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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ガイナの神子― 序
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ガイナ王国の神子

※注)事前に小説情報のキーワードタグをご確認、ご了承の上、お読みいただけますと幸いです。


 石で敷き詰められた歩道を馬車が進んでいく。

 田畑を耕していた農民が顔を上げ、黒い馬車の紋章に魅入った。

 その地味な黒い馬車は、二か月に一度、ガイナ王国領から隣国へ向かった。馬車が通り過ぎると芳醇な花の香りが漂うことから、その車は『花籠』と呼ばれている。『花籠』に乗るのは人ではなく、その名の通り花だ。荷車いっぱいに詰め込まれた花が二か月に一度、ゾルテ王国に贈られる。

 それはガイナ王国の神子から贈られる祝福であると民は知っていた。そしてゾルテ王国から戻る馬車には花の種と手紙がそっとおさめられて戻る。

 それを愚かだと罵る者もあれば、懐深いと第一王子を称える声もある。賛否あるものの、ガイナ王国の民は概ね黙認していた。ガイナ王国とゾルテ王国が無縁ではなくなったからだ。

 

 先日アラン王子の婚約者が大々的に発表された。婚約式はガイナ王国首都州モノの国立公園中央に聳える、国内最大の教会で執り行われた。

 天を突くほど高い教会の色は白。高さに対し階層は二つしかなく、吹き抜けの天井は全てがステンドグラスで作られている。一階と二階の客席総数は三千人。

 教会周囲には人が通る隙間もないほど民が押し寄せ、祝福の声を上げていた。

 落ち着きなくざわめく教会の祭壇に祭司が立つと、教会内に座る貴族と民が歓声を上げる。

 司祭は穏やかな眼差しで客席を見渡し、手にした杖を掲げた。

「月の加護の元、ただ今よりガイナ王国王太子アラン殿下の婚約式を執り行います」

 静かな声音は不思議と教会中に響き渡り、人々は拍手喝さいを上げた。同時に教会の扉が開き、明るい日差しと共に王太子が教会内へ進み出る。王子の衣装はこの世の贅を尽くした金糸の刺繍と宝玉が彩る黒の三重。彼の隣にそっと連なる女性こそが、彼の妻となるべく婚約式を受ける女性だ。白の着物には朱金の刺繍が施され、顔はカサハによってやはり隠されている。月の精霊にのみ許された着物を認め、人々は両手を重ねた。

『ああ……神子様を直に見られるなんて……』

『なんと素晴らしい日だ……』

 方々で喜びの声が上がる中、二人はゆったりと司祭の元へ進んだ。祭壇の向こう側にある司祭の表情は僅かに緊張している。カサハを被った神子をじっと見下ろし、口元を歪める。アラン王子の赤い双眸が彼を見る。司祭ははっと姿勢を正し、そして一度深く目を閉じると杖を再び上げた。

「――神の前に、無垢なる姿を現し、永久の約束を結べ」

 その宣誓は、神聖な存在である神子であっても、今この時だけはカサハを外さなければならないという意味だった。祭壇前で向かい合った二人は双方見つめ合い、アラン王子の手がカサハを彼女の頭から取り払った。

