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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 三章
26/112

26.コウ

 ロイに運ばれた場所は、街の中心に位置する、大きな館だった。堅牢な外壁で囲まれ、複数の建物が連なっている様は、まるで役所のような、公共施設に見えた。

 どこに運んでいるのかなど、聞く耳を持たないロイからは答えてもらえず、紗江は憤懣やるかたない心地で、建物の中へ運ばれた。

「よー上々だぜ!」

 同じ形の扉がいくつも連なる、赤い絨毯が敷き詰められた廊下を上機嫌で進んでいたロイは、扉のうちの一つを勢いよく蹴り開ける。

 扉正面には大きな執務机があり、その脇には背の高い観葉植物と、そして何かの表彰楯たてが並べられた棚があった。

 部屋の中を見渡し、紗江は眉を上げる。

 室内には、複数の人間がいた。それも、全員上等そうな着物を身に付けている。

 扉脇に設置されたソファには、からし色の着物を身に付けた、貫禄ある男が座っていた。口元には立派なひげを残し、太い眉に隠れそうな瞳は、やや鋭い。厳めしい顔を何とか柔らかく見せようと努めてきたのか、彼の目尻には、笑い皺が深く刻まれていた。

 その向かいに座っている、こげ茶色の髪の男は、眠っているのか、ソファの背凭れに肘を付き、項垂れている。その男の斜め向かいにある、一人掛けのソファに腰かけていた青年が、柔和な笑みを湛えて、立ち上がった。

「無事に戻ったか、ユス」

 紗江は、自分を抱える少年を見上げた。赤い短髪に、金色の瞳の少年は、『ユス』と呼ばれ、にい、と笑う。

「ああ。こいつの体は軽いが、傷だらけで敵わなかったぜ。ちょっと神子様の血から借りたら、すぐ治ったけどな」

 柔和な笑顔を浮かべた青年の瞳は、黒い。彼は青い髪を軽くかき上げ、やや眉をひそめた。

「……そうか」

「んーな顔するなって! 神子様なんだからちょっとくらい分けてもらったって、平気だよ」

 ロイは紗江をひょい、と床に降ろす。やっと地に足をつけられたと思ったところで、後ろに立っていた彼の体が、傾いだ。

「え……っ」

 どす、という音に振り返り、紗江は慌てた。先程まで元気に話していたロイが、何の前触れもなく昏倒したのだ。毛足の長い絨毯のおかげで、衝撃は多少和らいでいるだろうが、薄く口を開け、完全に意識を失っている。

「だ……大丈夫……!?」

 彼の傍らに膝を折ろうとした紗江は、途中で動きをとめられた。がしっと二の腕を何者かにつかまれ、引き寄せられたのだ。デジャヴを感じる紗江の体を、筋肉質な腕が抱き寄せ、耳元で笑う。

「へえへえ。お慈悲はそいつじゃなくて、俺たちにくれよ、神子様」

 紗江は、聞き覚えのある口調に目を丸くして、自分を抱き寄せた男を見上げた。

 こげ茶色の髪に灰色の瞳。先程までソファで座っていた男が、いつの間にか起き上がり、紗江をにやにやと見下ろしていた。

「え……え、え……?」

 はじめて見る男だ。しかし口調は、途中から人格が変わったロイと同じ。

 わけが分からず硬直していると、男の視線は、紗江の胸の谷間に注がれた。慌てて胸を手のひらで押さえると、男の口角が、嫌らしく吊り上がる。背中に回された腕に力が入り、何かされる予感を覚えたその時、横合いから咎める声が放たれた。

