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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 三章
28/112

28.陽炎の願い


 晴れた夜――『月の滴』には、月光が降り積もる。月の宮の主は、『月の滴』のほとりに佇み、空を見上げた。彼らの黒い瞳は、月から降り注ぐ、光の粒子を視る力を持っていた。

 青花は銀髪を煌めかせ、『月の滴』の対岸に佇む片割れに笑んだ。

「今宵も月光は豊かだのお、雪花……」

 風が舞い起こり、雪花の白い髪が、桜吹雪と共になびく。

「まさに。――この世に陰りなど、見えようはずもない」

 闇色に染まる空の中、月だけは煌々と輝きを失わず、そこにあり続ける。

 膨大な量の『月の力』を持つ彼らは、外回廊の屋根の上に座り込んだ青年を、同時に見上げた。

「これ、サーファイ。お主は今宵も、探索に参らぬのか?」

「怠け者の守り人よ……」

 銀糸の髪に、サファイアのような青い瞳を持つ青年は、無造作に頭を掻き、二人を見下ろす。

「別に。……紗江を売った金で、十分生きていけるからな。金儲けはもういいよ」

 青花は彼の周囲を舞っていく桜吹雪に目を細めた。

「もう、太陽の国には参らぬか。──まあ、よい。生きるに必要な金が欲しいという、お主の目的は達成された」

「そうそう。後はこの館の管理をするだけで、十分だよ」

 雪花が赤い唇に優しげな弧を描き、穏やかに言う。

「そうか……。では、お前が望むなら、お前の額の月光石……取ってやっても良い」

「……雪花」

 青花の柳眉が逆立つが、サーファイはのんびりと額に輝く宝石に触れ、苦笑した。

「いいよ。遊民だった俺が、ここにいてもいい理由だから。俺はこのままが良い」

 青花は不機嫌に雪花を睨み据える。

「雪花、不用意に守り人を試すでない。月光石を取り上げれば、あれから月の力そのものが奪われるではないか。遊民であったあの者達を、我らの民とするため、あやつらの月の力を月光石に変えているのを忘れたか。月光石は、守り人と月の宮を縛る約束手形。月の力を取り上げるような真似、私は許さぬ」

 雪花は白い顔に、冷え冷えとした笑みを湛えた。

「なあに……戯れさ。守り人は時折、月光石が月の力そのものに変わってしまったことを忘れるからな……。物思いにふけっているサーファイであれば、引っ掛かるかと思って、からかったのさ」

 サーファイはぎょっと眉を上げ、そして嘆息した。

「ひでえなあ、あんた」

「物言いたげに我らを見る癖に、一つも尋ねようとせぬからだ。私はじれったいのが嫌いでね……」

 雪花がきろりと鋭い眼差しを向けると、サーファイの瞳が動揺する。

 青花も溜息を吐き、サーファイに尋ねた。

「確かに、そうだの……。何を聞きたい、サーファイよ。大方……神子のことだろうがな」

 サーファイはぐっと言葉に詰まり、そして脱力する。腹にため込んだ疑念は、二人にとっては隠す必要もないほど、赤裸々に伝わっていた。

「そうだよ……。紗江のことだ。何故手放したんだ? あいつは月の力の使い方も、よく分かっていなかった。月の力は溜め込んでいたが、空も飛べねえ。十分に教育ができなかったのは、明白だ。なのにどうして、そうそうにアラン様に下げ渡したんだ……? 主人が決まったって、教育を理由に、月の宮へ留めても良かっただろう」

「……」

 二人は薄く笑んで、視線を逸らす。

 青花は月の滴を見下ろし、雪花は月を見上げた。そして青花が、ふっと息を吐き出した。

「……強すぎるものは、吉兆であり、凶兆とも成り得る。我らはあの神子に凶兆の気を見た。この月の宮に、かの神子を留めるわけにはいかなんだ」

 雪花は月の光を愛しげに見つめる。

「長く留めれば、この宮が凶事の舞台となった。故に、我らは手放した」

 サーファイの顔から、笑みが消える。

「保身か――」

 青花が間髪入れず、サーファイの声を遮った。

「――我らには、民がある。月の宮で働く、守り人や家人たちを守る義務があるのだ。民を守るのが、主というもの」

 サーファイは唇を震わせ、拳を握る。

「……あいつを無理矢理、こちらへ運んだ俺たちの責任は、どうなるんだ……」

 雪花の視線は、怒気を孕んだサーファイの顔から、闇色の空へ滑った。漆黒の瞳に、月明かりが反射して、鏡のようにその光景が映り込む。

 漆黒の闇を滑空する、巨大な翼。その鳥が羽ばたくだけで、風が生まれた。

 王族の中でも限られた人間しか手に入れられない、テンという名の鳥だ。主として認識され、懐いてしまえば従順で可愛い生き物だが、彼らが住む森は危険動物がはびこる葬鵬山そうほうざん。捕らえに行くだけでも、命がけの場所に生息する生き物だった。

