46.鮮血の花
街は見る間に浮かれた空気に包まれ始めた。
近くの州に散っていた小隊員を呼び寄せるのに夜までかかる。現在手勢は片手で数えられるほどしかおらず、教会周辺の敵が多すぎてソラたちはじりじりと見張るだけの状況に甘んじていた。見張りの交代をして昼飯がてら街で情報を探ろうと移動したソラは、眉を潜めた。
潜入した翌日、荒れ果てた道や田畑の端々に赤い花びらがちらちらと落ちているのには気付いていた。偶然かと思っていたが、昨日よりも確実に花びらの量が増している。
疲れ果てた民の瞳に生気が芽生えている。困窮したこの街に活気が生まれるのはいいことだ。だが浮かれる人々の足元、そして彼らの髪飾りに使われている赤い花びらが、何故か不吉な色にしか見えなかった。
草すら生えていない道端に落ちている、赤い花びらの一つをクロスが拾い上げる。
「なんなんですかねえ、その花びら。この州のあっちこっちにばらまかれてるみたいですが」
他州に送り込んだ兵からは花びらの情報はなかった。ウィルビウス州のみに見られる赤い花びらと民の活気。崩れ果てた民家の軒先に吊るされた吉兆を示す花の玉飾りは、材料の不足のためか枯れた藁で作られた丸い玉に、赤い花が一輪挿し込まれている。
ぼやいたソラの脇で、クロスが低く呟いた。
「すごいな……これ一枚で月の力が十分に補充される」
「え?」
聞き返すと、花びらを手渡された。手にすると金の粒子が微かに舞った。赤い花びらの周りに月の力が込められているのが分かった。疲れを癒すだけでなく、更に余力を与える量の力を感じる。
「……これらすべてに、同じ量の力が……?」
目の前に続く道の両脇に、赤い花びらが整然とばらまかれていた。各家の軒先に使われる花、民が髪や服に装飾している花弁。田畑に散りばめられたそれら。
「は……?」
ソラは片頬を引きつらせた。量が多すぎる。もう一度目を見交わせたクロスの表情は、厳しいものだった。
「この国のどこにこれだけの月の力があるのだろうな、ソラ」
たった一枚の花弁を見下ろす。口に出さずとも分かった。
――神子様……。
こんなに力を使って、彼女は大丈夫なのだろうか。
そこかしこで浮かれた祝杯を上げる民達の声が聞こえた。
『めでたいなあ!』
『なんと慈悲深い方だろう』
『やっとお戻りいただけたんだなあ』
『公爵様もお喜びだ!』
ソラは、崩れかけた民家の前で談笑している中年の男たちに近づいた。彼らは見慣れない上等な着物を着たソラ達に、不審げな表情を浮かべる。
「邪魔をして済まない。ちょっといいかな?」
「なんでえ。あんたら、よその者か」
ソラは人好きのする笑みを顔に張り付けた。
「ああ。各国を回っている旅の者なんだが、この州はやけに元気がいいなあ。それにあっちこっちに花弁が撒かれていていい香りだ。何かめでたいことがあったのかい?」
不審げにソラとクロスを上から下まで見ていた男は、めでたいという言葉にぱっと表情を明るくした。
「そりゃあめでてえさあ、兄ちゃん!」
男の隣でわらを編んでいた女も声を上げて笑う。
「そうさ。一度はお亡くなりになったと言われていた公爵様の姫様が見つかったんだ。めでたいこと以外のなんでもねえよお!」
女の横でわらの中に花を編み込む女も笑う。
「慈悲深い姫様だよ。なんでも月の力が特別お強い方だそうでねえ、こうやって私らにも無条件に力を分けて下さるんだ」
ソラは肝を冷やしながらも、笑顔で相槌を打った。
「へえ、それはめでたいな。見つかったって、よその国にでもいたのか?」
男は日に焼けた黒い顔を、皺くちゃにして涙ぐむ。
「そうさ。本当なら公爵様の城で何の苦労もなく育つはずだったのに……市井でつつましく育ったんだそうだ。何でも姫様は、ご自分の身分も知らず育たれたそうなんだ。可哀想になあ」
「でも美しくお育ちだあ。あんなにお綺麗な姫様、滅多と見れないよお」
瞳を輝かせ、女たちは口々に誉めそやす。