「――ユス。その方はお前が手を出せるお相手ではない。分かっているだろう」

 紗江は目を瞬いて、自分を抱き寄せている男を見る。

『ユス』だ。彼は、ユスという名の人間で、ロイの体の中にいた人間と、同一人物なのだ。

 人格を移すような摩訶不思議な技まであるなんて、ほとほと、理解を超えた世界だ。

 ユスは青年の声に舌打ちし、紗江から手を離した。

「……ったく、本気じゃねえよ。それくらい分かれよ、サウラ」

 青い髪に黒い瞳の青年は、サウラというらしい。

 サウラはユスを鋭く見やり、嘆息した。

「お前は見境がないから、どうだか。ご苦労だった。お前はロイをソファへ運びなさい」

「へいへい……」

 ユスは意外にも従順にサウラの指示を聞き入れ、床に転がったロイの体を、片腕でひょいと抱えあげる。痩せているとはいえ、男の子を片腕一つで軽々と運ぶその姿は、異様だ。

「……無粋な真似をしてしまい、申し訳ございません。しかし我らは、貴方にお会いしたかった。我らの神子よ。どうか迷える我々を、お許しください……」

 紗江はきょとん、と目の前にかしずいたサウラを見下ろす。サウラは恭しく紗江の手を取り、その甲に口づけた。

「……っ」

 慣れない対応をされ、紗江は礼儀云々を忘れ、ぴゅっと自分の手を引っ込めてしまう。サウラが眉を上げ自分を見上げるが、この青年が良い人間なのか悪い人間なのか、紗江には判断できなかった。

 どう対応したらよいのか分からず、胸の前で両手を重ね、周囲を見渡す。

 目の前にはひざまずいた青年。斜め前のソファには、昏倒したロイと大きく足を組んですわているユス。そして今しがた立ち上がった壮年の男性に、部屋の奥にはずらりと彼らの部下らしき人々が並んでいた。

 ――一人で逃げるのは、無理そうだ。

 紗江はあっさり己の力不足を認め、駄目でもともと、とりあえずサウラにお願いしてみる。

「あああ、あの。私は、アラン王子殿下の精霊です。どうしてこのような場所に連れてこられたのかはわかりませんが、私は、今すぐ帰りたいと思っています……!」

『月の精霊』は、『神』に近い存在だという、この世界のことだ。紗江が自らそう言えば、頷いてくれると思った。――もとい、思いたかったのだが……。

 サウラは紗江の言葉が聞こえなかったかのように、柔らかな表情で関係のない話を続けた。

「自己紹介が遅れて申し訳ありません、神子様……。私は、サウラ・モーシェ。ゾルテ国王に仕える、一官吏でございます」

「ゾルテ……?」

 自分のお願いを聞き流されたのには気付かず、紗江は拾った単語について、記憶を探る。

 ゾルテ王国とは、布の生産が有名な、三国の内の一つだ。紗江の競りの際も、参加していたはず。

 その国の官吏が、自分に一体何の用だ。

 と、ここまで考えて、紗江は自分の状況を思い出した。官吏といえば、国政に従事する人間のこと。そんな身持ちの確かな人が、月の精霊を浚うわけもない。

 ていの良い嘘八百を並べているのだろう、と胡乱に見返したところ、彼は苦笑した。

「このような、盗賊紛いの、手荒な真似を働いておいて、国家を名乗るなど恥知らずであるとは存じております。ですが、ゾルテ王国は真実、あなたの帰るべき国家なのです。あなたがいるべき国は、ガイナ王国ではない」

「……?」

 紗江は首を傾げる。

『月の精霊』は、『月の宮』で競りにかけられ、最高値を付けた人間が手に入れられる。故郷は月影の向こう側だし、帰る場所なんて、こちらの世界では、買い取り主のところだけだ。

 サウラは胸の前に手を当てて、真剣に紗江に訴えた。

「神子様。――どうか。どうか我らの国へ、お戻りください」

「……意味が……わからないのですが……」

 紗江を競り落としたのは、アラン。ゾルテ王国に、紗江の戻る場所はない。

 サウラは眉根を寄せ、身を乗り出した。

「神子様……っ」

「――サウラ殿。はやるお気持ちはわかりますが……その前にコウとの対面を済ませていただきたい」

 サウラを遮って、事の成り行きを傍観していた、貫禄のある男性が進み出る。

 サウラは一瞬、眉を潜めた。無言で立ち上がり、男性を振り返る。振り返った時には、人の好さそうな笑顔が、サウラの顔に張り付いていた。

「そうそう。コウ様との対面は、ゾルテへ移動してからに致しましょうと、お話しようと思っていたのですよ、バサト様」

「……どういうことでしょうかな」

 バサトと呼ばれた、貫禄ある男は、顔を強張らせる。

 サウラは親切そうな声と笑顔で、小首を傾げた。

「神子様を一刻も早く、ゾルテへお送りしなければならないのです。お分かりでしょう……? 曲がりなりにも、一国の王子に反旗を翻したのです。彼の機動力は群を抜く。王立軍が動くまで、もはや時間の猶予はございません」

「当初の予定では、コウを治してから移動するとおっしゃったではないか……!」

 バサトは気色ばみ、サウラは憐れなものでも見るような視線を、彼に注いだ。

「コウ様とて、今は病に伏しているところ。それをガイナ政府に気取られては元も子もないではありませんか。ゾルテ王国でコウ殿の療養を取り、そしてこちらへお戻りいただいても問題は無いかと」

