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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 四章
32/112

32.ゾルテの子供


 王子の私邸は常と変わりなく、厳重な警備を布いていた。堅牢な門戸の前には厳めしい顔つきの警備兵が常駐しており、城の各出入口および、庭園各所に兵が配置されている。

 だが城内に配置された兵は任を解かれ、現在、彼らは城の一室へ招集されていた。

 娯楽施設として作られたその広間は、華美を好まない城主により、長らく空き部屋になっていた。なんの設備も置かれていない広間は、軍人たちを招集し、指揮を執るには丁度良い場所だった。

 クロスは、ざわめく兵達を見渡し、斜め後ろに控えているアラン王子の命令の元作成した書類に目を落とす。ゾルテ王国へ連れ去られた神子を奪還するための配置を告げていった。

「第一から第三部隊の各五名を指名する。第四、第五部隊は殿下の警護へ当たれ。第八部隊より──」

 王立軍第三部隊内は十の小隊に分かれており、各小隊を第一から第十までの部隊と呼んでいる。公で示す際は、王立軍第三部隊第一部小隊という長々とした呼び名となる。

 正式名称を簡略して指示を出したクロスは、次いでフロキア宰相の護衛となる人物の名前を上げるべく、書面を確認した。

 指名された兵士の中に、ソラの名が記載されている。伍長に過ぎないソラを使うことは抜擢以外の何でもなかった。

 銘々の名をあげていったところ、ソラの名が告げられたところで、どよめきがおこる。

「すごいじゃねえか、お前何したんだよ!」

「大抜擢だな、ソラ!」

 周囲から小突き回され、ソラは照れつつも、何故自分が選ばれたのか分かっていない表情だ。

 胸の前で腕を組み、クロスの指示に耳を傾けていたアラン王子が、咳ばらいをし、ぼそりと言った。

「……お前は私の神子の顔を頻繁に覗き込んでいたからな。顔を見るだけで神子と分かる者も必要だ」

『私の神子』という部分が強調されていた。

 ソラをはやし立てていた奴らは、薄く笑って彼の肩を叩く。

「……お前、神子様大好きだったからな……」

「お前は可愛いものが大好きだからな……」

「だから不躾だぞって言っただろ……」

 遠まわしな嫌味である。本来、護衛は神子の顔など覗いてはならなかった。しかし経緯はどうあれ、抜擢は抜擢だ。うまく立ち回れば、彼の評価も変わる。

 クロスはソラに厳めしい眼差しを向けた。

「いかなる理由であろうとも、今回の任務において不手際はあり得ぬ。心して掛かれ!」

 ソラはびくっと背筋を伸ばし、敬礼する。

「――は!」

「……ふー……」

 クロスの耳は、間近で吐き出された、嘆きを含んだ溜息をひろった。

 ガイナ王国に留まらざるを得ないアラン王子が、現状を嘆いているのは、誰の目にも明らかだった。



************************************



 覆いをはがし取られた馬車の窓から見える景色は、どこまでも荒野だった。

 ガイナ王国とのあまりの違いに、紗江は言葉もでない。

 乾いた田畑に、舗装されていない外路。轍で造られた道は、地面が乾いてひび割れ、車輪が回るごとに砂埃が舞う。水の恵みはどこにあるのだと問いたくなるほどに、乾いた大地だった。草木の跡形さえ、見当たらない。

 かつて農業をしていただろう田畑には、農耕で使用する鍬や畑を耕す大きな機材が置き去りにされていた。すでに赤さびが侵食し、使い物になりそうにない様相だ。

 どんな慈悲も感じられない、不毛の大地だった。

 ガイナ王国とて大地の恵みは不足していると聞いていたが、彼らは農業に勤しんでいたし、作物の収穫だって一定量確保できていたはずだ。アランの私城から見渡せる景色では、ガイナ王国特有の白い外壁の民家の向こうに、緑色に生い茂る畑があった。

 壁を挟んだ向こう側にあるこの国が、陸続きであるとは信じがたい。

 紗江は、外の景色から視線を逸らせなかった。

 曲線を描く外路の先に、茶色い石造りの民家を見つけた紗江は、僅かに胸を撫で下ろした。民家の周囲には、辛うじて葉を茂らせた木が生えていたのだ。どれも不自然に、同じ方向に傾いでいるが。

 先ほど通り抜けた土地は、もしかしたら、偶然人の手が入っていない、郊外だったのかも知れない。そう思って、民家の前を通り過ぎる際、目を凝らした紗江は、自分の考えが甘いことを知った。

 集落の外壁は、ところどころ崩れ、内側の骨組みが覗いている。その木製の骨組みさえ痛み、崩れ始めていた。人が住んでいるとは思えない静けさが、集落全体を覆っていた。

 家屋の脇で寝そべる犬は痩せ細った体で、目の前を馬車が走り抜けても、起き上がりもしない。別の家屋に目を向ければ、乾いた庭に面した戸口の前に老爺が座っていた。骨と皮だけの手足は、日に焼けて黒い。視線を一点に留めて身動きをしない彼は、ただ茫漠たる世界を眺めているように見えた。