 物好きな大国の王子が、その鳥を捕まえたと聞いたのは、何年前だったか――。

『月の滴』の上空に辿り着いた彼らを見上げ、青花は低く呟く。

「責任は、取ろうとも。――いかなる手段を用いても」

 鳥は鋭利な爪を伸ばし、音もなく下降した。



************************************



「夜分に失礼する──」

 良く通る声で非礼を詫びた男は、ガイナ王国の軍服に身を包んでいた。黒い軍服の上に外套を羽織った彼は、赤い双眸を雪花と青花に向けた。

「――よく来た」

「久方ぶりだのお」

 二人は同時に応じ、青花が月の滴の上を、音もなく歩いて渡った。

 月の滴には、波紋が広がる。

 男は顔色一つ変えず、水の上を歩くという、こちらの世の人間でもできない技を見守った。そして青花と雪花が揃うと、男は口元を覆っていた布を剥ぎ取る。

「詳しくは話せない。だが協力を願いたい」

 ガイナ王国の王子は、切迫した様子で口を開いた。

 青花が首を傾げる。

「どのような願いだ、アラン」

「――守り人の力を借りたい」

 サーファイの心臓が、大きく跳ね上がった。一国の王子に必要とされる日が雇用などと、考えてもいなかったのだ。元来、他国不可侵を貫く『月の宮』に対し、願いを持ってくる人間などいないので、尚更、驚いた。

 しかし青花は驚きもせず、淡々と応える。

「一国に守り人を貸し出すことはできぬ。……何を望んでおるのだ?」

 アランは一度考え込むように俯き、顔を上げた。

「守り人を借りる必要はない。守り人に我が国を散策してもらいたい」

「ふむ……」

 つかの間、顎に手を添えて思案した青花は、サーファイに目を向けた。

「サーファイ。お前、太陽の国へも行かぬのだ……暇だろう。ちょっとガイナ王国上空を飛んでおいで」

「なん……どうして俺がそんな馬鹿げた真似をしなくちゃいけないんだ?」

 サーファイは呆気にとられた。なんて唐突な注文だ。用もないのに、一国の上を飛んでこいだなどと、馬鹿げた命令は聞きたくない。

 拒絶する反応を見せると、アランは真剣な眼差しでサーファイに頭を下げた。

 サーファイは、閉口する。

「やめろ……」

「――頼む。守り人の唯一の仕事だろう? ガイナ王国だけで良い。どうか地上を、見てきてくれ」

「仕事……?」

 守り人の唯一の仕事は、太陽の国で『月の精霊』を見つけることだ。精霊の気配を辿って空を飛び、拾ってくる。

 サーファイは、はっと息を呑んだ。彼の意図が分かり、一気にはらわたが煮えくり返った。

「あんた……っ……あいつを!」

「――サーファイ」

 感情のまま、アランを罵りかけたサーファイを遮ったのは、雪花だった。

 サーファイの月光石を戯れに取り上げようとした彼女は、瞳を細め、ひんやりと言う。

「つまらぬ言葉を、吐くでないよ……サーファイ。我らは他国不可侵を貫く、誇り高き月の宮」

 青花も黒い瞳に弧を描き、サーファイに頷いた。

「そうだ、サーファイ……。我らは何も知らぬが、お前がちょっと散歩に出かけるくらい、許してやろう。なあ、サーファイ。――お前も月光・・を、たいそう大切にしていたではないか……」

「…………っ」

 サーファイは拳を震わせ、アランを睨んだ。その双眸は平生の余裕を失い、必死の色に染め上げられていた。

「すまない。こんな願いは、恥ずべきことだと承知している。だが……っ」

 アランは状況を吐露する。

 ――既に月光・・を失ってから、一昼夜経過していた。

 何一つ掴み取れない。一国の王子の力をもってしても、足跡が見つからない――。

 アランの告白を、サーファイは内心、鼻で笑った。

 ――当然だろう。

 神子の力は、神の力そのもの。彼女が関われば、一国の目を眩ませることなど、赤子の手を捻るように容易い。

 そして事態は、想像以上に絶望的になることだろう。

 サーファイは、暗い眼差しをアランに向ける。

「……月光・・は、あんたの手の中で、本当に輝くのか?」

 アランは目を見張った。月の宮に仕える、いち守り人ごときに、主の資質を問われるとは思っていなかったのか、それとも――サーファイの腹の内に凝る、少女への想いに気付いたのか。

 アランは胸に手を当て、まっすぐにサーファイを見返した。

「確かに輝かせると、誓おう」

「自ら消えたわけではないと言うんだな?」

「……」

 赤い双眸が、陽炎のように揺れる。

「あれは……最後に私に助けを求めた」

 ――じゃあ、助けを求められたその時に、何故助けてくれなかった……!

 喉元まで競り上がった言葉を、サーファイは堪えた。

 自分はあの精霊の、呑気な顔しか見たことがない。彼女が助けを求める姿など、想像さえできなかった。

 そんな状況に陥らせた主人である、アランが許せなかった。いっそ失ってしまえばいいのだと思ったが、サーファイは己をたしなめ、空へ飛翔する。

「行ってくれるか……っ」

 自分を必死の眼差しで見上げた憎い男を、サーファイは流し見て、そして視線を逸らした。

「あんたのためじゃない。俺達は、月光・・が幸福であることを望む者だからだ――」

 ――幸福だったか、紗江?

 その質問をするために、彼女を探す。

 守り人は音もなく、空を駆けた。



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