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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ガイナの神子─ 四章
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銀糸の微笑み


 彼女は想像以上に箱入りのようだ。見るもの聞くもの全てが目新しく楽しい、という顔をしている。

「綺麗な窓ですねえ。色を重ねるのは大変そう」

 第八区画の宝石商街を一つ一つと訪ねていく間、彼女の感想は尽きなかった。本日三件目となる宝石商の窓に張り付き、中を覗き込んでいる。

 彼女が見ている宝石商の窓は確かに緻密な細工がされていた。複数の宝石を薄く切り、張り合わせて複雑な色を作り出している。

 ロティオは棚から書類を出しながら首を傾げている店の主人に苦笑した。彼女を店の中に促す。

「そうですね。宝石を張り合わせるのは難しいので繊細な細工です。触らない方が良いですよ。石とはいえ、非常に薄く切っていますから割っては大変です」

「宝石……? 窓に……?」

 彼女が目を丸くするので、ロティオも眉を上げた。

「宝石商の窓はたいてい宝石ですよ……。知らなかったんですか……?」

 彼女ははっと何かに気付いた顔で小首を傾げる。

「あっうっかり忘れちゃっていただけです」

 非常に可愛らしい仕草だったが、嘘だとよく分かる表情だった。着ている着物はいつも高級な一品だというのに、宝石商にも出向いたことがない。買い物に出る必要もないほど上等な家の娘なのだろう。どこの家の娘なのか、改めて不思議に思った。

「……ミコトさんは、どちらの家のお嬢さんですか?」

 変に下心があるのではと勘繰られないよう、努めて柔和に聞いてみると、彼女はぼんやりとこちらを見返した。

「家……?」

「家名ですよ」

 住所を応えられても困るなと説明を付け足す。彼女がきょとんと瞬いた時、少し前に見せるよういった店の帳簿を店主が棚の奥から出し揃えた。

「こちらですねえ。しかし三か月も調べ直されるとはさすがジ州の州官様は厳しいですねえ」

 年老いた店主は蓄えた白髭の下でふっくらと笑う。ロティオは直ぐに宝石が並ぶガラス棚の上に視線を戻した。

「手間を取らせてすみません」

「きちんとご報告したつもりでしたが……何か数字の間違いでもありましたか?」

 ロティオは笑いながら否定する。州官の間違いを民に知らせるわけにはいかない。輸入の数値と販売履歴を州城に上げられた数値と改めながら確認していく。どの店の記録を見ても同じだと内心うんざりしていた。たとえ抜き打ちでの調査でも店が宝石をどこかへ流していたとしたらそんな帳簿は絶対に出さない。

 ミコトは客のいない店内を自由気ままに見学している。彼女の着物に目を付けたのだろう、店主が気さくに声を掛けた。

「何かお好きなものはありますか……?」

「そうですねえ、こういうお花みたいな宝石は可愛いですね」

 そんな答え方をしたら買わされるのに、と内心思うが仕事の手を離してまで話しを止める気にならなかった。

「付けてみますか?」

「そうですね……あ、髪飾りなんですか?」

 どう見ても髪飾りだっただろうと横目に少女を見る。額から器用に髪全体に青い花模様の布を巻き付けた彼女の髪は見えない。店主は彼女の反応を笑って、彼女の耳の上に宝石を挿す。耳元に瞬いた宝石は彼女には少し甘すぎる作りだった。

「お似合いですよ……」

 鏡の前で彼女ははしゃいだ声を出す。

「わあ、綺麗ですねえ。こんなにたくさんの色の石があるなんて、不思議です」

「これはコートジスという石で、お嬢さんのつけているアントル石には遠く及びませんが、今娘さんたちに人気の石ですよ。この石は十二色あるので色んな模様を考えられます」

 ――アントル石?

