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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ガイナの神子─ 五章
92/112

神話


 赤萄嵐の店舗は実は二棟に分かれている。普段は表通りに面した本館が解放されているが、上客の場合は裏の別館を使うようになっている。本館と同じ風情に統一された一階建ての館はあらゆるところに透かし彫りを施した、色気あるつくりになっている。灯火も明るくなり過ぎないよう、数を押さえ、客が落ち着くように考え抜かれたつくりだ。部屋には巨大な酒瓶や銘酒を彩りとして飾っており、部屋の中央に一枚板の巨大な机と、柔らかな長椅子が二つ、一人掛けの椅子を二つ用意していた。

 その長椅子に堂々と座っている店の経営者であるジンキは、向かいに座った桜花蒼姫の支配人――シャグナに酒を注いだ。

「最初に新酒飲めよ。番頭の野郎、金出し過ぎだとか言いやがって絶対店一番の売り上げにしてやる」

 シャグナもくつろいだ様子で背もたれに身を預け、渡された器をゆっくりと回す。ほんのり黄味がかったとろりとした酒を一口飲み下し、口の端を上げた。

「この酒の名前は決まったの……?」

「まだだ。思いつかない」

「いつものように適当に付ければいいのに」

 合いの手を入れたのは、一人掛けの椅子に座っていた男だった。ほっそりとした肢体と、美しいその顔つきはシャグナに系統が似ている。黒地に白の刺繍を施した地味だが質の良い着物を身に付けている。仕事柄、こちらの方がシャグナよりも女性的な顔をしているなとジンキは彼の顔を見ながら思った。

「今回の酒は本気なんだよ。適当な名前じゃ駄目だ」

 彼は翡翠色の髪を掻き上げ、興味もなさそうに酒を煽る。手つきは妙にしなやかで、こいつの隣に座る男どもは直ぐに目の色を変えた。男だというのに男に言い寄られることが多い友人を見やり、ジンキは目を据える。

「てめえ、ケイ。もっとありがたく飲めよ。ただ酒だからって水みてえに飲むんじゃねえ」

「ただなんだろう?たくさん飲むよ、そりゃ。旨いし」

「けっ」

 最後の言葉に浮かれてしまった。シャグナが見逃さず笑った。

「ケイはジンキをおだてるのが上手いね……。まあ僕も、この酒は上手いと思うよ……。何だろうな、この香り。花を使っているのだったっけ?」

「そ。ケイカの花を使ってる」

「この花の匂いがいいのだろうね……あっさりした甘味に丁度会う。女性客の方が好きかもしれないな……」

 今日は桜花蒼姫にこの新酒を置く契約話という名目でただ酒を飲む会を開いていた。雑技団の花形役者であるケイが先日シャグナの店に来たときに話を合わせておいた。三人は十代の頃に知り合った古馴染みだった。

「この間のお前の講演、泣くほど感動してる女がいたぞ」

 ケイは眉を上げる。

「この間って、シャグナの店の?」

 シャグナは澄まして酒を煽っている。

「そ。お前の講演見た後に女中やってる女が泣きだしたから、俺すげえ焦ったわ。隣で泣かれたら俺が泣かした見てえだろ? しかも俺が心配して声かけてやってんのに、何も言わず逃げやがった」

