彼は唇を舐める。

「あの女の体は柔らかくて気持ち良かったよ……」

「黙れ」

 アランは剣を強く握り込んだ。

「今度は中がどんな具合か、たくさんあえがせて確かめなくちゃ……」

 漆黒の瞳は、確かに紗江を見下ろして笑んだ。

「──」

 頭が真っ白になった。震える。血が、冷える──。

 アランが剣を一振りすると、四方から弓矢が放たれた。影は笑いながら闇夜に舞い上がった。

 瞬く燐光に包まれた子供の口からひゅっと呼吸が聞こえた。

 血濡れた指先は動かない。

 力を失った空洞を体内に感じ、紗江は項垂れた。わからない。

 何がどこから狂ったのか、何もかもわからなかった。

 月が雲に覆われて、光が届かない。

 凍える――。

 彼を救わなければならないのに――冷えた体が動かない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