 そんなものを持てるのは王族の血筋くらいだろう。彼女は王家の親戚筋に当たる娘なのかもしれない。

「どこで取れるのですか?」

 店主は興が乗ったのか他の石も彼女の髪に付け始めながら応える。

「これは第二区画と第三区画の鉱山から取れた石ですよ……」

「へえ? でも確か、第八区画の宝石店は第二区画から第六区画までの鉱山を利用しているのでしょう? この石はその二区画のみですか?」

 妙なところだけは詳しい。

「そうですねえ……この石は第二、第三、第五、第六区画に多いのですが……第六区画当たりの鉱山は買占めが酷いから私はその辺りから手を引いたんですよ……」

「ふうん 」

 そこで興味を無くすところがお嬢様だ。ロティオは帳簿から視線を外した。

「買占めはどちらの仲買人が?」

 店主はおや聞いていたのかという顔で振り返った。

「さて、詳しくは存じませんが。あれは仲買人を使っているようには思えませんがねえ……。区画そのものを買収しようとしているようだと、思いましたので……」

 そういう大きなものに飲み込まれるのは嫌でしたからねえと店主は彼女の髪にまた別の簪を指した。どうでも良いがどんどん飾りが大きなものに変わっていっている。

 一通り確認をして問題がないと判断したロティオは、ため息を吐きたいのを堪え店主に礼を言った。

「お時間ありがとうございました」

 ミコトが慌てて髪飾りを外そうとすると、店主は彼女に首を振った。

「ああ、構いませんよ。これは貴方に差し上げましょう……」

「いえ、そんなわけにはいきませんっ。私お金なんてもっていないのでお支払いもできませんし……お返しします」

 仕方ない。自分が払うかと彼女の髪を見たロティオは動きを止めた。

 ――容赦ないな、この店主……。

 彼女の髪に挿された飾りは最終的に十色の花弁を持つ花が三つ並ぶ品になっていた。ガイナ王国の形を模したその花は絶対にこの店の髪飾りの中では最高値のものだろう。

「いいえ。貴方にお贈りしたい花でございます……」

 店主はロティオの内心を読んだようにこちらにも首を振った。本心のようだ。

 彼女は狼狽する。

「そんな、お店の商品をもらうなんて駄目です。えっと……じゃあ、後で払いに来ます! でもア……家の人に駄目って言われたら、お品を返すことになりますけど……いいですか?」

 店主は笑みを深くした。

「そうですねえ……それは私からあなたへの贈り物ですから……お返しされるととても悲しいです」

「あ……っ」

 彼女の顔がごめんなさいと言っている。ロティオは内心首を振った。欲してもいない髪飾りを勝手に贈ると言っている人間に、罪悪感を抱く必要はありません。

「もしも気になるのでしたら、いつかあなたのご婚約者様とまたご一緒においで下さい……」

 ロティオは眉を上げる。彼女は頬を染めてほんのりと笑った。

「そうですね。お話ししてみます……」

 名家の娘ならば婚約者くらい当然だ。店主は店先まで二人を案内すると深く頭を下げて見送った。よほど彼女が気に入ったのだろう。布を巻いた髪の上からでも見事な煌めきを放つ花飾りは彼女の横顔にとても似合っていた。

「婚約されているのですね」

 何となく聞くと、彼女はこちらを見上げてはにかむ。

「はい。素晴らしい方です」

 彼女が婚約者に恋をしているのがよく分かる表情だった。やはりこれはという娘は己のものにすることは出来ないものだ。

 だが自分の家系も悪いはずはない。なにせ現宰相の弟だ。血統も悪くない。あちこちから縁談の話が持ち込まれ続けて早十数年。未だ独身を貫いている兄はもはや諦められている節がある。その代りとばかりに両親や親戚たちはロティオに縁談を迫り続けている。この娘がいいのだが、奪い取るのも手だろうか――。