 ケイは漆黒の瞳を細めた。

「へえ? あんな踊りに感動するかなあ?」

「泣いている女も慰められずに、逃げられたんだよね……ジンキは」

 シャグナが意地の悪い物言いでこちらを見る。ジンキはどかりと椅子に深く腰掛け直した。

「煩さい。あの女はよく分からねえ! 鼠みてえに怯えてると思ったら、すげえいい笑顔になったり、急に泣き出したり」

 気になって仕方がない。今日は泣いていないか、香露は気に入ったのか、辛くないかと考えてしまう。ティナの上司であるシャグナはくつくつと笑っている。

「女はとかく分からない生き物だよ……」

 ふと、よく分からない女を思い出す。屋根で出会った奇妙な女。

「そういや、今日変な女に会ったぜ。屋根の上にいきなり現れやがった」

「なにそれ。女の子が屋根に舞い降りたとかいうなよ」

 ケイがにやにやとする。あんな話を真顔ですると、番頭と同じように扱われそうだ。ジンキの頬はほんの少しだけ染まった。

「ちげえよ。屋根で寝てたらもうそこにいたんだ」

 シャグナが酒をおろし、顔を上げる。

「屋根の上に……?」

「そ。傘なんか差していいとこの娘そのものの見た目のくせに、俺に気安く話しかけてくる変な女だった」

「綺麗な子だった? 顔は?」

 信じていない表情でケイが笑いながら尋ねる。やはり誰に話しても信じてはもらえないだろう。着物を着た娘が屋根に上るのは不可能に近いのだから。

「顔……?」

 物言いと態度が印象的過ぎて顔はとっさに思い出せなかった。髪の毛を青い布でまいた風体の女は、大きな黒い瞳をしていた。赤い唇に一瞬目を奪われたのを思い出す。

「ああ……ありゃあ口を開かなけりゃ相当な美人だな」

「僕より?」

 ケイの質問にジンキは舌を出した。

「お前なあ、自己愛が激しすぎるんだよ。ったく、お前と並べる女なんか早々……」

 いないと否定しかけて、ジンキはふと言葉を切った。肘掛に肘を置いて頬杖をつく。思い出せば思い出すほど、あの女は美しかった。美化されているのだろうか。

「ジンキが言葉を失う程に美しい女性か……。夢だろうね……」

「だあ!」

 シャグナが質問というよりは、独り言に近い物言いで合いの手を入れた。ジンキは自分の頬が熱いのが酒のせいなのか恥ずかしさからなのかよく分からないながら、ケイを鼻で笑ってやった。

「残念だな、ケイ。世の中にはお前より美人ってのは存在するらしいぜ」

「嘘。本当? 嘘でしょ」

 ケイは昔からその見てくれで売っているせいもあり、己の外見には十二分の自信がある。誰よりも美しくあるために血が滲むほどの努力をしている男だ。

 嘘だと言わない限り諦めない素振りだったので、おざなりに頷くとシャグナが目を細めて尋ねてきた。

「どんな話をしたの……?」

「あーなんだっけ。俺の酒を飲みたいっていきなり言うから、新酒を飲ませてやったら旨いかも、とか中途半端な感想言いやがる女だったなあ。好きな酒は桃糖酒とか言いやがって、これだからいいとこの娘は酒を分かってねえ」

「ふうん」

 シャグナの目が楽しそうに細くなった。本当に面白いと思っている顔だった。

「ねえ知っている……? ガイナ王国の神子様は……桃糖酒を毎夜嗜んでいらっしゃるそうだよ……」

 ジンキは眉を上げた。

「どこの情報だよ、それ」

「店のお客様だよ……。第一王子の城へ酒を直接卸す方の話だったから……きっと本当なんだろうね……。第一王子は甘い酒はお好みじゃないから……」

「神子だったりして?」

 ケイがけらけらと笑いながら言う。

 ――神子?

 屋根に舞い降りた気がした。そんなはずはないと瞬いたらもうそこにいた。だがそういえば、あの女の目は黒かった。

「あり得ねえ……あんな女が神子様だったら、俺は泣くぞ」

 傍若無人な物言いが印象的過ぎる女。

「まあ……そんなわけはない……。神子様は城の奥深くで大事にされているそうだから……」

 自分で言いだしながら、シャグナは自分で否定する。ジンキはシャグナを睨んだ。

「じゃあ最初からいうなよ。殺害現場を喜んで見に行くような女、神子様のわけがないだろ」

 シャグナは酒に視線を落としたまま眉を上げ、くつと笑った。

「ふうん……変わってる……」

「ジンキの店の近くだもんね。売上下がってる?」

 ケイが心配そうな目をする。全く迷惑な話だと頷いた。

「すげえ下がった。まあここ数日は無理だな。犯人がつかまりゃあ、みんな忘れちまうだろうけどなあ」

「そうだね……みんな忘れるの早いもんね」

 ジンキは酒を煽り、巷で流れる噂を思い出す。

「そうだ。殺人鬼は神子様だってつまんねー噂、聞いたか?」

「聞いたも何も、もうそこら中で言ってるよ。ガイナ王国の第一王子は鬼を飼っていらっしゃるって」

 夜な夜な人を殺しては内臓を抉る快楽殺人者を神子に仕立て上げて、何が楽しいのだと舌打ちする。ケイは不思議そうにジンキを見た。

「どうして怒るの? もしかしたら本当かもしれないよ。それに、神子なら……誰も捕まえられない。ずっと犯人が捕まらない理由もつくよね」

「ばーか。神子様がそんなことするわけねえだろ。この世の神だぞ」

 王子の婚約者としてガイナ王国に降臨し、贅を尽くした生活を送っているだろう神子が、人を殺す理由は見当たらない。人々に幸福をもたらすべき神の姿を汚されるのは、理由もなく腹が立った。

「そう? 夜な夜なこの世に不要な人間を排除されている……って。やりそうだと思ったけどな。ガイナ王国の神子は、ゾルテ王国の血を吸って蘇られたんだから」

「はあ……?」

 ジンキは眉根を寄せたが、シャグナは大人しく視線だけをケイに向けた。ケイは黒い瞳を細める。

「ガイナ王国の神子様はさ……ゾルテ王国の王族の血筋だという話だけれど、そこに立つために多くの人間を殺したそうだよ。荒廃の一途を辿るゾルテ王国の復興のために粛清をなさったんだって。これまでの腐敗した政治を取り仕切ってきた官吏を皆殺しにして、民の前に降臨したとき、彼女は全身血に染まっていたらしい」

