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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 二章
19/112

19.王子の待ち人


 王妃の居室は、城の南側──光が溢れる明るい場所にあった。部屋の各所に観葉植物と花が飾られていて、心地よく過ごせるよう、気遣いが感じられる部屋だ。

 部屋に入るとすぐ目に入る、白い天蓋付のベッドに、女性が上半身を起こして座っている。銀色の髪に琥珀色の瞳の女性だ。彼女は紗江と視線が合うと、鷹揚な笑みを湛えた。

 頬はこけ、目の下が病のためか落ち窪んでいる。

 紗江の手を引いて入室したアランは、王妃の元まで足を勧め、彼女の枕元で頭を下げた。

「お時間をいただき、感謝いたします。お加減いかがでしょうか、母上」

 アランが口にした言葉は、聞き流せるほど自然だった。紗江は、いや、聞き流せるものではないと思い直し、アランを見上げる。

 視線に気づいたアランが、怪訝そうに紗江を見下ろした。

 ――……母上・・

 王妃は、見つめ合う二人を見て、ふふ、と笑い声を漏らす。

「良く来てくれましたね……アラン。月の神子様には、足を運んでいただいて、申し訳ないわ」

 紗江は慌てて、彼女に向かい合った。

「お初にお目にかかります、王妃様。お会いでき、嬉しゅうございます」

 事前にアランに言われた通りの口上を述べるものの、やはりアランの顔を訝しく見てしまう。

 白銀の髪に、赤い瞳の美丈夫。

 国王の容姿を思い出し、紗江は眉根を寄せた。国王の髪は灰色だったが、瞳は赤かった。そして王妃の髪は、銀色。

 ――この人は……王族……?

 目を瞬き、自分を唖然と見上げている紗江に、アランは眉根を寄せる。

「……どうした」

「いえ……」

 王妃の目の前で、貴方が王族だったとは――それも、王子だったなんて、知りもしませんでしたとは言えなかった。

 しかし、どうして王子様が宰相補佐官などという仕事をしているのだろう。

 王子様は、王子様をすることが仕事なのだと思っていた。

 しかも住まいは、王城ではなく、他州の古城――……。

 王族として王城に住まわない彼の事情が想像できず、紗江は言葉を濁して、王妃に視線を向ける。

 元の世界で培った営業スマイルは、どんな場面でも着こなせた。

 王妃は嬉しそうに、紗江の手を取る。

「可愛らしいお嬢さんだこと。アランにはもったいない神子様ねえ……」

「母上……」

 意味は分からないものの、アランは渋い顔を作り、王妃は機嫌よく笑った。

「あら、なあに? あなたが我が儘をいって、どうしても傍に置きたいと言い張った女の子が、こんなに可愛らしいだなんて、お母様はとっても嬉しいのよ……。たくさん、お話しさせてもらわなくちゃ。ね?」

 ふふ、と悪戯っぽく紗江にウインクする。王妃の方がよほど可愛らしいなあと思う紗江の笑顔は、直ぐに繕ったものから、本物の笑顔に戻った。

 王妃は骨ばった指先を伸ばし、躊躇いなく紗江のカサハを広げてしまう。布を後頭部まで押し上げられてしまい、紗江は戸惑った。顔を見せてはいけない、と再三アランに言いつけられていたが、相手は王妃だ。どう対応したら良いのか、迷う。

 答えを求めて見上げたアランは、一瞬腕を上げ、紗江のカサハを戻そうとしたように見えた。しかし途中で腕の動きを止め、拳を握る。彼の赤い瞳は、ぎん、と周囲の兵士を睨みつけ、視線を受けた兵士たちが、一斉に顔を伏せた。

