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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ガイナの神子─ 終章
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晴れた空


 屋根の上には上るなと言われた記憶はまだ鮮明だ。

「若旦那ぁーいい加減降りてきてくださいよー」

 帰るなり自分を待ち構えていた姉に小突き回され、ジンキはふて寝していた。五日も州城に拘束され、鬱陶しい尋問を受けた上に、戻れたと思ったら、お前のせいで自分まで尋問される羽目になったと姉に叱られたのだ。

 絶対自分のせいじゃない。悪いのはジンキにかこつけて、ジンキとは関係のない宝石商関連の調査を目論んだ官吏だ。

 能吏なのだろう、その尋問をした官吏の顔は好みだったと、姉はのたまった。

 好みならそれでいいじゃないか。会えて良かったなと言った自分の何が悪いのかよく分からない。

 あの日と同じように木の陰に横たわり、酒と肴の乗った盆を置いてジンキは顔を上げる。あの日のように、また神子が現れないだろうか。いまだに信じられない。あの女が女神であるなどと、誰が分かる。ただの人だった。おっとりとしていて、少し気が強そうな女。

「あれに惚れるとか……ほんと馬鹿だな」

 漆黒の瞳が美しい、友の名を聞かされた時は理解を拒絶して怒りしかなかった。あいつが殺人鬼のはずが無い。そう叫んで、気付いたら武官に取り押さえられて拘束期間が無駄に伸びた。

 忙しく飛び回って仕事をしている友人だ。ガイナ王国の各州を転々としているあいつに出会ったのは、十三の頃だった。店の舞台に呼ばれた同年代の少年と意気投合するのは直ぐだった。

 同じように雑技団に入っていたシャグナが、その器量と聡明さを買われて桜花蒼姫の親父に養子として迎え入れられた頃だった。店の関係で子供同士紹介された時、シャグナは大人びていて、そして暗かった。自分よりも四つも年下だと知った時は顎が外れるかと思った。

 シャグナは養子に入ったばかりで親に気を使っていたのだろう。三人で遊ぶうちにだんだん明るくなっていった。

 お互いに何でも話し合えていると思っていた。花形役者のケイが実は月の力がとても強く、舞の中で密かに力を使っていると聞いた時は、驚きを通り越して尊敬さえしていた。

『お前空飛べるのか! 格好いいなあ! すげえ!』

 そう言ってはしゃいでいた自分。その力がどれほど恐ろしいものか、二十五になるまで気づきもしなかった馬鹿な自分。

 こつり、と音がした。視線を上げると、屋根の上に友人がいた。ふわりと舞い降りる様は、神子と全く同じ現れ方だった。

 綺麗な顔をした友人が、にやにやと笑って見下ろす。ジンキは寝ころんだまま眉間に皺を寄せた。

「お前、何してきたんだ」

 口元に赤い血が付いていた。

「ちょっと苛ついたから噛んできただけ。殺してないよ」

 ジンキは勢いよく起き上がった。翡翠色の髪が風に揺れる。ケイは屋根の頂点に立って、道化師のように肩を上げて首を傾げた。

「いつからだよ! なんで話さなかったんだよ!」

 ケイの笑みが少し陰った。

「ジンキって相変わらず馬鹿だよね。言えると思うの。お前に会うずっと前から、性的虐待受けながら生きています。生きるためには仕方ないんです。って言うの? 無理でしょ」

 愕然とした。全身から血の気が下がり、瞬きを忘れた。

 ケイはあは、と笑う。

「あ、そこまで気づかなかった? 殺すのにも理由があるんだよ。僕は小さい頃からこの体で生きてきたからさ、大人の玩具だったんだよね。でもさあ、いい加減嫌になるだろ。だからさ、殺されるなって思った日に、殺してみたんだ。死んだんだ、あっけなく。僕を組み敷いて、良いようにしていた大人の内臓に、手を差し込むだけで死んでくれた」

 屋根の上を楽しそうに歩く。

「すごく安心したなあ……。だってさ、殺したら消えるじゃん。これで苦しいのから解放されると思ったら、快哉を叫びたい気持ちだったね」

「言えよ……。俺……絶対、お前の事、助けようってした。逃げたりしなかった。友達だろ」

 ケイは首を傾げてにっこりと笑った。彼の目尻に涙が見えた。

「そうかもね。ジンキは本当に馬鹿正直だから、悪い事には悪いって言っちゃえるもんね。言えばよかったのかもね……助けてって。でも恥ずかしかった。穢れた自分を、友達として見てもらえなくなるのが怖かった」

