舞姫
神子とはこうであるべきだと見せつけるかのようだ。
舞の為に用意された衣装は本物と同じ素材を使えるはずもないが、非常に似通っていた。白の薄い衣に金と青の刺繍が彩られている。透けたその素材の下は見えるようで見えず、見事な具合で観客の瞳を奪い続けた。魅了するべくして選び抜かれた指先の指輪、染め上げられた爪、裸の足先にも色とりどりの色が塗られ、華奢な足首には金輪がはまっている。同じく手首を彩る金の輪には小さな鈴と細かな薄板が連なっており、踊るたびに雅な音色が奏でられた。
切れ長の瞳は漆黒。目じりの化粧は蔦を模してこめかみまで広がる。すっと通った鼻筋、弧を描く唇は艶を放つ紅が塗り込まれていた。
踊り子が動くたびに黒い髪が扇の形に広がる。かつらの動きまで計算して踊っているのだろう。確かに州内指折りの雑技団と謳われるだけの技量だ。
なよやかな腕と指先の動きなど、見るものにぞくりと悪寒を与えるほどの迫力があった。
楽団の音楽が踊り子の両脇から時に大きく、時に静かに舞台を盛り上げる。
神子を称える舞踊であるその舞い手は、妖しげな笑みを湛えてこちらを見つめ続けていた。
ちらと隣に横たわる彼女を見やる。彼女は衣の重さに辟易していたが、すでに疲弊しているのか頬杖をついてとろりとした眼差しで踊りを眺めていた。
舞い手が身軽に舞台を蹴り宙で一回転する。薄布が弧を描く見事なものだった。
酒を飲む以外大した身動きを見せなかった紗江は、酒で濡れた唇を小さく動かした。
「……あの人……月の力を使っている……」
誰に話しかけるでもない呟きだ。だが、アランは怪訝に舞台の舞い手を見る。
美しい踊り子だ。一見華奢に見えるあれは女ではない。衣で巧みに隠してはいるが、筋肉質なふくらはぎや隠しきれない喉仏などから男だと分かる。だが踊り子は男女の性別を超えた色香を湛えていた。
踊り子の動きは身軽だ。空を飛ぶように舞い上がる姿など、まさに飛翔しているかのようだったが、月の力を使った折に見える金の粒子は欠片も見えず、跳躍前の筋肉の動きはまさに筋力のみに頼っていることを示していた。
「……俺にはそのようには見えぬが」
こちらに目を向けた彼女は、口角を上げた。ぎくりと頬が強張りそうになり、アランは腹の内で己の動揺を相殺する。
酒を飲んだせいだ。彼女は滅多にしない長時間の移動にも疲れている。そのためだと己に言い聞かせる。踊り子のまとう空気と彼女のまとう空気が似通っているなどと感じたのは、きっと踊りに惑わされたに過ぎない。
「では、私の気のせいでしょう」
彼女はまた視線を舞台へ向けた。その仕草はまるで人形がことりと首を傾げ直したかのように機械的で、思わずその頬へ手を伸ばした。
彼女は眉を上げた。温かい体温を感じほっとする。そして彼女は愛らしい笑みを浮かべ、珍しくアランの手を撫で返した。
「ごめんなさい、もう少しきちんと座るべきですね」
「いや、それは構わんが」
「いいえ……あ、あの子達ですよ」
重たそうに上半身を起こし、舞台の脇を見やった紗江は瞳を輝かせた。舞台脇に控えている次の踊り子たちの中に、亜麻色の髪の双子がいた。濃い化粧を施されているにもかかわらず良く見つけられたものだ。
「ココちゃんとイルヤ君というの。綺麗な顔をしているでしょう?」
赤と金の派手な衣装を身に付けた彼らは周囲に比べると幼さが目立った。
「ああ……だが、幼いな。次の演目は剣舞だろう」
本物を使用しない雑技団もあるが、今日は最も大きな宴だ。携えている曲刀を見るに本物だ。ふいと視線を舞台へ戻し、紗江は淡々と言う。
「あの子たちのお姉ちゃんはジ州へ奉公に出ているのですって。家計が苦しくて」
アランは片目を眇めた。
「そうか」
「何でも、ジ州でとっても背の高い建物で働いているのだとか」
