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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ガイナの神子─ 三章
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手紙


 仕事は永遠に終わりを告げなかった。毎夜毎夜どこまでを区切りとするか迷う。王城の国務管理省第一執務室にはアランとフロキアだけだった。有能なフロキアの秘書は帰宅時間を違えない。時折、自分は彼女よりも能力が劣るのではないかと錯覚を覚えるほど、彼女の仕事は計画的だった。

 夜も深い頃間だがフロキアは顔色一つ変えず書類を読みながら呑気な雰囲気で話しかける。

「そうそう、この間久しぶりにロティに会いに行ったんだけどさあ、酷くない? 虐め?」

「……何の話ですか」

 鬱陶しいという思いを包み隠さず返答したが、彼に効果は無い。

「だってさあ、あの子家に帰って無かったんだよ。家に会いに行ったらまだ州城にいるって家令に言われたんだよ。何時だと思う? 深夜二時だよ」

 深夜二時に訪問される弟というのも不憫なものだ。寝ていたら容赦なく起こすつもりだったに違いない。

 積み重なった書類を選ばずに掴み取ったアランは、軍部の報告書に目を眇めた。先日ジ州であった殺人事件の書類だった。発見した子供の責任者が警護を跳ね除けたため、強制的に配置を決定した認可証だ。ジ州の書類が混ざっている。フロキアの仕事と混ざってしまったら煩いことになる。

「ちょっと聞いてるの? 上司のありがたい小言を無視するなんて偉くなっちゃったもんだよねえ……」

「聞いております。無理を強いた記憶はありません。輸出入の数値を合わせろと命じただけで、たとえそれが数か月前から続いていたことだとしても早々に解決させるべきだと思わないかと相談しただけです」

「ええーそれって州官長補佐官の仕事じゃないんじゃない?」

 アランは眉間に皺を刻んだ。ジ州の書類の下に家に贈られてきた文書が混ざっている。仕事の合間に目を通そうと思っていたものだ。存在を忘れて他の書類の間に混ぜてしまったようだ。

「補佐官というのは長の仕事を手伝うのが仕事です。宝石の輸出入の管理が国土管理省の調査官の仕事であったとしても、調査官だけでは足りなければ他部省の手を借りねばならない。他部省の手が足りないのであれば、州を管理する私の仕事となるのです。そして私を手伝うべき補佐官は当然私の仕事の一端を担うのですから、輸出入の調査に出てもよい」

「屁理屈だねえ」

 どこからどこまでが家に送られた書類なのか確認するのも億劫だ。

「それに移民届を出した者へ就業する際の申告義務を通達していなかったのは彼の管理不行き届きです」

「え、そうなの?」

 どういう意味で尋ね返しているのだろうか。申告義務の通達忘れに対してか、ロティオの責任としたところに対してか、判然としない。アランは鬱陶しいなと思いながらフロキアを睨んだ。