 どうやら、見るな──という命令が下されたようだ。

 アランの暴君ぶりに気付いていない王妃は、紗江の顔を見るなり、瞳を輝かせる。

「まあ、見事な漆黒の御髪ねえ……。瞳も、なんて美しいのかしら。澄んだ肌に、可愛らしい唇……」

 うっとりと呟いて、彼女は乾いた手のひらで、頬を撫でた。アランが少し身じろいだ。

「母上、彼女は……」

 王妃はアランの言葉を聞き終わる前に、腕を伸ばす。頭の上の方でカサハを留めていた、紐飾りが、ぱちり、と外される音が聞こえた。

「――あ」

「母上!」

 止める間もなく、紗江の頭から、完全にカサハが取り外される。布が取り払われる時に生まれた風で、腰まである黒髪が、ふわりと広がった。

 俯いていたはずの兵士たちが、動揺したのが伝わる。アランが王妃の手からカサハを奪い取り、母を睨んだ。

「――母上。いくら寝室とはいえ、神子は他者の前で素顔を見せるものではありません」

「まあ、他者だなんて。私は貴方のお母様ですよ。お母様にだって、大事なお嫁さんを見る権利はあるわ」

「母上……っ」

 アランが慌てて声を上げるも、紗江ぱちり、と瞬く。身に覚えのない言葉を、聞いた気がした。

「お嫁さん……?」

 期せずして紗江の素顔を目にできた兵士と、王宮の使用人たちが、浮かれた声を上げる。

 こちらの世界の人にとって、黒髪はとても珍しいそうだ。月の精霊だけが黒髪らしく、その色を見られるだけでも、幸運だと侍女たちが言っていた。

 しかし周囲の反応よりも、気になる単語の真意を問いたい。紗江が黒い瞳を丸くして見つめると、赤い双眸はすっと横に逸らされた。

 その表情は、何も答えたくないと言っている。

 紗江は、王妃に首を傾げた。

「あの……お嫁さんというのは、誤解では……?」

 いくらなんでも、紗江がアランの嫁になるのはあり得ないだろう。買い取られたばかりで、お互いにどんな人間なのかもわかっていないし、恋仲でもないのだから。

 王妃は眉を上げ、紗江と同じく首を傾げた。

「いいえ、誤解ではありませんよ。アランは陛下に誓ったのだもの」

「誓った?」

 アランは呻き声を上げ、俯く。彼女は息子の態度など気にせず、さらっと言った。

「月の神子を競り落とした暁には、神子を決して手放さず、永久に傍に置くと」

「……トワに……?」

 王妃はにっこりと、可愛く笑う。

「ええ。月の精霊はね、誰かが競り落としても、競り落とした人間が所属する、国家が取り上げることも可能なの。精霊は、国家にとって非常に重要な存在です。だから主人として不釣り合いであると判断されたりした場合、国家が動いても構わないとなっているの」

「そうなんですか……」

 競りは公平に誰でも参加できるようになっているのに、よく分からないルールだ。

 王妃は続けた。

「今回アランは、国の意向の背き、個人で参加して、神子を競り落としてしまいました。だから陛下に咎められ、悪ければ神子様を取り上げられてしまうところだったのだけれど……アランがどうしてもと言うものだから。必ず神子と結婚して、永遠に傍に置くと約束するものだから、陛下も仕方なく、お許しになったの」

「…………」

 紗江はアランを見上げる。彼は何も言わない。視線を合わせようともしない。

 彼の顔色からは、それが本気なのかどうか、判然としなかった。

 王妃は無邪気に、胸の前で両手を合わせる。

「そうだわ。婚約式はいつにしましょうね? 早いほうが良いわよね! こんなに愛らしい神子様だもの、他の殿方にとられちゃったら格好がつかないわ」

「……」

 アランの眉間に、とても深いしわが刻まれた。

 周囲も、何とも言えない空気に包まれる。この空気が、アランを憐れんだものなのか、はたまた紗江に対する何かなのか、判断をつけかねる状態だ。

 紗江はともかく、話しを変えるべく、口を開く。婚約なんて藪から棒に言われても、受け入れがたかった。

「……えっと、でもその……そんなに急がれなくても良いのではありませんか? 私はまだ、幼いので……」

 自分の見た目が、実年齢に対して大幅に幼く見えている自覚はあった。アランなど、なんど二十一歳だといっても、十五・六歳の小娘が、背伸びをして嘘をついているとしか思っていない様子だ。

 ここは、自分の見た目年齢を利用するほかない。

 王妃は驚いた顔をした。

「まあ、幼いだなんて! 王族の婚約者は、生まれ落ちた時から決まっているものよ。神子様は異国育ちだから、少し大きくなられているけれど、アランの婚約者には十分です。神子様は御幾つかしら?」

 紗江は答えに窮する。

 ここで本当の年齢を言ってしまうと、大喜びですぐに婚約式というよく分からない儀式を決行されそうだ。

 紗江が口を閉ざすと、アランが口を開いた。母親の手のひらをさりげなく紗江の手から引きはがし、握りしめる。

「母上。神子はこちらに来て、まだ間もない。降臨草々、そのような大きな行事を入れてしまっては、心身ともに疲弊してしまいます。折を見て、私からまた時期についてはご相談申し上げます」

 後光さえ放ちそうな、輝く笑顔だった。格好いい人は、笑うだけで女性の心を鷲掴みだ。王宮の侍女たちが、頬を染めて、アランに溜息を零す。

 だが相手は母親。笑顔の甲斐なく、王妃は肩を竦めた。

「そんなことを言って、どうせ有耶無耶にするつもりでしょう」

「……」

 王妃は、ほう、と溜息を吐き出す。

「昔からあなたはそうねえ……。生まれた時から、ゾルテの姫様と婚約の内定をいただいていたのに、五つになった途端、突然婚約は無効だと言い出すし。子供のくせに、本人の意思もなく婚約なんて許さないなんて正論を言ったと思ったら、今度は心から愛した女性でなくては嫌だなんて、ロマンチックなことを言い出したりして」

