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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 六章
54/112

54.気高き姫


 金色の緻密な装飾が施された天井に、天使と月の精霊が描かれていた。かつてこの国にいた精霊とそっくりな天井の彼女は、あの日(・・・)から悲しげな顔をしている。絵画に違いなどないだろうに、その絵画は、精霊がいた頃は輝かしく、そして今はくすんで見えた。

 部屋の中央を赤い絨毯が走り抜け、数段上に君臨するのは、玉座だ。王の威光を知らしめるために作られた椅子は無駄に巨大で、リビアが寝そべるにはちょうど良かった。

 不遜にも玉座を堂々と占有した上、肘置きの上に足を投げ出して横座りをしているこの国の姫は、気怠く頬杖をつく。背後に控えている侍女頭が、声を潜めて叱責した。

「姫、はしたのうございます」

 リビアは鼻で笑う。

「身内以外、誰も見とらんのだ。構わんだろう」

「玉座でございます。王への敬意を払わねばなりませぬ」

 嘲笑が喉を通り抜けた。

「何が敬意か。事態を受け入れず、床に臥すような王に敬意などもはや誰も抱けぬだろうよ」

 毎朝この椅子に座るはずの王は、現在床に伏している。王子を失ったうえ、絶えぬ内戦の報せに体調を崩し、妻を横に置いて呻いているのだ。

 その姿を情けないと思うのは、リビアだけではないはずだ。

 皮肉に玉座の下、赤い絨毯の脇に佇む壮年の男を見下ろす。項垂れたフォルティスに、リビアは鼻を鳴らした。

 フォルティスは神子に会うことを拒んだ。リビアには彼の気持ちがよく分かった。彼は神子に会って、己の精神が崩れるのを恐れているのだ。リビアのように、過去を思い出し、涙を零すことを忌避した。

 ――兄弟そろって腑抜けたことだ。

 ティティは溜息を落とし、口を閉じる。言っても聞かないと判断したのだろう。

 口煩い侍女を黙らせたリビアは、上機嫌に身を起こした。おもむろに腰から剣を抜くと、諦めたかに見えたティティが、また咎めた。

「姫様。剣はお控えくださいと、何度も申し上げております」

 リビアは片頬だけを吊り上げた。

「剣も使えぬようでは、己の身を守れぬではないか。分かっておらぬなあ、ティティ。これから来る者は客などではなく、もはや私の敵だ」

「姫様。アラン様は決して姫様の敵ではございませぬ」

「我が国の姫を奪いに来るのだ。――敵だ」

 言い切ると、ティティの気配が緊張した。リビアはくつ、と笑って、彼女を見やる。長年自分に仕えてきた彼女は、リビアが本気なのか、戯言を呟いただけなのか、判断を迷っている表情をしていた。

 ――分かっているとも。

 リビアは内心、頷く。

 己が敵と断じた相手は、巨大すぎた。何をどうしても相対するは不可能な、大国の王太子だ。

「姫……?」

 不安そうに侍女が身を乗り出すと同時に、謁見の間の扉が打ち鳴らされる。

 彼女は機を逸した。

 ――それでいい、とリビアは笑う。

 剣を腰に下げた鞘に戻し、リビアは暗い炎を宿す瞳で、扉が開かれるのを待った。



************************************



 巨大なゾルテ王国の王城は、幼少の折に訪れていた記憶と違うことなく荘厳であり、空々しくも見事な装飾をそこかしこに施していた。

 兵の数がかつてと変わらない様子に、アランは内心眉を潜める。当時と同等の数を配備するだけの国庫は、既にないはずだった。

 先を導く執事は、変わらぬ足取りでしっかりと歩いている。向かう先は謁見の間。奇怪な術があちこちに施されたゾルテ王城において、よそ者は案内なしに移動できなかった。あちこちに抜け穴があり、間違えて迷い込めば戻ることは永劫不可能だと実しやかに囁かれている。

 幼少の頃はただの噂話に過ぎないと高を括っていたのだが、年を経るごとにそれが事実だと認識を変えていった。全ての隠し部屋と隠し通路は、王家の密偵――もとい、刺客が利用する道であり、迷い込めば事実、二度とこの世に戻れないのだ。

