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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 三章
24/112

24.ゾルテの精霊


 悲鳴と慟哭が入り混じり、混沌がすべてを支配した――。

 人々の悲鳴が耳を貫き、女たちの悲しみが世界を覆う。けれど少年の耳には、咽び泣く男の声が鮮明に耳に残った。

 この世の終わりを体現する様は、少年には残酷に過ぎた。

 鋭利な刃物で心臓を貫かれたような衝撃を受けた彼は、目を見開いて立ち尽くす。

 穏やかな微笑みを称える人だった。彼の周囲は笑顔が溢れ、彼の隣に寄り添うかの人は、慈しみに溢れる、この世で最上の――女神そのものの輝きを放っていた。

 この日、女神が消えた――。

 


 ――『ゾルテの祝福』『慈しみの女神』

 彼女が手を差し伸べたゾルテ国王は、繁栄の極みにあった。

 花々で溢れかえる街頭。豊かな動植物。太陽と月の恵みを蓄えた植物を餌にする、サシャという幼虫から取れる糸は、世界最高の滑らかさを誇る。

 花の庭園で、遊戯に没頭していた子供たちの中で、異変に顔を上げたのはゾルテの幼い姫――リビアだった。

 五歳の少女の横顔は、幼子でありながら一国の姫としての気高さを容姿に漂わせる。不意に立ち上がった少女に釣られ、立ち上がった少年は隣国の王子――アラン。

「リビア? どうしたの?」

 一つ年下のアランが尋ねると、リビアは眉根を寄せた。

「……今、爆音が聞こえた」

「え?」

 アランは、リビアが見据えている方向へ目を向ける。王城の西の塔の先にある、西門のほうだった。だけどそちら側には、何の異変もない。

「気のせいじゃない?」

 いたって平穏なそよ風が、花を揺らしていく。戦を知らない王子は、姫の手を握り、微笑んだ。

 一つ年下のアランを弟のように扱っていた彼女は、彼の小さな手のひらを、ぎゅっと握り返す。

 刹那――爆音が上がった。

 弾かれたようにリビアは視線を中央塔へ転じた。

「――来た!」

「リビア!」

 リビアを守ろうと、爆音から遠ざけるため手を引いたアランは、しかし強引に引き戻された。リビアは塔の向こうを睨み据える。

「逃げては駄目よ! 行かなくては!」

「僕たちが行っても、戦力にはならないんだよ……っリビア! 迷惑をかけることになるんだ!」

 突如起こった戦火にもかかわらず、アランは冷静だった。王家を継ぐ者として教育を受けた子供の常識は、無垢な子供たちとは一線を画する。共に遊んでいた子供たちは、泣きながら音から遠い庭園の奥へ駆け出している。

 だがリビアは怒りに頬を染めた。

「今日は王家の祭典よ! 中央塔の向こうで、父様達がシュクハの花を愛でていらっしゃる! 多くの民も参列できる祭りだというのに、また義賊を謳う輩が内乱を起こそうとしているの! ――ゾルテの姫は、逃げてはならないのよ!」

 リビアもまた、王家の息女として恥じない、理知を湛えた少女だった。

 アランはリビアの剣幕に、逡巡する。リビアはその間を逃さなかった。アランの手を離して中央塔の向こう──美しい花々を並べ、この世の栄華を極めた庭園『イリオス』へ駆け出した。

「ダメだ、リビア――!」

 アランは彼女を追うことを躊躇わなかった。

 再び爆音が上がり、火を巻き込んだ煙が立ち上る。

 白い回廊を駆け抜けた先に、甲冑を着た兵士が大勢向かっていた。

 兵士の合間を駆け抜ける子供に、誰も気付かない程、一帯は混乱していた。

 金色の髪を揺らした少女は、入り乱れる兵士の合間に紛れ込み、アランはあっという間にリビアを見失った。

『イリオス』にともかく走り出たアランの目は、他の物にくぎ付けになる。

 爆発が起きたであろう場所は、人々が最も集まる祭壇だった。祭壇の周囲に配置された色鮮やかなシュクハの花が無残に焼け焦げ、地面に慣れの果てを晒している。

 焦げた花の横に、同じ色に焼け焦げた、人の腕があった。動かない指先。飛び散った血糊。白い門柱や外壁を染め上げるのは、弾薬の焦げか、人の血か。

「王は民を蔑ろにしている! 何が祭典だ! 皆、だまされるな! 王は富の全てを自分のものにしようとしているのだ! 罪なき者を投獄している! 今こそ我が西盛軍頭目の解放を――!」