 ため息を吐くと、彼女は心配そうに気遣ってくれた。

「大丈夫ですか? 頭が痛いのですか? 水分補給をした方がいいのではありませんか?」

 夏場の病気については知っているのかとロティオは口の端を上げた。

「大丈夫ですよ。でも水は買いましょう。次はこの奥の店に従業員の就業状況を確認しにいくので……」

 そこまで言ってはたと少女を見下ろした。しまった。全く何も考えていなかったがこの娘を連れて行っても大丈夫だろうか。

 ロティオの懸念を余所に彼女はぱっと顔を輝かせた。

「お店? 一等背が高いお店ですか? 見られますか?」

「は…い……。ですが、見たいのですか?」

 彼女は頷く。

「どんな建物なのか見てみたいです!」

「……うーん。あの、妓楼だということはお分かりですよね?」

 顎に手を当てて見下ろすと、彼女は停止した。明るい笑顔のまま表情が固まる。ロティオはにっこりと笑った。

「ミコトさん。止めておきましょうか」

「え……いえ、ええっと……」

 きっと彼女は今、目まぐるしく考えていることだろう。婚約者のいる未婚の女性が妓楼などへ、のこのこ向かってよいのかどうか。高貴な家の娘が後学のためという言い訳だけで許される行為とも思えない。

 彼女の迷いを後押しするためにロティオは説明を加えた。

「これから行くのは歓楽街です。これまで歩いてきた街が第八区画の表舞台ならば、これから行く場所は裏の舞台となります。宿屋や酒場、妓楼がひしめく大人のための遊び場です。貴方のようないいところの御嬢さんが行くところではないでしょう。失念していた私も悪かったです。相橋までお送りしましょうね」

「いいえ!」

 彼女は拳を握ってロティオを見上げる。

「はい?」

 聞き間違えがと耳を傾けると、彼女は一度俯いた。ほんの数秒の間に彼女は冷静な表情でこちらを見上げてきた。両手を重ねておっとりと笑みまで浮かべた。

「いいえ、ロティオ先生。私は、この目で見ないといけません。ご迷惑かと存じますが、私も共にお連れ下さい」

 妙に凛とした表情だった。

「……うーん。昼間ですから、酔客も左程いませんが良いのでしょうか。貴方のご婚約者は良い顔をしないと思いますよ。それだけが目的の街ではないので普通に女性も出入りはしていますが……私が行くのは妓楼です。この街で最高級店として名高い、女性を売る店なのですよ」

 彼女はもう衝撃を受けていないようだった。

「私の婚約者は怒りません。私は、この国を知らなければならないのです。この世の全ては無理でも、私が見られる全ては、この目で確かめたいのです。それに」

 彼女は黒い目を細めて小首を傾げた。

「ロティオ先生がいらっしゃるのですから、大丈夫でしょう?」

 ロティオは唖然とした。ここまで全幅の信頼を置けるその理由は何だろうか。よく知りもしない官吏を先生と仰ぎ、のこのこと宿屋のある街へ付いて行っていては貞操も危ないというものだ。

「……ご信頼は嬉しいのですが……そんなに簡単に人を信じてはいけませんよ。私が心無い人間で、あなたを無理矢理宿屋へ連れ込んだらどうするのですか」

「まあ、それはあり得ませんから大丈夫ですよ」

「え」

 彼女はころころと笑う。自分はそんなに根性のない人間に見えるのだろうか。

 彼女は顔を引きつらせたロティオの腕を引いて自ら街の奥へ進みだす。

「いや、あのミコトさん……」

「ロティオ先生のお話は良くお伺いしております。頭脳明晰、文武両道、全てにおいて素晴らしく抜きんでた心優しいジ州州官長補佐官様です。無知な私ですが、あなたの事は少なからず知っているのですよ」

 いったい誰からどんな話を聞いたのだ。尋ねようとした口を、ロティオは閉ざした。何となく、嫌な予感がしただけだ。弟には妙に甘く、口を開けば賞賛しか述べないあの兄から聞いていたら地獄だと思った。

 居酒屋や宿屋の外装は州の方針から地味な色合いへ変更された。黒い柱が目立つのは、定められた色の中で最も見栄えが良くなる色だからだ。それら地味な建築物の中で一際鮮やかに異彩を放つ朱色の柱と緑の屋根。最新の建築様式を採用したガイナ王国でも名高い高級妓楼『桜花蒼姫』を仰ぎ、彼女は感嘆した。