「……」

 五歳の時点で、愛を語っていたのか──。

 王子というのは理解しがたい存在だ。信じられない気持ちで見ると、アランは瞳を閉じて、何かを堪えていた。――愛を語ってしまった幼い時分への恥辱だろうか。

 王妃は頬に片手を添えて、首を振る。

「王族の結婚なんて、愛は後からついて来るもの。私も結婚してからガイナ王をお慕いし始めたというのに。身分がないと駄目だといえば、今度は畏れ多くも、次代の月の神子様と結婚すると言い出して。月の神子様なんてどうやって出会うつもりかと聞けば、有耶無耶に誤魔化したでしょう。貴方も幼かったから、時間をあげようと思って見守っていたら、二十六歳になっても恋人の一人も作ってくれないし……」

 紗江は眉を上げた。アランがまだ二十六歳だったのが、意外だった。三十歳くらいかと思っていた。

 王妃はまだ話し続ける。

「月の神子様なんて、早々この世界へいらっしゃらないのに。だけど、神子様はちゃんと、貴方の元へいらっしゃったわ。いい加減誤魔化さず、結婚するといいなさい」

 アランのこめかみに、汗が滲んでいる。ぐうの音も出ない様子だ。

 王妃の朗らかな微笑みがアランを飲み込み、次いで紗江の自我さえも飲み込もうと、澄んだ笑顔をこちらへ向けて来た。

「アランは素晴らしい息子です。きっと神子様のご降臨を分かっていたのでしょうね……。出会う前からあなたに恋い焦がれ、そして本当に出会えた。これが急がずにいられましょうか? いいえ、急ぐに越したことはございませんわ。アランが二十一年、待ち続けた姫君ですもの」

「……」

 五歳の時に奮起し、二十一年待ち続け、現在二十六歳。一途だね、王子様。なんて笑ってしまいたい気持ちになった。

 アランが苦しそうに言葉を紡いだ。

「……その……母上。私にも順序というものが、ございまして……。もうしばらく、時間をいただけないでしょうか……」

 王妃は口元を手のひらで押さえ、可憐に笑んだ。

「まあ……っ。私としたことが……つい先走ってしまったわ。そうね……そうよね。きちんと月の神子様に愛を囁いて、しっかりと神子様を安心させてから結婚という流れにしたかったのよね、アラン。気が利かないお母様で、ごめんなさいね」

 言われている本人ではないのに、聞いてる方が赤くなってしまう、恥ずかしい言葉の応酬だった。

 彼女の息子であるアランは、無垢な辱めにも挫けず、しっかりと皇后の瞳を見つめ返した。

「――はい。ことが決しましたら、第一に母上にお知らせ申し上げますので、どうぞそれまでごゆっくり養生ください」

「ええ、そうね。楽しみにしていますよ、アラン」

 話はまとまったらしい。王妃は輝く瞳で、考えるのをやめた紗江の手を掴んだ。

「神子様。どうかアランを、よろしくお願いしますね……」

 以前あった国王と、同じ言葉だった。

 どこにでもある言葉なのに、その同じ言葉は、紗江の胸に重く響いた。でもその理由はわからず、紗江はあの時と同じように、優しく微笑んだ。

「……はい」

「――では、本日はこれで失礼いたします」

 話が終わった途端、アランは紗江の頭にカサハを被せた。扉前で待機していた兵が、扉を開く。

「え、あ、帰るの?」

「早くしろ」

 アランに二の腕を掴まれ、扉へと引きずられそうになる。言うことを聞かなければ、今にも抱え上げられそうな勢いだ。

 王妃は、穏やかな微笑みを浮かべ、手を振る。こんなに急に御前を去るのが申し訳なく思った。そして紗江は、彼女の顔色が、入室時よりも青ざめていることに気付く。

 だから、アランは急いで退室しようとしているのだ。

 長く話し過ぎたのだろう。王妃の体調が悪くなったのに気付き、手当てをさせてやりたいに違いない。

 紗江は手を伸ばした。

 王妃が眉を上げ、きょとんと紗江の手を握り返す。

「またお会い致しましょう、王妃殿下」

 紗江は微笑んで、その手のひらから彼女の体内に、己の力を注ぎこんだ。

「な──っ、紗江!」

 アランが我慢ならないような声を上げ、王妃はすう、と大きく息をした。

 光の粒子に包まれた彼女は、瞳を閉じて、穏やかな吐息を漏らした。継いで開いたその瞳には、なぜか、透明な滴が浮かんでいた。

「ありがとうございます、神子様……。とても、楽になったわ」

 ──良かった。

 紗江はほっと息をつく。青白かった顔に、血色が戻っている。上手くいったようだと、安堵したのもつかの間、二の腕が強引に引かれた。

「わっ!」

 アランは紗江の体を乱暴に抱え上げ、横抱きにする。そして王妃に一礼した。

「失礼いたします」

「ええ……。お待ちしていますよ。アラン、神子様」

 王妃の声はどこまでも優しく、自分を抱きしめるアランの腕は、常よりも強く力がこもっていた。

 少女のように可愛らしい笑顔が、紗江たちを見送った。


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