「移民届を出していても申告の住所に住んでいない者が複数あります。日中はそれを探して訪問しているようです」

「嘘……君、えげつないね……」

 フロキアに言われる筋合いはない。アランは手近にあった封筒を無造作に掴んで開いた。

「私はそのような命令は出していません。宝石商への直調査と兼ねてしているようですから、丁度良いのではありませんか。…………」

 開いた書類から花の香りが漂った。家に届いた招待状かと目を落とし、アランは口元を引き結んだ。フロキアの揶揄は聞こえなくなっていた。


『──元気にしていますか。

 私たちは以前よりも忙しい日々を過ごしています。

 シュクハの花は最も困窮した地域の大地を潤すために、慎重に使っているよ。

 ありがとう。君がこの世界へ来てくれてくれたことを、心から嬉しいと思う。

 こういう書き方をすると、君の力が全てのように聞こえるかもしれないね。

 けれど私は心から、君に出会えたことを感謝している。

 君がこの世へ導かれた奇跡を、神に感謝しない日は無いよ。

 ただ一つだけ我が儘を言えば、君と一緒に暮らせないのがとても残念かな。

 そうだ、先日リビアと君の話をしたよ。

 リビアは君は陽菜にそっくりで、私と似たところは一つもないと言っていたんだ。

 確かに君は陽菜にそっくりだけれど、君の鼻は私に似ているんじゃないかなと私は思っているんだ。

 どうだろう? 君はそう思わないかな。


 陽菜がこの世界へ舞い降りた日を、私は今も昨日のように思い出せる。

 あどけない顔の可愛い女の子が父に手を引かれて庭で遊んでいた兄と私に紹介された。

 ――一目で恋に落ちたと言ったら信じてくれるかな。

 陽菜はまだ小さいのに、国政に携わらなければならなかった。

 私も帝王学を学んでいたけれど、彼女は月の力を振りまく役割を担っていたから、良く政府の人間と行動を共にしていた。

 大人の中で毎日を過ごす彼女はとても臆病で、不安になると良く私の部屋に逃げ込んできた。

 自分がしていることは本当に正しいのか分からないと、彼女はよく泣いていたよ。

 

 紗江。国政に関わるということは、とても辛い。ただ安穏と贅沢な生活を過ごすわけにはいかない。

 何度も失敗を繰り返している私が君に偉そうに言うべきではないのだけれど、私は君が心配だよ。

 

 君も陽菜と同じだ。君たちの生きていた世界は国政というものに深く関わらずとも生きていける世界だそうだね。そんな君だから、きっと驚くほどの重い責任を課せられていると恐ろしく感じる日が必ず来ると思う。

 けれど怯える者を民は仰がない。

 君はこの世へ降り立った時点で、民に仰がれるべき存在となった。人々の前で私たちは弱音を吐いてはならない。私たちを正した君なら、きっともうこの理に気付いていることだと思う。

 だから君は今、苦しいと思いながらも顔を上げて微笑んでいるのじゃないかな。

 無理をしてでも平気な顔をしようと頑張っているのだろうと思う。


 私の陽菜は、そういう女の子だったよ。

 大人の前でつんとそっぽを向いて、平気な顔をしているくせに、本当は心細くてたまらなくて一人で泣いているような女の子だった。

 慰めようとして近づくと、最初は嫌われてしまったんだよ。だけど私は陽菜が好きだったから、放っておけなくてね。しつこく話しかけていたら私にだけは涙を見せてくれるようになった。


 紗江、君は大丈夫かい?

 アラン君がいるのだから、きっと大丈夫だと思うけれど。だけどもしも、君が歯を食いしばって我慢しているのだとしたら、私に会いにおいで。

 私は君のお父さんだから、なんだって聞いてあげるよ。

 君は陽菜にとてもそっくりだから、泣き虫なところもきっと似ているだろうなと私は思っているんだ。

 いつでも私のところへおいで。どんな時でも、私は君を喜んで迎え入れるよ。

 無理をしないように、体に気を付けて。


 紗江。君が生きていてくれるだけで、私は幸福だよ。

                 ──フォルティス・ゾルテ』



「ちょっと、聞いてるの? もう僕帰っちゃおうかなあ」

「…………」

 隣から煩い声がかかっているが、返事をする気にもならない。

 アランは慄きながら、そっと花が練り込まれた便箋を封筒に戻した。

 読んでしまった。――最後まで。

 目頭を押さえてみるが、読んだ記憶と開封された封筒の痕跡は修正不可能だ。私文書に使われる封筒には、開封後月の力で修復されぬよう、特別な製法の封筒が使用されている。

 ――ルキアに命令したら何とか元に戻らないだろうか……。

 そんな邪な事を考えていた時だったから、アランは忽然と目の前に現れた己の神子に柄にもなく驚いてしまった。

「う……っ」

 思わずのけ反ったアランの前に、金色の粒子と花の香りをまとった少女が形を取る。彼女は珍しく神子の正装のままだった。カサハを身に付けた彼女の表情は見えない。

 フロキアが嬉しそうに紗江を呼んだ。

「おお、神子ちゃん」

 紗江の体から金色の粒子がちらちらと舞い落ち続けていた。月見をして力を体に満たした後なのだろう。

 双子の件について叱責をして数日、アランは紗江に会えていなかった。寝室を共にしているが、紗江はここ数日アランの部屋に戻らなかった。侍女によれば庭で寝ていたり城の屋根に座っているのを見たなどと報告が入ったため、この世に嫌気がさして消えてしまったわけではないのだろうとは思っていたが、気を揉んでいたところだった。

