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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 六章
53/112

53.黒犬


 彼は闇が落ちた空洞を見渡し、溜息を吐いた。かつて己の主が使っていた寝床は雨に濡れ、幾多のガラス片と木くずが覆っている。濡れそぼった床の片隅に血だまりをみつけ、また溜息を零した。

 誰の体から流されたのか――。

 頭上から降り注ぐ雨に身を委ね、サウラは暗い眼差しで教会の一階から地下を見下ろす。

 濡れそぼった髪の毛が肌にまとわりついて、気分が悪かった。

 汚された教会。奪われた精霊。消えた女神。穢れた姫君。

 空は厚い雲に覆われ、闇色に染まっている。

「行かなければ……」



 石の床に雨水が落ちる。洞窟に高い水音が響き渡る錯覚を覚え、ユスは瞼を持ち上げた。体がいうことを聞かない。立ち上がろうと身じろぎ、自分の上半身に縄を討たれているのだと気付いた。

「ちっ…だせえな……」

 王家の刺客に腹を切り裂かれ、巨大な動物が天井を突き破ったところまでは記憶にあるが、そこから気を失ったようだ。周囲を見渡す。

 壁は全て石で作られていた。お世辞にも人が生活できるような場所とは言えない冷たい造りの壁に、残りの一面は鉄格子である。どう考えても捕らえられていた。だがガイナ王国の兵達は、ゾルテ王国内では拘束権を持たなかったはずだ。

「あー……地下か……」

 ユスは不快感に顔を歪める。

 教会の地下には精霊の部屋があった。そして更にその地下には、牢獄が用意されているのを思い出したのだ。

 精霊は知らなかっただろう。地下深くに作られた牢獄は、拷問のために作られたもので、使用しているのは王家の刺客だった。ユス自身もサウラに聞かされるまで、知らなかった。

 ともかく、体を拘束している縄を解くのが先だ。周囲の気配を探ってもどんな気配も感じられない。拘束権を持たない奴らの事だ、とりあえず手近にあった牢に押さえておき、後で処遇をゾルテ王国へ委ねる腹積もりだろう。

 鉄格子を感慨もなく眺めながら、ユスは器用に肩の関節を外して縄をほどいた。丁度な我が外せたところで、鉄格子の向こうに前置きなく人間が現れても、ユスは驚かなかった。

 黒装束に身を包んだ男は、青い髪を払い、漆黒の双眸を無感動にこちらに注ぐ。

「こんなところで、何を遊んでいるんだい、ユス……?」

 ユスは肩を竦める。

「そう言うなよ。今起きたとこなんだからさ」

 肩の関節を元に戻してユスはにっとサウラに笑んだ。サウラは詰まらなそうに牢の鍵を破壊する。

「嫌な場所を使うものだ」

「知らねえだろ、あいつらは。ここが御用達の場所で、拷問用の待合室だったなんてな」

 足蹴り一つで鉄の錠前を外したサウラは、感情のない目でユスを見返した。

「他の人間はどうした」

「その辺に転がってなかったか?」

 今起きたところで、ユスは周囲の情報を把握していない。肩を回しながら適当に言うと、サウラの目が闇色の廊下の向こうを探った。廊下の向こうには、他の牢が連なってある。

「ああ……寝ているようだな……」

「まー……最近、無理させてたからさ。なかなか起きないだろうな」

 教会の警備をはじめ王都への進軍の計略を遂行するために、少人数で随分な無茶をした。

 サウラは溜息を吐いた。

「さっさと起こして行くぞ。こんなところ……一分も長居したくない」

「よく言うぜ。お前だってしょっちゅう使ってたくせによ」

 サウラの目が剣呑になる。ユスは両手を上げた。

「あー悪い。お前と喧嘩するつもりじゃないぜ」

 彼が刺客の一員として、この牢獄を使用してきたことも、またその過去を消し去りたいと思っていることも、ユスはよく知っている。

 サウラは暗い目で、ユスのいる牢を、そして廊下の向こう側を見た。

「そうだな。毎日のように、我々はこの牢獄に民を捉えては息の根を止めてきた。……だからだろうね。……僕はここにくると、いつも血の匂いを感じるんだよて……」

「悪かったって、拗ねるなよ。他の奴らも間違いだと気付いたから、お前と一緒に行動してるんだからさ」

 ユスはわざと軽く笑って、牢の扉を潜り抜けた。サウラは偽物の笑みでユスを上から下まで確認し、横一文字に開いた着物に目を留める。

「腹を切られたのか? 傷は無いようだが」

「そ。ほんと容赦ないよな、あいつら」

 サウラは低く笑った。

「黒犬に慈悲の持ち合わせなどないからね。しかし……呉服屋の跡取り息子も落ちたものだな」

 ユスも付き合って笑った。

「たんまり金出してやってんだから、もうちょっと感謝してくれよな」

 ユスの生家は衰退の一途にあるゾルテ王国でも、金を生む呉服屋だった。跡取り息子は御多分に漏れず、溢れかえる金に溺れ、遊び人になり果てた。――周囲がそう思っている裏で、ユスはサウラに金を流し、この計略を進めてきたのだ。

 金にしか興味のない父親を思い出すと、いつも眉間に皺が寄る。

 サウラは資金源として大いに協力してくれているユスの言葉も意に介さず、他の牢の錠を壊していった。金属が高い音を立てて壊れていく音が、断続的に響き渡った。

 月の力を惜しげもなく使って錠を壊していったサウラは、傍らで自分を見守るユスに尋ねる。

「腹の傷は精霊に治してもらったのかい?」

「そう。お優しい康様が治してくれたんだぜ。……ったく精霊ってのは、お人好しばっかりだなあ」

 自分の主をおとしいれた憎むべき相手だというのに、恨むどころか命を救う。ユスには理解しかねる行動だ。

「……その御心に付け込むのが、我らの目的だ」

「俺は何でもいいぜ。お前さえ納得しているなら」

 ユスは首を一つ回し、体の動きを確かめた。どこも大きな問題はない。

 鍵の破壊音にはさすがに目覚めた他の仲間たちが、足音も立てずこちらへ集った。

 サウラは面々を見渡し、やんわりと聖人がごとく微笑んだ。

「さて、それでは再び、ゾルテの姫神子を奪いに行こうか……ユス」

「どうするつもりだ? 神子の周りは黒犬が固めているはずだぜ」

 神子が隠される部屋は、誰も出入りできない、あの隠し部屋のはずだ。サウラは事もなげに笑った。

「皆、殺せばいいだけだよ、ユス」

「……」

 サウラは暗い眼差しをひたと向けてくる。

「僕たちの目的は、この国の復興だ。民を殺し続ける黒犬も……その飼い主も、もう不要だろう?」

「……ああ」

 この国唯一にして最強の暗殺組織を殺そうなどと、言ってくれる。

 彼の笑顔は、かつて見た精霊の笑みに似ていた。

「僕達なら、なんだってできる。そうだろう……ユス?」

「厚い信頼、痛み入るよ」

 サウラは背後に控える仲間たちを見渡し、教祖がごとく朗々と告げた。

「僕たちは、この国を変えなくてはならない……。過ちを犯した我々が、全てを正す時は来た」

「――は!」

 サウラは天上を睨み据える。

「さあ、この国の荒廃を終わらせよう」

 ユスは何も言わず、目を細めた。

 ――お前がそれで幸せになるなら……何だってしてやる。



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