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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ガイナの神子─ 六章
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神子を知る子供


 死ぬ感覚ってすごく怖い。あの男の目は違った。殺意ってああいう目の事を言うんだ。暗くて死んだ感情の欠片もない目。闇色の空洞。

 ──違うな。感情はあった。

 腹が立つ。あの目の感情はそれに尽きたと思う。

 しかし冷静だ。一度死んでもう一度生き返るというのは、妙に心を落ち着かせる効果があるのだろうか。それとも、この言うことを聞きそうもない四肢に問題があるからだろうか。

 イルヤの四肢は目覚めた今も重く、動こうとはしていなかった。首を傾げようと思えば傾げられそうだったが、何となく恐ろしくて瞬きを繰り返すだけにした。

 その内誰かが顔を覗き込んできた。見慣れた姉の顔だった。姉は眉を上げて顔を覗き込み、そして瞳に涙をにじませた。

「起きたの、イルヤ? よかったね。よかったね……」

 何が良かったのか、全く理解不能だ。とりあえず返事をしようと口を開いた。

「ぉ……し、だの」

 喉に痰のようなものが凝っていて声は上手く出なかった。姉が慌てて小さな水差しを差し出す。口の中に広がった甘味に、どきりとした。すごく甘い。そして口の中がすっきりとして、やっとそれが水なのだと気付いた。

「ありがと……」

 今度は上手く声が出た。起きた方が良いのだろうが、起きられる気がしない。

「動ける?」

 姉は涙声で聞いた。泣かないでほしい。姉に泣かれると、こっちまで泣いてしまう。全く迷惑な人だ。男として強くあろうとする弟の心意気を察してほしい。

 なんて考えている場合ではないのだろう。例に腕に力を込めて、激痛が走った。

「うあぁっ」

 骨が折れているような痛みだった。何だこれ。痛い。痛すぎる。まずい。例に足に力を入れて、イルヤは冷や汗をかいた。足は鉛のように動かない。感覚もない。これは無理だ。動けない。これからの生活が──。

「動けないの? 先生呼んで……」

 イルヤは内心無駄だと否定した。全身麻痺なんて聞いたこともない。絶対に治せない。これは死んだ方が増しだったんじゃないか。瞬時に絶望が脳裏を過ぎりかけ、イルヤははたとあの花を思い出した。一片で大地を十分に潤す奇跡の花。あれはどこだ。

 慌てる姉の手元が視界に入った。姉の手に赤い花があった。

「姉さん、それ……。その花……」

「え? え? あ、これ?」

 イルヤが何を言っているのか分かっていなかった姉は、動揺も露わに手の花を差し出す。

「あんたの服に付いていたままだったんだって。院長先生が枕元に置いて行って下さったから……水をやろうと思って」

「いいから……それ頂戴」

 誰かに盗られていなくてよかった。甘い香りは確かに神子様から授かった花と同じ匂いだった。

 姉はよく分かっていない。不思議そうにイルヤの手に花の茎を押し付ける。

「違う……。花の方、手に掴ませて……」

「え? 潰れちゃうよ?」

 姉は訳が分からないながら要望通り花を手の中に置いてくれた。イルヤは躊躇うことなく花を掴み、力を込めた。そして花に込められていた月の力の全てを吸い取った。

「……っ」

 全身が震えた。姉が驚きの声を上げるが、無視だ。全身に甘い匂いがまとい付いた。まるで神子様に抱きしめられているようだった。暖かな体温が全身の血流にのって体中に月の力を補充していく。胸が震え、吐息が震えた。

