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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 六章
51/112

51.理


 王家の紋章を頂いた馬車が尋常でない速さで街を通り抜けた。王城門前へ配された馬車は門が開くことすら待ちきれない様子で、門が開くと同時に敷地へ侵入する。気品と威厳を重んじるゾルテ王家執事も、今回ばかりは乱暴に到着した馬車を咎めなかった。

 従者が開けた馬車から降り立った男は、品ある衣に身を包んだ、今なお若い容姿をしたゾルテ王国フォルティス公爵。焦げ茶色の髪をかき上げ、彼は灰がかった金色の瞳に当惑を滲ませていた。

「お帰りなさいませ、フォルティス様」

「ああ、バレン。リビアに取り次いでくれるかい? まったく……どうしてこんなことに……」

 彼の肩から外套を取りながら、侍従たちが背後について来る。バレンと呼ばれた執事は頭を下げると、城内へ彼を導いた。

 彼が通されたのは、リビアの私室だ。本来ならば謁見の間か来賓室に通すのが慣例であったが、リビア自身が私室で会うことを所望した。

 叔父とはいえ未婚の女性の部屋に男性を招き入れるなど、褒められたことではない。案内された部屋を前に、フォルティスは顔を顰めた。

「相変わらず型破りな……」

 ぼやいた声を拾い上げ、バレンは髭の下で同調する。

「私も別の部屋をと申し上げましたが、強く申し付けられましたので」

 扉前に控えていた兵士が、中に合図を送り、扉を開く。両扉を開いた彼の目の前に、彼女は小首を傾げて立っていた。部屋の奥、扉の丁度前になる位置に佇んだ彼女は、しとやかな笑みと優雅な仕草でお辞儀をする。

「リビア……」

「お久しぶりですわ、叔父様」

 余所行きの言葉遣いで迎え入れられ、フォルティスは遠慮がちに部屋に入った。彼女の脇にある大きなソファの背後に、侍女頭が一人控えているだけ。執事は兵に扉を閉めるよう指示すると、反対側の壁際に控えた。

 頬に力を入れ、意を決した表情になったフォルティスに、リビアはソファを勧めた。

「どうぞお掛け下さい」

「リビア。今回の事は、報告せず悪かったと思っている。だが、報告することでお前を乱したくなかったんだ」

 彼はソファに座らず、彼女の数歩前で弁明するため両手を広げた。

 優美な笑みを湛えていた彼女の瞳に、怒りが滲むのは直ぐだった。彼女はさっと笑みを消し、苛立ちと怒りを露わに、フォルティスを睨み据える。

「いつまで私を幼子とお思いなのか。私はゾルテ王国の嫡子だ。各州の管理を任されているのはこの私。報告を怠ることは、怠慢以外の何でもない。私をあまり、軽んじ下さいますな」

 固い言葉だった。幼い頃から彼女を知っているフォルティスは、やるせなく視線を落とす。

「申し訳ないとは思っているよ……けれど」

「私に貴方の庇護は必要ない」

 ぴしゃりと言い放つと、彼女はソファに腰を据えた。

「リビ……」

「どうぞ」

 高慢に顎を上げられ、座るよう促されると、フォルティスは怒るでもなく、弱弱しく彼女の向かいに座った。間をおかず侍女の淹れた茶がふるまわれ、芳醇な香りが漂う。

 リビアは茶を一口含むと、それまでの怒りを忘れるためか、一際妖艶な笑みをフォルティスに向けた。

「まあ、今回は叔父上を咎めるために呼んだのではない」

 フォルティスは茶器を両手で包み込み、優しい表情で彼女を見返す。

「そうかい。今日はどんな話をしたかったんだい?」

「貴方の娘が見つかったのだ」

 フォルティスは一度、表情を消した。そして真摯な眼差しで彼女を見返す。それを促されていると取ったリビアは、話を続けた。

「私の隠密が見つけたのだが、ウィルビウス州の教会で慈悲深くも民に月の力を分け与えてくれていたよ。とても可愛らしい少女だ。陽菜は自分の母だとはっきり言った。どうやら体調が良くないらしく、今はこの城で休んでいるがな」

「ウィルビウス……」

 リビアは睨むのと同じ眼差しで、フォルティスを見上げる。

「知っていただろう? 貴方の娘を名乗る者がウィルビウスに現れたのを」

 フォルティスは茶器を机に戻した。リビアの強い眼差しに負け、額を手で覆う。

「だが……陽菜はあちらへ戻ったんだよ。その娘がこちらに戻る術なんてないだろう、リビア。どうしたんだい? 聡明な君らしくないじゃないか」

 どこからか使者を名乗る者が館を訪れ、娘を保護したという話を持ってきたのは知っていた。しかしフォルティスは、即座に虚偽であると判断した。

 彼の妻は身籠っていたが、子を産む前に向こう側へ消えたのだ。その子供がどうやってこちらに戻るという。あちらとこちらは本来繋がっていないのだから、気軽に出入りなどできないのだ。

