昼下がり
本編ではなく、ある日の出来事として書いたものです。
花の香りが溢れかえる店舗を前に、ジンキは舌打ちした。何故自分が、こんな店に来ないといけないのか意味が分からない。
サクヤが新規開店した幻華堂の新商品は、瞬く間に流行した。ガイナ王国の神子を象徴するシュクハの花飾りを宝石で作り、その中にシュクハの香りを練り込んで、更に商品の包みにはご丁寧に生花のシュクハを付けて売ると言う徹底ぶりだ。おかげでこの店の周囲はシュクハの香りで溢れかえっていた。
店の入り口からあふれ出る娘たちの瞳は輝いており、店から出てくる客の手には赤いシュクハが挿さった布袋。
店先に並ぶ商品はどれも彩り鮮やかな宝石を使った容器に入る化粧品。
絶対に男の自分が手伝いに来る必要のない店だと思う。尋問を受けさせられた代償として一日店の売り子になれと言われて来たものの、帰ろうかと立ち止まった。
女で溢れかえる店先に、随分と背の高い男がいた。女の連れだろうかと周囲を見たが、男の周りはどちらかというと物欲しそうな目で男を見つめる違った種類の女しかいない。女どもの目つきからして整った顔の男なのだろうと見やり、ジンキは片眉を上げた。
頭に黒っぽい布地を撒いた男。整った顔はもちろんだが、そいつの瞳の色は色々な意味で目立つ、赤だった。
「阿呆か、あいつ……」
ジンキはその男を知っていた。どういう身分の男なのか薄々分かってはいたが、あえて追求したことは無い。ジンキの店を何度か訪れたことのある男だった。同年代らしく、会えば一緒に酒を飲む程度には気が合う男だった。
男はこちらの独り言が聞こえたかのようにこちらに鋭い眼差しを向け、ジンキを認識すると寄ってきた。
「久しぶりだな。こんなところで、何をしているんだ? 女でも待っているのか?」
ジンキは無意識に呻いた。女どもの視線が一気に集中したのだ。目つきの悪い自分だけならばまだましだが、この男が寄ってくると注目度が半端ない。
そしてこの男はその視線を気に留めない。
「どうした。腹でも痛いのか」
「痛くねえよ。お前こそ、こんなところで何してるんだ。まさか化粧品を買いに来たわけじゃないだろうな……」
男は僅かに困った顔をして店の中を覗き見た。
「いや……休みをもらってな。街へ行きたいと煩い……」
男が言い終わる前に、ひょこりと男の後ろか小さな頭が覗いた。頭を青い布でまいた、漆黒の瞳の少女は男に財布を見せた。
「はい、ラン様。お財布ありがとうございました」
巨大な男物の財布は彼女には似合わないが、恐らく財布を持たせてもらっていないのだろう。男は財布を懐にしまいながら尋ねる。
「買えたのか? その、なんだった飾りか?」
全く商品には興味が無いのがよく分かる質問だ。彼女はにっこり笑った。
「はい。可愛いお花の髪飾りです。」
娘どもが持っている袋と同じ、シュクハの花の挿さった商品を掲げた。そこでやっと男の向かいに立っていたジンキに目を向ける。眉を上げ、驚いた顔をするが、ものすごく反応が遅いと思う。普通、自分の連れに声を掛けた時点で気づくだろう。
「あれ、お兄さんじゃない。どうしたの? 久しぶり」
「……ラン様ね」
ジンキは女の顔を凝視し、そして赤目の男を呆れた気持ちで見やる。男はわざとらしい爽やかな笑顔を浮かべた。
「なんだ。俺の女と知り合いだったか」
その笑顔の裏には殺気がある。自分の女が自分以上に馴れ馴れしいこちらに嫉妬をしているのだろうが、いい迷惑だ。
彼女がはっと慌てた顔をした。
「ええっとお! 違うよ! 偶然会ったというか、えっと」
ランと呼ばれた男は彼女にも同じ笑顔を向ける。
「偶然会うような機会が、いつあったのだろうなあ、ミコトよ。」
ジンキは言葉を繰り返す。
「ミコト……」
「まあこんなところで立ち話もなんだ、酒でも飲むかジンキ」
ミコトはにこやかに促すランの様子に安心した顔になった。興味津々にジンキを見上げて尋ねる。
「お兄さんジンキっていうんだね。アラン様といつ知り合ったの?」
「……」
ジンキはにっこりと笑ってやった。男は顔を強張らせ、張り付いた笑みをこちらへ向けた。
「……まあ、なんだ。言い間違いっていうのは、よくあるからな」
ジンキは半目ではっきりと否定した。
「――ねえよ」
ミコトはよく分かっていない顔をしている。己の失態にも気づかぬ間抜けぶり。これが神子だなどと、やはり信じがたい現実だった。
「あー馬鹿くせえ。さっさと行くぞ! 飲まねえとやってられっか」
自分の店の一番高い酒を飲ませてやると内心毒づいて、ジンキは姉の店に背を向けた。
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久しぶりに高等学院の講師を担当したロティオは、授業の後、廊下をついて来るミコトに気づいた。
「質問ですか?」