「イルヤ……イルヤ、大丈夫?」

「……ふー……」

 イルヤは大きく息を吸い込み、上半身を起こしてみた。全く問題は無い。すごい。本当に神子様ってすごい。

 手の中に残った花がかさりと音を立てた。とうの昔に寿命を終えていたはずの花は、その現実を思い出したように茶色く枯れ果てて手の中にあった。

 初めて目尻に涙が滲んだ。姉が柔らかな胸に頭を包み込んでくれる。

「よかった。動けるの? イルヤ。良かった……っ」

 恥ずかしいなと思いながらも、イルヤは大人しく抱きしめられるに任せた。今は甘えてもいいのだろうと思う。

「神子様の力は旨かったかい?」

 びくりと姉の体が強張った。視界が開けて見えたのは、白衣に身を包んだ医者だった。翡翠色の髪と焦げ茶色の目の男だった。

「あ、先生……」

「君の声が聞こえたから、来てみたよ。大量出血していたから、きっと後遺症があるだろうとは思ったけれど……君たちは本当に過ぎるほどの加護を頂いた子供なのだねえ」

 厭味ったらしい言いぐさだなと思ったが、イルヤは無表情に医者を見返した。医者はイルヤの手の中の枯れた花を見やって笑う。

「体は問題なく動くかい?」

 イルヤは腕を回し、足を動かしてみた。多分長い間寝ていたのだろう。筋肉の衰えを感じたが、問題は無さそうだった。

「大丈夫そうです……」

「どれ……」

 医者の格好をした詐欺師か?と内心疑っていたが、どうやら本当に医者らしい。彼はイルヤの腕、脈、腹、足と触診をしていき、頷く。

「うん。問題なさそうだね」

「あの……ありがとうございます」

 姉が若干怯えて礼を言う様に、イルヤはこの男が嫌いだなと思った。男は口角を上げてイルヤを見下ろす。

「いいや。どうやって神子様に取り入ったの?すごいよね、その花。妹さんにも同じ花が贈られていた。使えばいいのに、妹さんはお守りみたいに大事に抱いて寝ているけれど」

「ココ。ココは大丈夫なの?」

 男ではなく姉に尋ねる。姉はにこりと笑ってくれた。

「大丈夫よ。ちょっと怯えているけれど、一緒に寝てあげると随分安心するみたい」

「目の前で片割れが殺されちゃあ、気を狂わせてしまっても可笑しくないのだけれどね。今のところ彼女も左程ひどくはないよ」

「そうですか……」

 男は面白そうにイルヤを見下ろす。

「君は十歳なの?」

「……そうですけど」

 自分の顎に手を掛けて首を傾げる。

「随分落ち着いた子供だねえ。普通怖かったと泣いても良いところだよ」

 何が言いたいのか分からない。とりあえず嫌な大人だなとイルヤは男を怪訝に見上げた。

「何か……?」

 彼は目を細める。

「うん。だからね、どうやって神子様に取り入ったのか教えてほしいと思って」

「取り入っていません」

 とんだ誤解だ。偶然家の庭で出会って、ジ州の街でまた会って、花を貰って、宿まで送ってもらう途中で死んだ。そして今いると言うことは、記憶にはないが神子様に助けてもらったのだろう。心臓に腕が刺さったところまでは覚えている。死んだな、と思った。でも生きている。すごく運が良い。

 出会った経緯を話すと、男は口元だけ笑った。

「そうかあ……君たちには僥倖が味方についていると言うわけだねえ」

「死んでいるので別に僥倖というわけでもないと思います」

 冷静に訂正すると、彼は笑い声をあげる。

「そうだね。死んで生き返るという経験は万に一つだからね。だがまあ、僥倖なのだろう。神子様に救われた君たちには、ノナ州へ帰還する際の送迎の全てが王家から贈られている。更には、君が求めるのであれば神子様への謁見さえ許されるそうだ」

「え……」

 男のいう内容が信じられず目を見開く。姉も今聞かされた顔をしていた。彼は首を傾げてイルヤを見下ろす。

「勘違いしてはいけないよ。誰も君たちを褒めているわけではない。君たちが子供だったから、憐れんでいるだけだ。己の犯した間違いには気付いておくれ。夜の街を子供だけで歩くなんて、馬鹿もいいところだよ」

「……ああ」

 神子様も同じようなことを言っていた。心配してと。確かにそうだった。自分は死んだのだから、危ないに決まっている。歓楽街に慣れきって、感覚が麻痺していた。

 イルヤはこの男に言うのは癪だなと思ったが、姉が怯えているので仕方なく口を開いた。

「そうですね。同じ過ちは犯しません。僕らにはもう少し勉学も必要だ。どうせ雑技団ももう続けられないと思っていたから丁度良いです。雑技団は辞めて勉強と農業に専念しますよ」

「どうして辞めるの?」

「それは神子様が……。」

 言いかけて口を閉ざした。この男はイルヤ達が不当に神子からの施しを受けていると思っているようだ。あまり話して面倒なことになっても嫌だった。だが男は促す。面倒くさい大人だ。

「僕たちに神子様の加護があると勘違いした団長が、僕らの指導を放棄したからです。何をしても『良い』しか言わないようになったので、技術の向上も望めません。そろそろ潮時だと思っていました」

