香り
※残酷な描写あり。
面白くない。面白くない。
夜を歩けば酔客が寄ってくるが、これを潰しても面白くはない。やはりあの女を手に入れないと気が済まない。
どうやったら手に入るのだろう。
椅子に横臥したあの女の姿が記憶から離れない。
ちらりと覗いた黒い瞳は、全てを見透かしているようで腹が立った。
お前に何が分かる。お前のような綺麗な場所にいる奴に、汚濁に染まったこの私の苦しみなど分かるはずがない。
なのにあの女。あの女。あの女――。
あの女はこの美しい私に見とれることもなく、穏やかに見下ろしていた。
穢れを知らぬ白い指先。酒を飲み下した細い喉。濡れた赤い唇。
ざわりと腸が熱くなる。
あの女の中をぐちゃぐちゃにしてやりたい。組み敷かれ、泣き叫び、命乞いをする姿を眺めた後で、体液で穢し、全てを暴き、晒してやりたい。
ああそうだ、今回ばかりは私の体だって使ってやってもいい。
あの女が苦しむのなら、なんだってしてやろう。
そうだ、あの女が欲しい。これほど憎いのは、あの女が手の届かない場所にいるようにふるまうからだ。
だが所詮あれは実体ある、ただの女だ。この世の聖女のようなお綺麗な顔を歪めるのはどれほど楽しいだろう。
ああ興奮する。あの女の中はどれほど気持ちが良いだろう。
泰然としたあの男の顔が歪むのも面白い。あの男の前で女の中を見せてやろう。暖かな体液が溢れだす様を見せて、絶望に落としてやろう。
私の体液で穢し、中をぐちゃぐちゃに掻き回して引きずり出し、骨肉を千切ってぼろ屑にした後で目の前に投げつけてやろう。
いい――。それはいい――。
ああ、体が震える。興奮する。
あの女の涙はどんな味だろう。あの無垢な肌はどんな手触りだろう。匂いはどんな――。
匂い。シュクハの匂い。胸糞悪い、あの女の匂いだ。
視線を巡らせると、毒々しい赤い花が目に入った。餓鬼だ。餓鬼のくせに、あの女の匂いを付けるなんて生意気だ。
あの女の匂いは、あの女だけが付けるべきだ。
この世に唯一無二のあの女を手に入れるのは、この私なのだから。
お前のような餓鬼はこの世にいらない。
可哀想に。そんな花、身に付けなければ良かったなあ。
だが悪くないだろう?
お前も夢を見られる。
この私の美しい手を中に差し込まれて、永遠の夢を見られるなんて……お前はなんて幸運な餓鬼だろうね……。
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「神子様がまだ街にいらっしゃいます」
目立つ髪色を隠すため、頭に黒い布を巻いたアランは息を吐く。
配置された位置から神子の姿を見た部下が報告をしに上がってくる。双子の護衛に付けている兵の内の一人だが、今回の配置を彼らも把握していた。
ルトの街の各所に武装した兵を配し、目星を付けた男の動きを追っているが、その間の報告にアランは淡々と応じる。
「そうか。引き続き双子の警護をしろ」
「は」
返事をしたくせに、ソラ伍長は戻らずアランを物言いたげに見る。薄暗い路地裏で薄汚れた店の壁に凭れた。腕を組んだアランは、皮の胸当てを身に付けている。街中で大捕り物をするわけにもいかず、対象が人気のない場所へ行くまで追い続けなければならなかった。甲冑など着ては音が目立って仕方ないからだが、最終決行のその時まで宰相の小言はやまなかった。
「なんだ」
鬱陶しい視線を無視しきれず尋ねると、ソラは顔色悪く躊躇っておずおずと口を開く。
「……あの、おこがましいのですが……神子様をお呼びになった方がよろしいのでは……」
「どうせ戻らん」
名を呼べば神子にはアランの声が伝わる。気が向けばアランの元へ戻るが、気が向かなければ永遠に戻って来ないのでやるだけ無駄だと思っている。
現在神子は屋根の上を転々としているらしい。月の色はまだ白い。あの月の色が金色に変わるまでが彼女に許された自由時間だった。月が金色に染まれば、あの体から抑えきれない金色の粒子が零れ落ちる。そうなれば神子であることを人に曝す羽目になり、城へ逃げ帰るしかない。
