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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 五章
39/112

39.矜持と実直


 美貌の宰相が優雅な仕草で挨拶を述べ、部屋から出てしまうと、侍女たちの金切り声が上がった。

「姫様! 隣国の宰相様になんというお言葉遣いをなさるのです!」

「そうですわ! お優しいフロキア様だからこそお許しいただけたものの、普通でしたら品格を疑われるところですわ!」

「しかもアントル石を寄越せだなんて! アラン王子の不興を買いますわ!」

 リビアは豊かな金髪を掻き上げ、ソファに深く沈む。更に両腕をソファの背に広げて、鼻を鳴らした。

「はん! あちらとて失礼極まりないではないか。我が国を格下扱いしおってから、アランめ! 目にもの見せてくれる!」

 緑の瞳が恐れを知らぬ強い光を宿して、中空を睨んだ。

 侍女頭のティティが、リビアの傍に跪く。そっと取ったリビアの指先は彼女らによって毎朝磨き上げられ、とても美しい輝きを放っていた。白く曇りない肌に日に焼けて乾いた手のひらが重なる。

 リビアは笑い皺の刻まれた侍女の顔を見下ろした。

「なんだ」

「……姫様。もしもお辛いならそうおっしゃって下さい。無理にフロキア宰相の願いを受け入れる必要はございません……」

 リビアは眉を上げ、頬を染めた。図星だったためではない。一番長く仕えている侍女が、未だに自分がアランに惹かれていると勘違いしているからだ。

「ティティ! いい加減にしろ! 私はこれまで一度も、アランに心惹かれたことなどないと何度言えば分るのだ!」

「ですか、幼い頃からとても仲がよろしゅうございました。どうぞ私たちにまで、お心をお隠しにならないでくださいまし」

 破談はガイナ王国からの申し入れだった。武力、経済力、領土、何を置いてもゾルテ王国に勝るガイナ王国の意向は、是非を問うまでもなく決定事項として伝えられた。

 その時ゾルテ王国は凶事の最中にあった。精霊を失い、経済は混乱を極めた。内乱を起こした者たちの動きは留まるところを知らず、リビアの婚約話など些末に感じられる程度には、この国は崩壊寸前だったのだ。戦火が上がって四年目には、内乱の平定に出陣した八歳年上だった兄までも失った。

 内乱を平定し、経済を持ち直すまで実に八年を要した。現在、ゾルテ王国の嫡子となっているリビアは、内心、首を振る。

 いいや――経済は未だ、復興の兆しを見せない。

 荒廃した大地、何も生まない川と泉。疲弊する民。減り続ける人口。精霊を失ったあの日から、既に数十万の民が霞のように絶えた。

「私は……アランの庇護などいらん」

「姫様……」

 リビアは親指の爪を噛んだ。

 ティティは今回の依頼が宝石を探して欲しいと言う趣旨から外れていることを分かっている。他の二名はぽやんとしているため、本当に宝石を探すのだと思っている節があった。

 アランが中指を彩る宝石を贈った娘。その貴重な石を持った娘は、アントル石など石ころだと笑ってしまえる程の価値がある。

 本音はその娘を密かに見つけ出し、隠し持ちたい。

 だがそれではただの盗人だ。

 ゾルテは月の宮の競りに参加して、惨敗した。元より高値の神子──彼女を買い取るための資金は、国民の血税を割いても遠く及ばなかった。

 三国一の経済力を誇るガイナ王国は、三国を超える他国が干渉した異例の競りにおいても、余裕の勝利を収めたのだ。それも国家ではなく、一王子の私的な財産でもって。近隣十か国は、もはやガイナ王国に楯突く気など今後一切起こさないだろう、完全勝利だった。

 不甲斐ない自分に、憤りを感じる。

「我らに猶予は無い。隣国に尻尾を振っている場合ではない」

「しかし精霊は慈悲深いもの。施しを頂くことも拒否なさいますか?」

 リビアは鼻先で笑った。

「ティティ。精霊の全てが慈悲深いものではないの。私たちの精霊が慈悲深かったからと言って、他がそうとは限らない。一を百と言ってはならぬ」

 此度の神子がどういうつもりでゾルテへ舞い込んだのか知らないが、これを吉兆ととるか凶兆ととるか。

「いずれにせよ、どんな些末な機会も私は逃すつもりはない」

 数多の宝石を見せつけたフロキア。あの宝石の意味を、リビアは重々承知している。

 彼は依頼を秘匿する代わりに、あれらの宝石を寄越す算段だった。あの小箱一つで城がいくつ買えるだろうか。

 女の性質をよくよく分かった、小賢しい男だ。

 普通の姫君ならば、即座に頷いただろう。彼が選んだ交渉術は、非常に優雅で、印象良いものだ。

 だがリビアはあんなものと比較できない宝石が手中にあると気付かぬほど、富に満たされきった姫ではない。

 リビアの矜持は強かった。

 ――一国の姫として、目先の餌に鼻面を引きずり回されるわけにはいかぬ。

 不安そうに己を見上げる侍女に、リビアは言い放った。

「アランは忘れよ。オーウェンを呼べ。すぐに取り掛かる」

 隠密の筆頭の名を呼び、リビアの思考は戦略に切り替わった。武人然とした横顔を見上げた侍女は、諦めの溜息を落とし、彼女のために立ち上がる。

「ティティ」

「はい」

 ティティは口答えもせず、リビアに従った。

「各州内におけるすべての教会を調べ上げろ。相手は月の力に狂った阿呆だ。必ず教会に何らかの接触を試みる」

「畏まりました」

 おろおろとリビアと自分を見守る二人に向き直り、ティティは静かに厳命した。

「何をしている。姫様のご意向を遂行せよ」

「――は!」

 二人は密偵と接触するため、慌てて部屋を出て行った。

 密偵の頭と部下を呼び戻すには複数の鳥が必要だった。



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