 それにノナ州は神子の加護によって今年は豊作が望める。雑技団を辞めても生活できない状態ではなくなるはずだ。

「ふうん……なるほど。神子様は頭の良い子供を選ばれたのだね」

「は?」

 彼は眉を掻きながら窓の外を見る。

「だって君、官吏になるつもりだろう?」

「……」

 それは姉の夢だった。夢を諦めて働いてくれている姉を前に、そんな将来像など語れるはずはなかった。

「お姉さんも頭のいい子だったのだろうね……」

「いいえ」

 男は姉の否定が聞こえないかのように話し続ける。

「安心しなさい。直ぐにノナ州は豊かな農業の町に生まれ変わり、あなたも再び学ぶことができるようになるだろうからねえ」

「……そうなれば、いいです」

 姉は俯いていった。勉強をしたかった姉が、我慢をして働いてくれていたのだと改めて感じた。申し訳なさに唇を噛んだ。

 男は窓の外を虚ろに見つめている。彼の声は、少し覇気を失っていた。

「神子様の御力により世界は変わっていくねえ……。じりじりと、じわじわと……。学舎を増やし、医療機関を増やし……」

 話しが掴めない。学舎や医療機関の話なんてしていなかった。男の視線は窓の外へ向いている。だがその焦点は、合っているようには到底見えなかった。

 虚ろな眼差しが見る世界は、イルヤ達が見ている世界とは違う場所にあるようだった。

「この世は変わっていくのだねえ……」

 彼の瞳は何故か潤み、一滴涙が零れ落ちた。

「えっ」

 大の男が涙を零した。嘘だろう。イルヤは思わず声を上げた。

「何故……神子様はもう少し早く……この世に現れて下さらなかったのだろうね……」

 その、耳に馴染むほど繰り返し聞いた言葉。すう、とイルヤの胸は冷えた。

「それはいっちゃ駄目なことだよ、先生」

 彼は涙に濡れた顔をこちらへ向ける。何もわかっていない彼の顔が、イルヤには子供に見えた。

「皆そう言うよ。どうしてもっと早く。どうしてもっとたくさん。どうして僕たちを幸福にしてくれなかったの?どうして力を分けてくれないの?神子様が祝福を分け与えられた後、ノナ州では神子様への賛辞と同じだけ、恨み言も呟かれていたよ」

 男の口元が笑う。イルヤは彼が何かを言う前に口を開いた。

「でも仕方ないじゃないか。神子様は今、この国へいらっしゃったんだ。今より昔へ戻ってみんなを助けるなんて無理だよ。だから今、あの人はみんなを救おうと頑張っていらっしゃる。なのにどうして恨むの。今よりもっと早い時なんてなかったんだよ」

 姉が何故か口元を押さえた。イルヤは不思議に思いながらも、男に向かって言う。

「神子様が、皆のそういう気持ちに気付いていないとでも思っているの?あの方が一番、よく分かっていらっしゃるよ」

「……君は……。神子様の……何を知っているんだい?」

 男の瞳は輝いていた。その期待が腹立たしくて、イルヤは男を睨んだ。

「知らないよ!僕が神子様の何を知れるって言うの?でも神子様は、団長に打たれそうになったココの代わりに打たれてくれた。あの方は、ココを助けてくれたのに、ココにごめんねっておっしゃったよ。とても悲しそうに、謝られた。僕たちが子供だってことは、僕たちが一番よく分かっている。でも僕にはあの方のお気持ちが分かったよ。子供の僕たちが働いて、大人に叩かれて、それが普通のこの世でごめんねって、あの人はおっしゃったんだよ!」

 姉の目から涙が零れ落ちた。

「先生がどんなつらい目にあったのか、僕は知らないけど、神子様を恨むのは間違えているよ。子供の僕にでも分かるようなこと、言わせないで!」

 男は乾いた笑い声をあげて目を手で覆った。

「……そうか……。そうだねえ……ごめんよ。つい……ついね」

 辛い。この世で生きるのは辛くてたまらない。でも全部の責任を神子様に押し付けて幸福になろうなんて、思いたくもなかった。

 男はしばらく黙りこんだ後、涙をこぼしたのが嘘のようにからりと笑った。

「体も動くようだから、妹さんと一緒の部屋に移って良いからね。双子は共にいた方がいい」

「……ありがとうございます」

 礼を言うのも嫌だったが、仕方ない。姉が泣いたまま声を出せないのだ。どうしてこう、ココと言い、姉と言い、家の女性陣は泣き虫なのだろう。迷惑な話だ。

 半目で見やった男は快晴を想像させる笑顔を浮かべた。

「君は良い官吏になるだろうね。殿下にお目にかかることがあれば、きっとすぐ昇進する。そんな気がするなあ」

「……勘違いじゃありませんか」

 まだ十歳の子供に向かって馬鹿げた夢物語を良く言ったものだ。だけど、官吏にはなれる。そんな気がしていた。


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 どうしてもっと早く。

 どうしてもっとたくさん。

 どうして僕たちを幸福にしてくれなかったの?

 どうして力を分けてくれないの?

 それは私の心そのものだった。

 その通りだと思った。あの子供の方がずっと正しい。誰かのせいなんかじゃなかった。

 だけど──だけどやっぱり、そう思ってしまうよ。

 ──どうして、神子様はもっと早く、この世へ現れて下さらなかったのだろうね。

 州城に設けられた医局は一つの館だった。館の周囲は石垣が覆っており、医局の庭に降り立つと、植込みのその向こうにある二つの街──シタンとルトの街が一望できた。

 白衣の端が生温かな風に揺れる。

 じりじりと焼け付く太陽の光を浴びながら、彼はまた涙をこぼした。

 はらはらと零れ落ちていく涙を恥じることなく。

 彼は街を見渡し、涙を流した。

 ──どうして私たちは、共に幸福になることができなかったのだろうね。

 翡翠色の髪が、さらさらと風になびいた。



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