 確かに藁にもすがる気持ちが誰もにあったと思う。現状ゾルテ王国は荒廃の一途を辿り、復興の兆しなど見えない。

 彼女の娘だと名乗る人間が現れれば、つい、もしかしたらと思ってしまうだろう。

 だがこれは、弱い人間の心理を突いた卑劣な賊の仕業としか思えなかった。

 判断を誤る程、心を病んでいたのかと案じたフォルティスを、リビアは鼻で笑った。

「この私が目先の救いに縋るような、愚か者だとでもお思いか?」

 フォルティスは首を振った。

「リビア……そうじゃない。そうじゃないが、あり得ないだろう? どんな話を聞いたのか知らないが、私に寄せられた話では、市井で生活をしていたところを保護したと言っていたよ。陽菜は子を産む前に、あちらに帰ったんだ。それがどうして今更、市井でつつましやかに暮らしていたなどと言えるんだい? 到底真実とは思えない」

 リビアは片眉を上げ、若干気勢を削いだ。

「ああ……その話は(・・・・)虚偽だろうな」

「その話は、とはどういう意味かな?」

 フォルティスはあくまで優しい眼差しをリビアに注ぐ。陽菜を失ってから、自分に近づこうとしなかった彼女の心の傷は計り知れず、そっとしておくことだけが彼なりの気遣いだった。今もリビアに対しては、どんな憎しみも抱いていない。フォルティスはただ、姪を心配していた。

 当の本人はその眼差しが嫌なのか、視線を逸らす。

「彼女はこちらで育ってはいない。あちらの世で育ち、こちらへ戻ったのだ」

 フォルティスは眉を上げ、俄かに頬を強張らせた。賢者と名高い彼は、彼女の言わんとするところを、即座に理解したのだ。

 事態の不穏さに、彼の顔色は悪くなる。

「……精霊かい?」

「そうだ」

 フォルティスは真摯な眼差しで、身を乗り出した。

「駄目だよ、リビア。精霊は月の宮の物。そして月の宮が定めた主の物となるのが、この世の理だろう?」

 リビアは煩わしそうにフォルティスを睨む。

「だがあれはお前の娘だ。公爵の姫君を金で競り落としたからと、どこの誰とも知れぬ男に主人面などさせて、お前は満足なのか?」

「それは……そうじゃないけれど……。しかし……どうしてそんな」

 頑なな物言いを奇妙に感じたフォルティスは、言い淀み、考え込んだ。

「精霊なんて……どこから」

 自分の娘が精霊としてこの地にいるなどと、信じて良いものかどうか――と、考え始めた彼は、はっと顔を上げた。フォルティスは真っ青になって、自分の膝の上で、ぎゅっと両手を握り合わせた。

「リビア……。まさか、その子はアラン君の精霊なのかい?」

「…………」

 無言は肯定だ。フォルティスは立ち上がった。

「リビア! 他国の神子を掠め取るなんて、絶対にしては駄目だ! 兄さんは……陛下はこれを知っているのかい!?」

「取り乱すな、見苦しい!」

「そんなことを言っている場合じゃないだろう!」

「これはそういうことなのだ!」

 怒鳴り返すリビアの勢いに負け、フォルティスは口を閉ざす。リビアは頬を赤く染め、声を張り上げた。

「これは、私とアランの勝負だった! そして私が勝ったのだ! 何が悪い? あれは正真正銘、あなたの娘だ! 陽菜の瞳と声を持つ、小さな女神だ! あなたは彼女を見ていないから、そんなことを言えるのだ。出会ってしまえば……!」

「リビア……」

 フォルティスは彼女を落ち着かせようと手を伸ばしたが、その手は強かに打ち払われる。

「――出会ってしまえば……もはや手放すことなど不可能だ!」

「リビア……。駄目なんだよ、リビア」

 リビアとは対照的に、フォルティスは沈んだ声音で言い聞かせた。この世には、越えてはならない理がある。そこに手を出してはいけないのだ。

 言われずとも理のなんたるかを知り尽くしたリビアの瞳に、みるみる透明な液体が溜まった。

 フォルティスは、彼女の涙に殊更弱かった。

「リビア……」

「あれの髪は……っ……黒くなかったのだ……! 神子だというのに、その髪は白銀だ! この意味が分かるか、叔父上……」

 何を言いたいのか咄嗟に思いつかず、フォルティスは眉尻を落とす。

 リビアは抑えきれない苛立ちに耐えられず、手元にあった茶器を掴み上げ、勢いよく床に叩きつけた。陶器が音高く砕け散り、侍女が肩を震わせる。

 流れる涙を恥じることなく、リビアはフォルティスに向かって叫んだ。

「――アランの色なのだ!」

 フォルティスは、リビアの頬を伝い落ちる涙を、静かに見つめた。

「……っ許さない! この私が許さんぞ! すべてに恵まれたアランになど……っ……誰が渡してやるものか!!」

「リビア……」

「我が国には、精霊が必要なのだ……!」

「…………」

 フォルティスは両手で顔を覆い、天を仰いだ。



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