38.姫君
さびれた教会で、突然自分が姫だと言われた紗江は、きっぱりと言い張った。
「私はただの一般人です」
睨みつけてみたが、サウラの笑顔には一片の曇りも生まれない。
「太陽の国では一般の方だったかもしれませんが、あなたはこちらの国においてはフォルティス公爵のお嬢様として育てられるはずでした」
「誰ですかその人」
聞いたこともないカタカナの名前を言われても意味不明だ。しかも身分もよく分からない。
サウラは一点の曇りもない眼差しで紗江の手のひらを掴んだ。
「フォルティス公は、現ゾルテ王の弟君です」
「はああ?」
素っ頓狂な声を上げて紗江は手を引き抜いた。
――王様の弟――? 私がその弟のお嬢様です、なんて言ってるの? ――あり得ない。
「馬鹿言わないでください。私の父は私が生まれる前に死んで、お母さんはちょっと前に心臓を悪くして死んでいます。平凡な家庭で……それだけでし……っ」
思わず敬語で話していることに気づき、手で口を覆った。康の眼差しが痛い。
サウラは初めて悲しそうに目を細めた。
「陽菜様は、そうおっしゃるしかなかったのでしょう……」
「どうしてお母さんの名前まで知っているのよ!?」
――異世界の情報まで調べ上げるなんてやり過ぎよ!
思わず声を上げると、サウラは必死な眼差しで、紗江を見つめた。
「神子様、私は、陽菜様の傍仕えでした」
「――そばづか……!?」
内心罵声を浴びせかけていた紗江は、オウム返しに単語を繰り返し、そして言葉を失った。
傍仕えというのはお傍に侍るという意味の言葉で、陽菜様と呼ばれたご主人様の召使い的な立場の――。
紗江は視線を逸らした。だが視線の先にユスの顔がある。
――何よ……やめてよ! なんなわけ……っ。
よりにもよって不遜な態度を示していたユスまでもが、まるで子犬のような縋る瞳で紗江を見つめているのだ。良心の呵責に苛まれる。
「……っ」
無理やりユスから視線を引きはがせば、サウラが両手を握りしめてきた。紗江は肩を跳ね上げ、切なく自分を見下ろす青年にたじろぐ。
「神子様……あなたのお顔、お姿は陽菜様とそっくりでございます。陽菜様は事故で太陽の国へお戻りになられましたが、あなたはこちらの世界へお帰りになりました……! これは陽菜様のご意向以外の何でもございません!」
「ご意向……」
サウラの必死さに押され、紗江は一歩後退した。サウラの目尻には光るものさえある。
泣きたいのはこちらの方だというのに。
サウラは身につまされる、憐れな表情で、紗江に懇願した。
「陽菜様はゾルテへ、あなたをお戻ししたかったに違いないのです……! どうか……っどうかゾルテ王国へお戻りください!」
「……ゾルテ……」
視線を彷徨わせた紗江を、康が曖昧な笑顔で見つめていた。