 修復の気力はもはや失われているのだろう、壊れた門戸が、風に煽られて揺れる。集落を漂う濃厚な倦怠感は、こちらの心まで疲弊させていった。

 ユスが精気のない眼差しで、紗江を振り返る。

「……なあ……見えるか?」

「……」

 紗江は、彼の目を見返すしかできなかった。

「これが俺たちの国だ」

 先程までと打って変わった抑揚のない物言いが、紗江の胸を重くする。膝の上に置いていた手を掴み、彼は眉根を寄せた。その瞳は、悔しそうに揺れている。

「――不公平だろう?」

「――」

 紗江は目を見張った。心臓がどきどきと逸り、何も言い返せず、灰色の瞳に魅入る。

「なあ、神子様。世界は不公平だと思わないか?」

「…………」

 彼は疲れ果てた眼差しで、紗江に懇願した。

「俺たちを助けてくれ」

「――……」

 掴まれた手のひらから、幼い子供の声が聞こえた気がした。

『――助けて』

 紗江は、動揺する瞳で、同じ運命を背負う、月の精霊(コウ)を見る。

 少年の黒い瞳は、ただ淡々と、紗江の瞳を見返すばかりだ。

「…………」

 ユスに、どんな言葉をかければ良いのか、紗江には分からなかった。



************************************



 まだ鮮明に思い出せる。

 細くしなやかな腕、絹糸のような髪の毛。細い指先がすっと差し出されると、眩い光があふれだし、田畑は一斉に若芽を伸ばした。熟れた果実のように赤い唇が弧を描き、漆黒瞳が細められる。慈愛に満ちた微笑みに満たされ、震えるほど、幸福だった。

 彼女の――女神の微笑みは、いつまでも忘れられない。

 サウラは冷え冷えとした眼差しで、床を見つめていた。

 目の前にいる男は、どこまでも愚かだ。

 心の内で侮蔑の言葉を吐き、男に首を垂れる。

「お帰り、サウラ。ガイナ王国はどうだった?」

 穏やかな微笑みで、疑いのない質問をしたデュナメ州州官長──ウォルザーク・ウィッチは、自身の補佐官が戻ってきたことを心から喜んだ。

「やはり君がいないと落ち着かなかったよ。相談相手がいないものだからね。」

 言葉通り仕事が滞っていたのか、彼の大きな執務机の上には、常よりも多くの書類が重なっていた。かの国の州官長とは雲泥の差で質素な官服に身を包んだウォルザークに、落胆する。ガイナ王国とゾルテ王国では、圧倒的に経済力に差があった。

 サウラは普段着の笑顔を着飾り、ウォルザークに頷いた。

「素晴らしい国でした。一歩領地へ入れば領土の端まで整備された歩道、白陽石で統一された民家、緑に茂る田畑。どこを見てもほれぼれとする景色でした。なんでも、民家の建築には国からの補助金まで出るとか。やはり宝石と宝玉の産地の経済力は違いますね」

「そうか、そうか。治水や大地の管理で真似できそうな点があれば良いのだがね」

 一抹の寂しさを瞳に湛え、ウォルザークはそれでも笑む。対抗心の欠片もなく、かの国から教えを乞おうという姿勢に、サウラの胸は苛立った。

 しかし、かの国へ使者として参上したいという、我が儘を聞き入れてもらった以上、知り得た情報を披露せねばならない。

 ウォルザークは当初、ガイナ王国へ降臨した月の神子への祝いなど用意していなかった。だがサウラどうしてもガイナ王国へ言祝ぎの使者として視察へ行きたいと願い出たため、彼の事情を知る彼は、お人好しにも了承したのだ。

「やはり月の加護が大きいように見受けられました。豊かな大地を頂く人々の月の力は強いもの。それゆえ大地への恵みも大きくなっていると実感いたしました」

 サウラが苛立っているのは、なにもウォルザーク個人に対するものではない。天の采配に対して、怒りを覚えているのだ。

 ガイナ王国民とゾルテ王国民、この間には、絶対的な潜在能力の差があった。

 今回、ガイナ王国宰相の手引きで、田畑の視察をしたサウラは、内心舌打ちするしかなかった。見せられたのは、実際に土を耕し、大地に月の力を振りまく様子だ。

 ガイナ王国の民は、軽々と一軒家と同じ面積の大地へ力を振りまいてみせた。ゾルテ王国の民は、せいぜい片手一振りで歩幅二つ分程度の距離までしか力を注げない。

 もちろん視察で見せられた畑が優良な一区画だということを鑑みれば、全ての民がそれをできるはずはないが、それでも差は大きいはずだった。

 ウォルザークは感心したように頷く。

「そうか……ガイナ王国の民は、月の力も強いのだなあ。なるほど……よく分かったよ、サウラ。また報告書にまとめておくれ。良く考えよう。きっと改善の手立てはあるはずだ」

 宥めるような言葉尻が、サウラの苛立ちを煽った。完璧な笑みを湛えている自分が、ウォルザークにはどう映っているのか聞きたかった。

 ――何も知らぬ者のくせに。

 何年も前から燃え上がり、消える気配のない灼熱の炎が、腹の中で蠢いていた。



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