「お前馬鹿だろ……。俺が、そんなことで友達止めるわけねえだろ……」

 救う機会は一杯あったのだろう。けれど自分は欠片も気付かなかった。ケイがどんなに苦しい思いをしながら生きているのか。ただの同じ悪餓鬼としてしか、考えられなかった。

「ジンキってほんと、良い奴で嫌になるな。歪んだ自分が馬鹿みたいだ」

「馬鹿なんだよ」

 ケイは眉間に皺を寄せて、ジンキを睨む。

「ジンキになんか分からないよ。生まれた時から親の愛情を一杯に受けて育った坊ちゃんなんかに、僕達の苦しさなんか分からないよ」

「それはどうしようもねえ事だろ!」

 自分を生んで、大事に育ててくれた両親に非は全くない。そしてそれを恥じる気も更々無かった。ケイははっと吐き捨てる。

「そうだよ。どうしようもない事なんだよ。太陽みたいなお前に、僕達の闇を見せたくなんかなかったよ。お前に陰りなんか似合わない。笑うお前の傍では笑っていたかった。それの何が悪いんだよ」

「……っ悪いよ! 助けられねえじゃねえか! 俺だって、お前の苦しいの、分かってやりたかった! お前が壊れる前に、助けてやりたかったんだぞ!」

「もう遅いよ。今更、言っても意味ないよ。僕は殺し過ぎた」

 暗い眼差しがシタンの都を、そして隣り合ったルトの街を見渡す。憎悪を浮かべたその表情は、ジンキの知らない友人の顔だった。

「僕、この街が嫌いだった。一番仕事で呼ばれる街で、一番、僕を苦しめる繁栄の街だ。どんどん変わっていく。僕を苦しめてきた大人たちを減らす法律が増えて、綺麗になって行った、憎たらしい街だよ。お綺麗な顔をして、皆昔なんて忘れましたって顔をして、僕たちを無かったことにした、あいつの街だ」

「あいつ……?」

 ケイはまっすぐに北へ視線を向けた。

「この国の希望とか言われている、第一王子」

「ケイ……もうやめろよ」

 ケイは暗い眼差しを転じる。不思議そうな顔をした。

「どうして? 僕がこんなに苦しんだのに、あいつは何も知りませんって顔をして城にふんぞり返るんだよ。隣には、極上の女を当然の様に置いて」

 ジンキは眉間に皺を寄せた。

「分かってねえような面、するんじゃねえ! お前、俺はお前らの演技なんか分かってねえと思ってたんだろうがなあ、こっちは気付いてて知らねえふりしてやってたんだからな! 餓鬼の頃からずっと一緒にいるんだぞ! 舐めんなよ!」

 ケイは眉を上げた。

「嘘」

 ジンキは怒鳴った。

「八つ当たりするなよ! 王子がお前の何を奪ったんだよ! あいつがお前みたいな餓鬼が減るように、すげえ頑張ったから、今の街があるんだろうが! わかってんだろ!」

 ケイはくくく、と笑う。

「分かんないじゃない。もしかしたらあいつはただふんぞり返っているだけで、官吏が全部やっているのかも知れないよ?」

「んなわけねえだろ! この街を変えた法律はほとんど、条例だ! 王の法律じゃねえんだぞ!採 決は全部王子がするんだ。官吏に考えさせただけでここまで統一された条例ができるはずがねえんだ!」

 ケイは詰まらなそうに視線を逸らす。

「本当、ジンキって坊ちゃんだよね。悪餓鬼の顔して、勤勉で、法律まで詳しくて、嫌になる」

「頭の良い俺が教えてやるよ! もうやめろ! 神子様なんか、手に入らねえんだ!」

 ケイの舌打ちが聞こえた。

「どいつもこいつも、同じ台詞を言う……。聞き飽きたよ」

「皆分かってるからだよ……お前以外はな」

 ケイが腹立たし気にジンキを睨み下ろす。

「いいじゃない。最後くらい、欲しいものを欲しいと言うことにしたんだ」

「――」

 最後――。

 目を見開いたジンキに、彼は笑んだ。

「ごめんね、ジンキ。でもこれが最後の我が儘なんだ」

「何言ってんだ……てめえ……」

 一歩近づくと、ふわりと飛んだ。

「僕ねえ、ずっと欲しいもの無かったんだ。好きな人なんていなかった。これ、教えてくれたのシャグナだけど。笑えたよ。僕、この年になるまで恋したことなかったんだ」

 唇が震えた。

「馬鹿言ってんじゃねえよ……この期に及んで恋とか……阿呆か、お前」

 上空で、ケイが首を傾げる。

「最後は馬鹿で阿呆な、愚か者になるのも楽しいじゃない」

「やめろよ……」

 叶いっこないと、言うのだけは躊躇われた。

 友を最後に傷つけたくなかった。

「ジンキ。僕は最後にしたいことができて、幸福だよ」

「はあ……? どこが……幸福だよ……」

 ケイは晴れた空を思わせる笑顔を見せた。

「だからさ、お前も遠慮せず幸福になれよ」

「馬鹿言うな!」

 彼はこれまで聞いたこともない、鮮やかな笑い声をあげて空の彼方に消えた。

 ジンキは泣いた。子供の様に、一人で泣いた。



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