「どうした」

 まさか婚約の不履行でも申し入れに来たのではないだろうなと、内心怯えながらアランは平生通りの声を作った。

 紗江は抑揚のない声で言った。

「先程……ご命令のあったココ・アルゼの処遇について対処してまいりました……」

 まるで己の部下のような物言いに、衝撃を受けた。

「――紗江?」

 名を呼んでから、はっとフロキアの存在を思い出した。フロキアは眉を上げこちらを見る。先程までの絡みが嘘のように、彼はあっさりと立ち上がり部屋の隅に掛けていた私服を取った。

「じゃあ僕は帰るから。ほどほどにね、宰相補佐官殿」

 彼は軽薄に舌を出し、手を振ってさっさと部屋を出て行ってしまった。誰もいなくなった部屋に重い沈黙が流れる。

 アランは机の上で両手を組んだ。

「どうした。何があった」

 紗江の唇が動いた。

「……紅扇団団長サガンにノナ州への帰還を促しました。その際、私の威光による名声であり不相応であると告げております」

 アランは内心苦笑する。神子自身から叱責を受けるなど、サガンは恐ろしくてたまらなかったに違いない。人を正す際の容赦のなさは相変わらずのようだ。

 固い物言いを続ける彼女に笑むわけにもいかず、アランは鷹揚に応じる。

「――そうか」

「更に、ココ・アルゼとイルヤ・アルゼの精神的・身体的疲弊は尋常でないと判断し、私の月の力を注ぎました。お伺いすることなく力を注ぎ申し訳ございません」

 ふとアランは片目を眇める。自分は厳しく彼女を戒めすぎているのかもしれないと一抹の懸念が胸を過ぎる。己の指示によって向かっているのだから、その程度の力の利用は予想していた。しかし万が一の可能性がある限り、好きにしろとはいえない。

「……そうか」

 紗江は固い物言いを頑なに続けた。

「私の無責任な行いによる被害を重く認識し、二人にはシュクハの花を贈りました。どうか取り上げられませんよう、お願い申し上げます」

 そして紗江は深く頭を下げた。

 アランは机の上で組んだ手の上に額を押し付けた。

「うん……。……あのな、紗江」

 アランは呆れた気持ちで顔を上げた。

「俺もそれほど心の狭い人間ではない。お前の報告を悪いとはいわない」

「……はい」

 彼女の唇を見つめる。少し震えている。

 アランは短く息を吐くと、可能な限り最大限に優しく尋ねた。

「ここ数日、どこにいたんだ?」

「……」

 彼女は答えなかった。すいと顔を横に向ける。カサハが揺れて、アランは眉を潜めた。

「紗江? その頬……どうした」

 紗江ははっと頬を押さえ背を向けた。彼女の周囲に金色の粒子が溢れだし、アランは慌てた。

「待て、紗江……!」

 おっとりとした彼女の動きを引き留めるのは簡単だった。彼女が転移をする前に腕を掴んだアランは、一瞬目を閉ざした。金色の粒子が全身を襲った。そしてアランは唖然と周囲を見渡した。

 濃厚な花の香りが辺り一面を包みこんでいる。虫の音が響く。風が吹くと夜の冷えた空気が通り抜けて行った。外灯が照らし出す景色は良く見慣れた庭園。自身の私城。

 仕事のなにもかもを置き去りにして、アランは帰宅できたようだった。



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