時間の問題だとアランは鼻を鳴らした。
「ですが……対象が近すぎるかと……」
「誰も気付かん。戻れ」
屋根の上に目を向ける人間はあまりいない。納得しかねる雰囲気を醸し出したが、上官の命令に背くわけにはいかず、ソラは頭を下げた。
「……今日は雲が多く流れております」
「……」
早口で言いたいことだけを言って行ったソラを睨みたい気持ちを抑え、アランは己の両腕をきつく掴んだ。
夜のルトの街は人が多すぎた。煌びやかな店の照明や勢いよく走り抜ける馬車。酒を飲んだ人間の不安定な足取りと、煩い笑い声。太陽はとうの昔に地平線に飲み込まれ、空はすっかり暗いというのに、街はいつまでも昼間のように明るい。
だが人工的な光が作り出す闇は深く、そこかしこに兵が隠れたとしても民は気付こうともしなかった。富に浮かれた人々の安穏とした表情が溢れかえる。ほとんどの店から楽の音が通りまで響き渡り、ちょっとやそっとの悲鳴では誰も気付かないだろうことは明白だった。
「例に呼び戻されてはいかがですか」
立ち去ったソラと入れ替わるようにクロスが路地の裏手から姿を現す。アランは眉間に皺を寄せた。
「対象は動いたか」
「飲み屋から先程出ました。現在は通りを歩いておりますが、足取りは早く、宝石商方面へ移動中です。こちらへ向かって来るものと思われます」
宝石商の集まる商店街は、こちらの歓楽街程は人気が無い。酔った客を相手にせずとも商品が売れるため、わざわざ夜に店を開かない。出来るだけ人気のない場所で捕らえたい。人ごみに気を使っている間に飛んで逃げられては、元も子もない。
「では朱治通りから下の兵をこちらへ移せ」
「は。……先程神子様は通りへ降りられました」
アランは殺意を込めてクロスを睨みつけた。
「……お前はあれの監視役ではないだろうが……」
先程から煩わしい報告が続く。仕事の最中に己の女を気にかけねばならぬ状況は、想像以上に感情を乱す。
クロスは困った表情をする。
「目の前を通られましたので、報告しないわけにも参りません。恐らく神子様は護衛が付いていることをお忘れなのでは?もしくは紅扇団のノナ州への帰還と共に、護衛を解除されたと勘違いされているかと」
「……双子の傍にいるのか……」
「ええ。ですから、一度お呼びになってみては。場所も近いですから、殿下の元へお戻りになるかもしれません。距離が近く、我々も動きにくい状況となっております。神子様に万一があってもいけませんが、兵は己の剣が神子様を傷つけることを恐れ、動きが鈍くなります」
クロスの背後から別の兵が顔を出した。
「対象が錦織通りを通過いたしました」
「神子様は七辻の辺りです」
二つの通りは距離として目と鼻の先だった。だがその通りならばこの場から目視で確認できる距離だ。
アランは路地から表通りに顔を覗かせた。青い布を巻いた己の神子がはるか遠くに見えた。隣に双子がいる。
「お呼び下さいね」
面倒な事だと思いながら、クロスと他の兵が配置に戻るのを待ってアランは彼女を呼んだ。
彼女の意識はこちらに向いた。首を傾げながらこちらの方向を見ている。歩いてきそうな雰囲気だ。
「歩いて来るな。転移して来い」
普段はちょこまかと転移を繰り返す癖に、距離が近いと歩こうとする。物ぐさなのか、そうでないのかよく分からない反応だ。
双子の内の少年が何事か言って離れた。神子は隣の娘を見おろし、そして動きを止めた。
黒い影が上空から舞い降りた。アランは目を見開いた。
「――――」
人混みに紛れ、対象を見失ったか――。
空に飛ばれれば監視の目が外れてしまう。それが今回の任務の弱点だった。
路地に潜んだ兵が立ち上がった。黒い装束で身を包んだ男は、堂々と通りの中央に立った。そして腕を振った。――兵の動きが遅い。
――くそっ!
アランは声を上げて叫んだ。
「――紗江、戻れ!」
そのまま動くな、そのまま何も見るな。
彼女が顔を向けてしまう。
血が凍る。
路地から駆け出したアランは、任務の全てが崩れる瞬間を認識し、絶望を予感した。
濃厚な血の匂いが鼻先を掠めた。
――遠い。