「私は、この州城を空けるわけにはいかぬ……!」

 紗江は顔を上げた。州城と言った。ここは、どこかの州の、それも官吏が集う場所ということだ。

 サウラはふっと息を吐き、視線を逸らす。

「では、致し方ございませんね。コウ様だけを、お連れします。ご安心ください。治癒が終わりましたら、我々が責任を持ってお戻しいたしましょう」

「……だがっ」

 バサトは話しが違うと繰り返し訴える。サウラは穏やかに彼の話を聞き、しかし頑として頷かなかった。

 紗江は疑わしくサウラを盗み見る。

 土壇場で約束を反故する人間は、きっと碌なものではない。そのコウという人も、本当に返してくれるかどうか、定かではないだろう。

 それは、自分自身も同じことだ。

 紗江は執務机の背後にある、大きな窓に目を向けた。月が煌々と、空の中央にかかっている。

 ──いつもなら、アラン様が顔を見せる時間なのに。

 月が空の中央に輝く頃になると、アランは紗江の顔を見に来た。庭園であっても、テラスであっても。

 仕事から帰るとすぐに紗江の元に来て、今日はどうだった。不便はなかったかと、大きな腕に包み込み、紗江の一日を尋ねる。

 もう、彼には会えないのかもしれない。

 紗江はぽつりと、呟いた。

「……アラン様……」

 サウラがぴくりとこちらを見やり、ソファに座っていたユスが、忌々しげに舌打ちした。

「とにかく、一度、コウと神子様を、合わせていただけまいか……っ」

 バサトが苦渋に満ちた声で、サウラに願うと、サウラはやっと、にっこり頷いた。

「そうですね。ご対面時に即治癒が可能のようでしたら、それでも結構です」

 バサトはほう、と安堵の息を吐いた。



 案内されたのは、州城の地下だった。紗江は眉根を寄せて、周囲を見渡す。歩みを進める毎に、空気は冷えていき、湿気が濃くなった。地下の廊下は壁紙さえもなく、灰色の石の素肌が露出している。絨毯で床を覆い尽くしていた上階とは雲泥の差で、酷く不快な場所だった。

 照明も最小限に抑えているのか、薄暗く、人影が濃い。

 案内された部屋は、地下でも、最奥にあった。誰も出入りしていないのではないかと思われるほど、湿気がたまり、そこかしこに苔とカビが生えている。

 罪人が拘置されるにふさわしい、人が穏やかに生活する場所ではなかった。

「ここです……」

 廊下を歩んだだけなのに、バサトの声音は、どこか疲労の色を濃くしていた。

 紗江が案内された部屋は、牢屋だった。

 鉄格子で囲われ、四方を灰色の石で囲った、狭い地下牢。簡易なベッドと、その下に小さな絨毯が敷かれている。廊下に面した格子前の部分は、冷たそうに石の床が露わになっていた。