 金属がこすれ合う音が響き、アランは押し寄せる一軍に身を竦めた。

 義賊を謳う反乱軍が、中央門を突破して、庭園に押し寄せようとしている。王家の兵士が迎え撃ち、剣がこすれ合う金属音と、悲鳴、うめき声、そして血しぶきが舞った。

 アランはばくばくと乱れる心臓をそのままに、王のために用意された宴席を捜す。そして、息を飲んだ。祭壇の傍ら――豪奢な金色の椅子が、乱暴に横倒しにされ、整えられたサイの上に人が横たわっている。

 焼け焦げた髪の中でも優美なきらめきを放つティアラは――王妃の物。

「王妃様……!」

 駆け出そうとしたアランの脇を、人が弾き飛ばされていった。

 アランの全身から、怒りと恐怖で血の気が引いて行く。

 この世界は、多くの理に支配されていた。

『月の力』でしか栄養を蓄えられない大地。人々にその力は与えられるものの、その量は極わずか。『月の力』の恵みを得長ければ、『月の宮』へ願い出て、『月の精霊』を恵んでもらわなければならない。

 それほどまでに貴重な『月の力』は、決して戦に使ってはならない、禁忌とされる行いだ。それにもかかわらず、反乱軍は縦横無尽に『月の力』を行使していた。刀身に力を注ぎ、一振りするだけで兵の甲冑が砕かれ、内臓が飛び散る。

「……恥知らずにも、このような戦を仕掛けるか……っ」

 アランは、自分が呟いたのだと思った。だが怒りに染まった声は太く、低い。

 目の前に影が差し、アランはその声の主に気付いた。アランに背を向けて立ちはだかったのは、リビアの叔父──フォルティス公だった。

「フォルティス様……っ」

 アランの声にちらと視線を寄越した彼の顔は、常と変わらず、やはり優しく笑んだ。

「アラン様、せっかく祭りにお呼びしたのに、このような事態に巻き込んでしまい。申し訳ない。逃げよと申し上げたいところなのですが、ここで貴方を一人にするわけにはいかない。すまないが私の後ろにいてくださいね」

「は……はい」

 やはり子供である自分が来てはいけなかった。

 誤った判断を下した自分を恥じ、俯きかけたアランは、はっと声を上げた。

「リビア!」

「うん?」

 飛んできた矢を剣で退けたフォルティス公が、怪訝に聞き返す。

「リビアが、駆けて行ってしまったのです! こちらへ! 僕はそれを追って……見失ってしまった……っ」

「なんだと……っあのお転婆め!」

 城の中央門は完全に突破され、攻め入ってきた反乱軍たちは、『月の力』を使い、小刀を四方へ投げ飛ばし始めた。

 フォルティス公は『月の力』を使った。アランと自分の周囲に飛んできた全ての刃を払いのけ、銅像の背後へ身を隠す。

「まだ分からぬのか! 罪を犯した者は裁かれるべき! 則なき戦を仕掛けている時点で、お前達の罪は明らか!」

 野太い声が響き渡り、フォルティス公の背中が緊張した。

「兄上……! ――いけない!」

 フォルティス公の背中越しに顔を覗かせたアランは、指先から血が失われる感触を覚えた。ゾルテ王自らが剣を構え、侵入者と対峙している。王の背後には、王妃が倒れていた。威厳ある声に一瞬辺りが静まり返ったが、敵の全ての意思が王へ集中した。