「ああ。あーんなにお綺麗ならそりゃあどこかの姫様なんじゃないかと思うよねえ。見つかってよかったよお。それに私らに力を分けてくれるくらい月の力があるなんて、すごい姫様だねえ。ゾルテの女神がお隠れになった時は、どうなることかと思ったけどねえ……」
最後の言葉は、極小さく呟かれた。
『ゾルテの女神』
ソラはクロスに目配せをする。それはかつてこの国にいた月の精霊の別称だ。
口元を布で隠したまま、クロスが女に尋ねた。
「姫様には会えるのだろうか?」
その質問に、三人は同時に顔を上げ破願した。
「そうさあ! 会いたいといえば会っていただけるんだよ!」
「教会にいらっしゃるぞ」
「お会いできる時間は日没までだそうだよ。会いたいならあんたたちも急ぐんだねえ」
クロスの眉が僅かに動く。
「姫様はそんなに美しいのか」
女が頬を少し染めて意気揚々と応えた。
「ああ! とってもお美しくお育ちだあ! 目なんか真っ黒で吸い込まれそうな色でねえ、髪は隠れてよく見えなかったけど、確か白銀色だったかねえ?」
横に座っている男が頷く。
「ああ。ご挨拶の時に垣間見たが、白銀の御髪だったなあ。もしかして、と思ってようく見たから間違いねえ」
それぞれが話し合う音が次第に遠退いて行った。ソラの胸は失望に沈んだ。
「あれまあ、じろじろ見ちゃ失礼だよお! はははは!」
笑いあう会話は、いかにもほのぼのとしていた。
――白銀の髪なら、神子様じゃない。神子様は漆黒の髪だ。
せっかく見つけたと思ったのに、また振出しに戻ったということた。虚脱感が全身を襲い、項垂れるソラの傍らで、クロスは何故か質問を繰り返す。
「もしかして、というと?」
クロスの目があまりにも真剣だったため男は虚を突かれた顔になったが、すぐに相好を崩す。
「あーおめえ達はよそ者だからなあ。ちょーっと期待しちまうんだよ、俺達はなあ。なんせ公爵様の奥方様は、先の精霊様なんだからなあ」
言って男は少し悲しげに笑った。女たちも悲しげに笑いあう。
「そうだねえ。精霊様がお帰りになったのかと思ったけど……精霊様はやっぱりお戻りでないみたいだ」
「残念だけど、こればっかりはねえ」
ソラは眉根を寄せ、頭の中で疑問を投げかける。
――なんだよそれ。どうなっているんだ? 精霊に子供がいた? その子供が見つかったって、みんな喜んでいるのか?
ソラの視界に赤い花が映った。
――でもその花はなんだよ。普通の人間がここまで大量の月の力を使えるわけないじゃないか。精霊でもない限り、不可能だ。
ソラは直ぐにでも確認したくなり、教会へ向かおうとした。しかしクロスがソラの腕を掴み、また民に質問を浴びせる。
「教会にいるのはどうしてだ? 公爵様のお館ではないのか?」
浮かれた笑い声をあげていた民は、ふいに笑みを凍らせた。お互いの顔を見合わせて首を傾げる。
「そういえば……どうしてだろうねえ」
「公爵様のお館は王都近くにあるからなあ」
不穏な気配を感じたのか、彼らの表情が強張る。クロスは彼らの緊張をほぐす優しい声音で頷いた。
「そうか。こちらの国に戻られたばかりでご療養中なのだろうな。ありがとう」
「ああ、それもそうだね」
「王都までの移動となると、馬で三日はかかっちまうからねえ」
ほっと息をついた彼らに頭を下げて、ソラとクロスは歩道に戻る。彼らの視線から消える頃合いになって、クロスは口笛を吹いた。空から鳥が舞い降りた。
「殿下に知らせておく必要がある」
クロスは胸元から小さな紙きれを取り出すと、指先で紙片を擦り合わせた。文字を書く手間すら惜しいため、彼は月の力で報告書の記載を済ませたのだ。足に紙片を巻き付けた鳥は、羽音を立てて空へ舞い上がる。
鳥が起こした風に巻き込まれ、赤い花弁が空中を舞った。
血だ――。
ソラは漠然とそう思った。
大地にばら撒かれた赤い花びらを見渡すと、瞳に涙が滲んだ。
「神子様は、大丈夫でしょうか……」
「情けない顔をするな。俺たちは、一刻も早くあの方をお救いするだけだ」
厳しい言葉に頷き、気を引き締めたが、見渡す限りの花びらに戦慄を覚える。
――多すぎる。
神子様が血を流していらっしゃる。
早くお救いせねばならない。