 リビアが無邪気に使っていた小間使い達が、すべて刺客だったと気付いたのはいつだったか。

 アランはその日を思い出し、僅かに俯いた。

 そう――『ゾルテの悲劇』だ。

 泣き叫ぶリビアが忘れられない。

 傍に駆け寄って慰めようとしたアランは、彼女が叫んだ瞬間立ち竦んだ。

 瞳孔を開いて彼女は叫んだ。幼い容姿から想像もできない憎悪が、彼女の瞳を染め上げた。

 彼女は瞳を中空に据えて怒鳴ったのだ。

 ――「殺せ」と。

 精霊が救ったすべての命の内、襲撃を加えた反乱軍の全てを殺すべしと――。

『許さぬ! この私が許さぬぞ! 殺せ! 殺せ、殺せ、殺せ、殺せええええええええ!』

 甲高い幼い少女の声に、黒い装束に身を包んだいい大人たちは従順に従った。狂った叫び声を上げながら、子供が発するには残酷に過ぎる命令。

 あの時、既にこの国の根幹は崩壊していたのだ。

 戦乱当初は、彼女の兄であるフェメラ王子が平定に尽力していた。しかし開戦より四年、ゾルテ王国は王太子を内乱の最中に失う。国王は目にかけていた王太子を失い、倒れた。そして残されたのは、リビア一人。精霊だけでなく、兄までもを失ったリビアに慈悲はなかった。

 ゾルテ王はどこかリビアを恐れている。息を吹き返した瞬間、殺人を命じた己の娘を見下ろす彼の表情は、凶兆を目前にした哀れな羊だった。あの時の王に、彼女を律しようという感情は、欠片もなかった。

 数年で数十万の民が失われたと報告が入ったところで、介入は出来なかった。

 狩りきれなかった反乱軍は何度も増兵をしては、繰り返し王家を襲う。そのたび失われていく命に、王家は頓着しない。それが積もり積もって数十万。

 もはや正す術はない。

 民が決起する以上、己の足元を振り返るべきは誰なのか――口出しをするには過ぎた諫言であると、アランは二の足を踏んだ。

 そして精霊の娘がこちらの世へ戻るまで、全くの干渉を避けた結果がこれ――。



 重い扉が開かれていく音に視線を上げたアランは、二十一年の歳月を経て、気高き姫と再び相見えた。

 玉座に堂々と腰を据えた彼女は、高飛車に顎を上げアランを見下ろした。

「お久しぶりだなあ、アラン王子殿下」

 傍に控えるフロキアがあまりにも不遜な態度に身じろぐ。アランは彼を、そしてその背後に控える兵達を制した。

「私より前へ出ることは許さぬ。決して一線を越えるな」

「「──はっ。」」

 一国の王子を軽んじた態度は、兵たちの勘気に触れていたが、彼らはアランの命令の前には意見しない。

 アランは玉座の前まで躊躇いなく歩みを進め、彼女の装備をさっと確認した。腰に剣があると気付き、内心舌打ちする。

 感情は懐に納め、アランはリビアに微笑んだ。

「お久しぶりです、リビア姫。いかがお過ごしだったろうか?」

 リビアは頬杖をついて、くつくつと喉を鳴らした。

「ああ……非常に楽しく過ごしている。最近行方不明だった公爵の娘御も見つかって、いい事ばかりだ」

 アランは思わず眉根を寄せた。公の場で、これほど明確に彼女をフォルティス公の娘だと認められるのは、想定外だった。

 リビアはアランの表情が変わったと見るや否や、口角を吊り上げる。

「おや、いかがされた。殿下は我が国の吉報を喜んでいらっしゃらぬようだな。何かお気に触るようなことでもあっただろうか?」

 アランは公式の場において相応しい表情を取り戻した。無表情に近い、柔らかな笑顔。

「なるほど……そのご報告をされるために、この場にフォルティス公がいらっしゃるというわけか」

 アランの傍らに膝を折って控えていたフォルティスは、話を向けられ、ゆっくりと穏やかな眼差しをアランに向ける。彼の顔は白く、青ざめていた。それでも笑顔をつくろうとする姿が、返って痛々しい。

「……久しぶりだね、アラン君」

「お久しぶりです、公爵。ご気分が優れぬようですが、お加減は大丈夫ですか?」

 リビアが鼻を鳴らした。

「下らぬ探りはやめよ!」

「――これはこれは」

 アランは口の端を上げた。他国の王子に命令を下すなど、一国の姫が取るべき姿ではない。

 彼女の中ではもう、アランは隣国の王子ではなく、かつて共に遊んだ、友人に戻っているようだ。

 友人だった頃は、二人の間に国家という障壁はなかった。

 アランは瞳を細め、リビアに微笑む。

「リビア姫。貴方はかつてのように、私と会話をなさりたいのですか」

 リビアは目を見張り、そして皮肉く笑った。

「ああ……そうだよ、アラン。かつてのように、外聞など気にせず話をしようじゃないか。親しみ深き――わが友よ」

 立ち上がった彼女の顔には、暗く淀んだ笑みが浮かんでいた。



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