ミコトは立ち止まったロティオの元にぱたぱたと駆けよってくる。自分を見上げる顔は、やはり可愛い。
「すみません、お忙しいのに。あの、オクタ州の岩盤を破壊する機械に使っている鉱石は、蒼雲山にも使えないものなのでしょうか?」
「オクタ州の岩盤はどれも硬質で破砕が非常に難しいですが、蒼雲山に比べれば柔らかいと言ってしまえるほど、あの山は硬質で手出しができません。これまでの授業の中でも話された内容だと思いますよ。蒼雲山は当面手出しを諦めている山です」
彼女は眉を下げた。
「あ、そうですね。ごめんなさい」
その失敗した、という顔も羽交い絞めしたいくらいに可愛い。
「あのお山に穴を開けられたら、もっと移動が楽になるのに、と思ったので。今度オクタ州に行って見ようかなあ。破砕された途端に色が変わる鉱石って見てみたい」
「よいのではありませんか。見聞を広めるのはいい事です」
その間は高等学院にも来なくなるのならば、若干残念だが。ミコトはにこりと笑う。
「先生はずっとお仕事忙しそうですけど、旅行とかにはいかれないんですか?」
それはお誘いですか。貴方のためなら休みを取っても構いませんが、どうせあなたは婚約者と行くのでしょう。
「そうですねえ。なかなか長期の休みというのは難しいので……」
「でもお休みって大事です。今度お願いしてみますね!」
「え?」
意味が分からず聞き返したが、彼女はもう用は済んだという顔で手を振って背を向けてしまった。ぱたぱたと駆けて行く彼女を通り過ぎた官吏が振り返って行く。
ふと黒い武官の格好をした男がこちらへ歩いてくるのが見え、ロティオは顔を上げた。ビゼー中尉だった。彼は横を駆け抜けた少女を見やり、こちらに視線を向ける。
ロティオは幼い頃から彼の事は知っていた。貴族出身の彼は、家との交流上、頻繁に顔を合わせる。男勝りな軍が苦手なロティオでも平気だと思える唯一の男だった。
「授業をしていたのか? 珍しいな」
手元の参考書に目をやって素早く状況を判じるところは軍人ならではの能力で、そこはやはり苦手だ。
ロティオは州官長室へ向かいながら応えた。
「そうです。あなたは報告ですか?」
「ああ。全く、私はジ州の担当官ではないと言うのに、人使いの荒い方で困る」
ビゼーはアラン殿下が抜き差しならなくなると、高確率で難題を任せられる人間の一人だった。ロティオは苦笑する。
「テトラ州までは殿下も手出しができませんから、あなたを使いたくなる気持ちも分からなくもありません」
テトラ州で小さな小競り合いが起きている。内乱とまで発展させないためにビゼーが登用される運びになったのだ。
ビゼーは顔を曇らせる。
「いざとなればあの方はどこの州だってお立ちになるだろうがな」
「そうかもしれませんが、今はまだこちらの席を空けていただくわけにはいきませんから」
ジ州とて先の一件が終わったところで問題が無くなるわけではない。
ロティオの内心を分かっているのか、ビゼーはそれ以上突かなかった。一階の外回廊に差し掛かり、思い出したかのようにこちらを見やる。
「そうだ。お前、己の振る舞いには気を付けておけよ。最近お前が神子様に馴れ馴れしいと、軍部の奴らが愚痴を言っていたぞ」
「はあ?」
いつ自分が神子に馴れ馴れしくしたと言うのだ。アラン王子の前でしか神子には接していないし、常に必要最低限しか会話はないというのに。
そう言うと、彼は眉根を寄せた。
「州官長室以外でも会っているだろう」
「会っていません」
とんだ誤解だ。そんなあらぬ噂を立てられて、アラン殿下に睨まれるのはもっと御免だ。
ビゼーは思案気に顎に手をやり、ロティオの顔を凝視した。
「さっきも話していたぞ」
「誰とです」
「神子様だ」
「……話していませんよ。見間違いでしょう」
彼は淡々とロティオの背後、州城の中庭を指した。振り返ると、茂みの中を覗き込んでいる銀髪の少女がいた。
「ミコトさん……?」
さっき反対方向に別れたはずなのに、どうしてまた立ち入り禁止の領域に入り込んでいるのだ。
彼女は茂みの下から布を引っ張り出し、それを広げた。
ビゼーの生真面目な声が聞こえた。
「あれは神子様だぞ」
「……」
白い布は、着物の形をしていた。
「神子様……?」
彼女は全く気付いた様子も無く、着物を羽織る。そしてカサハを頭に被せ、こちらを振り返った。
「あ」
愛らしい声が、小さく言った。いかにも、悪戯が見つかった少女のような無垢な声で。
ロティオの手から書物が零れ落ちた。膝から力が抜ける。
「そんな……」
「あ! あ、あのっ」
可愛らしい声が慌てている。小さな足音が駆け寄って来るが、それを抱きしめることも絶対的に叶わない。
ロティオは膝を折って、廊下に手をついた。
「兄弟そろって……」
同じ女に惚れていたとは――。
隣に立ったまま、ビゼーが淡々と言った。
「兄弟そろって、不毛だな」
――泣いた。
拙作をお読みいただき、ありがとうございました。




