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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 二章
14/112

14.声なき声


「……カサハがずれている。戻せ」

「カサハ……?」

 アランに横抱きにされた紗江は、何を指す単語か分からず、首を傾げた。アランは目で頬の先を示した。

「その、頭からかけている布のことだ。顔を見せるな」

 視線を周囲へ向けると、兵士達がじっと紗江の顔を見つめているのが分かった。指先で布を顔にかけても、隙間から見える肌へ視線が絡みつく。

「……そんなに、酷い顔をしてるのかな……?」

 サーファイが美人だと褒めてくれたのはお世辞だったとしても、醜いとまではいかないと思うけれど。

 アランは視線を前へ向けた。

「神子の容姿を知る者は、俺一人で十分だ。これからは、誰にも素顔を見せるんじゃない」

 神聖な存在とされている『月の神子』は、容姿を隠すものなのだろう。そう思った紗江は、カサハの下で小さくため息を落とした。

 カサハとは、長い付き合いになりそうだ。

 館の入り口まで運ばれると、侍女が紹介された。

 灰褐色の髪の女性がルーアで緑色の髪の女性がアリア。二人とも知的な顔つきをした綺麗な女性だ。館の中に入ると、アランは紗江を降ろした。背後で木製の扉が、重そうな音を立てて閉まる。玄関ホールを見上げ、紗江は口を開けた。

「大きい……」

 天井は吹き抜けで、その頂にあるステンドクラスから、七色に揺らめいた光が降り注でいる。塔の各所にある窓はすべて、ステンドグラスだった。紗江が住んでいたワンルームが四つは入るのではないだろうかという広さの、玄関ホールの正面には、巨大な階段があり、それが突き当りで二つに分かれて二階へつながっている。

 ルーアがにこりと笑んだ。

「神子様のお部屋はここの比ではございませんわ。日当たりのよい、最上の部屋をアラン様がご用意されております」

「すごい……」

 お金持ちの度合いが違いすぎて、上手い言葉が見当たらない。背後に立っていたアランを振り返ると、彼はにやりと笑んだ。

「だてにお前を買い取れるだけの経済力を持っているわけではないからな」

 言いながら、アランの手が紗江の胸元に伸び、着物の合わせを無造作に開いた。

「え? わ、や……っ」

 突然の暴挙に悲鳴を上げ、止めようとしたが、強引に衣を剥ぎ取られてしまう。

「アラン様! さすがにこちらではおよし下さいまし!」

「お部屋まで我慢なさってください!」

 ルーアとアリアが意味不明な非難の声を上げる。

 胸を掴み上げられた反動で、床にへたり込んでしまった紗江から、無理やり着物を脱がせたアランは、冷静な眼差しで周囲の人間を見渡した。

「……人を飢えた獣のように扱うな」

 アランは紗江の帯から器用に上着の着物だけを抜き取り、傍に控えていた執事にそれを渡した。ルーアとアリアがくすりと笑う。

「あら、だって神子様に何のご説明もなく着物を剥ぎ取られるのですもの」

「そうですわ。女性の着物を無理やり剥いではいけませんわよ、アラン様」

 一番重い上着を剥ぎ取られ、肩が軽くなっていた。赤い着物だけになっている。アランは紗江の二の腕を掴み、立ち上がらせた。

「せっかく上等な着物を着せても、本人が喜ばんのでは意味が無いな」

 執事らしき男は渡された着物をそつなく畳んだ。ルーアが背後に回って帯の締め付けを強める。紗江は解放感と共に、満面の笑みを浮かべた。

「わーやっと楽になったあ! どうもありがとうございます!」

 アランは真正面から向けられた笑みに、若干たじろいだ。紗江は気付かず、改めてリーアとアリアに向き直る。彼女たちは、何故か眉を上げてアランと紗江を見比べた。

「さっきはまともにご挨拶せずに、ごめんなさい。着物が重すぎて、顔も上げにくかったので。改めまして、よろしくお願いします」

 紗江が元の世界の習慣で、頭を下げそうになった瞬間、アランの大きな手が頭を鷲掴みにした。豪奢な髪飾りがシャランと美しい金属音を立てるが、その様は美しくない。

「……っ」

 頭を片手で掴まれ、顔を仰向かせられている神子の姿から、老いた家令と壮年の執事はそっと視線を逸らした。アランが低く、言う。

「頭を下げるなと、言っただろうが……」

「はい、すみません……」

 紗江は若干顔色悪く謝罪し、侍女たちに膝を折って、『月の神子』の挨拶をした。

 ルーアとアリアは、嬉しそうに笑った。

「まあ……月の神子様御自らご挨拶いただけるなんて、感激ですわ。こちらこそしっかり務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします」

「誠心誠意お勤めいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします神子様。……旦那様、神子様の御髪からお手を離されてはいかがですの?」

 アランは物言いたげな表情で紗江の顔をしばらく睨みつけ、しぶしぶ頭から手を離してくれる。そして流れる仕草で、紗江の手を取ると階段へ向かった。

「じゃあ部屋へ案内するか……。お前の部屋はこの館の五階だ」

 思ったままの、苦悶の表情でアランを見上げる。アランの目尻が、痙攣した。

「……お前のような、体力の無い女に五階まで歩けとは言わん」

「体力が無いわけでもないのですが……。でも歩かないなら、抱っこですか? それは遠慮します」

 歩かないで済む方法は、サーファイのように空を飛ぶか、誰かに介助してもらうか。空を飛ぶのは、特別な人にしかできない事らしいので、紗江を買い取ったアランは、きっと飛べる人ではない。そうなると、導かれる答えは、抱っこだ。

 だが、階段を横抱きにされて上るなんて、不安定な行為は御免こうむる。半目で言い放つと、紗江の手を握っていたアランの大きな手に力がこもった。

「う……っ」

 痛くはないが、決して逃れられない強さだ。アランは赤い瞳を甘く細め、色っぽく囁く。

「……遠慮はいらん。俺は自分の所有物は、大事にする主義だからな」

「あ……っ」

 ひょい、と紗江を横抱きにして、アランは背後に控える執事に流し目をした。

「拝謁希望の者には神子は静養中だと応対するように」

「かしこまりました」

「アラン様ったらお熱いですわね」

「やっとご自分のものになったのですもの、嬉しくて当然ですわ」

 ルーアとアリアの、意味不明な雑談が遠くで聞こえた。

 

 

 その夜、見慣れない初めての寝室で、紗江は浅い眠りを繰り返した。寝返りを打つたび、何度も声が聞こえた。

 夢の中の声なのか、現実の声なのか、判断できない。

 体が重く、瞼を開けられない。その声は、水音とともに、鼓膜を揺らした。

 幼い声が、ひっそりと聞こえ続けた。

 静かに、泣いている。

 とても可哀想だから、助けてあげたいのに──。

 ──手が届かない。


 ――誰が、泣いているの……?



 紗江の瞼は朝まで、開かなかった。


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