「……」

 ぞっとする話だ。想像するだけで血生臭い。ケイは楽しそうに笑った。

「だからゾルテ王国では神子のことを『深紅の神子』って呼ぶらしいよ」

「……なんだそれ」

 それが本当ならとんでもない鬼だ。

「私が聞いた話は……少し違うよ……」

 衣擦れの音を立てたシャグナは、甘い表情でこちらを見つめていた。

「へえ、そうなの?」

 ケイの声が尖る。自分の話を即座に否定され、盛り上がった気持ちが曇ったのだろう。シャグナはケイの感情を取り繕ってやる気はないのか、ちらとだけ目をやって口を開く。

「ガイナ王国の神子様はゾルテ王国の公爵令嬢だよ……。神子様はゾルテ王国の内乱に巻き込まれたのだと……私は聞いているよ……。内乱を起こした賊に捕らえられたのだけれど、仲間割れがあったらしく……死闘となったその場所に取り残された神子様は、心労から美しい黒髪を失い……彼らの血に染め上げられたのだそうだ……。不幸にも内乱に巻き込まれると言う形でゾルテ王国の現状を知った彼女は、荒廃の一途を辿るかの国を哀れに思い、今も花籠を贈っている……」

「……おお、花籠な。それは俺も知ってるぜ」

 定期的にゾルテ王国へ送られる花の詰め込まれた馬車の話は、最近有名になりつつある。

 シャグナはケイとジンキを見やり、意味深に笑んだ。

「彼女が贈る花の色は深紅。だから彼女はゾルテ王国の民に『深紅の神子』と呼ばれている……。さて……どちらが本物の神子様なのだろうね……」

 ケイは詰まらなそうに足を組んだ。

「どっちでもいいよ、そんなの。どうせ僕らの知ったことじゃないんだから」

「お前が始めた話だろうが」

「そうだっけ?」

 シャグナがくつくつと笑う。ケイの機嫌も悪くなるからとジンキは話を変えた。

「そうそう。お前この間の客、大丈夫だったか? べたべた触りやがって、うぜえ坊ちゃん」

 桜花蒼姫の舞台の後に、酔った客がケイを抱きしめてべたべたと触っていた。ケイは慣れているのだろうが、僅かに不快気な顔をした。

「ああ、彼ね。彼はさ、自分の立場が分かっているから宴会の後は付いて来なかったよ」

「あいつシャグナにもべたべたするんだよな。綺麗な面してると面倒だな」

 シャグナは息を吐くように笑い、ケイはにこ、とした。

「美しき者の宿命だね」

「いってろ」

 けっと吐き捨てた時、館の扉が外から叩かれた。応じると、相変わらず怯えた表情のティナが番頭の後ろから小さく顔を覗かせた。

「お話しのところ、大変申し訳ありません……」

「おや、どうしたの」

 シャグナが即座に立ち上がる。ティナは手にしていた包みをシャグナに突き出した。

「あの、番頭さんからこれをお渡しするようにと……」

「ああ……そうそう。酒の見積書ね。わざと持って来なかったのに……あの人は本当に仕事が好きな人だ……」

 扉から涼しくなった風が舞い込んだ。ふわりと甘い香りが鼻を撫でる。ジンキは眉を上げた。同じ匂いだった。

「おい、嬢ちゃん。お前、なんか匂い付けてるか?」

「え? いえ……」

 香露も買えないような女が香水を付けるはずもない。どこから香るのかと顔を顰めると、シャグナがくす、と笑った。

「ああ、これじゃない……?」

「え? あ」

 シャグナの細い指先が、ティナの耳元に触れた。赤い花弁がティナの髪を彩っていた。

 ティナは少し照れくさそうに笑った。

「今日、妹と弟が私に会いに来てくれたんですけど……二人からお守りにって花びらを貰ったんです」

「お守り? 花弁が?」

 ティナを知らないはずのケイも興味を持って上半身を捻る。三人から見つめられ、ティナの頬は染まった。反応がいちいち初心で、男心をくすぐる女だ。

「あの……シュクハの花は……ガイナ王国の神子様の花なので……。せっかくだから、簪に付けて使わせていただこうと……」

 花籠に詰め込まれるのは、深紅のシュクハ。

「――」

 ジンキは目を見開いた。シュクハの花の香りだ。あの娘から溢れる香りは、シュクハの甘い香り。

 シャグナがティナの耳を撫でる。

「いいと思うよ。お前によく似合っている……」

「え、いえ……」

「弟君たちはどこに泊まるって……? 帰る前に挨拶をしておこうと思っていたのだけれど……」

「とんでもございません。さっきこちらのお店の前で別れたので……宿にもどると……」

 二人の会話はあまり良く聞き取れなかった。記憶が蘇っては繰り返され、吐き気さえ覚える。

『こんにちは、お兄さん』

 愛らしい笑顔。

『これ以上人が死んではいけないでしょ』

 甘い香り。

『気を付けてね』

 耳に心地よい声が木霊する。

『きっと殺人鬼があなたの心臓も取って食ってしまうから』

 お前に何ができるのだと、内心吐き捨てたあの少女が――。

「神子……?」

 ジンキは呆然と呟く。黒い目がひたとジンキを見つめていた。



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