「すごい建物ですね……木造なのに、こんなに高く作るなんて怖い……」

 彼女の感想にロティオはくす、と笑った。

「確かに木造のみの構築でしたら少し怖いかもしれませんが、この楼閣は月の力を施した石の柱を中に組み込んでいるんですよ。だからこれだけの高さでも、どの店よりも頑丈だ」

 黒い柵の向こうには雅な庭園が覗き見える。入り口脇に飾られた花は生花だ。豪奢な花の脇に涼やかな水音を立てる壺が並んでいる。のれんの向こうからほんのりと良い香りが漂ってきていた。

「じゃあ中に入りましょうか」

 彼女は笑顔で首を振った。

「ちょっと周りを見てきていいですか?」

 ロティオは即答した。

「駄目です。後で付き合ってあげますから」

 俗世とはついぞ縁のなさそうな彼女を、通り過ぎる男たちが凝視して行っている。絶対に新しく入る遊女だと思われている。

「じゃあお庭覗いて来ていいですか? そこからです。そこ」

 彼女は玄関わきの柵の隙間から庭を覗きたいと繰り返す。ロティオは溜息を吐いて念を押した。

「それじゃあ私は店の人に声を掛けてきますから、ここに居るんですよ。他の人について行っちゃ駄目です。手を引かれたら叫んでください。声を掛けられたら無視をしてよろしい」

 彼女は鈴を転がすように笑った。

「無視だなんて。直ぐに私も中を覗かせていただきます」

 呑気なものだが、仕方ない。仕事を遅らせるわけにはいかない。

 のれんを潜ったロティオは玄関先に座っていた店番の男に訪問の旨を伝えた。桜花蒼姫は玄関だけでも広い。一段上になっている板張りの広間には、花と絵が飾られ、店番の男も机と椅子を持っている。この担当者はいつ来ても書き物をしている。

 男はすぐに奥へ駆けて行き、連れてきたその人に眉を上げた。

 女かと見紛うほどの美しい男が気だるげな様子で顔を覗かせた。深い緑の刺繍を施した高級な着物を惜しげもなく床に引きずり、合わせは計算なのか開き気味だ。しかも良い匂いが漂ってくる。遊女だと言われれば信じる者もいそうな色香をまとった男――桜花蒼姫の支配人だった。

 彼はうっすらと笑みを浮かべた。

「お久しぶりでございます……。本日はどのようなご用件で……?」

 涼やかな声は耳に心地よいが、警戒しているのか僅かに固い。厳重な法整備のため、国政の人間が少なからず出入りするこの店の支配人とロティオは顔見知りだった。

「番頭さんはお忙しいのですか? あなたがいらっしゃるのは珍しい」

「番頭は昨夜から機嫌が悪くてねえ……州官様に失礼があってもいけないから……私が出たのですよ」

 彼は優雅にロティオに玄関先に腰をおろすよう促す。機嫌次第で態度が変わる人間が何故最高級店の番頭なのか、はなはだ理解に苦しむが、店の人員配置にまで口は出せない。向かいに腰を落とした彼は特に何とも思っていない表情だった。間をおかず店番の男が茶を用意して置いていく。

