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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 四章
36/112

36.姫と宰相


 王城はかつて、栄華を極めた時代に建築されたものだった。当時の豪華絢爛な建築様式の、繊細な細工を施した柱や天井を見上げ、ノラが目を丸くする。

「すごいですね……」

「そうだろう。この国はとてもいい細工師が多かったから」

 ガイナ王国は、財力はあるが細工に頓着する気質ではないため、ゾルテ王国ほどの掘り師をもたなかった。鳥や花が精密に彫刻されている王城は、どこをとっても一級品だ。

 称賛の意味を込めて相槌を打つと、ノラがふとこちらを見返した。

「……」

 フロキアとノラは、ゾルテ王国の王城を訪れ、客室へ案内されている所だった。二人を案内している兵には聞こえぬ程度の小声で話していたが、ノラの声は、物憂く、更に小さくなる。

「どれほど減ったのでしょうね……」

「……フェメラ王子がお隠れになって、十七年だからね……」

 フロキアは誰にも聞こえないほどの、微かな吐息を吐き出した。



 客間まで案内されたフロキアとノラは、程なくして扉をノックする音に背筋を伸ばした。一国の姫の護衛は厳重だ。扉前に二名、彼女の背後に更に二名兵がつき、彼女付の侍女は三名。多少の荒事には対応できる技量を持っている様子だ。

 開いた扉の向こうから現れた姫は、ソファから立ち上がったフロキアとノラを見て、涼やかな瞳に弧を描いた。

「お久しぶり、フロキア宰相殿。そして初めまして、ノラ秘書官殿」

 ゾルテ王国の姫はガイナ王国宰相の服装と同等か、それに劣る質の布地を使った着物を身に付けていた。

 フロキアはそれを好ましく感じた。

 己の現状を理解することは、とても重要なことだ。

 ノラが頭を下げる。

「お初にお目にかかります、リビア王女殿下」

「貴重なお時間を頂戴でき、大変うれしく思います、リビア姫」

 リビアは金色の豊かな髪を払い、鷹揚に笑んだ。

「なに、ガイナ王国のたっての願い。聞かぬ方が愚かかと存じる」

 暗にガイナに借りを作った方が得策に決まっていると言われ、フロキアは乾いた笑みを浮かべた。

「賢明なご判断、感服いたします」

「そうだろう?」

 フロキアの嫌味にも似た返答に、リビアは声をあげて笑った。姫そのものの笑い声は、とても優雅だった。

 向かいのソファに腰を降ろし、彼女は足を組んだ。机に肘を付き、両手の指先を交互に絡めると、緑色の瞳が意地悪気にフロキアに注がれる。

「さて……今日はどのようなご用件だろう」

 フロキアは食えない笑顔の彼女に微笑み、おもむろにソファの脇に置いていた黒い箱を卓上に差し出した。

 両手を広げた程度の幅の薄い箱には、厳重に鍵がかかっている。ノラがその鍵を開けると、フロキアが蓋を開けた。

 リビアの背後に控えて入た侍女達が、黄色い声を上げる。

「まあ」

「なんて素晴らしいお品でしょう……」

「まあ、姫様。私初めてこんなにたくさんの色を見ましたわ」

 リビアは驚くでもなく、口先で感想を述べた。

「美しいな」

 箱の中には青、赤、紫、緑、各種の色を持つ宝石がずらりと並んでいた。繊細な加工を施した宝石たちは、この箱一つで城が二つは買える。侍女たちが頬を染め、その宝石箱を取り囲む様を、フロキアは微笑ましく見渡した。

「こちらはガイナ王国でも指折りの技師が細工した宝石になります」

「そうか。ガイナ王国の宝石は、いつ見ても美しいカットだ。私の宝石も、ほとんどがガイナ産だったと思う」

 物欲がないのか、全く欲しそうな素振りがない。フロキアは宝石の中から一つの石を取り出した。琥珀色の石は周りの宝石と比べると非常に小さく、指先程度の大きさしかない。しかしリビアが眉を上げたのを、彼は見逃さなかった。

