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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 終章
59/112

59.言霊


 アランは一人、己の神子が力を使い切ってしまうのではないかと、はらはらしていた。どれだけ力をばら撒く気だと終いには苛立ち始めた頃、彼女は力の配布をやめた。

 少し疲れたのか、ふうと一つ息を吐いて、アランを振り返る。

 彼女はかつてと同じように、愛らしい笑顔を浮かべた。

「許してくれて、ありがとう、アラン様」

 かつての彼女と変わらぬ話し方だ。アランはほっとして、腕を広げる。

「来い」

「……」

 彼女は大きな瞳を丸くして、アランの顔を、そして広げられた腕を見た。彼女は、来いと言われて来ることはあっても、腕を広げて待たれた経験はなかった。しかしアランは、譲らなかった。

 待っていると、彼女は戸惑いながら、そろりとこちらに近づいてくる。裸足なのだろう、とてとてと足音がした。

 彼女が自分の目の前に近づくと、アランは待ちきれず、一歩進み出て、華奢な肢体を抱きすくめる。

「……っ」

 驚いた様子の彼女が抵抗もできないほど、強く抱きしめる。

 血の匂いに、胸が苦しくなった。

「……一人にして、すまなかった、紗江」

 不甲斐ない自分に、腹が立つ。無垢な少女を、こんな姿に変えてしまった。

 冷え切った衣に身を包んだ紗江は、温かなアランの腕に安心したように、ほっと息を吐く。そんな反応が、またアランの胸を詰まらせた。

 一人で、どれほど不安だっただろう。彼女の唇からは、震える息が零れていた。

 ――すまない。

 黒髪を失い、どれほどの苦痛を味わったのか。

 アランは守り切れなかった悔しさに、眉根を寄せた。

「紗江……」

「……長い間……お傍を離れてごめんなさい、アラン様」

 紗江はアランの腕の中で、そっと呟く。彼女の一挙手一投足を、誰もが注目していた。

 紗江は顔を上げ、泣き出しそうな顔で、それでもにこっと笑う。

「勝手にお傍を離れて、ごめんなさい。ほんの少し、外の世界が見てみたかったの」

「……」

 アランは軽く眉を上げた。

 まるで自分から外に飛び出し、すべてを仕組んだかのような物言いが、俄かに理解できなかった。

 彼女は瞳を煌めかせ、悪戯っぽく肩を竦める。

「次からは、ちゃんとアラン様に言ってから、お出かけします」

 全員の視線が集中する。

 アランは彼女の意向を理解した。

 彼女は全てを、隠すつもりだ。

 アランの腕から身を離し、紗江はその足元に膝を折る。首を垂れ、主であるアランに、許しを乞った。

「どうかここまでに起きた、私の我が儘の全てを――お許しください」

 月の精霊が頭を下げるのは、唯一、その主のみ。

 それを皆に知らしめるために。

 全ては神に近い存在である、神子の戯れとして、許せと――。

 どんな凶事も起こらなかった。

 国家の全てを――そして月の宮までもを沈黙させる魔法の言霊。

 たった一人の神子の意向に沿わせるための言霊を吐き、彼女は世界を騙す。

 アランは、くしゃりと顔を歪め、笑った。

 ――何も知らぬ、無垢なばかりの神子は失われた。

 けれど――それでもいい。

 ――彼女は、俺の神子だ。

 アランは厳かに、彼女の全てを受け入れた。

「ああ……全て、許そう」

 紗江はこちらを見上げ、明るい笑顔を浮かべる。

「ありがとう、アラン様」

 アランは誰にも見せたことのない、甘い微笑みを湛えた。

「お帰り、紗江」

「……」

 紗江は眉を上げた。ぽかんと自分を見つめていた彼女は、次いでぽっと頬を染める。

 彼女の気持ちが動いたのを、アランは見た。

 そして己の血潮が、ざわりと妖しく蠢くのもわかった。

 アランは紅蓮の瞳を艶やかに細め、指先でそっと彼女の頬を撫でる。

 ――さあ次は、お前の心を掴む時だ。

 アランの意向など欠片も知らない彼女は、頬を染めたまま、可憐に微笑んだ。

「はい。ただいまです、アラン様」



 ――それは神子の、ささやかな悪戯。

 ゾルテ王国は、神子の加護を密やかに受け、ゆっくりと復興の階を登りはじめた。




拙作をお読みいただきましてありがとうございます。

一先ずこちらでひと段落としたいと思います。

もっと面白い作品を作れるように、まだまだ頑張ります。


(『ゾルテの精霊』改稿2015.12)

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