 ロティオは苦笑するに留め用件を口にした。

「お忙しいところ申し訳ないのだが、先だって申告のあった従業員の雇用について確認をしたい」

「ええ、どうぞ」

 手元にある店の登録書を確認する。新しく従業員が増えたのはいいが、この従業員の年齢が問題だった。

「ティナさんですか。彼女はまだ十五歳と未成年ですから、遊女への登録は出来ません。現在の雇用状況はどのようにされていますか」

「……現在は下女をさせております。……女中への雇用変更を検討していますので……先日試用として働かせてみたところです」

 頷きながら書類の備考に目を落とし、片眉を下げる。

「彼女の登録住所なのですが……就業に関する法の通知を送ったところ存在しませんでした。現在はどこにお住まいですか?」

 彼は意外そうに目を上げ、ふと息を吐いた。

「ああ……そうですか。お手数をおかけして申し訳ない……あれはこの店に住み込んでおります」

「そうですか。ではご本人との面接をしますから、呼んでいただけますか?」

 彼は何故か僅かに眉根を寄せた。ロティオの顔をじっとりと見つめ、尋ねる。

「そうですねえ……今日はお一人でしょうか……?」

「は?」

 普通州官は一人で動くものだ。人員の数に限りがあるため、二人一組になるのは珍しい。

 彼はたらたらと話を続ける。

「いえね……あれはどうも……人見知りをするので……あなたに失礼な態度を取るのではないかと……」

 ロティオは淡々と告げた。

「州官の面接に応じない場合は公務執行妨害として検閲対象になりますよ。」

「存じておりますがね……」

 ロティオの顔を不満げに見つめていた彼の視線が、背後に流れた。共に振り返るとミコトが店に入って来たところだった。背後から光を受けてまるで別次元の人間に見えた。

「おや……」

 支配人の口の端が上がる。明らかにいい素材が店に来たと思っている顔だった。彼女は無防備に彼を見返し、笑んだ。

「こんにちは」

「こんにちは、お嬢さん……。初めて見ますが……この店にどのような御用で?」

「彼女は私の連れです」

 即座に遊女候補ではないと声ににじませると、彼の目は面白そうに揺れた。

「おや……それは残念だ……」

 違うと言っているのに支配人は彼女を手招きする。素直に応じる彼女には警戒心というものが無い。

 支配人は色香ある眼差しで彼女を見上げた。

「あなたのようなお美しい方に出会えるとは……今日はなんと素晴らしい日でしょう……」

 恥ずかしげもなく彼女を褒め称える。その見てくれと色香でどんな女も手玉に取る男だ。初心なミコトも手玉に取られるかと見やるが、彼女は穏やかな笑顔だった。

「ありがとうございます。貴方もとても美しい方ですね。どきどきしそうです」

 彼だけでなくロティオも眉を上げた。あっさりと賞賛を受け流した。更には全くどきどきしていない調子で彼を持ち上げるとは、意外だ。

 支配人は一瞬言葉を失ったものの、喉の奥でくつくつと笑った。

 ひとしきり笑うと、彼は艶のある笑みを彼女へ向けた。男の自分ですら寒気が走る笑みだった。

「褒めてくれてありがとう……。私に興味がある……?」

 彼女は素直に頬を染めた。花も恥じらう乙女のような反応を見せながら、彼女はしっかりと受け答える。

「そうね、どうかしら。あなたに私は必要じゃなさそうだわ」

 彼の笑みが深くなる。

「そんなことはない……どう……少し私と話をしないかい……?」

 ロティオは眉間に皺を刻んだ。目の前で連れを口説こうとしないでほしい。どうせこの男は彼女を遊女にすることしか考えていない。

 彼が手を伸ばしたとき、彼女は一歩下がった。支配人は眉を上げる。

「……また今度ね」

「どうして……?」

 支配人が楽しそうに笑みを浮かべる。ロティオは内心驚いていた。彼の顔にまともな感情が乗る姿をこれまで一度も見たことが無かった。いつも浮かべる表情は外面でしかない。彼の後方で静かに座っている店番の男さえ目を見張っていた。

 彼女は小首を傾げた。布の合間から彼女の髪が少し零れ落ちた。先程の宝石店で触られた際に弛んだのだろう。

 零れ落ちる髪の毛に目を奪われた支配人が視線を上げると、彼女は何も言わずただ笑んだ。その笑みは母のように穏やかで、安心させる何かがあった。

 まだ食いつくだろうと思ったが、彼は静かに引いた。何事もなかったようにロティオに目を移し、頭を下げた。

「お二人でお越しいただけて良かった……。女性が一緒なら安心だ。今呼んでこさせましょう」

 支配人が片手を上げると、店番の男がまた建物の奥へ消えていった。



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