「……そうか」
脳裏を過ぎった建築物は口に出すべきではない。アランが口元を引き結ぶと、紗江はおっとりとこちらを見上げてきた。
「ジ州で背の高い建物は、どんなお店ですか?」
「……さあな」
「ご存じじゃないのですか?」
「どうだろうな」
彼女はほんの一呼吸口を閉ざし、顔を背けた。
「奉公、という仕組みがあることを私は知りませんでした」
紗江は踊り子の動きを目で追っている。アランが何も応えないでいると彼女は口を開く。
「それは子供を売る、ということなのでしょうか?」
「……人身売買は禁じられている」
彼女はふっと鼻先で笑った。
「そうですか。では住み込みで働く、という言葉通りの意味なのですね」
「……」
「あんな幼い子供たちが学校にも通わずに畑を耕し、夜には舞を躍る。それも本物の剣を使って」
「……」
「怪我をしたらどこへ運ぶのですか?」
「町医者がいればそこに運ぶだろう」
「いなければ?」
「……州城には官医が常駐している。そこに運ぶことになる」
「一体どれだけの数の病院が一つの州にあるのですか」
「……多くの場合民自身が月の力を用いて治療をするため、こちらでは病院はさほど必要ではないのだ」
「ふうん……」
「……」
「では致命傷なら絶対に助からないということですね」
アランの眉間に皺が寄る。二人の会話を盗み聞いていた州官長はおろおろとしているばかりで、役に立ちそうもない。彼女の侍女はもはや空気と化している。
彼女の言う通りだった。殺意をもって害された民、もしくは不慮の事故により致命傷を負った民は概ね助けられない。州城は各州の中央に一つあるだけだ。月の力で応急処置をして力と血の拡散を防ぎ、州城まで運びこめられれば助けられる。だが、そういう例はほとんど聞かない。州城に向かう途中で月の力を失い、霧散する。失われかけた人間の命を救えるほど多量の力を持っているのは、月の精霊くらいなのだ。
病院を開くとなると、国家の運営とするしかない。普段発生する小さな問題は民自身が治癒できてしまう以上、客が来ない。そして大きな問題となった時にだけ頼られる機関となるため、ほぼ無意味な場所となるのだ。だからこそ州城にのみ官医がいるという状況で、これを改善する方法は恐らく永劫に見つけられない。
彼女は冷めた眼差しで酒を飲み下し、舞い手を見つめている。
「気に入らぬのなら言えばいい」
彼女はカサハの隙間からとろりとこちらを見上げ、そして笑んだ。
「お医者様の数が少ないのですね」
「そうだ」
「では、学校を開いてはいかがですか」
「……」
「医師だけとは言いません。幼い子供が通いやすいよう、各区画に学校を設けられては?」
「……」
「官吏になることだけが全てでしょうか……」
銅鑼の音が大きく鳴り響き、二人の視線は踊り子に集中する。漆黒の双眸がひたと二人を見据えた。
「……彼は、一体何歳の時に……この仕事を始めたのでしょうね……」
見事な舞を見せつける踊り子を見て出た感想が、それか――。
誰もが踊り子の色香に惑わされ心を奪われるこの演舞の最中、彼女の口から零れ落ちる言葉は酷く冷静なものばかり。
アランは短く息を吐き出すと、両腕を組んで深く椅子に沈んだ。
舞い手が交代すると、彼女は女神そのものの優雅な仕草で子供たちに手を振った。たったそれだけの行為で、あの双子の今後が変わってしまう。神子の覚えめでたい双子は今後雑技団の前面に押し出される運命にある。
――お前はそれに気づいているのか?
見下ろした彼女は双子を見つめている。そして耳は微かな声を拾った。
「……わかっております……」
アランは何も尋ね返さない。口元を引き結び、神子の前で踊るべくして鍛え上げられた彼らの舞にただ意識を集中させた。