『――』

 白い布が取り払われ、その下に隠されていた美しい髪が露わになる。絹糸のような艶ある髪がはらりと舞うと、教会中からどよめきが上がった。その声は悲鳴に似ていた。

『神子様じゃない……!』

『どういうことだ、アラン殿下は神子様とのご婚約をするはずでは』

『よもや他の女性と……?』

『神子様は殿下を選ばなかったのか……』

 どよめきは次第に静まり返り、教会は暗澹とした沈黙に包まれた。

 司祭の表情は冴えない。彼は薄く唇を開き、微かに溜息を吐いた。アラン王子が早くしろと言わんばかりの目つきで彼を見返し、司祭は生唾を飲み込んだ。

 掲げたままだった杖に力を籠め、高らかに宣言した。

「ガイナ王国司祭・サファエル・ミラーは、ここにガイナ王国第一王子アラン・ガイナーと……」

 彼は目の前に静かにたたずむ少女を見る。少女は司祭の声に合わせ、教会に集う人々を振り返った。二人が一同を正面に捉え、司祭は大きく声を上げた。

「ゾルテ王国公爵フォルティス・ゾルテの娘との婚約を認める――!」

 その瞬間、教会から爆発に近い声が上がった。その全ては祝福ではなく驚愕。

『どういうことですか!』

『神子様はどこだ!』

 アラン王子の不貞といわんばかりの割れる声を前に、少女は眉を上げる。漆黒の黒々とした瞳が、心配そうに隣の王子を見上げた。アラン王子は淡々と人々の反応を眺め、そして反対する声さえあげる民を尻目に、少女に目を向ける。少女がきょとんとアラン王子の赤い双眸を見返すと、彼はそっと彼女の白い頬に触れた。

 赤い双眸がゆっくりと近づき、銀色のまつ毛がそっと伏せられる。少女はよく分からない様子で、じっと王太子を見つめ返し、次いではっと目を見開いた。彼女の肩がびくりと跳ね、身動きをしようとする直前、アラン王子が彼女の二の腕をがっしりと掴んだ。

 アラン王子は甘い甘い笑みを湛え、少女の紅色の唇に、己の唇を躊躇いなく重ね、抱きすくめる。

「……っ」

 逃れる術のない少女の頬がさっと染まった。彼女は恥じらいも露わに、ぎゅっと目を閉じる。司祭が動揺を押し殺した小さな声音で、アラン王子を叱責した。

「殿下……! 口づけは結婚式でするものでございます……っ」

 教会に集った民は皆、声を失う。婚約式での口づけは異例だった。ガイナ王国では教会での口づけは結婚した者達だけに許された事だったからだ。それは王子の強い意向を示しており、誰の意見も受け付けぬ表明でもあった。

 アラン王子は周囲の声など聞こえない素振りで少女を熱く見つめ、そして民へ強い眼差しを向けた。

「皆、本日は私たちの為にここまで足を運んでくれたこと、感謝する。私、アラン・ガイナーは彼女との婚約をここに宣誓し、これよりガイナ王家はゾルテ王家との姻戚を結ぶことを皆へ知らせる。どうか、私と彼女の婚約を許して欲しい」

『そんな……!』

『殿下……』

 民の大きな期待を一身に受け、その期待に応え続けてきた王子に、人々は複雑な表情を浮かべる。民の動揺をひしひしと感じた司祭は、とうとう眉根を寄せた。司祭の額は既に大量の汗が濡らしており、祭壇の上に彼の汗がぱたぱたと落ちた。

 その微かな音に気付いた少女が彼の方へ視線を向け、机の上から彼の顔に目を上げた。漆黒の濡れた瞳に見つめられた司祭は、彼女の瞳に映る自分の顔を見る。情けない己の顔を認めた彼は、ぐっと歯を食いしばった。

 司祭の顔が、当初の落ち着いた表情に戻るのを確認すると、少女は正面を向いて、どこかあどけない仕草で首を傾げる。

 非難を浴びせるには、どんな色香も、毒々しい魔性さえ感じさせない仕草だ。なぜアラン王子がこのような少女を選んだのか、今度はそこに疑問を抱く人々が増えた。教会内が混乱極まったその時、司祭は迷いない声で言った。

「――更に、ここにあるは我が国における月の神子であることをガイナ王国教会は認める!」

『――』

 痛いほどの静寂が教会を包んだ。司祭には分かっていた。この沈黙の後が。司祭はそれでも頭を上げたまま、民の反応を一身に受けた。

『馬鹿を言うな!』

『ガイナ王国の司祭ともあろう者が、虚偽を公然と宣言するとは!』

『司祭を引きずりおろせ!』

 暴動が起きる――。

 ”――漆黒の艶やかな髪、濡れた輝きを放つ黒い瞳、珊瑚の唇は愛らしく、鈴の音を転がすような声”

