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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 三章
22/112

22.望んだ場所


 クロスは己の目を信じたくなかった。神子は、確実にその両腕を広げ、刺客を迎え入れた。少年の体を抱き留める姿が、脳裏にこびりつくほど鮮明だった。

 そして閃光が、神子と刺客をかき消し、ここはもぬけの殻だ。

 ――守るべき神子も、討伐すべき刺客も、いない。

 クロスは呆然と、己の腕を見下ろす。先程までそこに触れ、怯えていた少女は、もういない。

「――――」

 上空から、声にならない動揺を感じた。

 視線を上げたクロスは、己の失態を恥じる。

 アラン王子が、五階の手すりから身を乗り出し、蒼白になってこちらを見下ろしていた。

「殿下……」

 思わず呟いたクロスは、脳裏に少女の残像を思い描く。刺客を受け入れた時、彼女は確かに、声を漏らした。

 『──アラン様』と。

 最後に彼女が救いを求めたのはアラン王子だったはずだ。なぜ彼女が、そのまま姿を消してしまったのか、クロスには想像ができない。

 彼女には、ここを厭う理由がない。

 動かない右腕を押さえ、クロスは歯を食いしばった。



************************************



 サイの草原がどこまでも広がる野原で、紗江はぽかりと目を開けた。風が草原を走り抜け、少し寒い。起き上がろうと手に力を入れると、自分の手に他人の手が重なっていた。

 冷たい指先から視線を伸ばすと、赤い髪が目に入り、次いで小さな顔を血のりで染めた少年が横たわっていると知れる。彼はまだ目覚めておらず、大の字で伸びていた。

「ここ……どこだろう」

 紗江は痛む体を無理や起こし、周囲を見渡した。

 見渡す限り、広大な平原が広がっている。

「あーあれは、城壁かな」

 地平線まで続くかに見えた草原のその遥か彼方に、長大な壁が見えた。あれは領地を囲う塀だろう。均等に灯篭を配置した壁は、歩いてもいつ到着できるのか分からないほど、遠くにあった。

 ガイナ王国の領地境に設けられた壁とは違うようだが、月明かりしかない状態では、判断できない。

 草原に横たわるロイを、再び見下ろす。

 彼を受け止めた際に願った祈りは、彼の治癒だ。太ももや二の腕から溢れていた血は、止まっている様子だ。

 紗江がしたかったのはそれだけだが、治癒する際に、彼の願いも合わせて聞き入れてしまったようだった。

 彼が願ったのは、この辺鄙な草原に飛ぶこと。

 せっかく連れ去るのなら、アジトまで連行しそうなものなのに、奇妙な願いだ。彼も混乱していたのだろうか。

 彼にとってこの草原は、何か大切な場所なのかもしれない。

 ぼんやりとそんなことを考えていた紗江は、視界の端を漂う光に、目を上げた。灯火一つない、薄暗い上空を、人魂と称されそうな形をした、丸い炎が漂っている。

「……人魂って本当にあったんだ……」

 月の力という魔法がそんざいするのだから、人魂が存在しても変じゃないのかも――。なんて考えている間に、幽鬼はふわふわと二人の上を彷徨い、ロイの真上で動きを止めた。

 人魂はロイの胸の上にぽたりと落ち、そのままずぶずぶと体の中に溶け込む。

「入っちゃった……」

 何に驚けば良いのか、よく分からない。炎が入り込んだ彼の胸を、凝視する。服は焦げていないし、呼吸も正常だ。

 大丈夫だろうかと一抹の不安を覚えた時、ロイの瞼が開いた。猫の瞳孔と同じく、縦長の瞳孔が印象的な、金色の瞳がきょろりと周囲を見渡す。そして彼は、眉根を寄せながら起き上がった。

「い……ってぇ……」

「だ……大丈夫?」

 ロイはこちらの声は無視して、顔を顰めながら立ち上がる。

 腕を伸ばして動きを確認し、首を左右に振って鳴らした。ちろりと流し目にこちらを見た眼差しは、最初と印象が違う。当初よりも、攻撃的な印象を覚えた。

 ロイは舌打ちをし、太ももを撫でる。

「あーあ。あっちこっち穴開けてくれちゃって、あんたそれでも神子なわけ? お慈悲って言葉は無いの?」

「……」

 ──なんだろう、別人……?