「お分かりになりますか?」

 リビアは初めて興味深そうに、フロキアの指先につままれた石に目を凝らす。

「……久しぶりに見た。ガイナ王国でしか取れない、アントル石だろう? 滅多に取れぬから、保有しているのは各国王室くらいだ」

「滅多に出ない上、加工そのものが非常に困難を極めますからね」

 固すぎる石は、どんな器具でも加工できない。月の力を駆使した技師の道具と、アントル石の屑でもって初めて加工できる。しばらく石を興味深く眺めたリビアは、満足すると、背もたれに体を預け、膝の上で指先を組んだ。

「それで? まさかガイナ王国宰相が、行商に来たわけでもないだろう。どのような願いがあるのだろうか」

 あけすけな物言いは、返って要望を言いやすかった。

「こちらのアントル石は、ガイナ王国でも非常に貴重な商品です。我が国での産出石に関しては、販売先から流通の全てを把握しているほど、大切にしている石になります」

「知っている」

「つい最近、我々はこれまでにない大きさのアントル石を恵まれました」

「まあ!」

「どれくらいの大きさなのかしら」

 侍女たちが興味津々で声を上げるが、リビアは目を眇める。フロキアの笑みを怪しげに見回し、口の端を上げた。

「それは幸運だったな」

 フロキアは至極幸福そうに微笑む。

「そうなのです。大きさとしては指先の、第一関節程度の長さと幅。我が国としても、非常に喜ばしく思っておりました。中指を彩るための指輪に加工され、かねてよりその石を欲しがっていた王子殿下の願いも叶えられた」

 侍女たちから浮かれた雰囲気が消えた。

 リビアとの婚約を破棄した隣国の王子だ。彼の姿を知っている侍女達は、無意識に複雑な表情になった。

 一方リビアは、からりと頷いて見せる。

「そうだったな。アラン殿下はかねてより、その石を欲しがっていた。ようやっと手に入ったことを祝福させていただいたのも、記憶に新しいが」

 そこで侍女たちは首を傾げた。彼女達の記憶には、リビアが隣国に対し、宝石が見つかった祝いを贈った記憶などないだろう。

 フロキアはひたと、リビアを見つめた。

「これはご内密にお願いしたいのですが」

 リビアは眉を上げ、フロキアの頭の先から足元まで舐めるように見やり、そして背後の侍女たちに顎をしゃくった。

「いいだろう。お前達も、決して口外してはならない」

「はい」

 背後に控えていた侍女と兵らが背筋を伸ばすのが分かった。

 ノラがほっと息を落とす。フロキアは一つ頷くと口の端を上げた。

「この宝石が先日盗まれたのです」

 侍女たちは息を飲み、リビアは眉根を寄せた。その反応に、フロキアは落胆する。これは本当に知らない者の反応だ。

「それで?」

 話を促され、フロキアは説明を続けた。

「宝石が盗まれたことは、公にしておりません。内々に調査したところ……どうやら宝石は貴国に移動したようなのです」

「……なんだと」

 姫らしからぬ低い声が漏れる。姫でありながら、姫よりも王子としての気質が強い彼女の瞳には、怒りの感情が芽生えていた。

 その怒りを大きくしないよう、フロキアは柔らかな声音で首を振る。

「アラン王子殿下は、事を国家間の問題にしたくないと考えております。貴国の手数はおかけしません。ただ、若干の調査官の入国をお許しいただけないでしょうか?」

 リビアは眉を顰め、気に入らないといわんばかりに胸の前で腕を組んだ。

「ガイナ王国民は、本国において人身の拘束権を持たず、武力の行使も禁止されている。素直に我が国の兵を使うがよかろう。何が気に入らないのだろうか?」

「姫様! お客様の御前でございます。御慎み下さいまし」

 武人そのものの物言いと態度になったリビアを、侍女が窘める。ノラが唖然とする隣で、フロキアは笑んだ。

「貴国の国庫を削りたくない、というのが殿下のご意向です。なにより、殿下は宝石にいささかの傷もつけず、戻すよう強くご命令されております。武力の行使などは予定しておりません。密やかに調査し、全てをなかったことにされたいのです。いかがでしょうか、リビア姫」