 ガイナ王国民が知る神子の特徴は、それに尽きた。ほかでもない第三部隊の者たちが我先にと語って聞かせていたのだから、それが嘘ではないのは分かりきったことだ。

 彼らの目の前にいるのは、白銀の髪の少女。

 少女は怒りを露わにした民を前に、薄く口を開く。驚きのあまりぽかんとその様を眺めていた少女の両脇に、彼等は忽然と現れた。彼女を守るように、腰に手を添えていたアランをトンと押しのけて、彼女らは少女の両わきを陣取る。

「――なっ」

 突然隣に現れた人間に思わず腰の剣を掴んだアランだったが、その姿を見て舌打ちした。少女は両脇に現れた二人を見下ろし、やはり驚いた顔をする。

 少女よりも背丈の低い二人が身に付けている衣は、白に朱金。月の精霊のみに許された衣を身に付けた少女が二人も増えたことに、人々は動きを止めた。一人は銀髪、一人は白髪。彼女らの着物が使う袖括りは青と白。

 彼女らの瞳は何故か黒一色。神出鬼没で有名な彼女らの身分を知っているのは、ここでは司祭とアラン、そして貴族の一部だけだった。

 白銀の髪の少女の両脇に降り立った彼女らは、黒々とした瞳で人々を見渡し、口を開いた。

『――沈まれ』

 声は教会内に反響する。小さな子供から発せられるには大きすぎる声音。彼らの声は実際には非常に小さなものだった。だが彼女らは同時に口を開くことで民衆の鼓膜に直接声を届ける魔術を使っているようだった。

『我々はガイナ王国、ゾルテ王国、ルキア王国を守護する”月の宮”』

 人々は目を見開いた。月の宮を名乗ることを許されるのは、月の宮の主である神官だけだ。どこで耳をそばだてているのか知らないが、正規の者以外がその名を使うと制裁を受けると実しやかに囁かれている。死の制裁を加える機関でもある月の宮は、世界の高みにあると同時に、世界の恐怖の原点でもあった。

 きんと耳鳴りがしそうなまでに静まり返った民を見渡し、彼女らは淡々と告げた。

『月の宮はここにある娘を月の神子であると宣言する』

 人々は息を飲む。

『これは稀有なる月の神子。この世の血と太陽の国の血を受け継ぐ類まれなる月の精霊』

『我々月の宮は混乱を求めない』

『どうか心を静めて声を聞きたまえ』

『ここにあるはゾルテ王国フォルティス公爵と先の月の精霊の娘であり、その身に莫大なる力を湛えし月の神子』

『故に名を皆に知らしめることはせぬ』

『宣誓にて述べた名はゾルテ王国公爵の御名である』

『月の精霊はその御名にフォルティス・ゾルテを加え、これより神子として皆の守護を始める』

『繰り返す。ここにあるは月の神子』

『月の神子はこれよりガイナ王国の守護神として皆を導く』

 しんと静まり返った人々を見渡し、神官らはぱちりと消えた。残された少女は瞬きを繰り返して民を見下ろし、そしてにっこりと笑った。

 彼女は鈴を転がすような愛らしい声で、初めて言葉を発した。

「初めまして、みなさん。私はガイナ王国の月の神子。皆さまに多くの幸あらんことを祈り、ここに祝福をお送りいたします」

 刹那、祭壇の両脇に積み上げられていた花々が舞った。彼女の掌から金色の粒子が溢れだし、教会中を月の力を込めた花弁が舞い踊る。花々は教会の扉を開き、広場にひしめく人々の上に舞い散っていく。

 ガイナ王国第一王子の婚約式に足を運んだすべての民の上に花弁が舞い落ちていった。そして世界は歓声を上げた。

 爆発的な喜びの歓声は鼓膜を痙攣させたが、それでも神子は笑みを湛え続ける。アランが彼女の腰に腕を回すと、彼女はまた頬を染め、ちょっぴり物言いたげに彼を見上げた。



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