 片言の言葉遣いだったはずのロイは、とても流暢に文句を連ねた。

 腰に両手をおいて、ぽかんとしている紗江の前に、仁王立ちする。

「ちょっと、聞いている? まー穴やら傷やらは塞いでくれたみたいだけどさあ、あんた治療へたくそだね。表面塞いだって、内側の穴まできちんと塞いでくれないと痛いんだよ。ほらあ、ちゃんとして?」

「へ………? あ、ご、ごめん……?」

 彼の勢いに呑まれ、紗江は差し出された手を、反射的に握り返した。彼は口の端を上げ、唇を舐める。

「完全治癒」

「い──っ」

 突然、手のひらから力を吸い取られる感覚が襲った。強烈に吸い取られたためか、指先が痺れる。

「……っはー……いいね」

 ロイはおいしいご馳走を食べた後のような、満足げな表情だ。

 怪我が治ったのなら喜ばしいはずなのだが、紗江は己の身を襲った衝撃に、戸惑う。まるで自分が、凌辱されたような気分だった。ただ力を、吸い取られただけなのに。

 動揺して己の指先を見つめる紗江の腕に、ロイの手がかかった。

「えっ」

 ロイは反応も待たず、強引に紗江を立ち上がらせ、引き寄せる。あまりの力に、肩に痛みが走った。

 顔を顰めた紗江など全く気になっていない表情で、ロイは紗江の顔から首、胸元、そして足先へ視線を這わせる。

「やっぱ神子ともなると、力の質が違うなあ……。超やりやすい。このまま全部食っちまいてえ」

 品のない言葉に、唖然とした。

 ロイはじっとりと紗江の胸元に視線を注ぎこむ。なんだか嫌な気持ちになって、胸を押さえると、笑いながら身を寄せて来た。

「なんだよ、隠されると触りたくなるだろ」

「──やっ」

 紗江の頭は真っ白になった。ロイは、紗江の脇腹から手を這わせ、胸の膨らみを揉み上げたのだ。手のひらから少し溢れる、柔らかなふくらみの感触を、楽しむような動きで揉みしだかれ、紗江は震える。そして彼の暴挙を甘んじて受け入れる必要はないのだと思い至り、目の前で下卑た笑みを浮かべる少年の頬を打った。

「触らないで……!」

 ロイは打たれた方向へ顔を背け、そしてぎょろりと、目だけをこちらに向ける。

「なんだ。……お前、そんな挑発的な格好させられてるくせに、まだ生娘かよ……?」

「き……っ。」

 ──生娘じゃないわよ……!

 内心、否定したものの、紗江ははた(・・)とこちらへ来た日を思い出した。

 サーファイがさらっと処女に戻っていると言っていなかっただろうか。確かめてはいないので自信は無いが、この容姿といい、月の力といい、不思議現象が当たり前にある世界なら、処女に戻っていてもおかしくはない。

 ロイの目利きは、あながち間違えていないのかもしれなかった。

 そして、アランが特注したこの着物。

 露出が多いなあとは思っていたものの、こちらの人間にとってもやはり、挑発的な格好のようだ。アランはどういう考えで、これを紗江に着せているのだろう――……。

 赤くなったまま考え込んだ紗江の腰に、ロイの腕が回った。

「ちょっ……」

 抵抗する間もなく、紗江は横抱きにされ、あっという間に上空にさらわれていた。冷たい夜の空気が、頬をかすめていく。

「は……っ離して! もう、アラン様のところに帰して!」

 ロイの傷を治したいという願いはかなえられたのだ。もう用無しとして、関わりを絶ちたいというのに、ロイは小馬鹿にした声で拒否した。

「帰すわけねえだろ、せっかく浚ったのに。お前馬鹿か」

「馬鹿じゃないわよ、馬鹿! 大体、貴方……っ現れた時と人格変わりすぎよ! おかしいわ……!」

 起きたと思ったら紗江の力を強引に吸い上げ、更に胸まで揉むなんて、信じられない。

 毎晩紗江を抱きしめ、どこかしら触れるのに、色気のいの字も感じないアランが、既に恋しかった。

 ロイは頭上で、耳障りな笑い声をあげる。

「そりゃあ中身が違うんだから、当たり前だろ。俺はロイじゃねえよ。こいつみてえに甘っちょろい人間じゃねえ。ロイは中で、お前の見せた甘い夢にご満悦だ。――ったく、これだから餓鬼は使えねえって言ったんだ」

「あ……っ貴方が浚いに来ていたら、私はさらわれやしなかったんだから――!」

 わけが分からないながら、紗江は不快感に、声を上げた。しかし、紗江を助けてくれる救世主は、現れそうにもない。

 煌々と明るい月が、地上を照らすばかりだった。


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