「ほお……」

 腹の底から響く、低い声が聞こえた。フロキアは眉を上げ、麗しい笑みを浮かべた姫を見返した。三人の侍女たちは唇を閉ざし、それぞれ視線をあさっての方向へ向けている。

 先程までこちらを見ていた扉口前の兵達も、直立不動で自身の目の前しか見ていなかった。

 もう一度正面に座る麗しい姫君を確認したフロキアは、声を漏らした。

「あ」

 ――しまった。間違えたか。

「?」

 隣のノラの反応がいちいち可愛く感じる程度に、この姫は女性的ではなかったのだ。女性の扱いに長けたフロキアは、ついいつもの調子で振舞った己を悔やんだ。

 リビアは片目を眇め、挑戦的な眼差しを降り注ぐ。

 ――地雷だったかあ……。

 取り繕う方法を考えようとしたフロキアだったが、リビアは容赦なく顎を上げ、挑戦状を叩きつけた。

「よかろう。相も変らぬ女々しい考え方だと、アランに伝えられるがよろしかろう。そちらの入国および、調査官の派遣は許可しよう。だが本国の国庫に関して、貴国に憂えていただくほど我が国は落ちてはおらぬ。こちらはこちらで勝手にさせていただく」

「姫……それは」

 ――ゾルテに動かれるとまたややこしくなりそうだからお手伝いしないでって言ってるのになあ……。

 フロキアは遠くを見上げ、現実逃避をしたい気持ちで一杯になった。しかし怒れる王女は高笑いだ。

「なあに、案ずるな。貴国は貴国で内々の密偵を使われるのだ。私とて子飼いの使いくらい持っておる。事を荒立てず、内々に調べ上げて見せようとも!」

「……ご協力、痛み入りま……」

「――ただし」

 もはや諦めようと思ったフロキアは、言葉を遮られ、背中に冷や汗を滲ませる。

 リビアは胸を張り、非常に愉快気にガイナ王国の使者に言い放った。

「こちらが先に見つけた暁には、その宝石を寄越せ」

「――できません」

 フロキアは、即答した。それだけは、無理な話だった。

 そのようなことになれば、全面戦争に打って出なければならず、現状の武力であれば、確実にガイナ王国が勝利するだろう。

 されど相手は王子の知己。荒事にしないための提案に来たというのに、彼女はそれを理解していないのだろうか。

 表情を失い、顔色悪く自分を見つめるフロキアに、リビアは笑った。

「そうか。まあこちらも、無理難題は言いたくないが……しかし、その宝石はどう思うのだろうなあ、フロキア宰相。試しに、こちらが見つけた暁には、その宝石を私の目の前で転がしてみようではないか。少しでもこちらに転んだのなら、我が国が頂く」

「それは……」

 そんな結果に転んだら、ガイナ王国の王子は死刑宣告を受けかねない。

 弱り果てたフロキアに、リビアは事も無げに言った。

「なに、たいしたことではなかろう。先にそちらが見つければよいだけの話だ。それに……万が一我々が見つけたとしても、宝石がこちらに転ばなければ良いだけだろう? それほど貴殿の次期国王は、頼りないのか?」

 ため息が漏れた。ちらりとノラを見ると、彼女は予想外の展開に顔を青くしているが、頷いた。

 ――致し方ない。

 フロキアは肩を落とし、宝石を箱の中に収める。宝石箱を片付ける様を無感動に見守るリビアが、ぽつりと呟いた。

「中指の指輪か……」

 フロキアはちらっと彼女の顔を窺う。アランにまだ心残りがあるのであれば、これは酷な依頼だ。

 しかしリビアは、愉快そうに笑みを浮かべた。

「今頃どんな顔でべそをかいているのか、見ものだなあ、フロキア宰相?」

「心痛めておいでというのは、確かでございます」

 くくく、と声が漏れ聞こえる。リビアは自分を弟程度にしか考えていなかったという、アランの認識は正しかったようだ。

 フロキアは立ち上がり、首を垂れる。

「それでは、よろしくお願いい致します、リビア姫」

「ああ。次に会うときは、宝石が見つかった時だ」

 ――これが王子なら、誰もが惚れていただろうな。

 侍女達が頬を染めて、男気溢れる自国の姫君を見つめる様に呆れつつ、フロキアは部屋を後にした。

 ――どうかあの姫君が、神子様が欲しいと駄々をこねませんように。

 小さな懸念を胸にひた隠し、フロキアは呑気にノラを食事に誘ったのだった。



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