「く……っ」

 世界がゆっくりと動き始めた。アランの目の前にいたフォルティス公が、剣を持つ手に力を込めて銅像の背後から駆け出し、兵士達が王のもとへ駆けだそうとする。だが、王の目の前に立った若い男は、暗い笑みを湛えた。剣を振ろうともせず、彼が見せたのはその手のひら。手のひらの中から鋭利な刃が生まれ、瞬きの速さで王の心臓目がけて力が発動された。

『月の力』を使わない気高き王の胸に、刃が到着する寸前、小さな塊が王の胸の前で跳ねた。

「――――」

 音が止まった。

 アランは目を見開く。鮮やかな赤い液体が、花開くように舞い上がった。フォルティス公の刃が敵の首をはねた。フォルティス公目がけて刃が集中する。

「兄上――!」

 すべての刃がフォルティス公を、王を八つ裂きにする。

 誰もがそれを想像した瞬間、世界が爆発した。

「……っ」

 舞い上がった砂埃で視界が失われ、鼓膜が限界を超えて、音を拾わなくなった。そしてアランは無理やりに、目を開ける。

 フォルティス公の上空に、女性が浮かんでいた。

『──ゾルテの女神……!』

 誰が呟いたのか分からなかった。だがその声は万人の胸中を代弁した。

 漆黒の長い髪が、光の中で漂っている。濡れた美しい双眸は、酷く悲しげに歪み、一滴、涙を落とした。

……っ!」

 彼女の名前を知っているのは、王家でも限られた者だけだった。その名を呼んだのは他でもない、彼女の夫であるフォルティス公。

 フォルティス公は顔を歪める。

「よせ……! 今の君には無理だ……っ」

 彼女はゾルテ唯一の、精霊。

 精霊は涙をこぼして夫を、そしてその背後に横たわる二つの体を見下ろす。

 腹の上に尋常でない血液が広がっているにもかかわらず、王は生きていた。王の上にことりと落ちた塊は、ゾルテの姫君。

 リビアの瞳が、どんな輝きも宿していないことが、理解できなかった。

 薄く開いた唇はまだ血色を残しているのに、彼女の体は形をとどめていない。つぶれた血肉の塊が、王の腹の上で事切れていた。

「ごめんなさい……あなた……」

 精霊は涙をいくつも落とした。そして彼女は手のひらを、その両腕を庭園全体に向けて広げた。

「――――」

 フォルティス公の喉が鳴った。それが嗚咽だと気付いたのは、いつだっただろう。

 精霊の腹は膨らんでいる。彼女はフォルティス公の子供を腹の内に抱きながら、力を解き放った。

「ゾルテの全ての民に、祝福を――」

 閃光が目を焼いた。彼女の体から発せられる光は、凝縮した月光そのもの。柔らかな温度が、反乱軍さえも受け入れて、その命を与えていく。

 どんな音もしなくなり、庭園は静まり返った。ふわりと風が一つ吹き抜けた時、事切れたはずの人々は、息を吹き返した。すう、と息を吸い込んだリビアは、王の腹の上で呆然と瞬いた。

「リビア……っリビ!」

 王が娘を抱きしめ、人々が意識を取り戻した瞬間――悲鳴と慟哭が上がった。

「いやあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 悲鳴を上げたのは、リビア。

 アランはただ、目を見開く。

 優しい笑みしか見たことのないフォルティス公が、地面に突っ伏していた。聞こえるのは、重い慟哭。

 彼の上空に漂っていた、彼の妻は、姿を忽然と消した。二度と彼女が戻らないことを、アランは知っていた。

 そしてリビアも、失ったものの大きさを知っていた。

 人々がその事実に気付いた時、庭園は悲鳴と慟哭が支配した。

 血の気を失ったアランは立ち尽くし、ただ世界を凝視する。

 誰かの声が鼓膜に焼付いた。

『――ゾルテは死んだ』

 ゾルテ王国が唯一にして最高の、月の精霊を失った瞬間だった。



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