 薄暗い部屋の光源は、部屋に一つある、小さな窓だ。人が這っても通り抜けられそうもない小さな窓にも、頑丈そうな格子がはまっている。

 牢獄の中に、服の上彼でも痩せこけていると分かる、少年が佇んでいた。小さな窓の向こうに見える、月を見上げている彼の体は、ほのかに光っていた。

 肩口まで伸びた、黒髪。彼がまとった着物は、白地に金の刺繍が入る。それは、紗江に与えられた精霊の着物と酷似していた。

「コウ様」

 サウラが声をかけると、少年はゆったりと振り返った。紗江は息を飲んだ。

 目元は落ち窪み、肌は青白い。痩せ細った子供が、うつろな眼差しをこちらにむけた。

 歳は十五、六だろうか。

 豪奢な衣装を与えられながら、牢に閉じ込められている意味が分からなかった。

 痩せ細った彼は、うつろな眼差しで来訪者たちを眺め、そして紗江で瞳を留めた。

「……あ……」

 紫色に変色した唇が、薄く開く。呼吸をしたのか、声を漏らしたのか定かではなかった。彼は長く言葉を発していなかったのか、喉で何かが絡む声音を発した。

「神……子、様……?」

 驚きが入りまじる、当惑した声だ。紗江は彼の体調が気になったが、とりあえず微笑みを浮かべた。

「はい。はじめまして、コウ様?」

「――っ」

 頷いた瞬間、彼は下唇を噛んだ。強く噛み過ぎた唇から血が滲み、彼はサウラの傍らに立つ、バサトに目を向ける。

「……バサト様……!」

 漆黒の瞳から、涙が零れ落ちた。涙は、とどまるところを知らなかった。彼の頬を伝い落ち、石の床にぽたぽたと音を立てて、流れ落ち続ける。

 紗江は呆然と、コウとバサトを見た。コウは、絶望しているように見えた。

 何かに怒り、絶望し、声を殺して泣いている。

 バサトは、場違いなほどに愛しくコウを見返した。バサトには、まるで少年の感情は伝わっていない。

「喜べ、コウ。ようやっと神子様がいらっしゃった。これでお前は、助かる」

「僕は……僕はこのようなことを望んだわけではございません……!」

 疲れ果てたように立ち尽くし、涙を流す彼の手首には、錠が嵌められている。その錠から延びた鎖が、部屋の隅にあるベッドに繋がっていた。

 彼は、病んでいるのだ。何がどう悪いのかは分からないが、彼の青白い肌やせぎすの体は、病以外の理由を見つけられない。

 バサトが、真摯な眼差しを紗江に向けた。

「どうか……どうかコウをお助けください」

「……えっと」

 そう言われても、どうしたらいいのか分からなかった。月の力を分ければ、王妃のように健康になるのだろうか。しかし本能的に、彼を助けるには、時間がかかると思った。一度月の力を分けるくらいでは、治らない。

 迷った紗江の傍らで、サウラが淡々と部下に命じた。

「コウ様をお運びする。馬車を用意しろ。飛んでは戻れない。馬車だ」

「なにを……」

 何を言い出す、と気色ばむバサトに、サウラは笑んだ。

「これでは、お話になりません。治癒には絶対的に時間がかかります。彼は我々が管理いたします」

「……どういうことだ」

 サウラは、その表情こそ穏やかなものだったが、少なからずコウの状態にたじろいでいるようだった。

「私は、これほど衰弱した精霊を知りません。いかに神子様の力がお強いといっても、彼を回復させるためには、かなりの力が必要かと存じます。逆に言えば、これほど衰弱しても尚、こちらの世界に留まった精霊は、いなかった。この世にお留まりいただける可能性はあります。ゾルテにて、治癒をいたしましょう」

 紗江は目を見開き、少年を見た。彼は声も出さず、泣き続けている。

「精霊……」

 ──これが?

 手に錠をはめられ、鎖で繋がれた子供が──月の精霊?

 紗江は眉根を寄せた。

「月の精霊は……神に近い存在ではないの……?」

 この世の人間にとって、神に近い存在で、大切にされる。だからこそ月の精霊は、こちらの世界で生きていける。奴隷の扱いにならぬよう、月の宮が細心を払って導いてきた、その結果が、これ──?

「私は……っ私は、これでもコウを何よりも大切にしてまいりました……!」

 バサトは、紗江の言葉に、やにわに狼狽した。

「何者も傷つけぬよう、この城で、常に兵を置き、食事を与え、宝石のように扱って参ったのです……! それが、あるころから、月の力を失い始めた。力の枯渇を訴え、コウは泣くのです。消えてしまいそうだと。この世から去る日が訪れると……っ」

「……」

 紗江はコウを見る。コウは立っていられず、床にへたり込み、顔を両手で覆っている。嗚咽の合間から、小さな声が漏れ聞こえた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 彼の月の力は、枯渇している。小さな窓から得る月光など、どれほどの役に立つだろうか。

 コウは涙に濡れる顔を、震えながら上げた。少年はこけた顔の中、その瞳にだけ精気を宿らせ、紗江に願う。

「お願いです、神子様……。どうか……バサト様を罰しないで……」

「…………」

 紗江はあんたんとした気持ちになった。こんな扱いを受けても、彼にとってバサトは、一等大切な主だった。

 泣きじゃくりながら訴えるのは、己の救済ではなく、主人の許しとは。

 返答できない紗江の代わりのように、サウラが優しく頷いた。

「ご安心ください、コウ様。神子様は、そのような無慈悲な方ではございませんとも」

 ──貴方が、私の何を知っているというの。

 不意に反発する気持ちがせり上がったが、紗江は言葉を飲み込んだ。

 自分がバサトを罰する姿は、想像できなかった。

 サウラはとろりとした眼差しで、紗江を見つめる。

 その瞳に映る自分は、彼の理想の神子だろうか──。


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